高校編・第4話「答案という名の、領土確認の結果」
四月。
朝起きると、陸がもう起きていた。
珍しい。
「陸、今日は早いな」
「……うるさい」
陸はリビングのテーブルに突っ伏すように向かって、鉛筆を走らせていた。
「昨日宿題するの忘れてずーっとゲームしてたの。それで今慌ててやってるってわけ」
母が台所から、涼しい顔で教えてくれた。
見ると、陸の顔が今にも泣きそうだった。
「陸、宿題なんだろ。頑張れよー」
凛はニヤニヤしながら言った。
そこへ、寝ぼけ眼で楓が下りてきた。
状況を一切把握していない顔のまま、陸を見て言った。
「頑張れよー」
(……楓、それ、言わない方がいいぞ)
陸が鉛筆を折りそうな顔をした。
「うるさーい!」
母が「陸は黙って宿題を終わらせなさい。凛と楓は学校に行く準備をさっさとする。」と言いながら、味噌汁を手際よくよそった。
相変わらず騒がしい、いつもの朝だった。
学校に着くと、テストの答案が返ってきた。
数、英語、国語と順番に返ってくる。
凛は答案用紙を机の上に置き、赤い点数を確認する。
(……悪くない)
平均点は90点を超え、順位も上位に位置していた。
あの感覚は正しかった。
数式を仕留める感覚は、裏切らなかった。
胡桃が隣でため息をついた。
「思ったよりは悪くなかった……」
「どのくらいだ」
「中の上、くらい?」
「十分だ」
「凛は?」
「上の方だ」
「さすが」
胡桃がぼそっと言った。
テスト直後の悲観ぶりを思えば、本人も少し拍子抜けしているようだった。
(……胡桃は元々、成績が悪い方ではない)
中学の一回目の入試がダメだったことを、先生も不思議がっていたほどだ。
実力はちゃんとある。
あの時は単純に緊張していたのかもしれない。
「あ、雪代くん」
胡桃が小声で言った。
廊下側の掲示板に、成績上位者の一覧が貼り出されていた。
クラスメイトが何人か集まってざわついている。
凛も目をやった。
一位に、雪代湊人の名前があった。
しかも学年でもトップクラスだという。
(……やはりか)
試験中の、あの余裕が頭をよぎった。
腕を組んで窓の外を眺めていた後ろ姿。
焦りのかけらもなかった。
「すごいよね、雪代くん」
胡桃が感心したように言った。
「……そうだな」
「凛もかなり上の方じゃん。二人ともどうなってんの」
「努力の賜物だ」
「凛がそれ言うと嘘くさい」
失礼な、と思ったが、否定する材料もなかった。
昼休み、廊下で湊人とすれ違った。
正確には、湊人とその取り巻きの集団とすれ違った。
凛が足を止めると、湊人も自然に止まった。
取り巻きたちが、きょとんとした顔で、不思議そうに凛と湊人を見た。
湊人が凛に歩み寄りながら言った。
「成績、見たか」
「見た」
「お前もなかなかやるな」
「お前の方が上だ」
「……まあな」
湊人は特に謙遜もせず、淡々と言った。
人間なら少しくらい照れるか、あるいは自慢げにするものだと思うが、湊人はどちらでもなかった。
ただ事実として受け取っているだけのようだった。
(……やはり、普通の奴らとはどこかズレている)
整っているのに、人間らしくない。
その違和感が、じわじわと輪郭を持ち始めていた。
「一つ聞いていいか」
そう聞いた凛に、
「ちょっとこっちに」
湊人は凛の手を引いて、廊下の脇へ連れていき答えた。
「どうした?」
みんなに背を向けて、凛が小声で話し始めた。
「お前は、この世界の勉強をいつ覚えた?」
湊人は少し考えてから答えた。
「気づいたら入っていた。この体に最初からあった知識だ」
「……そうか」
「お前は違うのか」
凛は少し間を置いた。
「最初は苦労した。数式は呪術の羅列にしか見えなかった」
「それは面白いな」
湊人が、ふっと笑った。
笑顔は自然だった。
しかし、笑う理由がどこか人間とは別のところにある気がした。
「獣王が数学を学ぶとは」
「笑うな」
「笑っていない。感心している」
「同じだ」
湊人がまた小さく笑った。
廊下の少し離れたところで、取り巻きの女子生徒たちが面白くなさそうに睨んでいた。
予鈴が鳴った。
「また話そう」
湊人が微笑みながら小さく手を振る。
「好きにしろ」
腕組みをして凛は返事をした。
廊下を歩いていく湊人に、取り巻きたちが慌ててついていく。
夕方、胡桃が渋い顔をしながら凛に話しかけてきた。
「凛〜、今日クラスの何人かの子達に、凛が雪代君と付き合っているのかってしつこく聞かれたよー」
「付き合っているとは?」
「恋人ってこと」
「違う」
「私もそう言ったんだけど、信じてもらえなくて。なんか昼休みに二人でこそこそ話してたって広まってるみたいで」
凛は少し考えた。
廊下の脇に連れていかれたことを思い出した。
あれが「こそこそ話」に見えたらしい。
「ただテスト結果の話をしただけだ。次からは堂々と話せと言っておく」
「ぶっ、ははははっ」
胡桃が吹き出した。
「だろうとは思うんだけどさー、周りにはそうは見えてなかったらしい」
胡桃がため息をついた。
「なんか、雪代くんに話しかけられる子って珍しいみたいだから、余計に目立つんだろうね」
「……そうか」
「凛って、そういうの気にならないの?」
「気にならない」
「やっぱり」
胡桃が苦笑いした。それ以上は続けなかった。
帰り道、凛はふと思った。
あの時、予鈴が鳴るまで時間の経過に気づかなかった。
(……前世で瞬きにもならない一瞬の時間を共有しただけだ)
(それなのに、あいつと話していると、不思議と肩に力が入らない)
(……おかしな話だ)




