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鈴村くんは間違えない  作者: シア
第4章 『気持ち』を大事に

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第45話 鈴村が知っておくべき過去

 緑ヶ丘学園高等部二年の修学旅行の一日目が終了した夜。


 生徒会長補佐、鈴村徹すずむらとおるは宿泊するホテルの引率者用に用意された部屋で、緑ヶ丘学園理事長、綾瀬忠一あやせただかずと二人で会話をしていた。


「ま、俺の過去の話だ。少し長くなるだろうし、これでも飲みながら聞いてくれや」


「……これお酒じゃないですよね」


「未成年に酒なんか出すわけねえだろ……。ただの麦茶だよ」


 理事長はそう言いながらコップに麦茶を注ぎ、鈴村の前に置いた。


 理事長は鈴村に、自分が経験した過去を話そうとしていた。


 しかし、鈴村はその過去の話が、鈴村の持つ『人生の選択肢』が具現化した存在の『鈴歩すずほ』と関係があると察していた。


 この修学旅行が始まってからこれまでに至るまで、理事長の口から何度か「鈴歩」の名前が出ていたからである。


 鈴村は覚悟を決めて理事長の話に耳を傾けた。


「これは俺がまだ教師を初めて間もない頃の話だ。大学を出て二年くらい経ったときの話だな。二十年くらい前の話か」


「随分と昔ですね……」


「そうだなぁ。でもまあ、俺にとっては忘れちゃいけない過去だ。年数を覚えてるくらいにはな」


 そう言いながら、理事長はコップに入った水を飲みながら話を始めた。




                 ~~~




 これは今から二十年前のこと。


 綾瀬忠一が緑ヶ丘学園の教師になって二年目の年の出来事である。


「綾瀬先生! おはようございます!」


「綾瀬先生、おはようございます」


「おう、おはよう」


 忠一は教師になって二年目ながらも、他の教師に比べて親しみやすい印象を受けたのか、多くの生徒から声をかけられていた。


「おはよう、先生」


「おう、おはよう鈴歩すずほ。いい加減同じ教師なんだから先生って呼ぶのやめてくれ」


 忠一にそう優しく挨拶をしたのは、忠一と同じ年に緑ヶ丘学園の教師に就任した鏑木鈴歩かぶらぎすずほであった。


 忠一と鈴歩は同じ大学に通っており、在学中に両者は教師になることを志す。


 忠一は特に苦労することなく教員免許を取得したが、鈴歩は一筋縄にはいかず、しかし教師の夢を諦められなかったために、忠一に協力してもらいなんとか教員免許を取得することに成功した。


 これ以来、自分が教師になれたのは忠一のおかげだと信じてやまない鈴歩は、忠一のことを「先生」と呼ぶようになった。


「あ、やっぱり先生って呼ばれるの嫌? 同い年だし少し違和感あるかな」


「違和感しかねえよ……。普通に名前で呼んでくれないか」


「な、名前!? そ、そんな、私が君のことを名前で呼ぶなんて烏滸おこがましい……!」


 鈴歩は顔を赤くしながら照れていた。


「なんでそうなるんだよ。先生って呼ばれるよりかはマシだ」


「いたっ」


 忠一はそう言って、鈴歩の頭を軽く叩いた。


 鈴歩は忠一をたまにチラチラ見ながら、頬に顔を当てて恥ずかしそうに言う。


「だ、だって、異性のことを名前で呼ぶなんて……、そんなの恋人と同じだと思わない?」


「思わねえよ。なんだその考え方。小学生か」


 忠一は冷静に鈴歩にツッコミを入れた。


「し、失礼な! 私は列記とした教師だよ! ……半分は忠一君のおかげだけど」


「半分じゃなくて十割な。あと普通に名前で呼んでんじゃねえか」


 忠一は呆れ顔をしながら言った。


 片や鈴歩は、「……はっ! 無意識のうちに……!」と驚いた顔をしたあと、だんだん照れ顔になっていった。


 忠一はそのまま、廊下を歩きながら言う。


「もうすぐホームルームだろ。こんなところで無駄話してないで、お前は自分のクラスに急いだほうがいいんじゃねえのか」


「……あ、そうじゃん。今日のホームルームは一時間目の授業と合わせてて、今度の修学旅行でやることを決めてもらうんだった。早く行かないと……。じゃあね! 先生!」


「……だから先生はやめろってば」


 忠一のその言葉を聞き流し、鈴歩は自クラスの教室へと足早に向かった。


「そうか、そういや修学旅行の三日目って自由行動だっけ。俺らのクラスも何も決めてねえじゃん」


 かくいう忠一も、二年のクラスの担任だったため、修学旅行の引率を担当することになっていた。


 忠一は鈴歩をバカにしていたが、他人事ではないと気づき忠一も足早にクラスへ向かった。




                   *




「と、いうわけで。今日のホームルームは今度の修学旅行の三日目にやることを決めてもらうぞ」


 忠一は二年A組の教室の教壇に立って生徒たちに言う。


 クラス委員長である男子生徒が挙手をしてから発言した。


「修学旅行の三日目は自由行動でしたよね? その重大なことをこの短いホームルームの時間で決めるんですか?」


「いや、それはさすがに無理があるから、五時間目に予定していた『総合』の時間と一時間目の現国を入れ替えてもらった。お前らにはこのホームルームと、一時間目の時間を使って修学旅行三日目の予定を決めてもらう」


「……それでも時間足りなくないですか?」


「何言ってんだ。それくらいちゃちゃっと決められるだろ」


『えぇ……』


 忠一の無茶ぶりに、生徒たちはドン引きであった。


「ほら、文句言ってないで始めてくれ。一日目、二日目で行動する小グループがあったはずだ。その仲間内で話し合ってもいいぞ。ちゃんとやることが決まったら紙に書いて提出な」


 そう言いながら、忠一は一枚の紙を生徒全員に渡した。


 生徒たちは少し不満そうな顔をしていたが、しかし曲がりなりにも大イベントの修学旅行の予定を決める時間である。


 各々(おのおの)、修学旅行に期待を膨らませながら楽しそうに話し合っていた。


「……ほーら、結局そうなるんじゃねえか」


「あら? 私のクラスと同じことしてるんだね」


「おわっ、びっくりした。なんだ鈴歩かよ驚かせんな……」


 そんな中、教室の扉から少しだけ顔を出して鈴歩が忠一に話しかけていた。


「お前、そんなところにて、自分のクラスはいいのかよ」


「大丈夫だよ。私のクラスもやってることこっちと一緒だし。皆楽しそうに話し合ってる」


 鈴歩は忠一が受け持つ二年B組の生徒たちと、自分が受け持つ二年A組の生徒たちの顔を見て、幸せそうに笑いながら言う。


 忠一は鈴歩のいる扉に歩み寄ってから言った。


「そっか。……やっぱり子供らからすれば修学旅行って楽しみなんだな」


「あれ、忠一君は楽しみじゃないの? 一番そういうの楽しみにしてそうな感じしてたけど」


「それ偏見っていうんだよ。修学旅行なんて俺らにとっちゃただの引率するだけの旅行じゃねえかよ……。そんなことしてる暇があったら家で寝てたいね」


「うわぁ……。忠一君って夢もかけらもないんだね。そんなんでよく教師二年目ながらあんな人気が保てちゃうの、ある意味才能だと思うよ」


「そうか? 特に何も意識してないから何も思わないわ」


「…………それを無意識でやってるのなら、必死に頑張って好感度上げようとしてる学年主任の努力が悔やまれるね」


 鈴歩は忠一をあわれむような目で見ていた。


「あ、そういえば聞いた? 香織かおりちゃんのこと!」


 鈴歩はある話を思い出して唐突に話題を切り替えた。


「香織……? あぁ、大学のころ俺らと一緒にいた鈴村香織すずむらかおりか。特に何も聞いてないぞ?」


「えー? あれだけ仲良かったのに聞いてないの? ……あ、そっか。忠一君、香織ちゃんの連絡先知らなかったっけ」


「俺そもそも携帯持ち歩かないからな。基本的に家にある」


「それじゃ携帯電話の意味ないよ……」


 鈴歩は頭を抱えていた。


「で、香織がどうしたって?」


「なんとね! この前連絡が来たんだけど、香織ちゃん赤ちゃんできたんだって!」


「……えっ、マジで」


「うん! マジで!」


 鈴歩はニコニコ笑顔で忠一に答えた。


「そうかぁ……。香織も母親になるのか。そりゃめでたいことだ」


「でしょー! それでね! 今度お祝いを私に行こうと思うんだけど、忠一君も一緒にどう?」


「あー。まあ、あいつにはお世話になったしな。お祝いくらいならしてもいいか」


「お祝い()()って何よ。おめでたいことなんだからちゃんとお祝いしなきゃダメだよ」


「わかってるよ……。で、いつ行くんだ?」


「来週にしようかなって。ほら、その二週間後には私たち修学旅行で忙しいし、スケジュール的にもそこがいいかなって」


「俺は別にいいけど……。鈴歩が大丈夫なのかが心配だ」


「え、なんで?」


 忠一は鈴歩に冷ややかな視線を送りながら言う。


「お前、担任としての仕事山積みに残ってるだろ」


「…………あっ」


 鈴歩は目が点になっていた。


 忠一は呆れかえっていた。


「なーにが『スケジュール的にもそこがいいかな』だよ……。一番ダメなのお前じゃんか……」


「だ、大丈夫だって! それまでにはしっかり仕事終わらせておくよ!」


「……信用ならねえな」


「……先生、ごめんなさい。助けてください」


「素直でよろしい」


 忠一はこういう場面でのみ鈴歩が自分のことを「先生」と呼ぶのを許可していた。


「じゃあ来週、香織ちゃんの家で。詳細はまた連絡するね。ちゃんと携帯見るんだよ!」


「心配されなくてもわかってるよ」


 鈴歩は少し心配する顔を見せたが、忠一を信じて自分のクラスに戻っていった。


「…………そうか、もう子供できたんだな。よかった」


 忠一は内心安心していた。


 そんな中、忠一に対し一人の男子生徒が声をかける。


「せんせー。今のって隣のクラスの鏑木先生っすよね? 随分仲良さそうでしたけど、もしかして付き合ってるんですか?」


「は? いやいや、なんでそんな話になるんだよ」


 その言葉に、女子生徒が反応する。


「綾瀬先生って鏑木先生と同い年なんですよね? 同じ大学を出たとも聞きました。とても仲がいいらしいじゃないですか」


「お? ということは?」


 女子生徒の言葉に、制服を少し着崩した男子生徒が忠一をはやし立てる。




「もしかして? 鏑木ちゃんは? 先生の彼女ってこと?」




「…………はぁ?」


 忠一はその言葉に呆れかえっていた。


 忠一は特に動じることなく、冷静に反論する。


「あのなぁ……。鏑木先生は確かに俺と同じ大学を出てて、まあ、仲はいいほうだ。でも彼女じゃねえ。そういう関係じゃねえよ」


「えー、違うんすかー?」


 囃し立てていた男子生徒が残念そうに言う。


 その様子を、ひっそりと陰から鈴歩が見ていた。


(……私のクラスの様子を見てないといけないのは気になるけど……。この話はちょっと聞き逃せないな……)


 鈴歩は忠一に好意を抱いていた。


 きっかけは大学に入学してすぐの事である。


 自分の夢を叶えるために大学に入学したが、右も左もわからない状態で孤立し数か月が過ぎてしまったため、鈴歩はすっかり自信を無くしてしまっていた。


 そんな中、同じ年に入学したであろう学生の勉強を見る忠一の姿を偶然大学内で目撃した。


 鈴歩は忠一の様子を見ていたが、ミスをしても決して怒ることはせず、真摯に向き合ってともにその壁を乗り越えようとしてくれる姿勢や、忠一自身の優しい振る舞いにいつの間にか惚れ込んでしまっていた。


 鈴歩は勇気を出して忠一に接触することに成功。次第に鈴歩は自信を取り戻し、本来の自分に戻ることができた。その過程で、鈴村香織と出会い、それ以来、鈴歩は忠一、香織の三人でよく時間を過ごすようになった。


 だが、鈴歩の忠一に対する好意は忠一に伝わることはなかった。これは単に鈴歩が忠一に好意があることを伝えなかったからである。


 その理由は、『恐怖』から来ていた。


 もし自分がこの気持ちを伝えても、それに忠一が応えてくれなかったら。


 それが原因で、こんなにも楽しい学生生活が崩壊し、また孤立するような未来になってしまったら。


 そんな考えが鈴歩の頭をよぎり、思いは心の中に留めておくこととなった。


 そんな鈴歩の片思いが始まって数年。未だに忠一への思いが消えていなかった鈴歩は、A組の様子を見ながら、且つB組で交わされる会話を聞き洩らさないように扉に張り付いていた。


 忠一はその様子に全く気付かずに話を続ける。


「なんでそんな残念そうな反応すんだよ。そのほうが面白いってか?」


「そりゃそうですよ先生! 私たちから見ればお二人はとてもお似合いに見えますよ! 今朝だって、仲良さそうに廊下で話してたじゃないですか」


 最初に発言した女子生徒が言う。


「見てたのか……。お似合いねぇ。お前らにとってはそう見えるんだろうな」


(……お前らにとっては……?)


 鈴歩はその言葉が引っかかった。


「俺は鏑木先生のことを何も思っちゃいねえよ」


「えー先生ひどーい」


「そうっすよ先生。鏑木先生みたいな人、すぐ取られちゃいますよ?」


 忠一のその言葉に、生徒たちは忠一をからかうような言葉を投げかけた。


 忠一は持っていた書類を机の上に置き、椅子から立ち上がって言う。




「取られるも何も、俺結婚相手いるから、そういうの気にする必要ないんだわ」




「…………え?」


 鈴歩は時間が止まる感覚に陥った。


(……え? 忠一君に、結婚相手……? いつから? もしかして、大学にいる間もずっとお付き合いしてたってこと……? 香織ちゃんとも時間を過ごしてたのに……? いつ……?)


 鈴歩の動きは止まり、同時に頭の中で様々な考えが駆け巡った。


 何より、鈴歩は後悔していた。




(……この気持ち、ちゃんと伝えておけばよかった……)




 鈴歩が抱く忠一への『好き』という気持ち。


 これを伝えていれば、少なくとも未来は変わったのだろうかと、鈴歩は考えてしまっていた。


 考えればそれは後悔となる。しかし、考えるなと言われても難しい話であった。




『えーーーーーーーー!?!?!?!?!?』




(うわっ……!)


 少し自分を見失いそうになっていた鈴歩であったが、忠一の突然の告白によりB組の生徒たちが揃って驚く声を発したため、鈴歩はおかげで我に返ることができた。


 B組の生徒たちは矢継ぎ早に忠一に質問を繰り返す。


「いつから付き合ってたんですか!?」


「結婚式はいつですか!?」


「子供はいるんですか!?」


「ちょ、ちょっと待ってくれお前ら。今はそういう時間じゃないから。そんな話お前らにしても関係ないだろ」


『ありますよ!』


 B組の生徒は声を揃えて言った。


「……そんな息ピッタリに言わなくても……」


 忠一は自分で口走ってしまったことに少し後悔していたが、今となってはもう遅いため正直に言った。




「もう来月には結婚するんだ。子供もいる。今は嫁のお腹の中だけどな」




 その言葉に、生徒たちは目をキラキラと輝かせていた。


「すごーい! 先生おめでとう!」


「おめでとうございます、綾瀬先生! 今度お祝い持ってきますね!」


「お、おう。それは嬉しいがお菓子に留めておけよ。なんかお前はとんでもないものを持ってきそうな気がする」


「先生もなかなかやるなぁ。赤ちゃん生まれたら抱っこさせてくれ」


「お前はダメだ。力の加減を知らないから潰しそうになる」


「えー、そんなー」


 クラス一の力持ちで人気者の男子生徒は忠一の子供を抱っこさせてほしいと願ったが、その力で怪我をさせてしまうと本能的に思った忠一はそれを断った。


 B組内は幸せな空気で包まれていた。


(………………)


 そんな中、鈴歩は扉を背もたれにし、座り込んで俯いていた。


 全ては、自分が気持ちを伝えなかったことによる後悔によるものである。


 鈴歩は天井を見上げ、ぽつりと呟く。


「……やっぱり、ちゃんと好きって言えばよかったなぁ」


「誰に好きって言うんだ?」


「た、忠一君!?」


 その言葉を発した瞬間、教室内から忠一の声が聞こえた。


 鈴歩が振り返ると、自分の教室の扉に寄りかかって立つ忠一の姿があった。


「お前、いつからそこにいたんだよ。A組の話し合いは終わったのか?」


「えーっと、そのぉ……」


「…………今の話ずっと聞いてたんだな」


「……すみません」


 鈴歩は頭を下げた。


 忠一は頭を掻きながらも、鈴歩を怒ることはせずに言う。


「とりあえず、聞かれちゃったからには事情は後で話す。今は自分の仕事に集中しろ」


「…………怒らないの?」


「今ここでお前に怒ってどうすんだよ。怒ったところで何もならないだろ」


「ほ、ほら、仕事サボって盗み聞きしてたこととか……」


「ああ、そのことなら後できっちり怒ってやるから安心しろ」


「……やっぱりそうですよねー」


 鈴歩は視線を逸らしながら気の抜けた声で言った。


 その鈴歩の頭を撫でながら忠一は言う。


「……黙ってて悪かった。言い出す機会がなかったんだ。許してくれ」


「……後で聞くよ。今は自分の仕事に戻らないと」


「ああ、そうしてくれ。そうでないと、俺もきっちりお前に話せない」


「………………うん」


 そう言って、鈴歩は自分のクラスに戻っていった。




                   *




 鈴歩が忠一に結婚相手がいると知った一週間後。


 鈴歩と忠一は、香織の家に来ていた。


「香織ちゃん! 妊娠おめでとーう!」


「ありがとう、鈴歩ちゃん」


 香織は笑顔でお礼を言っていた。


 忠一は香織に手土産を渡しながら言う。


「妊娠おめでとう、香織。鈴歩から聞いた時はびっくりしたぜ。まさかお前に子供ができるなんてな」


「忠一くんにも伝えたかったんだけどね。連絡先知らなかったから伝えるすべがなくて……。ごめんね」


「いや、いいんだ。携帯を普段から持ち歩かない俺が悪かったんだし、香織は気にするな」


 忠一はそう言いながら椅子に座った。


「わぁ……、綺麗な手拭いだね」


「あぁ。出産祝いにはもっとしっかりとしたものを持ってくるつもりなんだが、今はとりあえず先祝いってことでそれにした」


「出産祝いならもっと大きいタオルがいいよね!」


 鈴歩はそんなことを言っていた。


「いやいや……。こういうとき妊婦が欲しいのは子供用の服とか、育児に必要なおむつとか、子供向けのものが買える商品券とかのほうが喜ぶぞ」


「あ、そうなんだ」


 忠一のその言葉は、鈴歩にとってとても説得力のある言葉であった。


 忠一も子供を授かった側の人間である。この意見は、とても現実的な意見であり、本人が貰って嬉しいと直感でわかるものであった。


「随分と具体的なプレゼントが思いつくんだね。忠一くんも結婚とかしたの?」


 香織のその質問に対し、忠一は香織の目を見て言う。


「いや、来月結婚するんだよ。もう子供もいるんだ。境遇としてはお前とほぼ変わらないな」


「えっ!? そうなの!?」


 香織は思わず大きな声を出してしまう。


 一方、鈴歩は少し暗い顔をしていた。


 忠一は鈴歩の様子がおかしいことに気づいたが、そのまま話を続けた。


「結婚相手は高校の時から付き合ってた人なんだ。高校卒業後は別の大学に行くことになったから離れ離れだったが、その間もちゃんと付き合ってたんだよ」


「へー……。忠一くんもそういう恋愛とかするんだね」


「なんだその反応。意外か?」


「うん。めちゃくちゃ意外。ていうか、そういうの全く興味ないと思ってた」


「酷い言われようだな……。俺も恋愛はするよ」


 忠一は自分の評価の低さに少々がっかりしていた。


「……鈴歩ちゃん、どうしたの? 顔色悪いよ?」


 その間、鈴歩はずっと俯いたままであった。


 鈴歩は咄嗟に声を掛けられ、二人を心配させまいと自分を誤魔化した。


「だ、大丈夫だよ! いやー、まさか二人に結婚相手がいて、しかも赤ちゃんも生まれるなんてねー。すごいね!」


 その顔は、まるで『笑顔の仮面』を被っているかのような笑みであった。


 鈴歩は必死に自分の感情を押し殺し、ただひたすらに、忠一と香りのことを祝った。


 楽しい時間は一瞬で過ぎ、忠一と鈴歩は香織の家を後にすることになった。


「それじゃあね香織ちゃん! また遊びに来るね!」


「うん、鈴歩ちゃんも元気でね。先生頑張って!」


「ありがと!」


 そう言って鈴歩は、忠一より先に歩き始めた。


 忠一はその後姿を見て、香織に問いかける。


「……あいつ、なんか様子おかしくなかったか?」


「様子? ……うーん、言われてみれば、元気無さそうには見えたかなぁ……。それこそ、これは女の勘だけど、()()()()ように見えたかな」


「…………失恋、ねぇ」


「あ、忠一くん、まさかそれを問いただそうなんて思ってないよね」


「思ってないわ。お前は俺をどういう人間だと思ってるんだ」


「だよね、安心した」


 香織はほっとしていた。


「ただ……」


「ただ?」


 しかし、忠一は気になっていた。


「俺に結婚相手がいること、子供がいることを伝えてから、妙に鈴歩のテンションというか、いつもの雰囲気がガラッと変わった感じはしてるんだ」


「そうなんだ……。やっぱり何か思うことでもあるのかな……」


「俺が変に首を突っ込んでさらに気を落とさせたら、それはそれで嫌なんだが……。少し気になりはしてる」


「うーん……。忠一くんにその覚悟があるなら、聞いてもいいんじゃない?」


「俺と鈴歩は友達だ。相談相手くらいにはなれるよ。……それじゃ、俺もまた会いに来るよ」


「うん、二人とも気を付けてね」


 香織は二人に手を振って見送った。


 忠一は少し口角を上げ、笑顔を見せて鈴歩を追いかけた。




                   *




 それから三カ月後。


 忠一は高校から付き合っていた女性、美春みはるとの結婚式を挙げ、鈴歩と香織を含めた関係者一同は盛大に忠一の結婚を祝った。


 そんな結婚式が終わった翌日、忠一の携帯に一本の電話が入る。


「もしもし、どうしたよ鈴歩。こんな時間に」


『ごめんね、忠一君。ちょっと話があってさ』


「話?」


 鈴歩は、電話越しながら少し息を詰めらせて言った。




『忠一君さ、私と一緒に京都旅行してくれない?』




「…………は?」


『あ、ごめんね! 変な意味じゃないんだ。別に美春さんから忠一君を奪おうとか、そういうことは思ってなくて……』


「いや、そういう心配はしてないんだが……。なんで急にそんな誘いをしてくるんだ?」


『……心配はしてないんだ』


「え、何か言ったか?」


『ううん、なんでもない』


 鈴歩ははぐらかした。


『この前の修学旅行、引率者ながらすごく楽しかったんだー。だから、忠一君と最後に思い出作りしたいなって』


「思い出作り……? しかも、()()()ってどういう意味だよ」


『内緒。今それを言ったら、誘った意味なくなっちゃうから』


「……? 変な奴だな……。まあ、美春には旧友と旅行に行くって言えば納得するだろうから、そこは大丈夫だと思うぜ」


『そっか。わかった。じゃあ詳細は追って連絡するね。それじゃ、おやすみ』


「おう、おやすみ」


 そう言って、鈴歩は電話を切った。


「なんなんだ急に……。旅行くらいいつでも付き合うのに……。『最後に』って……。あー、なるほど、俺が結婚しちゃったからもう女友達とは旅行できないから、って意味か」


 忠一は別の意味で納得をしていた。


「ま、あいつにはお世話になったしな。旅行くらい付き合ってやるか」


 そう言って忠一は美春に京都旅行へ行くことを告げるが、結婚式を挙げた翌日に友達とはいえど異性と旅行をすることに腹を立ててしまい、しばらく聞く耳を持ってくれなくなった。


 忠一は少々後悔しつつも、しかしこれを許可してくれた美春に感謝をして旅行に臨んだ。




                   *




「ここ! 私が来たかったのはここだよ!」


「なんだよ……。修学旅行でも来ただろ、清水寺」


 それから一か月後、鈴歩と忠一は修学旅行以来の京都を堪能していた。


 鈴歩はとても楽しそうな顔をして忠一に言う。


「私ここ大好きなんだけど、あの時は引率者として来たわけでしょ? 落ち着いて観光なんかしてられなくて……」


「まあ、その気持ちはわかるけどさ……」


 忠一は鈴歩の好きなものをしっかり見たい、堪能したいという気持ちを理解していた。


「やっぱり観光に集中できるのはいいよね。ここからの景色大好きなんだよ」


「俺も、この景色はいつ見ても飽きないわ」


 二人の会話は、ここで少し途切れる。


 冬も本格的になりそうな冷たい風が木々を揺らす音を奏でていた。


 鈴歩はその風がやむのを待ってから言った。




「私ね、忠一君のことが好きだったんだ」




「……え?」


 忠一は目を見開いた。


 友達だと思っていた鈴歩からの突然の告白に耳を疑った。


「え、っと、それってどれくらい本気?」


 忠一は小学生のような質問をする。


 それに対し、鈴歩は体を張って答える。


 地面に手を置き、


「ここから………………」


 そのまま背伸びをし、自分が出し切れる最大の高さまで手を上げ、


「このくらい! 本気! です!」


 自分の気持ちの本気度を忠一に伝えた。


 その様子に、忠一は思わず笑ってしまう。


「ふふっ、はははっ。なんだそれ。小学生じゃあるまいし」


「た、忠一君だって同じようなこと聞いてきたじゃん」


 鈴歩は少し照れながら忠一に言った。


 忠一はひとしきり笑った後、鈴歩の気持ちを再度確認する。


「……本当に、俺のことが好きなんだな」


「…………うん。大学に入ってから、ずっと好きだったよ」


「なんで告白しなかったんだ?」


「えー、それ聞いちゃう……? 忠一君って思っていた以上にデリカシーないよね」


「幻滅したか?」


 忠一は鈴歩のからかいに動じずに言う。


「幻滅は……、するわけないじゃん。ずっと片思いだったんだから。何を言われても、私は忠一君のことが好きだよ」


「……そうか」


 忠一は下を見ながら言った。


「……悪かったな。俺に好きな人がいたことも、結婚する予定だったことも、……子供がいたことも黙ってて」


「いいんだよ。忠一君は悪く思わないで。これは全部、私のせいだから」


「鈴歩……」


 鈴歩はそう言いながら少しだけ涙を流していた。


「……一応聞くね。忠一君にこの気持ちをもっと早く伝えてたら、私の未来は変わってたのかな」


 その言葉に、忠一は迷いなく答える。




「少なくとも、俺の結婚相手の選択肢には入ってたとは思うぞ」




「………………そっか」


 鈴歩は逆に、その忠一の対応のされ方に傷ついてしまった。


 自分が早くに気持ちを伝えていれば、忠一と付き合う未来があったかもしれない。


 もっと早く伝えていれば、忠一と結婚する未来があったかもしれない。


 もっと早くに出会えていれば、こんな気持ちにならずに済んだかもしれない。


 そんな後悔という名の針が、鈴歩の心に何本も突き刺さっていた。


「…………ごめん、鈴歩」


「謝らないでってば。忠一君は悪くないって言ってるじゃん」


「鈴歩、確認したいことがある」


「何?」


 鈴歩は忠一の隣に座って問う。


「この旅行を誘ってくれた時の電話で、『最後の思い出作り』って言ってたよな。あれ、どういう意味だ?」


「……忠一君なら察してくれると思ったんだけどな。本人から言わせるなんて、ちょっと幻滅しちゃうな」


「あ、悪い……」


「ごめんね、冗談だよ」


 鈴歩は再び立ち上がり、忠一に向かい合って言う。




「私はずっと忠一君のことが好きだった。でももうこの思いが叶うことはない。だからこの思いと別れを告げるために、最後に忠一君と思い出作りをしたかったんだよ」




「……俺への気持ちはきっぱり忘れるって決めたのか」


「簡単に言えばそういうことだね。もう叶うことがないこの気持ちを、ずっと引きずってても仕方ないからさ。けじめをつけて、ここでお別れしようと思ってたんだ」


 鈴歩は笑っていた。そこに涙はなく、自分の気持ちにけじめをつけ、未来につなごうとする意志が感じ取れた。


「……だから、ごめんね。私はもう忠一君と一緒にはいれない。美春さんにも悪いし」


「そ、そんなことないだろ! 友達としていつものように遊べばいいじゃんか!」


「そんな簡単なことじゃないんだよ!!」


「………………っ!」


 思わず叫ぶ鈴歩に、忠一は驚く。


 鈴歩は、我慢していた感情があふれ出してしまう。


「今の私には後悔しかないの。だからその気持ちを踏みにじることは、言わないで。私の覚悟を踏みにじることは、……言わないで…………」


 鈴歩は泣きながら、自分の本心を忠一に伝えた。


「……すまん」


 忠一は一言鈴歩に謝罪し、そっと鈴歩を抱き寄せた。


「えっ!? ちょ、忠一君!? これはまずいんじゃ!?」


「思い出作り、したいんだろ? あまり度が過ぎたら止めるけど、ちゃんと楽しい旅行にしようぜ」


 忠一は、笑顔で鈴歩にそう言った。


「……さ、そろそろ行くか。ホテルに戻って明日の予定でも立てようぜ」


「そうだね。明日の行く場所、結局決めてなかったもんね。ホテルに戻ろっか」


 そう言って、二人は清水寺を後にし、ホテルへと向かった。


 …………そこで事件は起きた。


 ホテルへ向かう途中の道で赤信号に捕まり、鈴歩と忠一は信号が変わるのを待っていた。


「車通り多いねぇ。さすがは観光名所が近いだけあるね」


「そうだなぁ。バスも多く走ってるし、ここら一帯の観光による収益はでかいだろうな」


「うわ、出た、忠一君の夢もかけらもない言葉。少しもはぐらさずに言うよねそういうこと」


「それが俺だからな」


 忠一はなぜかどや顔をしていた。


 そんな中、車道を横切る猫が鈴歩の視界に入った。


「あ、猫ちゃん」


「……本当だ、黒猫。……え、このままだとあの猫やばいんじゃ――」


「あ、猫ちゃん危ない!!!!!!」


 それは一瞬の出来事であった。


 忠一の声を遮って、鈴歩は無意識のうちに車道に飛び出していた。


 同時に鳴り響く、とても鈍い音と、甲高いブレーキ音。


 黒猫は道路を渡り切って、向かい側の歩道を歩いていた。


 忠一は目の前で起きていることが理解できないでいた。


 ほんの、実にほんの一瞬の出来事である。




 鈴歩は、車に轢かれて車道に横たわっていた。




「………………鈴歩…………?」


 咄嗟の出来事に、動くことができない忠一。


 自分が息切れを起こしそうになっていることに気づいたのか、それを振り払って我に返り、忠一は鈴歩の元へ駆け寄った。


「おい! 大丈夫か!? 鈴歩!」


 忠一は鈴歩の体にこれ以上害を加えないよう、優しく触れながらも、大声で鈴歩に向かって叫んでいた。


「きゅ、救急車! 誰か救急車呼んでくれ!」


 忠一は咄嗟に、周りにいた人々に向かって叫ぶ。


「おい運転手! お前は警察に連絡だ! 早くしろ!」


「は、はい! わかりました!」


 事を起こした運転手も忠一の声に我に返り、警察へ通報した。


 忠一は運転手以外行動をしてくれないことに腹を立て、自ら救急車の要請連絡をした。


 その数時間後、




 鏑木鈴歩かぶらぎすずほは、搬送先の病院にて、静かに息を引き取った。

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