第48話 二人の行方、恋の行方
「ハァッ……、ハァッ……、綾瀬ー! 琴原せんぱーい! どこですかー!」
緑ヶ丘学園高等部二年の修学旅行、二日目の夕方。
金閣寺の観光を終えた一行はホテルに向かおうとしたが、鈴村徹の引率する二年B組第二班の綾瀬凛、琴原みどりが行方不明になっていることが判明。
鈴村は青ざめた顔でそれを理事長、綾瀬忠一に報告し、鈴村、理事長、そして二年B組第一班を引率していた担任の二階堂彩芽、生徒会長の飯田勝翔の協力の元、綾瀬と琴原の捜索が始まった。
理事長は一度集まっている生徒たちをバスで待機させていたが、捜索開始から一時間が経過しても見つかる気配がしないため、既に集まっている生徒たちをホテルに向かわせるよう指示をしていた。
「なあ、徹! お前の言ってること、ほんとに合ってるんだろうな……!」
「はい、そのはずです……! そのはずなんですけど……」
鈴村は理事長と走りながら、その場で叫んだ。
「『縁結び神社』多すぎだろおおおおお!!!!!」
鈴村はとてもしんどそうな顔をしていた。
「お前バテるの早すぎだろ……」
「す、すみません、運動はあまりしないもので……」
理事長はそんな鈴村を見て呆れ顔をしていた。
「でもまあ、お前が神社に心当たりがあるって言ったときは驚いたわ。やっぱり何も考えてなかったわけじゃなかったんだな」
「えぇ、まあ……。考えなしに動いたところですぐ見つかる気しなかったので……」
鈴村は、初めは綾瀬たちがどこにいるか大体見当がついていた。
鈴村がタイムスリップする前、高校時代の修学旅行の二日目に訪れていた神社のことを思い出した。
その神社は俗にいう『縁結びの神社』であり、特徴もしっかり思い出すことができていた。
その神社の特徴は、本殿の屋根は赤く、その本殿には若干緑がかった装飾が施されている。
本殿の左右には別の建物があり、それぞれに『ウサギ』の彫刻が祀まつられている珍しい神社であった。
ただ、これは鈴村がタイムスリップをしているからこそわかる特徴であり、いきなりそれを言い当てたら『自分がタイムスリップしてきた』ということを疑われかねないと、鈴村は考えていた。
そのためこの特徴を話すのを渋っていたが、『ウサギ』の彫刻が祀られている神社はないものの、神社自体はそこかしこにあり、神社を見つけては不発を繰り返していた。
結果、これでは埒が明かないと鈴村は判断し、意を決して理事長、二階堂、飯田にこのことを通達。
幸いにも鈴村の懸念であった疑いはかけられず、「そういうことは早く言え!」と理事長に怒られるだけで終わった。
この情報をもとに一同は綾瀬と琴原を探していたが、それでも鈴村の言う神社が見つかることはなかった。
理事長は走る足を少しずつ緩め、息を切らして歩きながら鈴村に言う。
「なあ、徹……。ハァッ、……、お前の心当たりのあるその神社、本当に場所まではわからないのか?」
鈴村は理事長に歩くスピードを合わせながら答える。
「すみません……、俺が覚えてるのはこれだけで……。具体的にどこかまでわかればよかったんですけど……」
「まあ、昔の記憶だ。思い出せないのも仕方ないだろ。とりあえずウサギの彫刻を探せばいいんだろ? それが一番の目印だからな」
理事長はそう言ってあたりを見渡した。
鈴村は理事長にこのことを伝える際、タイムスリップする前に経験したことであることは伏せた。
これを公開しては元も子もないからである。
この説明した際は、『幼い時に来たことがあり、特徴的だったから覚えていた』という嘘をついた。
(結果はどうであれ、特徴が伝えられたのは結果的に良かったのかも……。神社が思っていたより多くてびっくりだわ……)
鈴村は思い出した神社が特徴的な神社だったためすぐに見つかると思っていたが、神社が想像以上に多くあり驚いていた。
さらに、客寄せの意味を込めてか『縁結び』を謳う神社が数多くあり、結局不発を繰り返していた。
そんな中、鈴村の元に飯田から一本の電話が入る。
「あ、もしもし、飯田会長ですか?」
『おう、鈴村! 俺だ! そっちはどうだ?』
「全然ダメです……。思ってたより神社多くて……。どこにも見つかりません……」
『こっちもだ……。ったくどこもかしこも縁結び謳いやがって……。ウサギの彫刻さえ見つかれば確実なんだが……』
飯田は電話越しに何かを蹴っていた。
『ちょ、飯田君! そんな強く電柱蹴るのはダメですよ! 犯罪になります!』
『あ、すみません。ちょっと力入りすぎました』
「…………何やってるんですか」
飯田はあまりにも見つからない腹立たしさで、その近くにあった電柱を蹴り飛ばしていた。
その力があまりにも強かったらしく、破壊しそうな勢いだったため二階堂がそれを止めていた。
「すみません、飯田会長。俺がちゃんと場所を思い出せていれば良かったんですが……」
『いや、気にするな。二班の引率をお前だけに任せていた俺たちの責任でもある。お前は気負うことないぞ』
「い、飯田会長……」
『鈴村君! 私たちも綾瀬さんたちが見つかるよう頑張ります! 日も沈んですっかり暗くなっちゃいましたし、綾瀬さんたちが心配です!』
「…………そうですね」
二階堂のその無垢な言葉に、鈴村は胸を締め付けられていた。
その様子を見て、理事長は言う。
「……徹。飯田の言った通りだ。お前だけの責任じゃない。気負うことはないぞ」
「でも……」
理事長は鈴村の肩を掴み、無理やり自分に向い合せて言った。
「いいか。生徒会長の仕事を学んでもらうからこそ、こういった問題にも冷静になって、柔軟な思考で対処しなきゃならないんだ。後悔するのは見つけた後でいい。今はとりあえず、二人の安全を第一に考えろ。それが今お前が学ぶべきことだ」
「…………すみません……!」
鈴村は無意識のうちに涙をこぼしていた。
「そんなことで泣くなよ……。俺が嫌がらせしたみたいじゃねえか」
『え、理事長、鈴村に嫌がらせしたんですか。今このタイミングで』
「飯田、お前、今の話聞いたうえでそれ言ってるなら生徒会の仕事倍に増やすからな……」
『あ、ごめんなさい』
飯田は素直に謝った。
理事長は呆れ顔をしたが、気を取り直すように全員に指揮を執った。
「とにかくだ。縁結びの神社が思ったより多いのには驚いたが、問題はウサギの彫刻があるかどうかだ。少なくとも凛たちはこの近辺に必ずいる。見つけたらすぐ報告しろよ」
『わかりました!』
そう言って、飯田は電話を切った。
「よし、俺らも再開するか」
「ですね。……えっと、地図的に行ってないのは…………、こっちですね」
鈴村はそう言ってスマホの地図アプリを見ながら捜索を再開した。
*
「うぇぇぇぇぇえええん…………! みんなどこですかぁぁぁぁああ……!」
「泣かないのみどり先輩! ほら、行きますよ! 皆のところに戻らないと!」
そんな中、綾瀬と琴原は、自分たちもどこかわからない場所を彷徨っていた。
琴原は泣きながら綾瀬に謝罪をする。
「すみません凛ちゃん……。あまりにはしゃぎすぎてスマホ電池切れになっちゃうまで写真撮っちゃって……」
「いいんですよ、私も同じ理由でスマホの電池ないんですから。……たぶん心配の着信いっぱいかかってきてるんだろうなぁ」
「それって、鈴村君からですか?」
「え!? ……あ、いや、それもありますし、飯田会長や、お父さんからもあるはずです」
綾瀬は琴原の口から鈴村の名前が出て一瞬戸惑ったが、冷静を装って答えた。
琴原は涙を拭きながら言う。
「もう真っ暗になっちゃいましたね……。観光地だからもう少し街灯多いと思ったんですけど」
「ですねぇ……。金閣寺からそれなりに離れちゃいましたからね」
綾瀬と琴原は、修学旅行の楽しさのあまり、行動範囲外のエリアにまで足を踏み入れていた。
それに気づいたのはスマホの電池が残り僅かなタイミングの時であり、二人は急いで戻ろうとしたが道がわからなかった。
即座に地図アプリを使って戻ろうと試みたが、時すでに遅し。スマホは両者とも電池切れとなってしまい、連絡手段が途絶えてしまったのである。
公衆電話がないか探したが、世はインターネット時代。ほとんどがスマホで解決するようになってしまったこの時代に、公衆電話がある望みは殆どなかった。
「公衆電話さえあれば、理事長や他の先生の連絡先に電話できたんですけどね……」
綾瀬はそう言うが、琴原は自分の財布の中身を見て言った。
「あっ。私小銭持ってないです」
「えっ……? あ、私もだ」
綾瀬も自分の財布の中身を確認し、小銭がないことに気づき膝から崩れ落ちた。
「公衆電話があっても無くても詰みじゃん……」
突然突き付けられた、惨い現実であった。
琴原は綾瀬に手を差し伸べて言う。
「とりあえず、金閣寺へ戻りましょう。私たちなら大丈夫です」
「……ですね」
そう言って綾瀬は、琴原の手を掴み立ち上がった。
二人は曲がりなりにも緑ヶ丘学園高等部にてトップクラスの成績を有する生徒である。綾瀬と琴原は、記憶力を頼りに金閣寺があると思われる道を歩み始めた。
しばらくは寂しさで泣き叫んでいた琴原であったが、だんだん綾瀬といることに安心感を覚え、修学旅行の思い出話を始めた。
「この二日間、楽しかったですね、凛ちゃん」
「そうですねぇ。まさか生徒会の仕事で、しかも鈴村君のメンタルケアが目的で連れてこられるとは思ってなかったですけど、みどり先輩と修学旅行ができて楽しかったです」
綾瀬は笑顔で言う。
しかし、琴原は少し顔を俯かせていた。
「……? みどり先輩、どうしたんですか?」
その様子を見て、綾瀬は心配の声をかける。
琴原は、綾瀬と隣り合わせで歩きながらも、そのまま俯いて言った。
「凛ちゃんは、鈴村君と両想いになれて、幸せですか?」
「…………え?」
その琴原の言葉は、琴原が率直に気になることであり、綾瀬の気持ちを確認したい言葉であった。
綾瀬は俯く琴原を視界に入れた。
見えないながらもわかるその感情を察し、綾瀬は言う。
「えぇ、私は幸せですよ。鈴村君と両想いになれて」
「…………そうですか」
琴原は少し暗めな声で答えた。
綾瀬は敢えて琴原に問う。
「なんで、今ここでそんなこと聞くんですか?」
「…………それは……」
琴原が答える前に綾瀬は続けた。
「やっぱり、後夜祭のあの時も、この前鈴村君に直接言われたときも、すごく辛かったんですよね」
「………………」
「辛くて、苦しくて。鈴村君が私を選んだことに、少し腹を立てたんじゃないですか?」
「わ、私は別に怒ってなんて……!」
琴原はその綾瀬の言葉に思わず反応し、顔を上げる。
琴原に対して綾瀬が向けた表情は、微笑みだった。
「正直に話してください。みどり先輩の、本当の気持ちを」
「………………」
琴原は再び俯いて黙り込む。
少しの静寂が二人を包んだ。
コツコツと、二人の歩く足音だけが夜道に響き渡る。
時折通り過ぎる車の音が、うるさく聞こえるほどであった。
しばらくして、琴原は口を開く。
「……正直に言っても、凛ちゃんは怒りませんか?」
「うーん……、どちらかというと、黙ってるほうが怒りますね。自分の『気持ち』は言わないと相手に伝わりませんから」
琴原は綾瀬を見た。
その表情は先ほどと変わらず、微笑んでいた。
まるで、琴原の全てを受け入れるかのような表情であった。
琴原は、綾瀬と目を合わせず、夜空を見上げて言う。
「私、本当はすごく悔しかったんです。辛かったし、苦しかったんです」
「知ってますよ」
綾瀬は琴原の言葉に答えた。
琴原は、湧き出る感情をそのまま矢継ぎ早に言葉にした。
「鈴村君は初恋の相手でした。私の人生を大きく変えてくれた人でした。私に親友を作ってくれた人でした。私に居場所を作ってくれた人でした。私にとって鈴村君は運命の人です。そんな人に、凛ちゃんという好きな人がいながらも、私のことも好きでいてくれると言ってくれたあの納涼祭の日は、とても幸せでした」
「…………はい」
「蒼碧祭の時の鈴村君はとても男らしかったです。飯田会長の最後の文化祭を壊されかけながらも、自分が怪我するかもしれないのにそれを顧みず、飯田会長と詩織を助けるために必死に行動していた鈴村君は、とてもかっこよかったです」
「わかります。あの時の鈴村君はすごくかっこよかったですね。嫌な奴もいなくなって清々しましたし」
綾瀬の言葉に、琴原は思わず笑いだしてしまう。
その笑いにつられ、綾瀬も笑いだした。
少しして落ち着いてから、琴原は続ける。
「ほんとは、カップルというものは男女が一人ずつが当たり前だと思っていたんです。それが普通なんだって。だから、私が鈴村君を好きと自覚した時、既に私は凛ちゃんに負けてるなって思ってました。でも、鈴村君は私も選んでくれた。それからの日々はとても楽しく、嬉しく、忘れられない日々でした」
「そうですね……」
「熱海の旅行の事、覚えてますか? 杏里ちゃんが意図的にそうしたんでしょうけど、あの混浴OKの露天風呂にはびっくりでしたよね」
「結局、鈴村君も一緒に入ることになって、まあ、見るもの見ちゃいましたけどね」
「それを言ったら、私たちだって見せるもの見せちゃったじゃないですか」
琴原は少し顔を赤らめながら言った。
琴原は、「でも…………」と暗い顔をして続ける。
「でも、後夜祭のあの時。鈴村君は凛ちゃんと付き合うことを選びました。私はとてもショックでした。これまでの時間は何だったんだろう、やっぱりどんな不思議なことがあっても、『普通』に戻ることに変わりはないんだなって、その時思いました」
「………………」
琴原は矢継ぎ早に出てくる思い出話をするたび、涙が目から零れ落ちていった。
その様子を、綾瀬は静かに、何も言わずに見ていた。
「この際だから言いますけど、私、凛ちゃんと二人で付き合うって決まった時から、凛ちゃんに負けまいと頑張ってたんですよ」
「……知ってますよ。そうでなかったら、蒼碧祭のコスプレで私の真似みたいな服着ないですし」
「ボーイッシュ好きなのは熱海旅行の時に知りましたからね。ちゃんとアピールしないとと思って」
琴原は涙を零しながらも、笑顔で言った。
「それで言ったら、私だってみどり先輩にライバル心剥き出しでしたよ。私、これでも独占欲強いほうなんで」
「知ってますよ。凛ちゃんの行動見てればわかります。ミドリモールのときのあの勘違い会議は懲り懲りですけどね」
「あはは、すみません……」
綾瀬は笑いながら頭を手に置いて謝罪した。
「鈴村君と出会ってから、本当に色々ありました。……だからこそ、鈴村君から直接、『自分のことは諦めてくれ』と言われたときは、人生の終わりを告げられた気分でした」
「………………」
「それと同時に、ここが潮時なんだろうなって、自分の中で終止符を打つきっかけにもなりました」
「……そうなんですか?」
「鈴村君は凛ちゃんを選んだんです。元から凛ちゃんが好きだったんですし、こうなる未来を鈴村君も望んでいたはずです。……私を好きって言ってくれたのは、私の努力からくるものですかね」
「ははっ、そこで自分の努力評価するんですね。以前のみどり先輩じゃありえないです」
綾瀬は琴原をからかうように言った。
「な、なんですかそれー」
琴原は綾瀬を軽くポカポカと殴る仕草をした。
琴原は「それでも」と話を続けた。
「それでも、やっぱり私は鈴村君のことが好きです。でもこれ以上、凛ちゃんたちの邪魔はできません」
「でも、昨日といい今日といい、鈴村君にアピールしようと必死でしたよね?」
「…………バレてました?」
「バレてないと思ってたんですか……。昨日のバスの時なんかヒヤヒヤしましたよ。お父さんに見られるんじゃないかって」
「ははは、ごめんなさい。でも、凛ちゃんに負けたとわかっていても、自分の気持ちを捨てるなんてできません。叶わない恋なのはわかってます。ですが……、いい思い出くらい、作らせてくださいよ」
「…………みどり先輩」
琴原は立ち止まって、真剣な顔でそう言った。
綾瀬も立ち止まり、琴原を見た。……が、綾瀬はそのまま視線が上に行った。
「……ん? こんなところに神社なんかあるんですね」
綾瀬はふと、立ち止まった場所が神社であることに気づいた。
琴原は少し呆れながら綾瀬に言う。
「神社なんて散々見てきたじゃないですか……。ここどれだけ神社あると思ってるんですか……」
そう言いながら琴原は後ろを振り向く。
そこには確かに、先ほどまで嫌というほど見た神社が建っていた。
綾瀬は境内に入り、中を散策する。
「ほぉ……。『縁結び』ねぇ……。そんなのさっきも同じようなのいっぱいあったよ……」
綾瀬は呆れ顔で言った。
一方、後ろをついていく琴原は、この神社に興味を示していた。
「…………赤い屋根の本殿。本殿には緑の装飾がされていて、左右にはウサギの彫刻が祀られている建物が二つ…………。こ、ここです!!」
「……え?」
琴原は突然大きな声を出して叫んだ。
「ここです! 私が一番来たかった場所はここなんです!」
「え、金閣寺とか清水寺とかよりも、ここに来たかったんですか?」
綾瀬のその問いに、琴原は元気よく「はい!」と答えた。
「この神社、実は縁結びの隠れ名スポットでして、知名度は低いですが、ここでお参りした男女は『幸せな将来が約束される』という言い伝えのある、とても素晴らしい神社なんです!」
「…………もしかして、三日目の自由行動はここに鈴村君と来る予定で……?」
「あ、バレました?」
「だからそこまで話してなんでバレないと思ったんですか……」
綾瀬は呆れていた。
「いやーこんなところにあったんですね! ネットで調べたときになぜか名前も地図も出てこなくて、そういう神社があるっていう噂しか出てこなかったんですよ」
「なるほど……。そりゃ隠れ名スポットにもなりますね」
綾瀬はどことなく納得していた。
「と、とりあえず場所をメモっておかないと……! ……って、スマホの電池切れてたんでした」
「紙あるならそれにメモればいいんじゃないですか?」
「そうですね。……あ、でも地図がないからメモるにもメモれない……」
「…………あちゃー……」
二人は、いくら文明が発達したところで、電力がなければ何の意味もないことを痛感した。
そんなときである。
ガサッ。
『…………え?』
突然、ウサギの彫刻が祀られている二つの建物の傍から物音が聞こえた。
「え、何かいる……? しかも二か所から……?」
綾瀬は怪しいながらも様子を見に行こうとする。
琴原は怖いながらも、綾瀬の後ろをついていった。
「ど、どうしましょう……。私怖いの無理なんです……」
「……それはお化け屋敷のときに伝わってるので知ってますよ。私がいますから、安心してください」
「うぅっ……、凛ちゃぁん……」
琴原は恐怖のあまり泣き出しそうになっていた。
ガサガサッ。
徐々に大きくなる物音。
二人は恐怖のあまり、本殿の陰に隠れた。
琴原は小声で綾瀬に言う。
「やっぱり凛ちゃんも怖いんじゃないですか……!」
「し、仕方ないじゃないですか! こんな時間ですしこんなに暗いんですよ! 怖くないわけないですって!」
綾瀬と琴原は、しかし恐怖のあまり体を抱き寄せて怯えていた。
ガサガサガサッ。
もうすぐそこまで物音が近づいているのが聞こえた。
「き、来ますよ……!」
「…………」
琴原は生唾を飲んだ。
そんな物音がした左のウサギの彫刻のほうからは、黒猫が姿を現した。
『な、なんだ猫かぁ……』
二人は猫が姿を現したことに安堵した。
しかし、琴原はあることに気づく。
「あれ……、そういえば黒猫って、不吉なことが起こる予兆だったような、そんな話を聞いたことが……」
「……えっ!? てことは、もう一つの物音が、その不吉、ってことですか……!?」
二人は再び怯える。
その物音はどんどん近づき、ついに姿を現した。
思わず顔を隠す二人。
恐る恐る様子を見てみると、そこには。
「……ウサギの彫刻だ。俺が探してた神社だ……!」
そこには、鈴村徹が立っていた。
その姿に、綾瀬と琴原は思わず体を抱きしめ合った。
思わず泣き出しそうになった琴原であったが、それを堪えた。
「……凛ちゃん、向こう向いてください」
「……え? あ、はい」
そう言って、綾瀬が琴原に背を向けた瞬間。
琴原は、綾瀬の背中をトンと押した。
少しバランスを崩し、本殿の物陰から少し出てしまう綾瀬。
綾瀬は琴原の取った行動が理解できなかった。
「え、みどり先輩? どういうことですか?」
琴原は顔を俯かせて言う。
「黒猫が現れると不吉なことが起こるっていうのは、迷信です。そう思われることが多いですが、『福猫』と呼ばれてることも少なくないんですよ」
「え、それってどういう……?」
琴原は笑顔で言った。
「行ってください、凛ちゃん。ここは縁結びの神社です。私の出る幕はありません。私の気持ちもここに置いていきます。私は、そういう覚悟で凛ちゃんの背中を押しました」
「…………いいんですか?」
「はい。私の決めたことですから。後悔は……正直ありますけど、やっぱり何をしても凛ちゃんに勝てる気はしません」
琴原はそのまま手を振って言った。
「頑張ってくださいね、凛ちゃん。私は凛ちゃんのことを心から応援しています。結婚式を挙げることになったら、絶対に呼んでくださいね」
そう言って、琴原はその場から立ち去ろうとした。
「やっと見つけた! 無事でよかった! 綾瀬に琴原先輩!」
「………………え?」
鈴村の位置からは見えていないはずの琴原が、鈴村に呼ばれていた。
琴原は鈴村に気づかれていないと思っていたため、名前を呼ばれたことに困惑していた。
「えっと、なんでいるってわかったんですか……?」
琴原は鈴村に問う。
「今日ずっと綾瀬と行動してましたよね? 突然物陰から綾瀬だけが出てきてびっくりしましたけど、綾瀬のことだから琴原先輩は一人にさせないだろうなと思ったんです。いやぁ……、見つかって本当によかった……」
「……そうだったんですね」
ようやく二人を見つけ出すことができて安堵する鈴村を見て、琴原は無意識のうちに微笑んでいた。
綾瀬は琴原に言う。
「……みどり先輩の覚悟はわかりました。でも、鈴村君は誰にでも優しい人です。もちろん、自分が傷つけたってわかってたみどり先輩にも、ちゃんと対等に接してくれますよ」
「凛ちゃん……」
「ま、その優しさが人の覚悟を大きく揺れ動かしちゃうんですけどね」
「………………そうですね」
琴原は綾瀬の言葉通り、自分の覚悟が揺れ動くのを感じていた。
しかし、琴原はそれに動じなかった。
「……でも、いいんです。私は決めました」
「え、みどり先輩、どこに?」
「気持ちを伝えます」
「え?」
琴原はそう言って、鈴村の元へ歩み寄った。
「よかったです琴原先輩! 理事長や飯田会長、二階堂先生にも協力してもらってあちこち探し回ったんですけど、全然見つからなくて……。一時はどうなるかと……」
「私たちを必死に探してくれてありがとうございました。……ここがどういう神社か、鈴村君は知ってますか?」
琴原のその問い、鈴村はすぐに答える。
「ええ、はい。『縁結び』の神社ですよね。ウサギの彫刻が二つある、珍しい神社です」
「し、知ってたんですか」
「む、昔来たことがあったんですよ。幼い頃だったので場所までは覚えてなかったんですが、ウサギが二匹もいるなんて珍しいな、と思った記憶はあります」
鈴村は過去の記憶をはぐらかすように言った。
「そうだったんですね。……実は私もこの神社を探してたんです」
「え、今日迷子になったのはそのせいですか?」
「あ、いや! そうじゃなくて! 迷子になったのは凛ちゃんと観光するのが楽しくて……」
琴原はそう言いながら綾瀬に視線を向ける。
綾瀬は、「えへへー」と照れながら自分の頭に手を置いていた。
「この神社に来たかった理由は……」
琴原は鈴村に向かって自分の気持ちを述べた。
「鈴村君に、凛ちゃんより私を選んでほしいと伝えるために、鈴村君と一緒にここに来ようと思ってました」
「…………え?」
鈴村は思わず聞き返してしまった。
それは、琴原の本音であった。
綾瀬と一緒の立場は嫌だ。
綾瀬よりももっと自分のことを思ってほしい。気にしてほしい。考えてほしい。
そんな考えが、琴原にはあった。
だが、琴原は覚悟を決めていた。
「でも、もうそれも叶わないってわかりました」
「……何でですか?」
「一つだけ根拠があるとすれば、そうですね。鈴村君、凛ちゃんと私、二人と付き合うって言ってから、私のことを一度も名前で呼んでくれてませんよね」
「……それはたまたまでは?」
「いえ、たまたまではないです。私と鈴村君は先輩と後輩の関係にありますが、それでも好きな先輩のことを『先輩』とは呼ばないと思います。少なくとも呼び方に変動はあると思います」
「そ、それは人それぞれなんじゃ……」
琴原は怖気づかずに話を続ける。
「詩織がいい例です。詩織は飯田会長のことを『飯田君』と呼んでいます。それに、桜庭生徒会長もいつの間にか飯田会長のことを『飯田さん』、詩織のことを『詩織さん』と呼ぶようになりました」
「………………」
「呼び方の変化はその人に対する距離感の変化を表します。ですが、鈴村君は一向に私の呼び方を変えてくれませんでした」
「…………だからそれはたまたまで……」
鈴村のその言葉に、琴原は我慢できず大声で言う。
「たまたまだとしても! 好きな人には名前で呼んでほしいし、特別扱いしてほしいです!」
「…………ごめんなさい」
鈴村は琴原に対し謝罪をした。
「凛ちゃんに対して呼び方が変わらないのは、たぶんですがそのほうが呼びやすいし、呼び方を変えると気恥しいと思ったんじゃないですか?」
「……その通りです」
「そんな気持ちがありながら、私への呼び方は変えてくれませんでした。もうこれで答えは出ています。だから……」
「……だから?」
琴原は後ろを向き、空を見上げて言う。
「私はもう、この『気持ち』をこの神社に置いていこうと思います」
「……いいんですか、それで」
「いいんです。覚悟を決めた乙女を貶すようなこと、鈴村君にできますか?」
「……それは……」
鈴村は言い返すことができなかった。
琴原は「ふふっ」と笑いながら再度振り返り、鈴村に言う。
「鈴村君。今までいろんな思い出を作ってくれてありがとうございました。私にとって鈴村君と過ごした時間は、かけがえのないものです。絶対に忘れることはないと思います。本当に、ありがとうございました」
そう言って、琴原は深々と頭を下げた。
自分の顔が見られないように、必死になりながら、琴原は頭を下げていた。
「……琴原先輩。……いえ、みどりさん。顔を上げてください」
「………………え?」
琴原は顔を上げる。
その瞬間、琴原は鈴村に抱きしめられた。
「え、ちょ、何してるんですか!?」
「すみません。み…………あぁもう、呼び慣れない名前って言いづらいですね! 琴原先輩のままでもいいですか!」
少し顔を赤らめて視線を逸らす鈴村を見て、琴原は思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ふふふっ♪ 鈴村君、照れ屋さんですね」
「……よく言われます」
「……それで、これはどういう意味ですか? ……あ、呼び方の件は気にしないでいいですよ」
「……すみません」
鈴村はそのまま琴原に話を続ける。
「俺は綾瀬と琴原先輩の二人を幸せにしようと考えてました。しかしそれは驕りだとわかったんです。後夜祭の時がきっかけでした。どう頑張っても、俺は二人を平等に幸せにすることができないって、そう思ったんです」
「……そうだと思ってました」
「希望を持たせるようなことしてすみません。琴原先輩からいろんなことをされてドキドキすることもありましたが、でもやっぱり、綾瀬への気持ちが薄れることはなかったです」
「…………そうだと、思ってましたよ」
「だから、これはせめてもの罪滅ぼしです。こんなんで罪滅ぼしになるかはわからないですが、やっぱり琴原先輩には、笑っててほしいです」
「………………」
琴原は黙り込んでしまった。
少しの間を空けて、琴原は言う。
「……鈴村君はずるいです。女心をどれだけ弄べば気が済むんですか」
「……ごめんなさい」
「謝らないでください。私はもう決めました。鈴村君は、凛ちゃんといるべきです」
そう言って、琴原は自ら鈴村から身を離した。
「……凛ちゃん。私の話は終わりましたよ。出てきて大丈夫です」
琴原のその言葉に、綾瀬はゆっくりと鈴村の前に姿を見せた。
「……悪いな、綾瀬」
「あー、ははは。まあ、お互い様、ってことで」
綾瀬は様々なことを誤魔化しながら鈴村に言った。
琴原はそのまま、鈴村と綾瀬の手を繋がせた。
「え、何してるんですか?」
「何って、カップルなんですから手をつなぐのは当然ですよ。なんたって『縁結び』の神社ですからね、ここ」
「…………ありがとうございます、琴原先輩」
「私は満足しました。一瞬だけでしたが、私のことを特別扱いしてくれましたし」
そう言って、琴原は数歩後ろに下がった。
「……みどり先輩」
「なんですか? 凛ちゃん」
「……本当に、いいんですね」
綾瀬は再度、琴原に確認を取る。
その表情は、とても真剣なものであった。
「何回も言わせないでください。私の選択に後悔はありません」
「…………ありがとうございます。みどり先輩」
そう言って、綾瀬は琴原を抱きしめた。
「……やめてください。泣いちゃうじゃないですか」
「いいんですよ、こういう時は泣いても。泣かないと、自分の中で気持ちが溜まりこんで、そのうち不幸になりますよ」
「……ふふっ、それも、そうですね…………」
そう言いながら、琴原は大声で泣いた。
その泣く声は、満月が輝く夜空に軽く届くほどであった。
「あ、そうだ」
「なんですか……?」
そんな泣き叫ぶ琴原を抱きしめながら、綾瀬はあることを提案する。
「明日って自由行動でしたよね。私たち三人で行きたいところ行きませんか?」
『…………は?』
鈴村と琴原は耳を疑った。
鈴村は慌てながら綾瀬に言う。
「いや、よく考えてくれよ綾瀬。俺は引率者としてここにいるんだぞ? お前もそれは忘れてないよな?」
「うん、忘れてないよ」
「ならなんでそんなこと……」
綾瀬は、琴原に向かい合って言う。
「みどり先輩はこの修学旅行をその気持ちで終わらせたいんですか?」
「……それは……」
「そこで思い悩むってことは、そういうことですよ。高校生活の修学旅行は一度きり。私と鈴村君は例外ですけど、でも、私たちで修学旅行に来れるのはこれっきりです。なら、しんみりした気持ちで終わりたくないじゃないですか」
「…………いいんですか?」
「もっちろん! みんなで笑って修学旅行を楽しみましょ! ね?」
綾瀬は笑顔で琴原にそう言った。
「…………ありがとう、ございます…………!」
琴原は笑顔でそれに答えた。
鈴村はその様子を見て、改めてこの二人が仲が良い、優しい人なんだと理解した。
「…………あっ」
「ん、どうしたの? 鈴村君」
と同時に、鈴村は大事なことを思い出した。
「綾瀬たち見つけたの、理事長たちに連絡してない……」
『…………あっ』
鈴村は肝心なことを忘れていた。
鈴村は慌てて理事長に綾瀬と琴原が見つかったことを報告。
理事長の「だっからなんでお前は早くそういうのを言わねえんだよ!! 報連相を知らねえのか!!」という怒鳴り声が、電話越しから聞こえていた。
その声を聞いて、綾瀬と琴原は思わず笑ってしまった。
鈴村は謝りながら理事長に話す。
「すみませんすみません! 見つかって安心してしまって……!」
『……まあ、見つかったならよかった。よくやったな、徹』
「…………ご心配おかけしてすみませんでした」
『何度も言わせんなって。お前だけの責任じゃないんだからよ。二階堂先生たちには俺から伝えておくから、お前らはタクシーでも呼んでホテルに向かってくれ。もう他の生徒たちはバスでホテルに戻ってるんだ』
「まあ、ですよね。わかりました。理事長たちもお気をつけて」
『おうよ。じゃ、またホテルでな』
その理事長の言葉を最後に、電話を切ろうとした瞬間であった。
「お困りのようですね!」
「……その声は…………」
鈴村が電話で話す後ろから現れたのは、桜庭みやびと木下咲良であった。
『今の声、もしかして桜庭会長か?』
鈴村は咄嗟に通話をスピーカーに切り替える。
「あら、緑ヶ丘学園の理事長様! お久しぶりです!」
『久しぶりだなぁ。蒼碧祭以来か? 元気にやってるか?』
「はい、おかげさまで。ところで……、鈴村君も綾瀬さんも、皆さんこんな時間に何をされてるんですか?」
『まあ色々あってな……。今こいつらと修学旅行中でな』
「あ、それは知っていますわ。今日金閣寺で鈴村君に会いましたので」
『あ、知ってるのか。……んで、これから宿泊先のホテルに戻ろうとしてたんだ』
「なるほど……。事情は理解しました。この桜庭にお任せください」
『……え?』
理事長は電話越しに聞き返した。
「今から皆様をホテルへお連れしますわ。皆さまはどこにいらっしゃるんですか? 場所を教えていただければお迎えに上がります」
『い、いやいや、そんなことしなくても大丈夫だから! これはうちの学園の問題であって……』
しかし、理事長の言葉に桜庭は食い下がらなかった。
「いえ、そうも言ってられません。蒼碧祭ではとてもお世話になりました。その恩をお返ししたいのです。どうか私のわがままを聞いてくださいませんか?」
『…………まあ、そうだな。正直俺も走り回って疲れてるんだ。悪い、皆を連れてホテルまで頼めるか?』
「お安い御用ですわ!」
そう言って、桜庭は使用人に状況を伝え、すぐに車を手配した。
「……お嬢様ってすげえ」
鈴村は素直に感動していた。
『じゃあ、俺らの居場所は後で鈴村に伝えておくから、桜庭会長。頼みましたよ』
「はい!」
そう言って、鈴村に代わって桜庭が電話を切った。
その直後に、理事長、飯田、二階堂の居場所が示されたメッセージが鈴村のスマホへ届いた。
鈴村は桜庭にそのメッセージを見せて伝える。
「じゃあ、すみませんが、ここに向かってくれますか」
「わかりましたわ! 爺、行ってちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
こうして、鈴村、綾瀬、琴原と桜庭、木下を乗せたリムジンは、理事長たちを迎えに、そして、ホテルへ向かって夜道を進んでいた。
そんな中、鈴村は気になったことを木下に問う。
「そういえば、なんで咲良たちはこんな時間にあそこにいたんだ?」
木下は少し答えるのを躊躇ったが、綾瀬と琴原、桜庭に聞こえない声量で答えた。
「……桜庭会長、徹っぽい人を見かけたって言って追いかけて言ったんだよ。そしたらあの神社に辿り着いてさ……」
「そうだったのか。なんとか助かったよ……」
鈴村は安堵した。
……が、その数秒後、鈴村は木下の言葉が引っかかった。
「…………ん? 追いかけてた?」
「うん、徹の後ろをずっと」
鈴村は冷や汗をかいた。
「……もしかして、さっきの会話聞いてた?」
木下はその質問に対し、少し間を空けてから答えた。
「ま、聞いてないって言ったら嘘になるかな」
「…………マジっすか」
鈴村は両手で自分の顔を隠すような仕草をした。
木下はその会話を聞いて複雑な気持ちになっていたが、鈴村に敢えて言う。
「……徹はモテモテだね」
「……なんだよ、からかってんのか」
「別に。だいぶ成長したな、って思っただけだよ」
「…………変な奴」
鈴村はそう言って、木下との会話を終えた。
(…………もう、徹にアタックするチャンスは、どこにもないんだね)
木下はそんなことを心の中で思っていた。
聞いてしまったその話。
鈴村は綾瀬を選んだこと。
琴原が未だに鈴村を好きでいたが、その気持ちをあの神社に置いてきたこと。
もう自分が入る隙は無いんだと、木下は理解していた。
(私も特別扱いしてほしかったなぁー)
木下はそんな叶うことのないことを、一人考えていた。
こうして、無事に行方不明になった綾瀬、琴原は鈴村のおかげで見つかり、修学旅行は三日目を迎えることとなった。




