高校編・第5話「偶然という名の、領土外遭遇」
五月。
朝から楓が駄々を捏ねていた。
「お姉ちゃんと一緒に行きたい!」
「今日は胡桃との予定がある」
「一緒に行けばいいじゃん!」
「……胡桃との約束だ」
「楓も行く!」
凛は少し考えた。
「お姉ちゃんと一緒に行きたいのはわかった。だが、今日は胡桃との約束がある。また別の機会に連れていく」
「いつ?」
「……近いうちに」
「いつ!」
(……交渉が難航している)
母が台所から出てきた。
「楓、お昼ご飯は楓の好きなオムライスにしてあげるから、今日はお留守番しようね」
楓がぴたりと止まった。
「……オムライス?」
「そう。特製ね」
楓が少し考えていた。
その隙に、陸がソファから顔を上げた。
「オレ、オムライスの上にハンバーグ乗せて欲しい」
母の表情が険しくなった。
陸が気づかずに続けた。
「あ、楓のにもハンバーグ乗せてあげて」
「……陸」
母の声のトーンが下がった。
陸がようやく気づいたように肩をすくめた。
楓は「ハンバーグも乗せる!」と言って、すっかり機嫌が直っていた。
凛は静かに玄関へ向かった。
母が後ろから声をかけた。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「行ってきます。」
靴を履きながら、ちらりと振り返った。
母は笑顔だった。しかしその目が、どこか遠くを見ていた。
(はあ、午前中にスーパー行かなきゃ……)
そう思っているに違いなかった。
(……すまない、母上)
外に出ると、五月の風が頬をかすめた。
「凛、こっちこっち」
胡桃が雑貨店の前で手を振っていた。
(……この群れの密度は中学の文化祭より高い)
休日のモールは人が多かった。
前世の森であれば、これほどの密度で生き物が集まっていれば何らかの異変が起きているはずだ。
しかしここでは皆、楽しそうにしている。
(……平和な場所だ)
「凛、見てこれ、かわいくない?」
胡桃がキーホルダーを手に取っていた。
「……そうだな」
「そうだなって、ちゃんと見た?」
「見た」
「どこが?」
「全体的に」
胡桃が呆れた顔をした。
「もうちょっとちゃんと付き合ってよ」
「付き合っている」
「塩対応〜」
二人で店内をひと回りして、胡桃がいくつか買った。
凛は特に欲しいものはなかったが、楓のお土産に袋詰めの駄菓子を買った。
(……陸の分も買っておくか)
少し考えてから、もう一袋手に取った。
モールの中央に差し掛かったところで、甘い匂いがした。
立ち止まった。
見覚えのある店だった。
りんご飴の専門店。
以前、ブルーベリーヨーグルト味の期間限定が終わった、あの店だ。
(……また来てしまった)
「あ、りんご飴だ。凛、買う?」
「買う」
即答だった。
列に並んだ時、前に三人並んでいた。
一人ずつ順番が進んでいく。
凛の番になった。
ショーケースを見た。
自然と期間限定商品に目がいく。
バターキャラメル味……か。
「一つ」
「はい、どれにしますか」
「……これ」
期間限定のりんご飴を選んで受け取った。
一口かじった。
甘い。
(……違う)
何が違うのかはわからない。
だが、何かが足りない気がした。
毎回そう思う。それでも、なぜか手が伸びてしまう。
「おいしい?」
「……悪くない」
「それ、いつも同じ感想だよね」
胡桃がストロベリー味を口に含みながら言った。
その時だった。
「よう、朝霧。元気か?」
声がした。
振り返ると、湊人が立っていた。
その後ろに、見慣れた取り巻きの女子生徒が数人いた。
皆、凛を見て微妙な顔をしていた。
「当然だ」
「そうか」
湊人の視線が、凛の手元のりんご飴に一瞬だけ止まった。
何かを言いかけて、止めた。
「お前もここに来るんだな」
「胡桃に連れてこられた」
「やあ、水瀬さんも一緒か」
湊人が手をひらひらと振ってくる。
「やあ、雪代くん」
胡桃が軽く手を上げた。
湊人が軽く頷いた。
取り巻きたちが、また微妙な顔をした。
「りんご飴が好きなのか」
湊人が凛に聞いた。
「……ああ、好きだ。スタンプも貯めている」
「何味がおすすめなんだ?」
「ブルーベリーヨーグルト。だが、期間限定だったので今は売っていない」
湊人の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「……そうか」
湊人は少し黙った。
「そうか」
それだけだった。
何かを知っているような、知らないような、判断のつかない顔だった。
「邪魔したな」
「別に邪魔ではない」
「そうか。じゃあまた学校で」
湊人が後ろ手に手を振りながら歩いていった。
取り巻きたちが慌ててついていく。
胡桃が凛の隣に並んだ。
「なんか、雪代くんってさ」
「なんだ」
「凛のこと、ちゃんと見てるよね」
「……そうか」
「うん。なんか、他の人を見る目と違う」
(……そうだろうか)
凛は、りんご飴をもう一口かじった。
湊人のことは、もう頭から離れていた。
(甘い、しかし違う)
そう思った。それでも、
(だが、これはこれで美味いな)
そう思う自分もいた。




