第14話 頼れる『友達』
「り、凛ちゃん!? すごく息が苦しそうですけど、大丈夫ですか!? 立てますか!?」
緑ヶ丘学園高等部生徒会にて、綾瀬凛は呼吸困難に陥っていた。
「ハァッ……! ハァッ……! …………ハァッ…………!」
「大変です……! 凛ちゃん過呼吸になってます! 凛ちゃん、とりあえず落ち着きましょう! えーっとこういうときは……」
生徒会室に戻ってきた琴原みどりは、綾瀬の背中をさすりつつスマホをポケットから取り出し、過呼吸の対処法を調べ始めた。
しばらく琴原が背中をさすると、冷や汗をかいていた綾瀬はだんだんと落ち着きを取り戻し始め、呼吸も安定し始めた。
「はぁ……、はぁ……、す、すみません、みどり先輩。私はもう大丈夫です」
綾瀬はそう言って、ゆっくりとその場に立ち上がった。
「も、もう大丈夫なんですか!? とても苦しそうでしたよ!?」
琴原はあわあわとした心配する顔をして綾瀬に言った。
「すみません、もう落ち着いたので、大丈夫です。ありがとうございます」
綾瀬は深く深呼吸をし、呼吸を正常に戻しながら言った。
「そうですか……。凛ちゃんが大丈夫と言うのならいいんですけど……」
「心配かけちゃってすみません。それより、みどり先輩もう帰ったんじゃないんですか?」
綾瀬は椅子に座り、水の入ったペットボトルを口につけながら言った。
「えっとですね、本当は帰るつもりだったんですけど、駅まで着いたところで忘れ物していたことに気づきまして……」
「忘れ物? なんですか?」
「私、本が好きで読書をよくするんです。今日はお気に入りの本を休み時間に読んでたんですけど、うっかりその本を教室に忘れてしまって……」
「あー、なるほど。それを取りに戻ってきたんですね」
「はい……。本は無事に教室にあったのでそのまま帰ろうとしたんですけど、生徒会室のほうから木下さんが歩いて行くのを見たんです」
琴原は怪訝な顔をしていた。
「凛ちゃん。木下さんと何かありました?」
琴原の言葉に、綾瀬はブルッと体を震わせた。
綾瀬に襲い掛かる悪寒。
その悪寒の正体は、これから自分の身に訪れる未来を変えられないという恐怖からくるものだった。
『人生の選択肢』が示す【選択の結果】には抗うことはできない。
綾瀬は木下からの提案を受け、鈴村との関係を崩さない未来を選択したが、選択肢自身を鈴歩が選ぶことができるというルールにより、綾瀬と鈴村の関係が崩れる未来を強制的に選択させられたのだった。
この未来が必ず訪れるとわかっている綾瀬は、さらにぶるぶると体を震わせた。
「だ、大丈夫ですか……? 保健室行きます……?」
あまりにも様子がおかしい綾瀬を見て、琴原は保健室に行くよう提案をした。
「す、すみません。ちょっとまだ冷静になれていないみたいです……」
「とりあえず落ち着きましょう。何か悩んでいるんだったら、私が相談相手になりますよ」
「相談……、相手ですか……?」
「はい♪」
顔面蒼白な綾瀬と対照的に、琴原はとびきりの笑顔で答えた。
「私は凛ちゃんの友達です! 悩みがあったら相談相手になることは、友達として普通だと思いますよ?」
琴原は腰に手を当てどや顔をしていた。
「それに……」
「……それに?」
琴原は綾瀬に、更に言葉を投げかける。
「私は、凛ちゃんの恋のライバルですからね!」
「………………っ」
綾瀬の心は、この言葉でさらに壊れそうになっていた。
ただでさえ木下に精神的な攻撃を受けた後である。
琴原から直接聞くこの言葉は、綾瀬にとっては大ダメージになっていた。
「……ひぐっ……、うぐっ……」
「り、凛ちゃん!? なんで泣いてるんですか!?」
「ご、ごめんなさい……! 私、泣くつもりはなかったんですけど……! なんかもう……!」
綾瀬はついに我慢の限界が訪れ、涙を流し始めた。
その様子を見て、「泣かしたのは自分だ」と錯覚した琴原が慌てながら謝罪をする。
「ご、ごめんなさい! 私泣かせるつもりはなかったんです! えーっと……、私、もう帰りま――」
琴原が立ちあがった時だった。
綾瀬は、琴原の制服の裾を軽く掴んで言う。
「……行かないで、ください。たぶん、今一人になると、私、壊れちゃいます……」
綾瀬は泣きながら、自分の本音を吐露した。
「…………わかりました。とりあえず、何があったか話してください」
琴原は綾瀬の頭を撫でた。
撫でられた綾瀬は少し落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと琴原の顔を見た。
琴原は笑顔で返した。
「……ありがとうございます、みどり先輩」
「いいんですよ。凛ちゃんは私の友達ですから」
琴原は敢えて『恋のライバル』という言葉を発言しなかった。
この言葉自体が、綾瀬が泣いた理由だと直感的にわかったからである。
「……実は……」
綾瀬はそのまま、琴原に起きた出来事を話した。
*
「私がいない間にそんなことが……。ていうか、木下さん、鈴村君のこと諦めてなかったんですね……」
琴原は綾瀬から一しきり起きた出来事を聞き、驚く感情を露わにした。
「…………とりあえず落ち着きましょうか」
綾瀬は話す前こそ落ち着きを取り戻していたが、琴原に起きた出来事を話すうちに再度泣き出してしまった。
嗚咽を漏らしながら、綾瀬はゆっくりと話していたため、全てを話し終わるのには少し時間がかかっていた。
この出来事を話すうえで、綾瀬は『人生の選択肢』のことについては触れていない。
『人生の選択肢』の存在を琴原に話すということは、友達として見てくれている琴原に対し今までズルをしていた、と思われる可能性が考えられたからである。
「しかし朱橙祭のクラス別対抗レースで勝ったほうが鈴村君を手に入れられるって、木下さんもすごいこと提案してきますね」
「はい……。私もびっくりしました。咲良さんの口調からして、あれは確実に本気で勝負に来てると思います」
綾瀬は泣きやまないものの、会話ができる程度には落ち着いてきたのか、琴原の言葉に返答した。
「木下さんからすれば今まで蚊帳の外でしたからね……。どういう運命の歯車が回ってるのかわかりませんが、凛ちゃんも色々大変ですね」
「……それを言ったらみどり先輩だってそうじゃないですか」
綾瀬は琴原を少し睨んで言った。
「咲良さん言ってましたよ。みどり先輩もまだ鈴村君のことを諦めてないって」
「気づかれてたみたいですね……。今の凛ちゃんには申し訳ないですけど、そこは否定しません」
琴原は軽く頭を下げて言う。
「七倉さんも、お花見の日を境に何かしら変化があると思ってましたが、未だに鈴村君へのアピールをやめてないですからね」
「そうなんですよ……。そこに加えて咲良さんの参入。しかも負けたら鈴村君は奪われる……。私はどうすればいいんですかね……」
綾瀬は膝を抱えてうずくまった。
「…………凛ちゃん。一つ確認したいことがあるんですけど」
「……? なんですか?」
琴原はそう言うと、立ち上がり、綾瀬の前に立って言った。
「凛ちゃんは、なんでもう諦めてるんですか?」
「…………え?」
綾瀬は目を丸くした。
琴原は真剣な顔をして綾瀬に言う。
「だってそうじゃないですか。木下さんにちょっと強めに言われて提案を受けてしまっただけで、もう鈴村君を奪われると思い込んでますよね」
「そ、それは……っ」
綾瀬はこのとき、『人生の選択肢』のことを琴原に話しても良いと心から思っていた。
話せば綾瀬がここまで苦しむ理由も伝わり、綾瀬に訪れる未来を一緒に受け止めてくれると考えたからである。
……しかし、その勇気が綾瀬にはなかった。
何より、今の関係が崩れてしまうという恐怖に苛まれていたからである。
言葉に詰まる綾瀬を見て、琴原は続ける。
「いつもの凛ちゃんだったら、そんなことを言われても断固として鈴村君を死守しようとしますよね。婚約しているのなら尚の事です。でも、今の凛ちゃんは逃げているように見えます」
「に、逃げてなんかないです! 逃げてなんか……っ!」
「いいえ、逃げてます」
琴原は断言した。
琴原は綾瀬の肩に手を置き、言う。
「凛ちゃん。凛ちゃんはどうしたいんですか。鈴村君と一緒にいたいんですか。それとも、木下さんに取られて終わりでいいんですか」
「………………」
いつになく真剣な顔をする琴原を見て、綾瀬は黙る。
後夜祭で自分を選んでくれなかった琴原だからこそ、琴原は綾瀬に『覚悟』を問うていた。
「私は……っ!」
「私は?」
綾瀬の言葉に、琴原が復唱する。
「私は……っ、鈴村君を取られたくない……! ずっと……、ずっと一緒にいたいです!」
綾瀬は琴原に『覚悟』の決まった顔をして言った。
「そうです。その意気ですよ、凛ちゃん。そうでないと、私に対して顔向けできません」
琴原はそう言って綾瀬の頭を撫でた。
「と、いうわけで!」
琴原はポンッ、と手を合わせた。
「凛ちゃんの決心もついたところですし、入っていいですよ! 七倉さん!」
「……え?」
琴原の声を聞き、生徒会室に七倉わかなが入ってきた。
「もー、決心つくの遅いですよ綾瀬さん!」
「な、七倉さん!? なんでここに!?」
突然現れた七倉を見て、綾瀬は困惑する。
「いやー、途中まで帰ってたんですけど、その途中で琴原先輩から連絡がありまして。『綾瀬さんに関わる重要なことだから戻ってきてほしい』って言われて、戻ってきました」
七倉がそう言うと、琴原は笑顔でブイサインをした。
「え、ってことは、今までの話、全部聞いてたってこと……?」
「はい! 琴原先輩が生徒会室に入ってから今まで全部そこで聞いてました!」
七倉は生徒会室の扉の外を指さして言った。
綾瀬は状況をあまり把握できていない様子だったが、七倉に質問をした。
「話を聞いてたってことは、木下さんのことも、私と鈴村君の関係が危ういこともわかってるってことだよね?」
「はい、わかってます。正直なところ、私はそのままでいいんじゃないかと思ってはいるんですが、それだと私が徹君と付き合うこともできなくなるじゃないですか。それは困るので、ここに来たってわけです」
「……あー、はい。なるほどね」
少し七倉に対し希望を抱いた綾瀬だったが、その希望は瞬時に失われた。
しかし、今の綾瀬にとっては琴原も七倉も必要不可欠な人物である。
それは自分の精神を安定させるためであり、決められてしまった【選択の結果】を覆すチャンスになるからであった。
(この前、鈴村君は【選択の結果】が出てもその結果が来ないように動いてた……。結果的に【選択の結果】は別の結果に変わったし、私もそうすればこの状況を変えられるかも……!)
綾瀬は鈴村が花見のときに起こした行動を思い出していた。
「みどり先輩。七倉さん。私のためにありがとう。……本当に、ありがとう……!」
綾瀬は思わず涙を流した。
「もー、また泣くんですか綾瀬さん。泣くのは負けてからにしてくださいね」
「そうですよ、凛ちゃん。まだ負けたわけじゃないんです。これから凛ちゃんが、自分の思い描く理想の未来を手にするために、勝つために行動するんですよ」
綾瀬に対し、琴原と七倉は微笑みながら言った。
綾瀬は涙を裾で拭い、微笑んで言う。
「本当に、ありがとうございます! 二人が友達で、本当に良かった……!」
綾瀬の言葉を聞き、琴原と七倉は顔を見合わせ、照れくさそうな顔をした。
「さあ! そうと決まればまずは作戦会議です!」
琴原はそう言って、ホワイトボードを綾瀬、七倉の前に運んだ。
キュッキュと琴原はペンでホワイトボードに文字を書き、会議を始める。
「今回の問題の要は凛ちゃんと木下さんの勝負が決勝戦で行われることです」
「朱橙祭のクラス別対抗レースは、予選を勝ち抜いた各学園の上位四クラスずつがトーナメントに出れるんですよね」
「そうだね……。まずはその予選を突破しないといけないんだけど……、って、あれ?」
「……? どうしました? 綾瀬さん」
あることに気づく綾瀬に、七倉は疑問を問いかける。
「そういえば、青海学園って一学年三クラスじゃなかったっけ……」
『…………あっ』
琴原と七倉は声を揃えた。
緑ヶ丘学園高等部は各学年二クラスしかなく、一年から三年全てまとめると六クラスしかない。
その分、一クラスの人数は多いが、それでも各クラスの管理体制に問題はない。
朱橙祭のクラス別対抗レースは全学年で行われるため、この六クラスで予選を行い、上位四クラスに入れば問題ないのである。
一方、青海学園は各学年三クラスずつ存在し、一年から三年全てをまとめると九クラスもある。
木下が決勝に進むには、まずこの九クラスの中から上位四クラスに入らなければならない。
このルールは生徒会長、鈴村徹が突発的に提案したものであり、まだ正式決定したものではないが、このルールのままいくのであれば木下は自分で自分の首を絞めていることになる。
「木下さん……。わざわざ自分が不利な条件を持ち出すなんて、どういうつもりなんだろう……」
綾瀬には大きな疑問が浮かんだ。
「でも、木下会長もそれをわかってて提案してるんじゃないですか?」
「……というと?」
七倉の言葉に綾瀬が反応する。
「自分が不利だとわかっている状況なのに、敢えて綾瀬さんにその提案をした。木下会長にも何か作戦があるんですよ。木下会長には勝算があるんだと思います」
「勝算、かぁ……」
綾瀬は七倉の言葉を聞き、顎に手を当てる。
七倉はさらに続けた。
「でも、この『朱橙祭』の種目やルールも今はまだ草案に過ぎないです。今後変わるかもしれないですし、そもそもこの種目が消える可能性だってあります。もしかしたら――」
「それだぁ!!!!」
七倉が言いかけたところで、綾瀬が遮って叫ぶ。
突然の叫び声に、七倉がビクッとして驚いた。
「び、びっくりしたぁ……。なんですか急に……。心臓に悪いですよ」
「ご、ごめんね、七倉さん。でも、七倉さんのおかげでヒントが得られたよ」
「ヒント……?」
「そう! ありがとう、七倉さん!」
綾瀬はそう言って、七倉の手を両手で握った。
「な、何かよくわからないですけど、悪い気はしませんね」
七倉は少し戸惑う様子を見せながら照れていた。
「で、具体的に何をするんですか?」
琴原が問う。
「それはですね……」
綾瀬はそう言って、ホワイトボードに文字を書いた。
「鈴村君に相談して、このクラス別対抗レースをなかったことにしてもらうんですよ!」
『……なかったことに?』
七倉と琴原は首を傾げた。
「要はこの種目が開催されなければいいんです。今はまだ草案でしかないので、この種目がやると決まったわけではありません」
「……あ、なるほど! だからこれをやらないことにして、勝負自体をなくすってことですね!」
綾瀬の言葉に、琴原が続けて言った。
「おぉー、なるほど……。確かにそれは一つの案ですね」
七倉も綾瀬の案に納得する。
「よし! そうと決まれば早速鈴村君に相談しよう!」
綾瀬はそう言って、スマホを取り出し鈴村に連絡を取る。
二コール鳴ったあたりで、綾瀬のスマホから鈴村の声が聞こえた。
『もしもし、綾瀬か? どうした?』
「鈴村君、ちょっと相談があるんだ! 今大丈夫?」
『まだ帰ってる途中だから大丈夫だけど……』
「よかった! ちょっと朱橙祭でやる種目で相談があって……」
『朱橙祭の種目?』
綾瀬は琴原と七倉に視線を向け、小さく頷いて言う。
「あのね。クラス別対抗レースを開催予定の種目から外すことってできるかな」
綾瀬は不安だった。
今現状、この朱橙祭の種目については草案でしかない。
まだ開催すると決定はしていないため、綾瀬の恐れる未来を阻止することはできる。
綾瀬は僅かな希望を抱いた。
『種目から外す、かぁ……。ちょっとそれは俺の独断ではできないかな』
しかし、鈴村から返ってくる答えはそう甘くはなかった。
綾瀬は少し震えながら、鈴村に問う。
「え、っと、なんで?」
『なんでって、そりゃ体育祭だぞ? しかも合同の。一度案が出たなら、まずは咲良たちと会議して決めないとダメだろ』
鈴村の意見は的を射ていた。
「そ、それは、確かに……」
『外すならそれなりの理由がないとダメだしな。その話はまた明日にしよう』
鈴村の冷たく感じる言葉に、綾瀬の希望は潰えた。
「凛ちゃん……」
悲しそうな顔をする綾瀬を見て、琴原が声をかける。
「…………わかった。わかったよ、鈴村君。明日話そう」
『おう、わかった。それじゃ――』
「でも、今一言だけ言わせてほしいことがあるの」
鈴村の声を遮って、綾瀬は声を振り絞って言った。
「…………私を、助けてっ……!」
『…………え、それってどういう……』
「それじゃ、また明日!」
『え!? ちょ、綾瀬!? どういうことか説明して――』
と、鈴村が言ったところで、綾瀬は無理やりに通話を切った。
「……良かったんですか? ちゃんと理由言わなくて」
少し息を荒くする綾瀬を見て、琴原が言う。
「……大丈夫です。鈴村君なら、わかってくれるはずだから」
綾瀬はそう言って、ゆっくりとスマホをポケットにしまった。
「そう、ですか……」
「心配しなくても大丈夫です。鈴村君には、……ちゃんと全部説明しますから」
「ぜ、全部……?」
琴原はその言葉に少し疑問を抱いたが、綾瀬のことを考え深堀することをやめた。
(大丈夫。鈴村君ならわかってくれる。ちゃんと説明すれば、この作戦は遂行できる……!)
綾瀬は覚悟を決めた顔で、月の輝く夜空を見上げた。




