第4話 より良い選択は、時として刃となる
「す、鈴村君、今なんて……?」
綾瀬凛は突如として鈴村徹の口から出た言葉に耳を疑った。
「この距離で聞こえないっておかしいだろ……」
鈴村は至近距離で言葉が聞こえていないことを不思議がっていた。
「聞こえてるよ! 聞こえてるからこそ、驚いて聞き返してるんじゃん!」
しかし綾瀬は、しっかり聞こえている旨を伝え、そのうえで鈴村の言ったことを聞き返していた。
鈴村は少し呆れながらも、再度言う。
「だから……。綾瀬さ、『人生の選択肢』持ってるだろ?」
その言葉は何度も聞いても変わらなかった。
「…………なんで知ってるの? ていうか、いつから?」
「うーん、怪しいなと思ったのはこの花見の話が決まったあの日かな」
「やっぱりあのときから見えてたんじゃん」
綾瀬は少し怒りながら言うが、鈴村は少し悪びれる顔をして答えた。
「いや、ごめん、正確に言うと、俺からは綾瀬の持つ『人生の選択肢』が見えないんだよ」
「……どういうこと?」
綾瀬は首を傾げた。
「この花見の話が決まった日、珍しく綾瀬が変な行動してたのは見てたんだ」
「変な行動?」
「急に眩しそうにしてただろ?」
「あー……」
綾瀬はその言葉に納得した。
この行動は一見すると変な行動そのものだが、『人生の選択肢』という本の存在を知っている鈴村からすればこれは違った意味合いを持つ行動になる。
鈴村は自身の経験から、綾瀬が『人生の選択肢』を所持しているのだと推測していたのだった。
「なんで綾瀬の『人生の選択肢』が見えないのかは俺にもわからないんだけど……。少なからず、綾瀬の中で大きな人生の分岐点があった、ってことでいいんだよな?」
「う、うん。そうだよ」
「鈴歩の『意思』はちゃんと綾瀬の中にも託されてたんだな……」
鈴村が所持していた『人生の選択肢』という本は、綾瀬の父、綾瀬忠一と、鈴村の母、鈴村香織の共通の友人である『鏑木鈴歩』が『後悔しない人生を歩んでほしい』という『意思』を託したものであった。
鈴村はタイムスリップ後に『人生の選択肢』を手に入れ、鈴村にとっての『後悔のない人生』を歩むべく、『人生の選択肢』を頼りに様々な人生の分岐点で選択をしてきた。
その結果、念願だった綾瀬凛と交際をすることに成功し、今の関係を築けている。
鈴歩は鈴村が成長したことをきっかけに「自分の役目は終わった」と述べ、鈴村の元から立ち去ったのである。
しかし、鈴歩の『意思』は鈴村だけでなく、綾瀬にも託されていた。
その綾瀬にも託した『意思』が、綾瀬にのみ認識できる状態で現れたのだった。
「で、綾瀬の人生の分岐点ってどこだったんだ? 『人生の選択肢』にはなんて書いてあった?」
鈴村は少し興味を強めて綾瀬に詰め寄った。
顔の距離がだんだん近づいてくることに恥ずかしさを感じたのか、綾瀬は鈴村から少し離れる仕草をして答えた。
「さ、最初に『人生の選択肢』が光ったのは、七倉さんが『鈴村君のことを好きになった』って言いだしたあの時だよ」
「…………まあ、綾瀬にとっての人生の分岐点って考えたら、そのタイミングは納得だわ」
自分が『人生の選択肢』を持っていたとしても、おそらく『人生の選択肢』はそのタイミングで光っていただろう、と鈴村は考えていた。
「で、内容は?」
「えっと、ここに…………。……って、そっか。鈴村君、これ見えないんだったね」
「うん。だから読み上げてほしい」
「わかったよ。じゃあ、読むね」
綾瀬は『人生の選択肢』に書かれた選択肢を読み上げた。
【人生の選択肢】
A.綾瀬凛は七倉わかなからの宣戦布告を受ける。
B.綾瀬凛は鈴村徹との婚約を破棄する。
「…………相変わらずえげつない選択肢を出すなぁ、鈴歩は」
鈴村は怪訝な顔をしながら言った。
その表情には少し懐かしさを感じる鈴村であったが、この選択肢に真摯に向き合った。
綾瀬は困り顔で言う。
「この選択肢は、私が七倉さんに恋敵としての宣戦布告を受けてどうしたかったのか、っていうのを確認したいようにも思えたんだよね」
「相手が七倉だからなぁ。まさかあんな積極的な性格だとは俺も思わなかったよ」
鈴村は少し照れながら言った。
「…………なんでそんな嬉しそうな顔してんの?」
「え!? い、いや、そんな顔してないぞ!?」
「ふーん……? その割には顔はニヤついてるし、どことなく『俺ってモテるんだな』って顔してたよ」
「ソ、ソンナコトナイヨ」
鈴村は棒読みで綾瀬の言葉を否定した。
綾瀬はため息交じりに言う。
「鈴村君は私のことが好きなんだよね?」
「え? うん、そうだよ」
「だったらそんな中途半端な反応はしないでほしいな」
綾瀬は頬を膨らませていた。
「ご、ごめん。でもやっぱり、琴原先輩のときもそうだったけど、その、女性経験が少ない人生を送っていたもので、つい嬉しくて……」
「……浮かれてると、Bの選択肢に変えちゃうからね」
そう言って、綾瀬は頬を膨らませたままプイッとそっぽを向いた。
「ごめん、綾瀬。ちょっと浮かれてた。俺は綾瀬一筋だよ」
「…………ほんとかなぁ」
綾瀬のこの言葉は、単に鈴村のことを信用していないから出た言葉ではない。
綾瀬は鈴村の性格を人一倍に認識している。
鈴村の言う通り、鈴村はその人生の中で女性経験が少なかったため、『異性に好かれる』ということに慣れていなかった。
そのため、琴原や七倉に好意を持たれても、二人からのアプローチを完全に断ることをしなかった。
さらに言えば、鈴村は他人に悲しい思いや苦しい思いをしてほしくない、と考える人間である。
鈴村が琴原や七倉からのアプローチを完全に断らないのはこれが理由であり、綾瀬が一番危惧していることであった。
だからこそ、鈴村の言う『綾瀬一筋』という言葉は信用ならなかったのである。
(鈴村君はああ言ってるけど、いずれまた七倉さんや、みどり先輩となんかしらのことは起こるはず……。……それに、また新たにライバルが出てくる可能性もあるからね……)
綾瀬は『人生の選択肢』に記載されていた【選択の結果】を思い出していた。
努力して鈴村徹を死守しない限り、綾瀬凛に安心できる時間はできない。
綾瀬は、この『努力』というものが単に七倉だけに対して向けられた言葉ではないことを理解していた。
七倉以外にも、ライバルは出現するのだろうと考えていたのである。
「とりあえず、状況は理解したよ。……でも、一つだけ忠告しておくね」
「え、何?」
鈴村は弁当を食べながら言う。
「一度選択した選択肢は、変えることができないんだよ」
「……え、そうなの?」
綾瀬は驚いていた。
「厳密には変えることもできるんだけど、ある条件を満たすを変えられなくなるんだ。【選択の結果】はもう記載されてる?」
「うん、書いてあるよ」
「それが記載されたら、もうその選択を変えることはできないんだ。だから、今からBに変えようとしても、それはできないんだよ」
「なるほど……。他に細かいルールとかあるの?」
「あるよ。この際だから説明しておくね」
そう言って、鈴村は綾瀬に『人生の選択肢』のルールや使い方を説明した。
*
「ふむふむ……、なるほど。【人生の選択肢】が出たら【選択の簡易的結果】が出るときもあるし、出ない時もある。【選択の結果】が出る前なら選択は変えることができて、そこに記載のない選択を自分が行動することで追記することもできる、と……」
綾瀬はぶつぶつと呟きながらメモを取っていた。
「……メモ取るのはいいけど、あまり人に見られないようにしてくれよ。魔法みたいな本なんだから、バレるといろいろまずいぞ」
「それはわかってるんだけど……。でも、魔法っていう割には私たちに寄り添った仕様だよね」
「あくまでも『人生の選択肢』だからな。俺や綾瀬の人生に関わることだから、そのヒントを出してくれているだけであって、選択するのは自分自身なんだよ」
「だから『後悔のない人生』を歩むために自分で選べ、ってことね……。うーん、魔法のように見えて奥が深いなぁ」
そう言いながら、綾瀬は『人生の選択肢』を天に掲げて横たわった。
「……やっぱり、その手に持ってるのが『人生の選択肢』なんだよな」
「そうだよ? これでもやっぱり見えない?」
「……うん。何かを持っているんだろう、っていうジェスチャーにしか見えない」
「不思議だなー。でも、鈴村君が『人生の選択肢』を持っていた時も似たような感じだったよ?」
綾瀬は『人生の選択肢』のページをぱらぱらと捲りながら言う。
「それもそうだろうな……。本自体は自分にしか見えないし、他人から見たらパントマイムしてるのと変わりないしな」
「そうだね。これ扱うときは怪しまれないように気を付けないとだね」
綾瀬は、きょろきょろと周りの様子を伺う仕草をして言った。
「とりあえず、だ。綾瀬が『人生の選択肢』を持っていることには少しびっくりしたけど、見えないながらも俺も協力できることがあると思う。何かしら選択肢が出てきたら相談してほしい」
「わかったよ。この本の先輩だもんね、鈴村君。頼りにしてるよ」
綾瀬は鈴村に微笑んで言った。
「で、それ以降選択肢は出てきてないのか?」
「出てきてないよ。まだ私にとっての人生の分岐点が来てないんじゃないかな……」
「まあそれはそれでいいんだけど――」
と、言いかけたところで、鈴村の言葉が途切れた。
「ちょっとー! 徹君、綾瀬さんと二人きりで何をコソコソと話してるの? 私も混ぜて!」
「…………嫌なタイミングで入ってきたな、七倉」
鈴村が少し困り顔で七倉に言った。
しばらく一人で弁当を食べていた七倉であったが、綾瀬と鈴村がコソコソと話しているのが気になってしまい、我慢ができず話に割って入ってきた。
「悪いな、七倉。ちょっと綾瀬と二人きりで話したいことがあったんだ」
「……それ、今やる必要あったの?」
七倉は綾瀬を睨みつけながら言った。
「まさか……、徹君、私と付き合いたくないからって綾瀬さんと作戦でも立ててたんじゃ……」
七倉はさらに綾瀬を睨みつけながら言った。
綾瀬は慌てながら言う。
「ち、違うよ七倉さん! 鈴村君とは……、ほら! 次に作るお弁当に入れる具は何がいいかを聞いてたんだ!」
苦し紛れの言い訳であった。
「…………ふーん? 次に作るお弁当ですか……。それなら尚の事私も混ぜてほしいですね!」
「……まあ、そうなりますよね」
綾瀬はジト目で七倉の顔を見た。
七倉は鈴村に好意を寄せているのである。
綾瀬はどうにか話を切り替えようとしていたが、むしろ七倉の興味を引き付けることになっていたのだった。
「それで、次のお弁当の話が出たということは、またお花見に来る予定を立てたんですか?」
「え!? い、いや、そうではなくて……」
「そうではなくて?」
綾瀬は詰め寄ってくる七倉を手で抑え込みながら、必死で言い訳を考えていた。
ふと横を見ると、鈴村の顔が視界に入った。
鈴村は綾瀬に何かを伝えたそうな顔の動きをしていた。
(鈴村君、何か言ってる……? 口の動きを見ればわかるかな……)
そう考え、綾瀬は鈴村の口元を見た。
「お・れ・に・ま・か・せ・ろ」
(……『俺に任せろ』…………?)
綾瀬は不安が拭いきれなかったが、そのまま鈴村の提案を飲むことにした。
「す、鈴村君! つまり、あれだよね!」
「あれ?」
七倉はそう言って、鈴村の顔を見た。
鈴村は腰に手を当て、自慢げに言う。
「そう! この際だから、二人に鈴村家伝統の料理を伝授しようって話をしてたんだよ!」
「…………えぇ……」
綾瀬にとって、この鈴村の咄嗟についた嘘は七倉を手助けするものであった。
綾瀬はそれなりに期待をしていたため、この言葉を聞いてガッカリしていた。
片や、七倉は目を輝かせていた。
「と、徹君のおうちの料理を教えてくれるの!? ということは、綾瀬さんにリードできる可能性があるってことだよね!?」
「え!? あ、うん、そうだな!」
七倉の言葉を聞いて、ようやく鈴村は自分から七倉に助け船を出していることに気づいた。
やらかした、という表情をする鈴村であったが、後には引けないためそのまま話を続けた。
「恋のライバルとやらはどうであれ――」
『どうでもよくないよ』
鈴村の声を遮って、綾瀬と七倉は声を揃えて言った。
あまりのタイミングの良さに少し戸惑う鈴村であったが、そのまま気を取り直して続ける。
「料理を知っておくのは今後のことも考えるといいと思うんだ。綾瀬にはうちの料理をもっと知ってほしいし、七倉が綾瀬に勝ちたいと思うのであれば、同じ土俵に立ってもらうのもいいかなと思って」
「ちょ、鈴村君!? 鈴村君はどっちの味方なの!?」
鈴村が広げていく話に、綾瀬は思わず声を荒げた。
そんな様子を見た鈴村は、スマホを取り出してメッセージを送り始めた。
「…………?」
綾瀬は鈴村の行動が理解できなかったが、そのメッセージはすぐ綾瀬に届いた。
(あれ、メッセージだ)
綾瀬はスマホを取り出し、LINEを開く。
『たぶん、もう少しだ』
綾瀬に届いたメッセージにはそう記載されていた。
「……鈴村君、これどういう――」
と、言いかけたところで、綾瀬の持つ『人生の選択肢』が光り輝いた。
突如として光り輝いたため、綾瀬は眩しそうな顔をする。
(えっ、今!? っていうか、もう少しって……、これのこと!?)
光り輝く『人生の選択肢』を横目に、綾瀬は鈴村の顔を見た。
鈴村は綾瀬の行動に驚いてはいなかった。
まさしく、このことを予想していたのである。
(もしかして、鈴村君が私にとっての『人生の分岐点』を作った、ってこと?)
あまり信じられないことではあったが、鈴村の行動と実際に光り輝く『人生の選択肢』を見ると、それは確信に至っても差し支えないものであった。
少しして、『人生の選択肢』は輝きを止めた。
(…………もう見てもいいのかな)
綾瀬は恐る恐る、『人生の選択肢』を開いた。
【人生の選択肢】
A.鈴村徹の提案を受け入れ、七倉わかなと正々堂々戦う。
B.鈴村徹の提案を受け入れず、七倉わかなと自分の力のみで戦う。
C.琴原みどりに相談する。
D.鈴村徹との婚約を破棄する。
(……なんでいちいち鈴村君との婚約の話をなくそうとしてくるんだろう、鈴歩さん)
綾瀬が『人生の選択肢』と巡り合ってから常に感じている疑問であった。
「徹君は綾瀬さんと私、どっちの味方なの?」
「そんなの決まってるだろ……。綾瀬だよ」
「ガーン! 即答だなんて酷いよ徹君!」
そんなやり取りをしている中、綾瀬のスマホに一通のメッセージが届く。
(メッセージ……? え、鈴村君じゃん)
綾瀬が鈴村に視線を送ると、鈴村は七倉に構わず笑顔で手を振っていた。
(全くもう……。……えーっと、なになに? 『タイムリミットがあるから、今は綾瀬が決めてくれ』……?)
鈴村から送られてきたメッセージにはそう記載されていた。
(……まあ、今この状況で相談はできなさそうだし……。私だけで決めるしかなさそうだね……)
綾瀬はそう考え、提示された選択肢を再度確認した。
(そういえば、鈴村君の言う【選択の簡易的結果】が今回もないなぁ。これっていつも出るものなの?)
綾瀬は困惑していた。
これを相談したい気持ちは山々であったが、鈴村はタイミング悪く七倉に捕まってしまっているため、相談ができないでいた。
(ここでみどり先輩の名前が出てくるのも変なんだよね……。むしろみどり先輩に相談したほうがいいのかな)
様々な考えが綾瀬の頭の中で巡り巡っていた。
綾瀬は半分混乱状態にあった。
だが、綾瀬は自我を保ち、冷静になって選択肢と向き合った。
(今回の選択肢は悩む……。鈴村君の言う通り料理は今後大事になってくるし、私だけリードしてるっていうのも、なんだか七倉さんの気持ちを踏みにじっている気がして嫌なんだよね)
綾瀬と七倉の勝負は、現時点で言えば目に見えているものであった。
それこそ七倉と比較すれば鈴村と過ごした時間も異なり、経験してきたことも異なる。
このまま勝負をすれば、綾瀬が勝る一方であった。
(……でも、本当にそれでいいのかな)
しかし、綾瀬はこの選択を取らないでいた。
曲がりなりにも、七倉が抱く鈴村の好意は遊び半分のものではない。
鈴村に好意を持ち、鈴村を理解しようとし、鈴村と結ばれようと努力するその姿がしっかりと見て取れていた。
綾瀬は、どこかズルをしている感覚に陥っていた。
「…………私は、Aを選ぶよ」
綾瀬はぽつりと呟いた。
途端、『人生の選択肢』は光り輝き、【選択の結果】を記載し始める。
(私はどんな困難でも、ちゃんと乗り越えてみせるから……!)
そう意気込む綾瀬は、記載が終わった【選択の結果】を確認した。
「…………え?」
「どうした? 綾瀬」
「え? いや、なんでもないよ!」
綾瀬は慌てて誤魔化した。
(……え、なんで? なんでこんな結果になるの!?)
綾瀬は何度も【選択の結果】を確認したが、その内容が変わることはなかった。
【選択の結果】
綾瀬凛はAを選んだ。
七倉わかなは鈴村徹から料理を教わることなく、鈴村家の料理をマスターする。
そして、鈴村の好意は七倉わかなに傾く。
(…………一体、どういうことなの……?)
綾瀬は、突如として窮地に立たされるのであった。




