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鈴村くんは間違えない  作者: シア
第1部 最終章 『未来』へ

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第62話 託す者、託される者

『それではこれより、第五十三回、緑ヶ丘学園高等部の卒業式を始めます』


 三月九日。


 緑ヶ丘学園高等部の体育館にて、高等部三年生の卒業式が執り行われていた。


 体育館の後方に高等部一年、二年が着席している中、そのアナウンスと共に在校生、教師陣から拍手が上がり、同時に卒業生が順に体育館に入場した。


 コサージュを胸元に着けた卒業生の歩く姿はとても凛々しく、卒業生もまた、在校生に見守られながら胸を張って歩を進めていた。


 その中でもひと際目立ったのは、生徒会長、飯田勝翔いいだしょうとであった。


 質実剛健、学力は優秀で常に試験では一位、それでいて人当たりも良く、同学年だけでなく他学年の生徒の憧れの存在である。


 教師陣からも厚い信頼を抱かれており、飯田に対し悪い印象を持つ者は殆どいなかった。


 飯田が入場するなり、それを見守る在校生の中からは飯田を賛辞する声がところどころから上がっていた。


「会長! 卒業おめでとうございます!」


「おう、ありがと」


「飯田会長! おめでとうございます!」


「おう、皆ありがとな」


 その声一つ一つに、飯田は笑顔で手を振りながら言葉を返す。


 その姿はさながら、レッドカーペットを歩く芸能人のようであった。


 そんな様子を見ながら、拍手を続ける二年生、琴原ことはらみどりが、飯田の恋人であり二年生の宮田詩織みやたしおりにこっそりと声をかける。


「……詩織は声かけなくていいんですか?」


「いいのよ。飯田君から距離も離れているし、たぶん私の声量じゃ聞こえないわ。それに、私ならいつだって飯田君と話せるもの。今無理して声を張る必要はないわよ」


「そう言いながら、本当は大声で声をかけたいんじゃないですか?」


「…………なんでそんなニヤニヤしながら言うのよ」


 琴原の顔はニヤついていた。


「別に、特に深い意味はないです。ただ、詩織もこういう時くらい、自分に素直になってもいいんじゃないかなって思っただけです」


「そんなの、式が終わればいくらでもするわよ」


 宮田は琴原から視線を逸らし、少し照れながら言った。


 琴原はその様子を見て顔のニヤつきが止まらなかった。


 一方、一年が座っている席からも、飯田に多くの声が上がっていた。


 その中でも特に大きな声を出していたのは、一年生、綾瀬凛あやせりんであった。


「かいちょー! 飯田かいちょー! 卒業おめでとうございまーす!」


「お、おお……。ありがとう綾瀬。……あんなところにいるのにここまで声聞こえるって、どんだけ声でかいんだあいつ」


 バスケットボールのコート一つ分は離れている場所から聞こえる綾瀬の声を聞き、飯田は笑顔で手を振ったが、その声量に飯田は少し戸惑っていた。


 それを見て、同じく一年生、鈴村徹すずむらとおるが大きく手を振る綾瀬を抑える。


「綾瀬……! 気持ちはわかるけどもう少し声抑えろって! ご家族の方とかも見てるんだから!」


「えー、鈴村君のケチー。私だって飯田会長の卒業お祝いしたいもん」


 綾瀬は頬を膨らませながら言う。


「だから、気持ちはわかるけど場をわきまえろってば。飯田会長の送別会はこの後やる予定なんだから、その時に言えばいいだろ」


「それもそうだね……」


 綾瀬の納得する様子を見て、鈴村は安堵した。


「……だけど! 言う回数は多ければ多いほどいい! 飯田かいちょー! おめでとうございまーす!」


「だーからやめろってば! 立ち上がるな! それでも生徒会役員かよお前!」


 鈴村の言うことを全く聞かずに行動する綾瀬を、鈴村は慌てながら止めた。


 鈴村は卒業式や入学式など、こういった正式な行事についてはふざけることなく、真面目に取り組む性格であった。


 だからこそ、綾瀬のこの緊張感のない行動は、鈴村にとってとても心臓に悪い行動であった。


 鈴村の心臓は今にも破裂しそうになっていた。


「……はははっ、綾瀬らしいわ、あの天真爛漫なところ」


 遠目ながら鈴村と綾瀬のやり取りを見ていた飯田は、思わず笑ってしまう。


「飯田、大人気だな」


 飯田の後ろを歩く男子生徒が声をかける。


「ま、俺も一応生徒会長だしな。それなりに人望はあったみたいだし、終業式とかの皆の反応見てればこんな感じになるとは思ってたよ」


「随分自信過剰だな……。まあ、別にそれは否定しないけどさ」


 男子生徒は飯田に呆れながらも、飯田の言葉を否定することはなかった。


 綾瀬の堂々たる行動を見て、琴原はもう一度宮田に問う。


「……凛ちゃん、あんなことしてますよ? 詩織もあれにならったらどうですか?」


「倣わないわよ……。あんなの堂々とできるのなんて、綾瀬さんくらいだわ」


「そうですかねぇ。詩織も頑張ればできると思いますよ? さ、ほら。やってみてください」


「え、えぇ……。なんでそんな半ば強制みたいな感じで言うのよ……」


 宮田は困り顔で言う。


 そして、宮田は気持ちが変わったのか、照れ隠しをしながらも声をできるだけ大きくし、飯田に声をかける。


「い、飯田君! 卒業おめでとう……!」


 しかし、飯田は琴原、宮田がいた場所からだいぶ離れたところまで歩いて行ってしまったため、飯田からの返答はなかった。


 宮田は少しがっかりしながら言う。


「……ほら、やっぱり聞こえてなかった」


「す、少しだけ距離があったから聞こえなかっただけですよ!


 残念がる宮田を見て、琴原は咄嗟に宮田に向けて励ましの言葉を言う。


「でしょうね。大丈夫よ。後でちゃんと面と向かって言うから」


 宮田はそう言って飯田のいた方向に視線を向けた。


 飯田はちょうど自分の席に着席するところであったが、着席する直前、顔を少しだけ振り向かせて宮田のいる方向を見た。


 そして、飯田は少しだけ微笑んだ後、手を小さく振った。


 その光景を見て、宮田は少しだけ驚く。


「……私の声、聞こえてたのかしら」


 飯田のその行動は琴原も確認していた。


 そのうえで、琴原は言う。


「聞こえてるはずですよ。でなければ、あんなことしませんから」


「……だといいのだけど」


 宮田は微笑みながら言った。


 少しして、卒業生全員が体育館に入場し、着席をした。


 それを確認し、進行役がアナウンスをする。


『それでは、まず初めに緑ヶ丘学園理事長、綾瀬忠一あやせただかず様のお言葉です』


 それと同時に、理事長、綾瀬忠一が登壇し、一礼をしてから生徒に向かい合う。


 次は生徒たちに一礼をし、理事長はマイクを手に取った。


「卒業生の皆さん。ご卒業、おめでとうございます。……今日はとてもいい日だな。お前らの巣立つ日に天気が良くて俺は安心したよ。台風でも来たら、お前ら軽いからどっかに飛ばされそうだからな」


 理事長はマイクを使って、理事長なりのジョークを交えて挨拶を始めた。


 理事長の言葉に、クスクスと笑い声が聞こえる。


「それでも、お前らはそんな強風にも耐えうる精神力があると俺は信じてる。お前らが入学した三年前の入学式のときと比べたら、お前らの顔は十分立派になった。この緑ヶ丘学園で、様々な経験を積んできたんだろうな。教師として誇らしいよ」


 理事長は微笑みながら言う。


「だけど、人生はそこまで甘くはない。お前らもこの三年間で痛感した日があったはずだ。自分は何をやってもうまくいかない、何をやっても夢が叶えられる気がしない、そんなことを考えた日が少なからずあったはずだ。人生は自分の思うようにはいかないからな」


 理事長は少し前に出て、話を続ける。


「でも、それがあったからこそ、今のお前らはとても強い顔をしている。どんな壁が目の前に立ちはだかっても、乗り越えられる自信がこっちにまで伝わってくるよ。何事も経験しないと自分を成長させることはできないからな。その成長を糧に、自分の夢に向かってまっすぐ進んでいってくれ。俺が望むのは、お前らがこの先の人生を笑顔で過ごしてくれること。ただそれだけだ」


 理事長は真面目な顔をして言った。


「もちろん、何か悩むことがあったらいつでも俺たち緑ヶ丘学園のことを頼ってくれていいぞ。それこそ世話になった担任と話をするでもいいし、仲の良い後輩と話すのも良い。うちは学園の関係者であればいつでも立ち入りOKだからな。あ、ちゃんと卒業生だって言わないと門前払い食らうから、それだけ注意しろよ」


 その言葉に、卒業生含めた生徒からは笑い声が上がった。


「……あ、あと、もう一つだけ俺からお願いがある」


 理事長はそう言って、少し間を空けてから口を開いた。




「この先、どんなことがあっても、何が待ち受けていたとしても、自分に後悔のない選択を取ってくれ。その選択一つで、お前らの人生は大きく変わる。それだけは忘れないでほしい」




 この言葉は、理事長としてのお願いではない。


 綾瀬忠一という一人の男からの、ひいては、鏑木鈴歩かぶらぎすずほからの心からのお願いであった。


 理事長は、その『意思』をこの場で卒業生に伝えていた。


「別に後悔するのが『悪』だとは言わん。ただ、悩みは自分だけで抱え込むな。信頼できる友達がいるなら相談すればいいし、家族だっていい。さっき言った通り、俺らに相談するでもいい。自分の人生だ。どうしても悩むことがあったら、誰でもいいから相談してみろ。それだけで、だいぶ世界は変わるぞ」


 理事長は笑顔で言った。


「俺からは以上だ。進行役、続けてくれ」


 そう言って、理事長はマイクを元に位置に戻し、理事長席に戻った。


 理事長のその普段とは違う雰囲気に、鈴村は圧倒される。


「……理事長はいつも変な印象しかなかったけど、やっぱりこういうところではちゃんとしてるよな」


「お父さん、いつもはとても軽々しく振る舞ってるけど、こういう大事な場面ではちゃんとするんだよね……。私もびっくりだよ」


 鈴村の言葉に、綾瀬も困惑しながら実の父のギャップに驚く顔をする。


『それでは、次に卒業生代表の言葉です。緑ヶ丘学園高等部生徒会長、飯田勝翔さん、どうぞ』


「……はい」


 進行役の紹介と共に、飯田は返事をし、ゆっくりと登壇してマイクを撮った。


 しかし、飯田はマイクのスイッチをオンにして話そうとするも、なかなか言葉が出ないでいた。


 その様子を見て、少しずつ会場内がざわつき始める。


『……飯田会長、どうされました?』


 進行役が思わず心配の声をかける。


「……いや、すみません。俺こういう堅苦しいの苦手で、一応話そうと思ってたこと紙に書いて用意してたんですけど、なんかさっきの理事長の話聞いてたらバカらしくなっちゃって」


 飯田は何枚折りにもされた紙を見せ、笑いながら言った。


「すみません、学園長。代表からの言葉、一緒に考えてくれましたけど、やっぱ俺の気持ちをそのままぶつけます」


 そう言って、飯田は学園長に頭を下げた。


「……そうだと思いました。いいんですよ、あれはただ取り繕った文章ですから。卒業式の言葉はこうでなきゃいけない、というイメージから出来上がったものですが、飯田君本人の気持ちを伝えたいのであれば、私はそれを尊重します」


「……ありがとうございます」


 笑顔で答える学園長に、飯田は再び頭を下げる。


 飯田は大きめに深呼吸をし、表情を明るくして言う。


「ついに来ちまったな。卒業式。皆、人生一度きりの高校生活、後悔なく終えられそうか?」


 その言葉に、様々な声があちこちから上がる。




「私は楽しかったよ!」


「俺も!」


「蒼碧祭ではびっくりしたけど、後夜祭もあって楽しかった!」


「俺は体育祭毎年やってほしかったなー」




「あ、体育祭に関してはすまん。俺も理事長に掛け合ったんだが、なかなか首を縦に振ってくれなかったんだ」


 そう言いながら飯田は理事長の顔を見る。


 理事長は知らん顔をしていた。


「……ま、体育祭に関しては何とかなるだろ」


 飯田は小さな声で呟いた。


 その声はマイクには拾われておらず、全校生徒には届いていなかった。


 飯田は気にすることなくそのまま話を続ける。


「楽しかったという声が多く上がっていたが、中にはあまりそう思わなかった奴もいるはずだ。みんながみんな幸せなら、そもそもバッドエンドなんて言葉生まれないからな」


 飯田は卒業生の顔を見て言う。


「理事長の言う通り、俺も含めてだが、入学式の時と比べると皆だいぶ顔つきが変わった。大人になったなっていうのを実感するよ。……学生の俺が何言ってんだ、って感じだけどな」


 その言葉に、卒業生からは笑いが上がった。


「でも、俺らはこの三年間、様々な壁にぶつかり、それをいくつも乗り越えてきた。友達の力を借りて、先生の力を借りて、皆で協力して自分の納得のいく人生を歩んできたんだ。そこに後悔がある奴もいれば、ない奴もいる。正解なんてわからないから当然だよな」


 飯田はそのまま、少し間を空けて言う。


「だけど、それを経験するからこそ、自分が後悔しない選択肢が何なのかは、自ずとわかるはずだと思うんだ。この選択を取ったら自分はこんな気分になるだろう、ここでこうすれば明るい未来が見えるだろう。少なくとも、おおよその予想くらいはできると思う。それが成長だと俺は思ってる」


 飯田は次に、在校生に視線を向けて言う。


「これは俺から在校生へのお願いだ。この先の人生で迷い、悩むことは必ずある。理事長と同じような話をしちゃって申し訳ないんだが、俺の言いたいことは理事長と変わらない。皆、自分に後悔のない人生を歩んでほしい。だから、その時は俺らを頼ってくれ。絶対に力になるからさ」


 飯田は笑顔で言った。


「人生の選択に正解なんてない。それを正解と捉えるかどうかは皆次第だ。でもどうか、諦める選択肢だけは取らないでほしい。皆にはもっと成長して、胸を張って緑ヶ丘学園を卒業してほしい。自分の気持ちをしっかり伝えて、後悔のない選択をしてくれ。俺からは以上だ」


 そう言って、飯田はマイクを戻し、一礼してから席に戻った。


「……やっぱり理事長と飯田会長って似た者同士ですね」


 琴原が飯田の言葉を聞き終えてから、宮田にボソッと呟く。


「恐らく性格が似ているのでしょうね。飯田君の話していたことが理事長の丸パクリに聞こえたわ。手を抜いてたのかしら」


「そうでもないと思いますよ? 理事長のお話は理事長本人の気持ちですし、飯田会長のお話も飯田会長本人の気持ちです。似たようなことを考えるってことは、それだけそのことが大事だってことですよ」


「……まあ、それは一理あるかもしれないわね」


 琴原の言葉に、宮田は微笑みながら返した。


『それでは、続きまして来賓の紹介に移ります』


 理事長、飯田の話が終わった後、卒業式は順調に進んでいき、ついに卒業式は終わりを迎えた。


 吹奏楽部の演奏が響く中、卒業生は順に体育館から退場していく。


 その中には、これまでの思い出が蘇り、寂しさのあまり泣き出す生徒もいた。


 その一方で、この場でもおちゃらけた様子で、卒業式を楽しむ生徒もいた。


 そんな中でも、飯田は涙を流すことなく、入場時と再び笑顔で在校生に手を振っていた。


 その様子を見て、鈴村は一人呟く。


「……飯田会長は、卒業するの寂しくないのかな」


「そんなわけないでしょ。飯田会長だって寂しいはずだよ。あれはたぶん……、生徒会長としての威厳を見せるため感情を抑えてる、って感じ?」


「威厳って……。それが今の飯田会長にとって『後悔のある選択肢』だったら本末転倒だぞ」


「飯田会長も色々考えてるんだよ。そんなに気になるなら、後でやる送別会で聞けばいいじゃん」


「……それもそうだな」


 鈴村は綾瀬の言葉に賛同した。


 そんな話をしている中、飯田が鈴村の近くを通る。


 飯田は小さく親指と立ててグッドサインをし、何か言葉を口にしていた。


 声には出ていなかったため、鈴村は何と言っていたかがわからなかったが、口の動きをよく思い出して理解した。




 飯田が鈴村に対して放った言葉は、「後は頼んだぞ」、であった。




 鈴村はその行動に、思わず笑いだす。


「ははっ、そんなのここで言わなくても、後で直接言えばいいのに」


「え、何? どうしたの?」


 その様子を見ていなかった綾瀬は、鈴村がなぜ突然笑い出したのかわからないでいた。


「いや、なんでもない。すぐにわかるよ」


「そう? ……変なの」


 綾瀬の中には疑問が残るだけだった。


 こうして、正式に飯田勝翔は、緑ヶ丘学園高等部を卒業した。




                   *




「それでは! 改めまして……」


 卒業式後、緑ヶ丘学園高等部生徒会室にて、飯田の送別会が行われていた。


 緑ヶ丘学園高等部生徒会メンバーは、飯田に向けて声を揃えて言った。




『飯田会長! ご卒業おめでとうございまーす!』




 と同時に、クラッカーの音が鳴り響く。


「はは、ありがとう。なんかついこの前も似たようなことしたな」


 飯田は笑いながら、鈴村の誕生日パーティーのことを思い出していた。


 笑いながら言う飯田の元に、綾瀬が縦長の箱を手渡す。


「飯田会長、卒業おめでとうございます! これは私たち生徒会メンバーから飯田会長への卒業祝いです!」


「お、おう。ありがとう。こんなの用意してくれてたのか。開けてもいいか?」


「どうぞどうぞ! 絶対に役に立ちますから!」


 綾瀬はどや顔で言った。


「……それ、俺らで話し合ってめちゃくちゃ悩んで決めたやつなんですけどね」


「え、そうなの?」


「あ、ちょ、鈴村君! それは言わない約束でしょ!」


 綾瀬はどや顔であったが、その裏を鈴村に話されてしまい慌てていた。


 しかし、鈴村はその綾瀬に歯向かうように言う。


「いやいや……、どれだけ俺らが揉めたか綾瀬も知ってるだろ……」


「まあ、それはそうだけどさ」


「お、俺のためにそこまで親身に考えてくれてありがとうな、皆」


 飯田は戸惑いながらお礼だけはしっかりと言った。


「開けてもいいか?」


「はい、いいですよ。ぜひ今着けてみてほしいです」


「着ける……?」


 飯田は鈴村の言葉に疑問を抱きながら、箱の中身を取り出した。


「おお、ネクタイか。確かにこれから使うな」


 飯田のその反応に、綾瀬は食い気味で言う。


「そうですよね! 大学生活でも使う場面はあるでしょうし、就活の時も使うと思います。なんたって東大ですからね。それを使って、しっかり大手企業の内定を掴み取ってください!」


 綾瀬は元気いっぱいに飯田に言う。


「あ、ありがとう。大事にするよ」


 飯田は四年間これを傷つけず、なくさないようにできるか不安であったが、これを選んでくれた綾瀬達の思いをしっかりと受け止め、その場でネクタイを身に着けた。


 その姿を見て、宮田は言う。


「……うん、やっぱり似合ってるわ。私が選んだだけあるわね」


 今度は宮田がどや顔で言っていた。


 どや顔でいる宮田の横から、琴原が口を開く。


「飯田会長に似合うネクタイがなかなかなくて、詩織に頼んでネクタイを選んでもらったんですよ。……あ、そもそもネクタイにしようって言ったのは凛ちゃんなんです」


「あ、なるほど。だからあんなに食い気味だったのね」


 飯田はこのタイミングで綾瀬が食い気味だった理由を理解した。


「ネクタイに決まったのはいいんですけど、飯田会長の好みとか似合いそうなものは詩織のほうがわかるかなと思ったので、ネクタイ選びをお願いしました」


「やはり私の目に狂いはなかったわね。とても似合ってるわよ、飯田君」


「おう、ありがとう」


 飯田は笑顔で礼を言った。


「……で、何で揉めてたんだ?」


「……あー、やっぱり気になります?」


 飯田は鈴村に問いただす。


 鈴村は少し言うのを躊躇ためらったが、躊躇っても何も生まれないと考えたのか、白状して答えた。


「実は、ネクタイかボールペンかどっちがいいかで揉めてたんですよ」


「……ボールペンか。別に悪くないとは思うけど、なんでそれで揉めてたんだ?」


 その言葉に綾瀬が答える。


「ボールペンってなんか、使ったらそれっきりって感じじゃないですか」


「まあ、消耗品でもあるしな」


「だから、使いきったら私たちのこと忘れちゃうんじゃないかなと思ったんです。それにひきかえ、ネクタイはボロボロにならない限り使い続けられます。ずっと私たちのことを思い出すことができるってことですよ」


「なるほどなぁ」


 飯田は揉めていた理由を聞いて理解はしたが、鈴村と綾瀬に一言物申した。


「気持ちはありがたいんだけどな、綾瀬、鈴村。そんなんだとこの先の人生が思いやられるぞ? 大丈夫か?」


 その言葉に、鈴村は慌てながら答える。


「だ、大丈夫ですよ。俺と綾瀬はちゃんとやっていけます」


「私と鈴村君の心配をする必要はないですよ! 大丈夫です!」


「そうか。……でも、一つだけ言いたい」


 飯田は真剣な面持ちで綾瀬、鈴村に言う。




「お前らは婚約したんだ。同棲もできるし、年齢を満たせば結婚もできる。でもな、その先の人生で必ず一回は言い合いになる日が来るはずだ。そんなときでも、ちゃんと冷静になって、お互いの意見を聞いてほしい。聞いたうえで、お互いが納得する答えを出してほしいんだ」




「飯田会長……」


 飯田はそのまま続ける。


「俺と詩織も、今までいろんな些細なことで喧嘩をしてきたんだ。でも、お互いにちゃんと話し合って、納得する答えを出して壁を乗り越えてきた。お前らの関係はそう簡単に崩れないはずだ。期待してるぞ、鈴村、綾瀬」


『……はい。ありがとうございます』


 飯田の真剣な話を聞いて、鈴村と綾瀬は声を合わせて礼を言い、頭を下げた。


「さっきの卒業式でも言ったが、お前らには後悔のない人生を歩んでほしい。もちろん俺と詩織もそのつもりだ。お互い、些細なことで別れるなんてことがないように気を付けようぜ」


「……それ笑顔で言うもんじゃないと思いますけどね」


 飯田は笑顔で言ったが、それが逆に不穏に思えた鈴村は軽いツッコミを入れた。


「……鈴村。お前には託したいことがもう一つある」


「託したいこと? ……って、今のも託したいことの一つだったんですか」


「そりゃそうだよ。鈴村と綾瀬のことはこの場にいる皆が全力で応援してるんだから。その先の未来を託すのは当たり前だろ?」


「……後悔しない人生を二人で歩め、ってことですよね。わかってます。俺も綾瀬も、そんなことで仲違いなんかしませんよ」


 鈴村は綾瀬と顔を合わせ、微笑んでから飯田に言葉を返した。


 その様子を見て、飯田は安堵する顔をする。


「……で、託したいもう一つのものなんだが……」


 飯田がそう言うのと同タイミングで、生徒会室に理事長が入ってくる。


「いやー、遅れて悪い。ちょっと二階堂にかいどう先生に捕まっちまってよ。何の話してた?」


「お、理事長。ちょうどいいところに来ましたね。今ちょうど鈴村に『アレ』を渡すところなんですよ」


「……お、そうか。ナイスタイミングってわけだな」


 飯田と理事長は不敵な笑みを浮かべながら言った。


 その様子に、鈴村は少し恐怖する。


「……え、何ですか? 俺公開処刑でもされるんですか?」


「なんでこのタイミングでそうなるんだよ。……ほら、これだよ」


 理事長はツッコミながら、鈴村に一枚の紙を手渡す。


「…………これって」


 鈴村はその紙をまじまじと見た。


「ああ、待たせて悪かったな」


 理事長と飯田は声を揃えて言った。




『鈴村。お前を来年度の緑ヶ丘学園高等部生徒会長に正式に任命する』




「…………清書された、推薦状ですよね、これ」


 鈴村が理事長に手渡されたのは、理事長、学園長の押印が入った正真正銘、本物の『次期生徒会長の推薦状』であった。




 鈴村はその推薦状を見て、思わず感情が昂ぶり、涙が零れる。




「え、なんで泣くの?」


 その様子に、飯田は戸惑った。


 鈴村は慌てながら涙を拭き、口を開く。


「す、すみません。なんで泣いてるんだろ、俺。なんでかわからないんですけど、これもらった瞬間、いろんな感情が溢れてきて……」


 鈴村はそう言いながら、溢れる涙を必死に袖で拭いていた。


 途中、綾瀬からハンカチが手渡され、鈴村は一言礼を言った。


「あまり泣くと涙で推薦状がにじむぞ? ……ここだけの話、俺と学園長の押印部分が滲んだ時点で、その推薦状は効力をなくすから気をつけろよな」


「な、なんでそれ先に言わないんですか! すぐしまいますよ!」


 鈴村は慌てて受け取った推薦状をカバンにしまった。


 しかし、それは理事長が鈴村の気を和ませる嘘であった。


「はっはっは! 面白い反応するな、徹。そんなの嘘に決まってんだろ」


「……え、嘘?」


「もう生徒会長になることは決まってるんだ。その推薦状は、次期生徒会長の推薦をしたっていう証拠になる形式上なものだ。何をしても心配はないぞ」


「…………あまりこういうところで、そういう肝が冷えるようなことは言わないほうがいいと思いますよ」


 鈴村は冷ややかな視線を理事長に送った。


 飯田は鈴村に近寄り、両肩に手を置いて鈴村の目をしっかり見て言った。




「鈴村。この一年間、この生徒会を支えてくれてありがとう。そして、これからこの生徒会をになっていくのはお前だ。緑ヶ丘学園の生徒の代表として、この生徒会を、緑ヶ丘学園を支えていってくれ」




「…………託すって、そういう意味ですか?」


 鈴村の問いに飯田は肯定する。


「ああ。鈴村。お前になら何でもできる。一人だけじゃ解決できない問題あるだろうが、お前には頼れる仲間がいる。しっかりと考えて、悩んで、緑ヶ丘学園をよりよいものしていってくれ。頼んだぞ」


「…………はい!」


 鈴村は未だ涙を零していたが、飯田の言葉に笑顔で答えた。


「まーだ泣いてるよ。いい加減泣きやめってば」


「すみません……。でも、卒業式といい、この推薦状といい、本当に飯田会長は卒業するんだなって思うと、寂しくなって……」


「鈴村……」


 鈴村の涙につられたのか、綾瀬と琴原も涙を流す。


「……飯田会長。この一年間、お世話になりました。一年のうちから生徒会に関われて、飯田会長と仕事ができてとても楽しかったです。色々ご迷惑をおかけしましたが、これからも頑張ってください。宮田先輩との未来も応援してますね!」


 綾瀬は涙ながらも笑顔で言った。


 琴原もそれに続ける。


「飯田会長。私なんかを生徒会に入れてくれて、ありがとうございます。色々とありましたが……、この生徒会で学んだことは数えきれません。私はこの経験を糧に、もっと成長します。飯田会長が悩んだりしたときは、迷わず私たちを頼ってくださいね」


 琴原は鈴村、綾瀬、宮田の顔を見ながら飯田に言った。


「……ああ。ありがとう。何か悩むことがあったら、頼りにさせてもらうよ」


 飯田は微笑みながら言った。


「…………飯田君」


「……なんだ? 詩織」


 そんな中、宮田は一人、少し俯いた状態で飯田に話しかける。


「どうしたんだよ詩織。珍しいな、お前が泣くなんて。別に俺とお前は完全に離れ離れになるわけじゃないんだから、泣くことないだろ」


 宮田は気づかぬうちに涙を流していた。


「……ごめんなさい、それはわかっているの。……でも、やっぱり飯田君のいない生徒会は、少し寂しいのよ。そう考えたら、いつの間にか涙が出ていたわ」


「……そんなに俺の生徒会が良かったか」


「当たり前じゃない。飯田君の生徒会は最高の生徒会だったわ。一生分の思い出になるくらいよ」


「そんな大袈裟な……。ま、でもそれが本当なら、そうしてくれたのは鈴村のおかげかもしれないけどな」


「……ええ、そうかもしれないわね」


 そう言って、飯田と宮田は鈴村の顔を見た。


「え、俺のおかげですか? そんな大層なことしてないですけど……」


「大層なことしてなかったら、一年のお前に生徒会長の話なんか出ねえよ」


「いてっ」


 謙遜する鈴村に、飯田は頭をチョップしながら言った。


 飯田はそのまま鈴村に続けて言う。


「今の生徒会があるのは鈴村のおかげでもあるんだ。ありがとな、鈴村」


「…………いえ、どういたしまして」


 鈴村は照れながら飯田に答えた。


「さ、俺が鈴村に託したいことは直接話した。『気持ち』は直接言わないと伝わらないからな」


「……はい。飯田会長の『気持ち』は十分に伝わりました。それに応えられるよう、尽力していくつもりです」


「良く言った! これで安心してここを卒業できるわ!」


 飯田は笑顔で言った。


 理事長はここが頃合いだと感じ取り、送別会のかじを取り始める。


「さあ、送別会も始まったばかりなんだろ? 飯田の卒業を祝って飯を食おうじゃねえか」


「……それ、理事長が飯食いたいだけですよね」


 理事長の言葉に、飯田は小さく呟いた。


「いいじゃねえかよ、俺の金なんだから」


「…………え、これ理事長の奢りなんですか!?」


 鈴村は驚く顔を見せる。


「ああ、そうだよ。なんたって俺は綾瀬グループのトップだからな。こんな出費、大した事ねえよ」


「えー!? それ先に言ってよお父さん! それなら私焼肉食べたかった!」


 理事長の娘である綾瀬は駄々をこねる。


「……そうだな。徹の生徒会長就任祝いにでも連れてってやるよ」


「やったー! 焼肉だー!」


「それはいいが、今は目の前の飯に集中してくれ」


 そんなやり取りを見て、遠目で見てた飯田と鈴村は思わず笑いだす。


「……平和な生徒会でよかったですね」


 鈴村が飯田に言う。


「ああ、本当にそう思う。お前が来てくれてよかったよ」


「何回言うんですかそれ。もう十回は聞いた気分ですよ」


「いくらでも言うさ。お前のおかげで俺の人生は変わったからな」


 飯田は綾瀬たちが楽しく飲み食いしている様子を見て、改めて言った。


「……鈴村。生徒会の事、頼んだぞ」


「……はい。飯田会長の期待に応えられるよう、頑張ります」


 鈴村と飯田はそう言って、グラスを交わした。




 こうして、飯田の『気持ち』は鈴村に託され、『未来』へと紡がれていくのであった。

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