第7話 『恋敵』
花見を終え、鈴村徹と綾瀬凛は帰路につこうとしていた。
鈴村は七倉わかなの熱い告白を正面から受け止め、「俺の気持ちは綾瀬から揺るがない」とはっきり伝えた。
七倉は悔しさを堪えながら一人で帰っていき、鈴村と綾瀬はようやく二人きりになった。
そんなとき、綾瀬の持つ『人生の選択肢』が具現化し、『鏑木鈴歩』が姿を現した。
鈴歩は鈴村と綾瀬に「『試練』を与える」と言い残し、姿を消した。
その矢先であった。
鈴村に、一本の電話が入った。
『あっ、出てくれました。こんばんは、鈴村君! 琴原です! 今大丈夫ですか?』
「あ、はい、大丈夫ですよ。どうしたんですか? 琴原先輩」
その相手は、今もなお鈴村に好意を寄せる緑ヶ丘学園生徒会会計、琴原みどりだった。
鈴村は綾瀬の様子を伺いつつも、今が話せるタイミングであることを琴原に伝えた。
『よかったです! ちょっと相談したいことがありまして……』
「相談ですか?」
鈴村の問いに、琴原は『そうなんです!』と元気よく答えた。
『実はですね、私の弟がぜひ鈴村君に会いたいと言ってまして』
「え、琴原先輩、弟さんいたんですか?」
『あれ、言ってませんでしたっけ?』
「はい、初耳です」
琴原は鈴村の答えに、『あれー、言ったような記憶があるんですけどねぇ……』と呟いていた。
「綾瀬、琴原先輩に弟さんがいるって知ってるか?」
「え!? そうなの!? みどり先輩に弟さんいるんですか!?」
綾瀬は琴原に弟がいることにとても驚いていた。
が、琴原は綾瀬の声が聞こえたのか、声色が少し変わった。
『えーっと……、もしかして今、鈴村君と凛ちゃんって同じ場所にいます?』
「え? あ、はい。そうですよ。今綾瀬と一緒にいます」
『ふーん……、そうなんですねぇ……。…………あ、そうでしたね。そういえばお花見の日って今日でしたっけ』
誰かを恨めしく思うような声色で琴原は言った。
『それで、七倉さんはいないんですか?』
「ああ、七倉なら先に帰りましたよ」
『えっ、なんでですか?』
「まあ、色々ありまして……」
鈴村は七倉が先に帰った理由を伝えず、はぐらかした。
「あ、すみません、少しだけ待っててもらえますか?」
『え? はい、大丈夫ですよ。どれくらいかかりそうですか?』
「えーっと……、五分くらいみてくれれば大丈夫です」
『はーい。わかりました。じゃあ、また後でかけなおしますね』
そう言って、琴原は通話を切った。
鈴村は琴原が通話を切ったことを確認した後、綾瀬に向き直った。
「やっぱりタイミングが良すぎる。これも鈴歩の『試練』だと思う」
「やっぱそう思うよね……。でも、なんでみどり先輩……?」
綾瀬は顎に手を当てて考える。
「たぶんだけど、俺と綾瀬、そして琴原先輩の三角関係を知っているから、だと思う」
鈴村はそのまま続けた。
「だけど、俺は後夜祭で綾瀬を選び、琴原先輩も修学旅行の時に俺に対する気持ちを置いてきたはずだ。なのに何で……?」
鈴村の素朴な疑問に、綾瀬は神妙な面持ちで答える。
「やっぱり、みどり先輩、まだ鈴村君のことが好きなんじゃないかな」
「…………え?」
鈴村は綾瀬の顔を見て、信じられないような表情を見せた。
綾瀬は琴原に加担するように言う。
「女の子はね、本気で男の子を好きになったら、そう簡単には諦められないんだよ。後夜祭のことがあってからの修学旅行のアレだよ? 十分な証拠になり得るよね」
「まあ確かにそうだけど……。ってことは、琴原先輩が俺のことをまだ好きだと知っているから、鈴歩はわざとこうなるように未来を変えた、ってことか?」
「『選択肢は自分で決められる』って鈴歩さん言ってたしね……。今の『人生の選択肢』には何も書かれてないけど、たぶん鈴歩さんの仕業だと思う」
綾瀬はそう言いながら、鈴村には視認することができない『人生の選択肢』をぱらぱらと捲って見せた。
「……仕方ない。鈴歩はどんな形でも俺らにとっての『試練』を作り出せることが分かったんだ。とりあえず今は、目の前にある『試練』をどう乗り切るか考えよう」
「それはそうなんだけど……。今私たちに与えられている『試練』って何だろう?」
「…………確かに」
二人が顔を合わせ、首を傾げたそのとき、再び鈴村のスマホが鳴った。
「……琴原先輩だ」
「とりあえず、出ていいよ」
綾瀬の言葉に鈴村は小さく頷き、琴原からの電話に応答した。
「もしもし、お待たせしてすみません」
『ほんとですよ! もう五分以上経ってますからね!』
「……ほんとに五分経ってます? 今ちょうど五分程度な感じしますけど」
『い、いいんですよ、細かいことは! それで、用事は済みましたか?』
琴原は自分の逸る行動をはぐらかし、鈴村たちの様子を伺った。
「はい、用事は済みました。それで、琴原先輩の用事って何ですか?」
『あ、それなんですけどね……。……その前に、なんで七倉さん、先に帰ったんですか?』
「……気になります?」
『めちゃくちゃ気になります』
琴原は鈴村の問いに即答した。
鈴村は答えるのに悩んだが、隠していても無意味と判断し、理由を説明した。
「この花見の最中、七倉の気持ちには絶対に答えることができないって伝えたんですよ」
『…………それで、悔しくて帰ったんですか?』
「表には出してませんでしたけど、たぶんあの無理をするような立ち去り方は、おそらく悔しかったんだと思います」
『そうなんですね……。でも、七倉さんの気持ちは私にもわかります』
「わかるんですね」
『もちろんです。私も、まだ鈴村君のことが好きですから』
琴原の鈴村を思う気持ちが、自然と琴原の口から零れ落ちた。
琴原は自分の気持ちを吐露するも、すぐに話題を変える。
『それでですね、鈴村君。私の弟が会いたいって言ってた件ですけど……』
「え、さっきの話終わりですか?」
『はい、終わりです。私はそのことを伝えたくて電話してるわけじゃないんです』
鈴村は少し複雑な気持ちになっていた。
琴原が抱く気持ちは想像の世界であったが、それが現実であることが判明したからである。
これは、鈴歩が『試練』を与えている大きな証拠にもなった。
琴原はそのまま話を続ける。
『去年の蒼碧祭のこと、覚えてますか?』
「覚えてますよ。それがどうしたんですか?」
『さっきそのことを弟……、葵に話したら鈴村君の行動力に感動してまして。直接会いたいって聞かないんですよ』
「俺そんな大層なことしてませんよ……」
『してましたよ! でなかったら、今もまだ橘の脅威に怯えながら学園生活してるところですし!』
琴原の声は少し大きくなっていた。
「まあ、あの時は緑ヶ丘学園と青海学園、そして蒼碧祭を守りたい一心でしたから……。…………弟さんにはそんなに英雄に見えたんですかね」
『そんな感じしてましたね。「まるでヒーローみたいだね!」って言ってました』
「ハハハ、ヒーローですか。嬉しい言葉です」
鈴村は少し照れくさそうに返した。
『それでですね、来週のお休みに、鈴村君のおうちにお邪魔したいと思ってるんですが、どうですか?』
「え、うちに来るんですか!?」
「えっ、鈴村君んちに来るの!? みどり先輩!?」
鈴村と綾瀬の驚く声が重なった。
『はい! 英雄がどんなおうちに住んでいるのかすごく興味があるみたいなんですよ』
「普通そこ興味持たないと思いますけど……」
鈴村は琴原の弟、琴原葵が興味を示すところに少し困惑していた。
「別に俺はいいですけど……。母さんもいないので――」
『えっ、お母さんいないんですか!?』
琴原は鈴村の言葉を遮った。
鈴村は琴原の食いつきっぷりに少し驚いたが、話を続けた。
「母さんは仕事柄、家に帰ってくることがあまりないんです。早紀姉ちゃんはいますけど」
『あっ、鈴村君だけじゃないんですか。…………残念』
「何が残念なんですか?」
『いえいえ、気にしないでください!』
鈴村はぼそっと琴原が呟いた言葉を聞き逃さなかった。
『それじゃあ、来週のお休みに鈴村君のおうちにお邪魔しますね!』
「わかりました。住所は後でLINEしておくので、気を付けてくださいね」
『はい! それじゃ、鈴村君も凛ちゃんも気を付けて帰ってくださいね!』
そう言って、琴原は通話を切った。
ひとしきり話した後、鈴村は綾瀬の顔を見て言う。
「…………綾瀬も来るか?」
「もちろん行くよ。何があるかわからないもん」
綾瀬の表情は、琴原に対する嫉妬と、琴原の提案を易々と受けた鈴村に対する怒りが込められていた。
若干顔が引きつる鈴村だったが、鈴村はそのまま荷物を纏め、綾瀬の手を引いてその場を後にした。
*
「お邪魔します、鈴村君!」
「こんにちは、琴原先輩。……そして、えーっと……」
花見の日の翌週の休日。
琴原は鈴村の家を訪ねていた。
鈴村は琴原に挨拶をした後、その横に立つ少女を見て少し驚いていた。
黒髪のショートヘアーで華奢な体躯をしており、ぱっちりとした目に整った顔。
着用している服も、女子が着用しても違和感のないものであった。
これらの要素がかけ合わさった結果、鈴村には、琴原の横に立つ少女が琴原の弟には見えなかった。
琴原は鈴村の反応を面白がるように言う。
「ふふふっ、やっぱりこういう反応してくれましたね」
「こ、こういう反応?」
「さ、葵。この人が英雄さんだよ」
琴原はそう言って、隣に立つ少女の背中をトンと押した。
少女は少し恥じらいながらも、自己紹介を始めた。
「は、初めまして……! 琴原葵といいます。小学五年生です」
「は、初めまして。えーっと……、君は琴原先輩の弟さん…………、で、いいんだよね?」
鈴村は恐る恐る質問を投げかける。
琴原葵は鈴村に視線を合わせようとするが、恥ずかしくてそれができないでいた。
琴原葵は視線を逸らしたまま答える。
「はい。僕はお姉ちゃんの弟です。こんな見た目ですけど、しっかりと男なんです」
「…………マジか」
鈴村は驚きを隠せないでいた。
どう見てもその姿は女子そのものなのに、その正体が男であることに鈴村は困惑していた。
「葵、女の子みたいですよね。いろんな人に女の子と間違われてるんですよ。それがもうかわいくって」
「お、お姉ちゃん……! 変なこと言うのやめてよ!」
顔を赤らめながら怒る琴原葵を見て、鈴村の奥で何かが小さくざわめいていた。
(な、なんだ、この感情は……!? なんだこの生き物は……!? こんなかわいい男の子がいていいのか……!?)
鈴村の頭は混乱していた。
「こーら。かわいい男の子見て何変な反応してるのさ」
「いてっ。……あ、綾瀬か」
そんな情けない鈴村の反応を見て、綾瀬が鈴村の頭を軽く叩いた。
「あ、凛ちゃん! 凛ちゃんもいたんですね」
「こんにちは、みどり先輩。……それと、葵君、でいいのかな?」
「は、初めまして! 琴原葵と言います。いつも姉がお世話になっています」
琴原葵は綾瀬に対し、丁寧に挨拶をした。
「いやいや! お世話になってるのは私のほうだよ! 初めまして。綾瀬凛です。よろしくね、葵君」
綾瀬は笑顔で琴原葵に手を差し出した。
「よ、よろしくお願いします」
琴原葵は恥ずかしそうに綾瀬の手を握る。
「もー、あんなにここに来るの張り切ってたのに、どうしたの? 葵」
「い、いやぁ。なんか英雄の家に来たら急に緊張しちゃって……」
「だから英雄じゃないってば……」
緊張する琴原葵の言葉に、鈴村は軽く否定をした。
「さ、とりあえず玄関で立ち話もなんですし、上がってください。お茶用意しますんで、リビングで待っててください」
「はい、ありがとうございます。お邪魔します」
そう言って、琴原姉弟は鈴村家に足を踏み入れた。
家へ入る途中、琴原みどりは綾瀬とすれ違いざまに口を開く。
「……なんで凛ちゃんがいるんですか?」
「え?」
琴原みどりのその口調は、怒りが入り混じった口調だった。
突然の琴原みどりの言葉に、綾瀬は驚く。
「え、っと、みどり先輩の弟さんに会うって鈴村君から聞いたので、私も会いたいなーと思って」
綾瀬は「ははは」と軽く笑いながら誤魔化した。
「ふーん……。まあいいですけど。婚約したカップルですもんね。彼女さんが彼氏の家にいるのはごく普通のことですから、不思議じゃないです」
琴原みどりは冷ややかな表情で言った。
「この際だからはっきり言っておきますね、凛ちゃん」
琴原みどりはそう言って、綾瀬に視線を合わせて言う。
「私、まだ鈴村君のこと諦めてませんから。鈴村君が振り向いてくれるまで、私はいつまでも鈴村君に気持ちを伝え続けますよ」
「……わかってます。でも、気持ちを置いてきたっていうアレ、嘘だったんですね」
「凛ちゃんもわかってるはずですよ。一度本気に好きになった相手はそう簡単に諦められないって。逆の立場になって考えてみてくださいよ」
琴原みどりの口調はさらに強くなっていった。
「みどり先輩。一つ確認してもいいですか?」
「なんでしょうか」
未だ笑顔が見えない琴原を見て綾瀬は少し恐怖するが、綾瀬は怖気づかずそのまま続ける。
「私たち、『友達』でいいんですよね?」
「……『友達』ですか。そうですね、『友達』でいいと思います。ですが、私は『友達』以上の関係だと思っています」
「『友達』以上の関係……?」
琴原みどりの言い方に少し勘違いをする綾瀬だったが、話の流れからその可能性は取り払った。
琴原は真面目な顔で言う。
「私は凛ちゃんのことを『恋のライバル』と再認識しました。今まで通り『友達』でもいいですが、色々行動させてもらいますよ」
「………………臨むところです」
綾瀬の言葉を聞き、琴原みどりは笑顔になった。
「それじゃ、これからもよろしくお願いしますね♪ 凛ちゃん♪」
そう言って、琴原みどりはリビングへと向かった。
「…………大丈夫かな、私」
片や綾瀬は、この先の未来に大きな不安を感じていた。
今の琴原みどりの行動力、そして鈴村への気持ちが、以前より増していることが明白になっていた。
(……前は鈴村君が私とみどり先輩の両方と付き合うことで、みどり先輩の昂る感情を分散させることができてたんだ。……でも、今はそれがない)
綾瀬は琴原みどりの後ろ姿を見て自覚する。
(みどり先輩が、本当の意味で私の『恋のライバル』になったんだ)
「おーい、綾瀬、そこで何してるんだ? 早くこっち来いよ」
リビングのほうから、鈴村が綾瀬を呼ぶ。
「う、うん! 今行くよ!」
綾瀬は慌てて答える。
(とりあえず、何事もないことを祈るしかないかな……)
綾瀬は、大きな不安を抱きながら、リビングへと足を運んだ。




