第57話 『約束』
「お、お義父さん……、この本が見えるんですか?」
クリスマス当日。
鈴村徹は無事にかねてからの思い人、綾瀬凛へクリスマスプレゼントを渡し、綾瀬凛の父、綾瀬忠一から正式に綾瀬凛と付き合うことを認めてもらうことに成功する。
鈴村と綾瀬凛が喜ぶのも束の間、綾瀬忠一は鈴村が手に持っている『人生の選択肢』という本を指さして言った。
「見えるも何も、お前今それ持ってるじゃねえか。見えたらダメなものなのか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
鈴村は困惑した。
鈴村の持つ本、『人生の選択肢』は本来、鈴村にしか認識することができない。
鈴村以外、その本が存在することや、見ること、読むことができないものである。
この本の正体は鈴村の潜在意識そのものであり、綾瀬忠一の古き友人、鏑木鈴歩が残した『意思』である。
その『人生の選択肢』を、綾瀬忠一は視認していた。
鈴村は驚きのあまりもう一度訪ねる。
「お義父さん、本当にこれが見えるんですか?」
そう言って鈴村は、左手に持つ『人生の選択肢』を自分の顔の高さまで持ってくる。
綾瀬忠一の視線はしっかりと、美しい夜空に大量の流れ星が降り注ぐ様子が描かれた表紙の本を追っていた。
「お前のその反応から察するに、その本は普通は見えちゃダメなやつっぽいな」
綾瀬忠一は呟きながら、綾瀬凛、美春に視線を向ける。
「凛、美春。お前らは徹が持ってるその本が見えるか?」
綾瀬凛と美春はそう言われて、鈴村の左手に視線を送る。
「…………えっ、うそ……」
綾瀬凛は、目をこすりながら言う。
「さっきまで見えなかった本が……、見える……!?」
「わ、私も……。鈴村君の手にさっきまでなかった本が、見えてるわ……!」
綾瀬凛、美春は同タイミングで『人生の選択肢』を視認していた。
「ど、どういうことだよ徹。その本は何なんだ? なんでさっき光った?」
「……いつから見えてました?」
鈴村は綾瀬忠一に神妙な面持ちで聞く。
「ついさっきだよ。ちょうど凛にクリスマスプレゼントを渡す前の時だ。…………いつからって聞くってことは、だいぶ前からお前はそれを持ってたんだな?」
「…………はい」
「色々事情はあると思うが、説明してくれ。なぜだかは知らないが、俺はその本について詳しく知る必要がある気がする」
「わ、私も! 前々から『人生の選択肢』っていう名前が気になってて、鈴村君に聞こうとしてたの!」
「え、そうだったの?」
鈴村は驚く顔をした。
「そうだよ。直接聞いた時もあったけど、あの時ははぐらかされたし、てっきりエッチな本とかそういう類のものなのかと……」
「なんでお前はいちいちそっち方面に話を持って行きたがるんだ?」
鈴村は困惑する顔で綾瀬に言う。
鈴村は、このタイミングで自分にしか認識することができない『人生の選択肢』が自分以外にも認識できるようになったことに違和感を覚えていた。
綾瀬凛と親公認の恋人になれたこのタイミングである。
鈴村は、鈴歩に何らかの意図があると考えた。
鈴村は意を決して、この『人生の選択肢』を綾瀬忠一に説明する。
「……修学旅行の時、鈴歩さんのことを話してくれましたよね」
「ああ、話したな」
「え、鈴歩って、あの鏑木鈴歩さん?」
その名前に、綾瀬美春は反応する。
綾瀬忠一がその質問に答える。
「ああ。……美春がまだ凛を妊娠していた時に、京都旅行に一緒に行ったあの鏑木鈴歩だ。……鈴歩と何か関係があるのか?」
「お義父さん、あの時話してくれましたよね。鈴歩さんが亡くなられたとき、鈴歩さんの『意思』を伝えようとしてたって」
「ああ、鈴歩は確かに言ってた。亡くなった後、成仏する前にあいつは俺と香織の前に現れて、赤と青の光を残して成仏したはずだ」
「……なるほど、だから青が基調の表紙になってるのか」
「何が言いたいんだよ、徹。はっきり言ってくれ!」
鈴村は、『人生の選択肢』の表紙がなぜ流れ星が降り注ぐ夜空なのか疑問だった。
星が美しく見える夜空は、その輝きと夜という光の少なさから、絵では良く暗い寒色系で描かれることが多い。
鈴村の持つ『人生の選択肢』はまさしくその色であり、紺色の背景に星が数多く輝き、その夜空を無数の流れ星が流れるデザインをしていた。
鈴村は、綾瀬忠一に『人生の選択肢』を見せて言う。
「お義父さん。この『人生の選択肢』という本は、鈴歩さんの『意思』です」
「鈴歩の……、『意思』……?」
鈴村の言葉に、綾瀬忠一は耳を疑った。
少し戸惑いながらも、綾瀬忠一は言う。
「確かにあの日、青い光は香織のお腹の中に入った……。もしかして、本当に鈴歩の『意思』が徹に伝わったっていうのか……!?」
「これがその証拠です。俺は実際、鈴歩さんに会ってます」
『…………え!?』
綾瀬忠一だけでなく、綾瀬凛、美春も驚く顔をする。
「あ、会ってるって、どういうことだ?」
「この『人生の選択肢』は鈴歩さんの『意思』そのものです。鈴歩さんは俺に後悔する人生を歩んでほしくない、という意思を残していったと聞いてます」
「ああ、確かに、後悔はしてほしくない、とは言ってたな」
「『人生の選択肢』の中を見てください。今でこそいろいろ記載がされてますが、最初は何も書かれてなかったんです」
「……白紙だったってことか?」
「はい。何も書かれていない、まっさらの白紙状態でした」
そのまま鈴村は続ける。
「ある日俺は、買った覚えのないこの本を手にしました。そして、決まって自分の人生が大きく左右するときだけ、光り輝いて俺に【人生の選択肢】を提示してくるんです」
「……【人生の選択肢】…………?」
綾瀬忠一はただ話を聞くことしかできなかった。
話の内容が現実味を帯びていないからである。
鈴村は続けた。
「その【人生の選択肢】に提示される選択肢は基本的に三つです。選んだ場合、その選択肢を選んだ結果、つまり必ず訪れる未来がこの本に記載されます」
「そうなの?」
綾瀬凛が聞く。
「これが証拠だよ、綾瀬」
鈴村はそう言いながら、タイムスリップして二回目の【人生の選択肢】のページを見せる。
「……これ、今年の夏休みに鈴村君が来た日のことだ……!」
綾瀬凛は驚く顔を見せて言った。
鈴村は綾瀬凛の顔を見た後、話をさらに続けた。
「俺はこの本を手にしてから今までに至るまで、自分の人生が大きく左右するときにこの本に助けられてきました。自分が後悔しない人生を歩むために必死だったからです」
「でも、提示された選択肢を選んだ結果は必ず出てくるんでしょう? それなら、ただその本に正解を教えてもらってるようなものじゃ……?」
綾瀬美春は首を傾げながら言う。
鈴村はその意見を否定した。
「全部が全部そうではないです。【人生の選択肢】を提示しても、その選択肢を選んだ場合にどうなるかがわからない場面もいくつかありました」
「……その選んだ結果よりも、どの選択肢を選ぶかが重要だったってことか」
「恐らくそういうことだと思います。そして、この時点でこの本が、単に俺に正解の人生を選ばせる本ではないと察しました。……鈴歩と出会ったのは、それから少し経った熱海旅行の日でした」
「……やっぱりあの日に鈴村君と話してたのは、鈴歩さんだったんだね」
綾瀬凛は鈴村の話を聞き、長いこと疑問に思っていたことがはっきりして安心していた。
「鈴歩さんとはそれからも何回か会話をしました。俺の人生がどうなるのか、鈴歩さん自身が何者なのか、『人生の選択肢』はなぜ俺の手元に現れたのか。その真相は、お義父さんが話してくれた鏑木鈴歩さんの件で全て理解しました」
「鈴歩の『意思』がちゃんと伝わっていて、徹の人生を後悔のない人生にしようとしていたってことか」
「そうだと俺は思ってます」
鈴村は微笑みながら答えた。
「でも、今の今までこの本は俺以外には見ることができないし、読むこともできませんでした。……なんでこのタイミングで皆に見えるようになったのかは、わからないです」
鈴村は悩む顔を見せながら言った。
綾瀬忠一も、これがなぜなのかわからないでいた。
ただでさえ現実味のないことを説明されている最中である。その理由を考えるには、脳の処理が追い付いていなかった。
…………その時である。
突然、『人生の選択肢』が光り始めた。
「…………また光った」
鈴村は落ち着いてその様子を見ていた。
「結構眩しいんだな……。お前、これを毎回見てたのか?」
「こんなの毎回見てたら失明しますよ……。ずっと制服の懐に入れてたので、光ったことに気づくのは、そうですね……、スマホに通知が入って画面が明るくなったときと同じですかね」
「なるほどな。……で、光ったってことは、またお前に選択肢が出てくるんじゃないのか?」
「だと思います。光る時間にも差があって、長い文章を記載しているときは長く、短めの文章を記載しているときは短いです。プリンターの印刷時間が異なるのと同じものだと思ってます」
「例えがわかりやすいな。…………あ、光が止まったぞ」
綾瀬忠一の言葉に、鈴村は光り輝いたページを開く。
そこには、一文だけ記載がされていた。
『私に会いたければ、香織ちゃんの家に向かって』
ただ、その一文だけが記載されていた。
「……選択肢じゃない…………!?」
今まで見たことのない事例に、鈴村は困惑していた。
「こんなこと今までなかったのか?」
「ありませんでした。……一度だけ、【助言】という形で選択肢以外の記載がされたことがありましたが、直接指示をする文章のみが書かれたのは初めてです」
「そうか……。……これが本当に鈴歩の『意思』なら、徹の家に行けば何かわかるかもしれない。今から徹の家に行ってもいいか?」
「え、はい。大丈夫です。早紀姉ちゃんはクリスマスなのでいないと思いますが、母さんならいるはずです。さっき帰ったって連絡が来てました」
「…………鈴村君のお姉さん、デート中?」
「……いや、早紀姉ちゃんは友達とカラオケにいるらしい。早紀姉ちゃんに彼氏なんかいないよ」
鈴村は綾瀬凛の問いに対し、少し優越感を覚えながら答えた。
綾瀬忠一は荷物を纏め、皆に指示をする。
「よし、今から徹の家に行こう。もしかしたら、鈴歩に会えるかもしれない」
「……そうね。行ってみましょう」
綾瀬美春が答えると、一行は鈴村徹の家に向かった。
*
「あらー! 美春さんいらっしゃい! 久しぶりね、元気だった?」
「香織さんこそ久しぶり! こんな遅い時間にごめんなさいね! お邪魔してもいいかしら?」
「どうぞどうぞ! ……あら、忠一君に凛ちゃんまで。徹、何かあったの?」
鈴歩からの伝言を受け、鈴村たちは鈴村の自宅に到着していた。
中に入るなり鈴村香織は綾瀬美春との再会に感動していたが、合わせて綾瀬忠一、凛も同行していることに気づき、ただ事ではないと察した。
綾瀬忠一は鈴村香織に軽く挨拶をする。
「メリークリスマス、香織。こんな遅い時間に悪いな。仕事は順調か?」
「おかげさまで。昨日は丸一日仕事だったけど、今日から連休なんだー。なので、早速帰ってきたわけなんだけど……。綾瀬家全員がアポイントもなしにうちに来るって、どういうこと?」
鈴村香織は状況が呑み込めていなかった。
鈴村徹は先陣を切って言う。
「母さん。説明は後でする。今大事なことが起きそうなんだ」
「……大事なこと?」
鈴村徹はリビングに入り、『人生の選択肢』に向かって叫ぶ。
「鈴歩! うちに来たぞ! 母さんならここにいる! 何か伝えたいんだろ? もうこの本は皆に見えるんだ。お前の姿も見えるはずだ!」
鈴村の叫び声が家中に響き渡る。
少しの静寂の後、『人生の選択肢』から光が溢れ出た。
その光は小さい粒で構成されており、やがてそれは人の形を成した。
そして、それは姿を現した。
「…………久しぶりだね、忠一君。香織ちゃん」
それは鈴村香織の姿をしていなかった。
正真正銘の、鏑木鈴歩が鈴村たちの目の前に現れたのだった。
「す、鈴歩……!」
思いがけない再会に、綾瀬忠一は思わず涙を流す。
片や鈴村香織は、この状況に困惑していた。
「え、どういうこと……!? 鈴歩ちゃんってもう亡くなったはずじゃ……」
その言葉に、鈴村徹は落ち着いて説明をする。
「母さん。あの人は俺の中に宿っていた鏑木鈴歩さんの『意思』なんだ。なんでかはわからないけど、突然こうやって皆に見えるようになった」
「……それまでは見えなかったの?」
「俺以外は誰も見えなかったよ。……一人を除いてだけど」
鈴村徹はそう言いながら綾瀬凛に視線を向ける。
鈴村香織は困惑しながらも、自分の目に鏑木鈴歩が映っているのが信じられなかった。
「……鈴歩ちゃん、鈴歩ちゃんなの?」
鈴村香織は涙を流しながら鈴歩に問う。
「やっと話せたね、香織ちゃん。忠一君も。やっと、こうやって会話することができた」
「鈴歩ちゃん! 鈴歩ちゃん! ずっと、ずっと会いたかった……! 寂しかったんだよ……!」
そう言いながら、鈴村香織は鈴歩を抱きしめようとする。
「あ、待って母さん! 鈴歩には触れな…………」
と、鈴村徹が言い切る前に、鈴村香織はガシッと、鈴歩に抱きついた。
鈴村徹はその光景が信じられなかった。
「……母さん、鈴歩に触れるの……!?」
「え? うん、触れるわよ。今もこうやって抱きついてるじゃない。……ちゃんと温もりも感じる。まるで生きてるみたいよ」
鈴村香織は泣きながら言う。
「……なるほど、だんだんこの世界に干渉できるようになったのは、やっぱりそういうことだったんだね」
「ど、どういうことだよ鈴歩。説明してくれ!」
鈴村徹は鈴歩に対し叫ぶ。
鈴歩は「ふふっ」と微笑みながら口を開いた。
「まずは鈴村徹君。綾瀬凛への恋の成就、おめでとう」
「あ、ありがとう」
鈴村徹は照れながら礼を言った。
鈴歩はそのまま続ける。
「私は初め、この世界に全く干渉ができなかった。それこそ、鈴村徹……、ううん、徹君にしか私のことは認識することができなかった」
「ああ、そうだと思ってた。なのに何で今、俺以外にも見えるし、話すこともできるんだ?」
鈴村徹は鈴歩に問う。
鈴歩は落ち着きながら、その回答を出した。
「それは、徹君が私の『意思』を受け入れて、自分の人生を後悔のない人生にしたからだよ」
「…………俺のおかげ、ってことか?」
「簡単に言えばそういうことだよ」
鈴歩は鈴村徹に向けて話を続けた。
「私がずっと君に【人生の選択肢】を提示してきた。これは私の『意思』から生まれたもので、徹君の覚悟を見定めるものでもあったんだよ」
「……そうでなきゃ、俺が死ぬ選択肢なんか出さないからな」
「あ、それまだ気にしてた? ちなみに選んでたら本当に死んでたよ」
「…………【人生の選択肢】に出てくるんだからそりゃそうだろうな」
鈴村徹は呆れ顔で言った。
「徹君が自分の人生を選んでいく中で、私は自分の役目を全うしてきた。君が自分の人生を選んだことによって、私の『意思』の存在価値が形になったんだよ。そのおかげで私はこの世界に干渉できるようになったし、香織ちゃんとも触れ合えるようになった」
鈴歩は鈴村香織の頭を撫でながら言った。
「そして、徹君はついに、積年の願いだった綾瀬凛との結婚を約束した。徹君はこの二度目の人生で、ついに目的を果たすことができたんだよ」
「……まあ、それはお前のおかげでもあるけどな」
鈴村徹は少し照れながらも鈴歩に答えた。
「ほんとによかったね、徹君。あの苦しく、辛く、悲しいことを経験しながら、よくここまで自分の信念を曲げずに人生を歩んできたね」
「…………でも、その中でも俺は綾瀬に一途でいられなかったときがあっただろ」
「あー、琴原みどりのことかな? 正直私もアレには驚いたけど、徹君、今まで碌な人生送ってこなかったし、そういう経験をさせるのもありかなと思って選択肢に入れたんだよ」
「慈悲かよ」
「何か問題でも?」
「問題というか……。もともと俺の願いを叶えるために力を貸してくれたんなら、琴原先輩を巻き込む必要はなかっただろ。なんでわざわざそんなことしたんだよ」
鈴村徹のその問いに、鈴歩は真剣な顔で答えた。
「もし仮に君に一途に思う相手がいたとして、その人に思いを抱いてる最中に他の女性から好意を抱かれたら、君がどうするのかを試したかったんだ」
「試したかった……?」
「そうだよ。君がどれだけ綾瀬凛に対して本気だったのかを確認したかったんだ。……結果、後夜祭で君は綾瀬凛を選んだ。その後も、どれだけ琴原みどりからアプローチがあっても、その気持ちは揺るぐことはなかった。それを見て、私は君が綾瀬凛にしっかり向き合っているんだと確信したんだよ」
「……でも、結果的に琴原先輩は悲しんだだろ」
鈴村徹は鈴歩を睨んで言った。
「恋愛だからそれは仕方ないよ。むしろ、その経験があったからこそ、君は今この場にいるんじゃないかな?」
「…………それはそうだけど……。でも、琴原先輩が傷ついた事実は変わらない」
「もしかして、それが自分のせいだと思ってる?」
「……え?」
鈴歩は真剣な面持ちで言う。
「琴原みどりも君と同じく、辛い思いをし、悲しんでる。それでも、彼女は前を向いて歩いてる。皆、君を通してちゃんと一歩ずつ人生という道を歩んでるだよ。誰も立ち止まってない。誰も後ろを向いてない。これは君が作った未来なんだ。君が責任を感じることじゃないんだよ」
「……そういうものなのか?」
「そういうものだよ。少なくとも、琴原みどりは自分の意思でそうしてるからね」
鈴歩はそう言ったあと、綾瀬凛に視線を向けて言う。
「私の『意思』は、綾瀬凛。あなたにも託したんだけど、今までの人生の中でそれっぽいことはなかったのかな? それこそ、徹君が持つ『人生の選択肢』みたいな本に出合うとか」
綾瀬凛は突然話を振られて慌てるが、少し落ち着いてから答えた。
「……いえ、これまでの人生の中でそういったことは一度もなかったです。なので余計に、今起きていることが信じられません」
「……そっか。あなたは今までの人生に後悔というものがなかったんだね。それはとてもいいことだと思うよ。……それもひとえに、徹君のおかげでもあるのかな」
そう言って鈴歩は、鈴村徹にウィンクをした。
「な、なあ、鈴歩。色々と事情はわかった。お前はあの日、徹と凛に託したお前自身の『意思』で、徹に託した『意思』が何らかの影響で本となって現れた。徹はその本の力を借りて今まで過ごしてきた、ってことでいいんだよな?」
「うん、そうだよ、忠一君」
鈴歩は笑顔で答えた。
「じゃ、じゃあ、お前が死んだっていう事実も本当は……」
「……ごめんね、それは事実。どうやっても覆らない事実だよ。だから私は、徹君と綾瀬凛に『意思』を託したんだよ」
「…………そうか」
綾瀬忠一は僅かな希望を抱いて鈴歩に聞いたが、その回答はやはり現実を受け入れるしかないものであった。
鈴歩は悲しそうな綾瀬忠一の顔を見て悲しそうな顔をしたが、鈴村徹に視線を向けて言う。
「さて。私は役目を果たしたことだし、そろそろお別れの時間が来たみたいだね」
「…………お別れ…………!? な、なんで……!?」
突然の鈴歩の言葉に、鈴村徹は驚く。
「私は徹君に託した『意思』なんだ。君は自分が後悔しない人生を歩むことに見事成功した。私は君に後悔する人生を歩ませたくなかったから、この『意思』を託したんだよ」
「ああ、それはわかってる。でもなんでお別れなんだ!?」
「鈴歩、待ってくれ! また行っちゃうのかよ!」
鈴村徹よりも、綾瀬忠一のほうが鈴歩のいう「お別れ」の言葉に大きく反応していた。
「徹君のこれからの人生を心配する必要がなくなったから、私の『意思』としての役目は終えた、って言えば伝わるかな。徹君はもう、私がいなくても、自分の『意思』で行動できる力があるからね」
「だ、だからって……、ようやくまた会えたのに……!」
「そう悲しまないで、忠一君。私だって悲しいけど、運命には逆らえない。もともとこれも、私のわがままで実現したようなものだからさ」
「ど、どういうことだよ……! 『意思』ならまだ伝えられるだろ! 徹たちの人生はまだまだこれからだ! 今ここで判断できるほど、徹が成長したって言うのか?」
「うん、そうだよ」
「…………っ」
鈴歩は即答した。
「徹君は十分に成長した。私はその姿が見れただけで安心だよ。……ありがとう、徹君」
「……鈴歩のおかげだけどな。お前がいなかったら、確かに今俺はこの場にはいなかったと思う」
鈴歩は「ふふっ」と笑って言う。
「それじゃあ、徹君。これからの人生は君の力で作り出していくんだ。どんな壁があっても、立ち直れない時が来たとしても、ちゃんと綾瀬凛と共に乗り越えて、後悔のない人生を歩んでね」
「………………ああ、わかった。……お世話になりました、鈴歩さん」
鈴村徹はそう言って、改まりながら鈴歩に礼を言った。
「……なんか敬語使われると調子狂うなぁ。……ま、いっか。……じゃあ次、綾瀬凛ちゃん」
「は、はい!」
綾瀬凛は焦りながら返事をする。
「徹君が困ったとき、苦しんだりしたときは、二人で協力して壁を乗り越えてね。くれぐれも後悔のないように。人生は一度きり。やり直しがきかないからさ。徹君に心から信頼される奥さんになってね」
「…………はい……!」
綾瀬凛の目からは自然と涙が零れていた。
「そして、忠一君。香織ちゃん。美春ちゃん」
「……ああ」
綾瀬忠一が一人だけ、鈴歩の声に答える。
「こんな形での再会になっちゃってごめんね。私もクリスマスパーティーしたかったんだけど、こんなだからさ。でも、久しぶりに皆に会えて、私は嬉しいよ」
「……俺も、嬉しいよ。まさか数十年ぶりに鈴歩と会って話すことができるなんて、思いもしなかった」
「私も……。鈴歩ちゃんとまた話すことができて嬉しかったわ。私はずっと後悔してたの。鈴歩ちゃんが妊娠祝いに来てくれたとき、もっともてなしてあげればよかったって。……必ずしも、次に会うことができる保証はないんだって。他人事だと思ってたわ。今日は会えて本当に嬉しかった。ありがとね、鈴歩ちゃん!」
鈴村香織は笑顔ながらも、涙を零して言った。
その言葉に、鈴歩も笑顔で返す。
「私も嬉しかったよ。ありがとう、香織ちゃん。早紀ちゃんにもよろしくね」
「…………うん!」
そう言いながら、鈴村香織は泣き崩れた。
「そして、美春さん」
「……はい」
「美春さんは、私とはあまり関わりがありませんでした。……快く忠一君との旅行を引き受けてくれて、ありがとうございます」
「い、いえ、そんな。……私があの時断っていれば、鈴歩さんも今ごろ平和に生活していましたかね」
「……それは考えちゃダメです。美春さんのせいだとは全く思ってません。私の身勝手なお願いだったんです。自分を責めないでください」
「……ごめんなさい……。でも、やっぱり私があの選択をしていなかったらって思うと、後悔しか生まれてこなくて……」
綾瀬美春は泣き出しそうになる。
鈴歩はそんな綾瀬美春の頭を撫でた。
「そんなに重く受け止めないでください。元より私は無理を言ってあのお願いをしました。責任はすべて私にあります」
「でも……、でも……!」
綾瀬美春の心は後悔で満ち溢れていた。
しかし、それでもなお鈴歩は綾瀬美春の頭を撫で続けて言った。
「大丈夫です。私の徹君に託した『意思』は役目を果たしました。……ですが、まだもう一つ、託した『意思』があります」
「…………凛の中にある、赤いほうの『意思』か……!?」
綾瀬忠一は鈴歩に詰め寄りながら問う。
「そう。徹君からはいなくなっちゃうけど、綾瀬凛の中にはまだ私の『意思』が残ってる。だから安心して。綾瀬凛が特別大きな後悔をしない限り、その『意思』は具現化して役目を果たそうとしないから。……責任重大だね、徹君」
鈴歩はそう言って、鈴村徹に不敵な笑みを浮かべた。
しかし、それに臆することなく、鈴村徹は言う。
「……大丈夫。俺は絶対に綾瀬を後悔なんかさせない。……唯一残った鈴歩の『意思』を、出させないように、精一杯頑張るよ」
「…………その言葉が聞けて安心したよ。これで、私は役目を終えられる」
「す、鈴歩……!」
その言葉と共に、だんだんと鈴歩の姿と、鈴村が持っていた『人生の選択肢』が消え始めた。
「ばいばい、みんな。みんなに私の『意思』が伝わってよかった。……徹君に、私の『意思』が伝わってよかった。これでハッピーエンドだね」
鈴歩は泣いていた。
しかし、それでも笑顔は絶やさないでいた。
「…………徹君」
「なんだ?」
鈴歩は鈴村徹に最後の言葉をかける。
「今まで私の『意思』を理解してくれてありがとう。私のやったことが無駄にならなくて本当によかったよ。……だから、絶対に後悔する人生は歩まないでね。約束だよ」
「………………ああ、わかってる」
鈴村徹のその答えに、鈴歩はにっこりと笑い、そのまま姿を消した。
同時に、鈴村徹の持っていた『人生の選択肢』もその場から消え去った。
「…………行っちゃったな」
綾瀬忠一が少し間を空けて口を開いた。
綾瀬美春、鈴村香織は二人で抱き合って泣いていた。
「……そうですね。別れは本当に突然に来るものなんですね」
鈴村徹が、目じりから涙が零れそうなのを我慢しつつ答える。
「それほど鈴歩から信頼されて、認められたってことだろ。誇っていいぞ、徹」
「……はい」
鈴村徹は静かに答えた。
「ほら、美春、香織も。いつまでも泣いてちゃ、鈴歩に合わせる顔がないぞ」
「……ごめんね、忠一くん。でも、泣かないのは少し無理があるわよ」
「お父さん、しばらくこのままにさせてあげたほうがいいと私は思うな」
「……それもそうだな」
綾瀬忠一は泣き崩れる二人の頭を優しく撫で、鈴村徹に向き合って話す。
「……徹。お前の覚悟がどれだけ大きいものなのか、鈴歩の言葉を聞いてよくわかった。お前になら、凛を任せられると思う」
「…………お義父さん? どうしたんですか急に」
そうして、綾瀬忠一は鈴村徹に深く頭を下げて言った。
「どうか、凛のことをよろしく頼む。この先の人生何があってもしっかり凛を守ってくれ。頼んだぞ」
それは、一人の父親としての言葉であった。
その言葉には本人なりの覚悟があり、期待があり、悲しみもあった。
それでも綾瀬忠一は、鈴村に対し言ったのだった。
「……もちろんです。絶対に綾瀬を守ると誓います。この先何があっても、俺は綾瀬と共に人生を歩んでいきます」
そう言って、鈴村徹は綾瀬凛と手を繋いだ。
綾瀬忠一はその言葉を聞き、一度鈴村徹、綾瀬凛の顔を見た後、再び頭を下げた。
その真下には、綾瀬忠一の涙がぽたぽたと落ちていた。
そして改めて、鈴村徹は鈴歩の伝えた後悔しないという『意思』を、絶対に忘れないと心に決めた。
こうして、鈴村徹の失恋から引き起こされたタイムスリップによる過去改変は見事成功し、無事に鈴村徹と綾瀬凛は結ばれることが約束されたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
このお話を以て、「鈴村くんは間違えない」、第4章完結となります。
タイムスリップしてから様々なことを経験して大きく成長した鈴村。
願いが叶ってよかったねぇ……。
……さて、次回からは最終章が始まります。
鈴歩の『意思』を託された鈴村はその人生を自分の力で歩んでいくことになりますが、
それは綾瀬との人生の問題だけではありません。
鈴村自身の人生をどう歩んでいくのか。
最後まで鈴村の歩む人生を見届けていただけたらと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。




