第11話 『助け船』と届かぬ『気持ち』
「……ねえ、徹君。明日から一週間、綾瀬さんに内緒で付き合ってみない?」
鈴村徹は七倉わかなの自室にて、耳を疑うような提案を受けていた。
「じょ、冗談はやめてくれ、七倉。綾瀬に内緒で付き合うなんて――」
「できるよ。綾瀬さんにも、琴原先輩たちにもバレないように付き合うことは、できるんだよ」
七倉は鈴村の言葉を遮り、自分の意見が至極真っ当だと訴えかけるように言った。
鈴村は真面目な顔で訴えかける七倉に少し身を引こうとしたが、冷静になって七倉に反論した。
「あのなぁ……。いくらなんでも内緒で付き合うなんて無理だ。お前は綾瀬のことを知らなすぎる」
「ふーん。ってことは、綾瀬さんのことを理解すればそれは可能なんだね?」
「そういうことじゃなくてな……」
顎の下に指を当て、自慢げに言う七倉を見て、鈴村は頭を抱えた。
「それに、徹君は『私と付き合うこと』については反対意見を出さないんだね」
「…………は?」
七倉は鈴村に視線だけ向け、不敵な笑みを浮かべていた。
そのままくるりと鈴村に背を向け、七倉は続ける。
「確かに徹君は、『綾瀬さんにバレないように付き合うこと』については否定したよね。でも、『私と付き合うこと』は否定しなかった」
「それも含めて否定したつもりだったんだけど……」
「じゃあ言葉足らず、ってことになるね。……でもね、徹君。それが咄嗟に出ないってことは、徹君の中には僅かだけど私がいるんじゃないかな」
「…………それは……っ」
鈴村は言葉が詰まり、七倉の意見を否定することができなかった。
七倉の意見は正論であると、僅かながら考えてしまったからである。
(確かに……、俺は七倉と付き合うことに関してすぐ否定をしなかった……。七倉の言う通り、無意識のうちに俺は七倉を意識してるのか……?)
もやもやとした、答えの出ない考えが鈴村の頭を駆け巡った。
頭を抱えて俯く鈴村を見て、七倉はニヤリと口角を上げて続ける。
「ほら、徹君。素直になったほうがいいと思うよ?」
「す、素直……?」
「そ♪ 自分の気持ちに素直になれば、その苦しい悩みから解放されるんだから♪」
「悩み……、解放…………」
鈴村は七倉の言葉を真正面から受け入れようとした。
(……確かに、変に悩むくらいだったら、七倉と付き合ってみるのもありなのかもな…………)
鈴村の気持ちは七倉に揺らごうとしていた。
(こんなに苦しい思いをさせるなら、いっそのこと……)
鈴村は、ゆっくりと口を開く。
「……七倉。わかったよ。明日から一週間、お前と付き合って――」
プルルルルルルルルルルル
鈴村が言葉を言い終わりかけた瞬間だった。
突如として、鈴村の持っていたスマホに着信が入る。
その着信音にふと我に返った鈴村は、震えるスマホをポケットから取り出した。
「……えっ、なんで……?」
鈴村は画面に写る着信相手の名前を見て動きが止まり、驚く声を出す。
片や七倉は、タイミング悪く着信が入ったことに少し苛立つような表情をしていた。
「…………どうしたの? 出ていいよ?」
七倉は鈴村の反応を不思議に思いつつ、着信に応答することを許可した。
「あ、ああ、悪い。ちょっと出てくる」
鈴村はそう言って、七倉の部屋から出て着信に応じた。
「…………もしもし」
『やあやあ。お困りかな? 鈴村徹君』
その声は、綾瀬凛の母、綾瀬美春だった。
しかし、鈴村はこの話し方から、相手が綾瀬美春ではないと察した。
「お前、鈴歩だろ」
声の主。
それは綾瀬凛が持つ『人生の選択肢』の具現化した『鏑木鈴歩』だった。
『おおっ。まさかバレるとは思わなかったよ。声は完全に綾瀬美春なんだけどな』
「話し方で丸わかりだよ……。騙すつもりなら手を抜きすぎだ」
鈴村は相手の第一声を聞き、その正体を見破った。
あまりの手抜きさに鈴村は呆れていた。
『おっと……。役になりきるのは難しいものだね。役者がどれだけすごいのか実感するよ』
「冗談言ってる場合か。……なんでお前がこのタイミングで俺に干渉できるんだよ。しかも、電話なんか使って」
鈴村のスマホに映っていた着信相手の名前は『非通知』だった。
鈴村は電話に応答するか悩んだが、このタイミングでの着信には意味があると考え、着信に応答したのだった。
『いやぁー、私の残した『意思』ってすごいね。君や綾瀬凛がいろいろな経験をしていくおかげで、私自身の干渉範囲もどんどん広がっていくんだよ』
「……確かに、俺の『人生の選択肢』にいた鈴歩も、俺がいろいろな経験をしていくことで鈴歩が干渉できる範囲も広がっていった。お前も例に漏れず、ってことか」
『そういうことみたいだね。君たちに『試練』を与えたのは正解だったみたいだ』
「今のこれも、お前が出した『試練』なのか?」
『いやいや。これは私が出した『試練』じゃないよ。れっきとした、七倉わかなの気持ちが生み出したものだ』
鈴歩は鈴村の意見を真剣な声色で否定した。
「これが『試練』じゃない、ねぇ……。あまり信じられないけどな」
『そう思われても無理はないだろうね。何せ、私がこうやって鈴村徹君に話をしているのだから』
「……で? わざわざ電話までかけてきて、どういう要件だ?」
『おっ、心外だなぁ。私は君が困っているのを見かねて割って入ってあげたんだけど?』
「…………なるほど。お前は俺の知っている『鈴歩』とは真逆な性格に見えるけど、本質的なものは同じなのか」
『そうだね。君の知っている私は、確かに真逆の性格をしているかもしれないけど、『意思』という意味であれば本質的には同じだよ』
鈴村は自身が持っていた『人生の選択肢』と、綾瀬の持つ『人生の選択肢』を常に比較していた。
そこに宿る鈴歩の性格は真逆であるが、『人生の選択肢』自身の性質や、『意思』については鈴村の知るそれと同じものだった。
『私は、この世界で綾瀬凛をずっと見ている。君の『人生の選択肢』がなくなってからは、私の世界では君のことも把握できるようになったんだよ』
「……前から気になってたんだけど、その『世界』ってなんだ? 鈴歩は壁とか天井とか言ってたけど……、結局はぐらかされて何かわからなかったんだ」
『そうか……。それに関しては教えてくれなかったんだね……。まあでも、私からもそれについて教える気はないかな』
「えっ……、なんで? そこは教えてくれてもいいだろ!」
鈴村は少し大きな声を出して言う。
『そう大きい声を出すな、鈴村徹君。プライバシーの侵害だよ?』
「侵害してるのはそっちだよ」
鈴村は静かにツッコミを入れた。
鈴歩は鈴村のツッコミに聞く耳を持たず、そのまま話を続けた。
『とにかく。私は君が困っていると思ってこうやって話してるんだ。ありがたいと思ってほしいな』
「まあ、確かに困ってはいるけど……」
鈴村は七倉の部屋の扉を視界に入れながら言う。
『君は今、七倉わかなにある提案をされている。君はそれを断ることができるのに、なぜかできない。そこに悩んでいるね?』
「……ああ」
『なぜ悩むんだい?』
「……それがわかってたら苦労しないよ」
鈴村は床に座って言った。
『その悩みに即答できないようじゃ、君の綾瀬凛に対する気持ちはその程度だった、ってことだね』
「なっ……!? そんな言い方しなくてもいいだろ!」
鈴歩の言葉に、鈴村は思わず声を荒げる。
『勘違いしないでほしいな。私は君の気持ちを汲み取ってあげているだけだよ』
「汲み取るって……。俺の気持ちが中途半端とでも言いたいのか?」
『ああ、そうだよ』
鈴歩は即答した。
『そんなことで七倉わかなからの提案を即座に断れないのなら、君の綾瀬凛に対する気持ちはその程度だったってことだ。婚約指輪まで渡しておきながら七倉わかなに言われるがまま家に入り、挙句の果てに七倉わかなの提案を聞いて君の気持ちは揺らぎつつある』
「そ、それは……」
『女性慣れしていない君にとって、七倉わかなの胸は刺激が強かったのかな?』
鈴歩は面白がるような口調で言った。
「それは違う……、……とは言い切れない」
『ははは! やっぱり君はその程度なんだね!』
鈴歩は鈴村の態度を嘲笑った。
「だけど……!」
『……だけど?』
鈴村は少し間を空けて言う。
「確かに……七倉のあの行動で、俺の気持ちは少し揺らいだ。俺は弱いのかもしれない。でも、それでも俺は綾瀬という存在を忘れることはできない」
『どの口が言ってるんだかねぇ。さっきまで胸触ってドキドキしてたくせに』
「いつまでからかえば気が済むんだ、お前は」
『七倉わかなも言っていただろう? 『素直になれ』って。私はそれが伝えたいんだよ』
「素直に……?」
『ああ、そうだ。君の気持ちに素直になればいい。たったそれだけのことだよ』
この鈴歩の言葉を最後に、通話が切断される音が鳴った。
「くそっ、あいつ急にかけてきて勝手に切りやがって……。……ていうか、マジでどうやって現実世界に干渉してるんだあいつ……」
鈴村は鈴歩の行動に混乱していたが、その中でも一つだけ鈴村の中にある決心がついていた。
「……確かに、自分の気持ちに素直になったほうがいいかもしれないな」
鈴村はそう呟き、スマホをポケットにしまって七倉の部屋に入った。
「お、おかえり徹君! 随分声大きかったけど、誰と話してたの?」
「え、声そんなにでかかったか?」
「う、うん……。それなりに」
七倉は少し鈴村から視線を逸らして言った。
(ま、まさかさっきの会話、聞かれてたのか!? 鈴歩が現実に干渉できる範囲はかなり広くなってきてる……。今の会話が聞かれてもおかしくない……)
電話のため相手の言葉が聞こえていなくても、鈴村の言葉が扉越しに聞こえていた七倉からすれば、鈴村と鈴歩の会話は筒抜けになっているようなものだった。
「……大丈夫だよ! 徹君の電話は聞こえてないから!」
七倉は笑顔で言うが、その笑顔は嘘であると鈴村は瞬時に察した。
「……なあ、七倉」
「な、何?」
鈴村は七倉に向き合って言う。
「俺、七倉とは付き合うことはできない。そこだけは絶対に曲げられないんだ」
「…………そっか」
七倉は顔を俯かせた。
そして、七倉はそのまま続ける。
「やっぱり、何してもダメなんだなぁ」
七倉はそう言って、窓の外を見た。
「私もね、遊び半分で徹君にアピールしてるわけじゃないんだ。綾瀬さんがいることも知ってるし、徹君の気持ちが揺れ動かないこともわかってる。…………でもね」
七倉は振り返り、鈴村に顔を向けた。
「な、七倉……っ」
七倉の目からは涙が溢れていた。
七倉は続ける。
「初めて徹君を好きになったあの日から、少しでも徹君が私を意識してくれればいいなと思ってた。お花見の時もそう。そして、今日も。あと一歩、だったのになぁ」
「七倉……」
溢れる涙を袖で拭きながら、七倉は言う。
「徹君。今日はもう帰っていいよ。私の気持ちは伝えたつもりだし、徹君の気持ちも伝わった。……今日は、これっきりにしよう」
「………………」
これは七倉なりの気遣いなのだろうと、鈴村は考えていた。
(……似たようなこと、前にもあったな)
鈴村の頭には後夜祭の日に見た琴原の顔が過っていた。
「……悪い、七倉。今日はもう帰るわ」
「うん、わかった。ごめんね、こんな時間まで」
「いや、いいんだ。……それじゃ、また明日」
「…………うん」
鈴村は、そっと微笑む七倉の顔を見て心を少し痛めていたが、そのまま七倉の家を後にした。
鈴村が出て行ったところで、七倉は呟く。
「…………どうしたら、私の気持ちは伝わるのかな」
七倉は、その場に座り込み、体を丸めた。
しばらくは声を殺すように体を震わせていたが、やがて顔を俯かせ、部屋中に響き渡るほど大きな声で泣き叫んだ。
どうしても届かない鈴村に対する七倉の『気持ち』は、この結果に相反して膨れていくのだった。




