第6話 もう一つの『意思』は鈴村を許さない
「お母さん……? なんでお母さんがここにいるの……?」
日も傾き、桜並木が夕日に照らされる花見会場にて、綾瀬凛は突如として目の前に現れた女性を見て驚く顔を見せた。
女性が現れる瞬間を綾瀬と見ていた鈴村徹もまた、綾瀬と同じく驚く顔を見せていた。
その女性の姿は綾瀬凛の母、綾瀬美春と同じ姿をしており、腕を組んで不機嫌そうな表情で綾瀬と鈴村を見ていた。
少し軽いため息をついた女性は、眉をひそめて言う。
「私の言葉が届いたってことは会話ができるんだよね? 私はさっきからずーっと挨拶をしてほしいってお願いしてるんだけど、それすらもできないのかな?」
その言葉に、綾瀬が答える。
「ご、ごめんなさい。突然お母さんが出てきたからびっくりしちゃって……」
「ふふっ。まあ、急に出てきたらびっくりするよねぇ。こんなところに、君のお母さんが出てきたらさ」
女性は綾瀬に至近距離まで歩み寄り、口を開く。
「さ、挨拶は?」
その態度は若干ながら威圧的であった。
綾瀬は少し怯えながらも答える。
「こ、こんにちは」
「よろしい!」
綾瀬の挨拶を聞き、女性の表情は笑顔になった。
「……で? 君は?」
笑顔にはなったが、女性は鈴村に視線を向けた瞬間に再び不機嫌そうな表情を見せた。
「え、えっと、こんにち――」
「はい、こんにちは」
「…………えぇ……」
急かした割には対応が酷いことに、鈴村は少々傷ついていた。
女性は再び綾瀬に視線を向けて笑顔で言う。
「さて! 二人からの挨拶も聞けたところだし、君たちからの質問に答えようかな!」
「…………俺、挨拶ちゃんとできてない気がするんだけど」
「あまり細かいこと気にしちゃダメかもしれないよ、鈴村君」
綾瀬は傷つく鈴村を宥めながら言った。
「まずはね、私が誰かなんだけど――」
「待ってくれ」
「……何かな? 鈴村徹君」
やり返したかのように、鈴村は女性の言葉を遮った。
そして、少し悩む顔を見せた後、鈴村は言った。
「お前、綾瀬のお母さんじゃないだろ」
「えっ!?」
鈴村の言葉を聞き、綾瀬は驚く声を出した。
「はははっ、その根拠はどこから来たのかな?」
女性はこの状況を楽しむような表情で鈴村に問う。
「根拠はある。まず、綾瀬の持つ『人生の選択肢』が光ったこと。その光がお前の姿を作り出したこと。俺はこの現象に見覚えがある」
「…………ふーん?」
女性は何かを察した様子で鈴村を見ていた。
鈴村は綾瀬の顔を見て話した。
「綾瀬。去年のクリスマスのあの日、俺んちで何があったか覚えてるか?」
「去年のクリスマス……? 鈴村君の家で……」
綾瀬は顎に手を当て、去年のクリスマスにあった出来事を思い出していた。
「…………あっ」
「思い出したか」
少し考えた後、綾瀬は鈴村に顔を向けた。
「鈴歩さんが現れた時と同じだ……!」
綾瀬の言葉を聞き、鈴村は小さく頷いて女性に話す。
「お前が出てきたときの現象は、俺が持っていた『人生の選択肢』が『鈴歩』として具現化するときと一緒だった。お前も、綾瀬の『人生の選択肢』が具現化した『鈴歩』なんじゃないか?」
その言葉に、女性は「ニヤッ」と口角を上げて言う。
「その通り! 正解だよ、鈴村徹君」
そう言って、女性は少し大げさに拍手をし始めた。
「で、でも、なんだかあの時に見た鈴歩さんとは様子が違くない? なんというか、性格とかいろいろ、鈴村君と一緒に見た鈴歩さんじゃないような……」
「やだなぁ、綾瀬凛。私は鈴歩。君や鈴村徹が知っている、あの『鏑木鈴歩』だよ」
鏑木鈴歩と名乗るその女性は、くるりと一回転してみせた。
「確かに綾瀬の言う通り、俺の知っている鈴歩とは性格も話し方も、態度も違う。だけど、『人生の選択肢』から出てきたことに変わりはない。鈴歩であることに間違いないと思う」
「いいねぇ、鈴村徹君。私は君のその察しの良さが好きだよ」
鈴歩はここでようやく鈴村に微笑んだ。
「それで、わざわざ俺にまで視認できるようにしてくれたってことは、俺たちに何か伝えたいことがあるんだろ?」
鈴村は鈴歩の様子を伺いながらも、鈴村が気になっていることを問い詰めた。
「もちろん。そうじゃなきゃ、私が自ら君の前に現れることなんてないからね」
その言葉は鈴村に向けられていた。
(俺には、か。綾瀬にはいくらでも助言はできるしな)
「でも、なんで私の『人生の選択肢』が具現化した鈴歩さんが鈴村君にも見えるの? 『人生の選択肢』も鈴歩さんも、所有者しか視認できないんでしょ?」
この綾瀬の疑問は鈴村も抱いていた疑問である。
綾瀬の『人生の選択肢』は鈴村に視認することができない。
そのため、鈴村がなぜ綾瀬の『人生の選択肢』が具現化した『鈴歩』が視認できるのか不思議であった。
「教えてほしい? ……あれ、でもおかしいな。鈴村徹君にも『人生の選択肢』はあるはずなんだけど」
鈴歩は眉間に皺をよせ、鈴村の頭を覗き込むような仕草をした。
「俺が持っていた『人生の選択肢』は消えたよ」
「……なるほどね。君の持っていた『人生の選択肢』は役目を終えたってことだ」
鈴歩は納得していた。
「ってことは、私の細かいルールも聞いてるんじゃないのかな?」
「いや、全部は聞けてない。確かに俺は鈴歩といろいろと会話をしたけど、鈴歩が教えてくれた話が全てなのかも、まだ何かあるのかも俺は知らないんだよ」
「ふむふむ。ということは、君も、綾瀬凛も、私たち『人生の選択肢』のルールの細かいところまでは知らないんだ」
「その言い方だと、まだ何かあるみたいだな」
鈴村の言葉に、鈴歩は得意げに「ふふーん」と言いながら答えた。
「まず一つ。『人生の選択肢』を視認できる対象を任意に変更できる」
鈴歩は指を一本ずつ立てながら続ける。
「二つ。私自身を視認できる対象を任意に変更できる」
「なるほど、だから熱海旅行のとき、綾瀬は鈴歩を見ることができたのか」
「えっ、やっぱりあの人鈴歩さんだったの!?」
鈴歩と鈴村の真剣なやり取りとは裏腹に、綾瀬は熱海旅行で見た鈴村の母らしき姿が鈴歩であったことに驚いていた。
「やっぱり見えてたのか……。でも、これで綾瀬が鈴歩を見えていたのも説明がつく。今ここで、綾瀬の『人生の選択肢』が『鈴歩』として俺の目の前に現れていることにもな」
「不思議でしょ? でもこれちょっと難しいんだよねぇ……。見せたい相手を強く頭に意識させないとうまくいかないんだ」
鈴歩は困った顔をしながら言った。
鈴歩はそのまま、三つ目の指を立てて言う。
「そして三つ目。これが今教えられる君たちへの最後のルールかな」
「なんだよ、もったいぶらずに言えよ」
鈴歩は鈴村の言葉に「ムッ」としていたが、気にせず続けた。
「三つ。『人生の選択肢』はその気になれば、君たちが選択をしなくても、私が自由に選択肢を選ぶことができる」
「なんだって?」
鈴村は耳を疑った。
「俺の知っている鈴歩はそんなこと言っていなかったぞ」
「たぶん、君と行動を共にしていた『意思』はかなり優しかったんだろうね。まあ、あんなことがあったんだもん。君に残っていた『意思』は君に協力的だっただろう」
「どういうことだ?」
鈴村は状況を理解できないでいた。
「君に残っていた『意思』は君の望む未来を手に入れるために協力してくれた。それこそ、『後悔しない人生』を歩んでもらうためにね」
「ああ。俺の知っている鈴歩は、俺の望む未来を手に入れるためにいろんなところで協力してくれた。おかげで、俺は今綾瀬と付き合うことができているんだ」
鈴村は綾瀬の手を握って言った。
「うんうん、それはいいことだね。……でも、そこに至るまでなんで自分の力で動かなかったのかな?」
「…………え?」
鈴村の言葉に同意する素振りを見せる鈴歩であったが、逆に鈴村を追い詰めるような質問を投げかけていた。
「自分の力で……?」
「そう。君は一度人生の選択を失敗し、綾瀬凛との接触を恐れ、大学で付き合うことができたけど失恋した。それがなんでかわかるかな?」
「……綾瀬と、接点を持たなかったから」
「そこまでわかっていて、なんで私は君に友好的じゃないと思う?」
「………………」
鈴村は鈴歩の問いに答えることができなかった。
鈴歩はがっかりする表情を見せ、鈴村に言い放った。
「私はね、どうしても君が好きになれないんだ」
鈴歩が言い終わった後に見せた表情は、鈴村を心の底から拒絶する、冷たい微笑みであった。
「ちょっと、鈴歩さん、それは酷くな――」
「酷い? 綾瀬凛」
鈴歩は綾瀬凛を睨みつけて言った。
その視線には、優しさと怒りが同居していた。
鈴歩はそのまま続ける。
「綾瀬凛が君と出会って、どれだけ辛い思いをしてきたか、君にはわからないだろう?」
「……それはっ…………」
鈴村は返す言葉に詰まった。
「鈴村徹君。君は綾瀬凛が好きだった。初めて会った時からずっと。そして、綾瀬凛もまた同じ。ずっとチャンスはあったのに、なぜ一度も手を伸ばそうとしなかったんだい?」
「……………………」
「すべてが君のせいとは言わないけど、結果的に綾瀬凛を傷つけたのは君だよ」
鈴歩は綾瀬に視線を向けて言う。
「綾瀬凛さん。あなたは鈴村徹に告白されて嬉しかった?」
「えっ!? え、っと、まあ、嬉しかったです。そりゃ、ずっと一緒になりたいと思っていた人だったし……」
「そう。今の綾瀬凛は、今だから嬉しかったんだよ。鈴村徹君」
「今だから?」
「タイムスリップする前、君は綾瀬凛に告白をしたよね。そのとき、ちゃんと手ごたえはあったのかな?」
鈴村は鈴歩の問いに慌てて答える。
「あ、あったよ。あったから、あの日告白を受け入れてくれたんだろ」
「でも、その後の初デートでフラれたよね」
「…………そう、だけど……」
鈴村の顔は暗くなっていった。
「綾瀬凛は確かに大学で告白されたあの日、嬉しい気持ちでいっぱいだった。でも、その気持ちは日に日に薄れていったんだよ」
「…………そうだったのか」
鈴村は失恋した真意を理解し、納得した。
「結果として、君は綾瀬凛にフラれることになり、ショックを受けて意識を失った。……タイムスリップができたのは、私の『意思』のおかげだけどね」
「お前じゃなくて、俺に残っていた『意思』だろ」
「おっ、屁理屈を言う余裕がまだあるんだね。私は君の心を折ろうと思ってるんだけど」
鈴歩は不敵な笑みを浮かべていた。
「私はね、君のことを許していないんだ。怒ってるんだよ」
「怒ってる……?」
「私は綾瀬凛のことを応援している。『後悔しない人生』を歩んでほしいと思っているんだ。……でも、君は綾瀬凛に『後悔する人生』を歩ませた」
「………………」
鈴村は黙り込んだ。
「私は君が取ってきたその選択を許さない。私が今こうやって君の目の前に出てきたのは、それを直接伝えるためだよ」
「…………ごめん、鈴歩」
「謝るには遅すぎるし、謝る相手が違うんじゃないかな?」
「……そうだな」
鈴村は顔を俯かせた。
「……で、ここまで聞いて、あなたはどう思ったのかな? 綾瀬凛」
鈴歩は俯く鈴村を横目に、綾瀬に視線を向けて問う。
「私は……。……ごめんなさい、鈴村君が大学で経験した、私からすると未来のことは何も言えないけど、確かに付き合うことになるまでは、鈴村君のことがよくわからないでいました」
「だよねぇ」
「今でこそいろんなことを鈴村君と経験して、鈴村君がどういう人なのか、どういう考えを持つ人なのかがわかりましたけど、それがなければ、たぶん私は、鈴村君からの告白を断っていたと思います」
「綾瀬…………」
鈴村は綾瀬の言葉に少しショックを受けていた。
鈴歩の言い分を考えた鈴村は、綾瀬の言葉を真意と捉えた。
しかし綾瀬は、鈴村の手をぎゅっと優しく握り返して言う。
「でも、鈴村君は今までずっと、私との関係をちゃんと築こうと努力をしてくれました。そのおかげで、今の私があります。私は……、鈴村君を信じていますから」
綾瀬の表情は真剣で、自分の気持ちを素直に鈴歩に伝えようとする姿勢が感じられた。
綾瀬はそのまま鈴歩に続ける。
「今このタイミングで私の『人生の選択肢』が出てきたっていうことは、私だけじゃなく、鈴村君と未来を切り拓いてほしいっていう鈴歩さんの気持ちがあるからじゃないんですか?」
「………………察しがいいね」
鈴歩は微笑んでいた。
「まさしくその通りだよ。私は鈴村徹が嫌い。今までの行いを許していない。だけど、鈴村徹に残った私のもう一つの『意思』のおかげで見事に綾瀬凛と関係を築くことができた。でも、話はそれで終わりとは限らないんだよ」
「……七倉さんのことですか」
鈴歩は綾瀬の言葉を聞き、指を丸にして答えた。
「ピンポーン。鈴村徹は優しいから、いろんな人に頼られるし、好かれるんだ。もちろん、その『好き』には恋愛感情も含まれている。七倉わかなのあの行動は、それの影響だと思っていい」
「そこまで聞いて、お前が『察しがいい』と言った理由がわからないんだけど」
鈴村は挙手をして鈴歩に問う。
「本人がわからないのかぁ……。私がいなければ悲惨な未来が来るのはそう遠くなかったのかもね」
鈴歩は頭を抱えながら言った。
「いいかい、鈴村徹。君はいろんな人に頼られる存在だ。生徒会長という肩書がなくても、君の性格がそれを物語っている。その影響で、この先色々なトラブルに巻き込まれるだろう。それこそ、君たちの人生を大きく分岐させるような出来事がね」
鈴歩はそう言って、『人生の選択肢』を手元に出現させた。
「綾瀬凛の持つこの『人生の選択肢』と私は、言わば君たちに与える『試練』だと思ってくれていい。この試練を乗り越えられないなら、君たちが幸せになる未来はないよ」
「し、試練……?」
鈴村は困惑する顔で聞き返した。
「まあ、君の七倉わかなに対するあの言動は素晴らしいと思ったよ。ちゃんと綾瀬凛のことを思っているんだなと伝わってきた。……次に会ったときはしっかり謝ったほうがいいかもしれないけどね」
「……それはまあ、確かに」
鈴村は少し言い過ぎたことを悔いていた。
「何はともあれ。私が君たちに伝えたいことは、『人生はそれほど甘くない』っていうことだよ。君らは関係を築けて終わりじゃないんだ。その先の未来を自らの手で作っていけるように努力することが、私が君らに求めることだよ」
鈴歩はそう言いながら、鈴村に歩み寄った。
「鈴村徹君。私は君を許さないと言いながらも、君の行動には期待をしてるよ。くれぐれも、綾瀬凛を傷つけない選択をしてね」
「もちろんだ。俺だって、綾瀬を傷つけることなんかしたくない」
鈴村の言葉に、鈴歩は微笑みを見せた。
「今日のところはここまでかな。それじゃ、また私が出てこないことを祈ってね」
そう言って、鈴歩は鈴村たちの前から姿を消した。
「…………いなくなっちゃったね」
「だな……。予想通り、俺の『人生の選択肢』とはまた別方向の『意思』の伝え方だったな」
「そうだね……。なんていうか、鬼教官って感じがしたね」
「……その例えは例えになっているのか?」
綾瀬の想像力を疑う鈴村であった。
「それにしても……、『試練』、ねぇ。七倉の件もその一つに入ってたんだろうな」
「そうかもしれないね……。とりあえず七倉さんには、次に会ったときにそれとなく謝ろう。もちろん、『人生の選択肢』のことは内緒でね」
「だな。今後どんな『試練』が出てくるのかわからないし、常に警戒しておかないといけないな」
鈴村はそう言って、綾瀬の手を掴んで歩き出した。
「ちょ、どこ行くの? 鈴村君」
「どこって、帰るんだよ。もう七倉も帰ったし、日も暮れた。今日はお開きだ」
「……うん、わかった。今日は帰ろうか」
「……どうした?」
「ううん、なんでもない。さ、帰ろ。鈴村君」
綾瀬はそう言って、鈴村の手を引っ張って歩き出した。
(……鈴歩、いったいどんな『試練』を出すつもりなんだ……)
綾瀬に引っ張られる中、鈴村の頭の中は不安でいっぱいだった。
その時である。
一本の電話が、鈴村のスマホにかかってきた。
「電話……? こんな時間に誰だ……?」
鈴村はスマホの着信画面を見た。
「どうしたの、鈴村君。誰かから電話?」
「……なあ、綾瀬。これも『試練』に入るのか?」
「どういうこと……?」
鈴村は恐る恐る、画面に表示されている着信画面を綾瀬に見せた。
「…………えっと、これは……。ちょっとタイミング良すぎるかな」
困惑する顔で綾瀬は答える。
「だよな……」
「と、とりあえず出ないとまずいんじゃない?」
「……わかった」
鈴村は、着信に応答した。
「…………もしもし」
その電話の主は。
『あっ、出てくれました。こんばんは、鈴村君! 琴原です! 今大丈夫ですか?』
元気よく言葉をかけるその声は、琴原みどりであった。




