第40話 『自分』を打ち明ける
緑ヶ丘学園生徒会書記、綾瀬凛の兄、綾瀬信彦と会話をした翌日の放課後。
緑ヶ丘学園生徒会長補佐、鈴村徹は暗い顔をしながら生徒会室で事務作業をしていた。
鈴村からは負のオーラが漂っており、その様子はパッと見ただけで「話しかけるな」という気持ちが伝わるほどのものであった。
その様子を見ていた緑ヶ丘学園生徒会長、飯田勝翔は鈴村に聞こえないボリュームの声で綾瀬に話しかける。
「……なあ、綾瀬。鈴村のやつ、今日ここに来てからずっとあんな感じなんだが……、何か知ってるか?」
「え、えーっと、今はそっとしておいてあげてください」
「そ、そうか。何か協力できることがあればしてやりたいと思ったんだけどな……」
綾瀬は昨晩の出来事を飯田を含めた生徒会メンバー全員に話し、相談をしようかと考えていたが、それは結果的に鈴村のためにはならないと考え、鈴村のことは気にするな、とだけ伝えて事務作業を続けた。
飯田は何かを察し協力したそうな表情をしたが、綾瀬の回答を聞いてそれをやめた。
今、鈴村が抱えている問題は鈴村本人が考えるべき問題である。
鈴村は綾瀬と緑ヶ丘学園生徒会会計、琴原みどりの二人と付き合う決断をしたが、結果的に鈴村は綾瀬のみと付き合うことを選択した。
しかしそこで、綾瀬は琴原が鈴村と恋人とするようなことを綾瀬本人が一緒にいる場合にのみしても良いと許可をした。
一見これは琴原の気持ちを汲み取った綾瀬からの友情からくる提案であったが、それは同時に琴原に慈悲を与えていることになり、琴原の気持ちを弄んでいることに過ぎなかった。
そして、それはその提案を聞いてもなお、琴原のことを思って断らなかった鈴村にも責任があった。
綾瀬信彦は、この鈴村の浅はかな考えに怒りを覚え、三日後に鈴村の気持ちに再度整理をつけ、答えを出すように要求した。
答えを出せなかった場合の代償として突き付けられた条件は、綾瀬と別れること。
鈴村はこのことがあってから今に至るまで、必要以上の会話を他人としていない。
それは生徒会メンバーに対しても例外ではなかった。
「…………『甘え』……か……」
だが、時々ぽつりと、鈴村は言葉小さく発する。
その声は小さすぎて周りに聞こえないほどのものであった。
綾瀬は鈴村が抱えている問題を知っているため、たまに呟く鈴村の小さな言葉一つ一つが背中に重くのしかかっていた。
それが生徒会の事務作業をしている最中の独り言であっても、鈴村が抱えている問題であっても、鈴村の発する言葉に重みを感じていた。
(…………鈴村君、あれからずっとあんな感じ……。やっぱり、お兄ちゃんとのあの会話が相当効いたんだろうなぁ……)
綾瀬は鈴村が大きな責任を感じていることを理解していた。
それと同時に、これが自分が蒔いた種だということも理解していた。
(私はなんで、みどり先輩にあんなことを言っちゃったんだろう……。私があんなこと言わなければ、鈴村君はこんな苦しい気持ちにはならなかったのに……)
綾瀬はあの日、琴原のことを考えてあの提案をした。
しかし、今となってはそれを後悔していた。
(……こんな暗い鈴村君は見たくない)
そう考えた綾瀬は、事務作業が途中ながらも鈴村に声をかけた。
「鈴村君、ちょっと二人きりで話したいことがあるんだけど、屋上まで一緒に来てくれる?」
「……………………」
「鈴村君? 聞いてる?」
「…………あ、うん。ごめん、考え事してた。どうした?」
鈴村は二度目の綾瀬からの言葉にようやく応じた。
「………………。二人きりで話したいから、屋上に来て」
綾瀬はその様子に胸が苦しくなりながらも、再度言いたいことを伝えた。
「ああ、いいよ」
鈴村はそう言って静かに立ち上がり、綾瀬と共に生徒会室を出た。
とても恋人同士とは思えないほどの暗い空気で会話をする二人を見て、飯田は困惑し始める。
「あいつら大丈夫か……? ようやく正式に恋人になれたっていうのに……」
その言葉に、緑ヶ丘学園生徒会副会長、宮田詩織が返す。
「どう見ても様子がおかしいわよね。あの二人。特に鈴村君は、完全に周りからの声をシャットアウトしているように見えるわ。何かあったのかしら」
「何かあったのか綾瀬にも聞いたんだが……。それらしい答えは教えてくれなくてな……。『そっとしておいて』としか言われなかったんだよ」
「……まさかとは思うけど、このタイミングで関係がうまくいってない、なんてないわよね」
(凛ちゃんと……、鈴村君がうまくいってない……?)
琴原はその言葉に少し反応をした。
琴原は鈴村と綾瀬信彦の会話を知らない。もちろん、綾瀬が同じことで悩んでいることも知らない。
だからこそ、飯田の抱く違和感には同感であったし、なぜうまくいっていないように見えるかが疑問であった。
(鈴村君たち、何かあったんでしょうか……。もしかして、付き合って早々にマンネリ化した……とか?)
鈴村が綾瀬のみと付き合い始めたのは後夜祭の日からである。
それから約一か月の期間が経っているわけだが、大体のカップルは付き合い始めて一か月から二か月経つと一緒にいることに『慣れ』を感じ、新鮮味を感じなくなりマンネリ化する。
事によっては、そこから「勇気を出して告白をした相手が実はつまらない人間だった」という事実が発覚し、別れる例も少なくはない。
(……もしかして、鈴村君たち別れ話をするつもりじゃ……!?)
例に漏れず琴原はその結論に至った。
(こ、これはまずいです! 早速助け船を出しに行かないと……!)
と、勢いよく立ち上がった琴原であったが、ここで綾瀬が飯田に言ったことを思い出した。
(そっか、今はそっとしておいたほうがいいんでしたっけ。これは二人の問題ですもんね。私が入る余地はないです)
そう考えなおし、琴原はそのまま着席して作業を進めた。
「……琴原、どうした? 急に立ち上がって」
「え!? あ、いや、なんでもないです。ちょっと思い出したことがあったんですけど、よくよく考えたら急を要することじゃなかったので、大丈夫です」
「そ、そうか。ならいいんだけどさ」
勢いよく立ち上がった琴原に少し驚いたのか、飯田は心配の声をかけた。
「……やっぱり、琴原も鈴村たちのことが気になるか」
一度は食い下がった飯田であったが、やはり鈴村のことが気になってしまい、再度琴原に声をかける。
琴原は少し間を空けて言う。
「……気にならないと言ったら嘘になりますね。仲睦まじいあの二人が急にあんな暗い雰囲気になって、ましてや二人きりで話そうなんて……。気にならないわけがないです」
「やっぱりそうだよなぁ……。俺としては蒼碧祭での恩も返したいし、ここで協力してやりたいところなんだが……」
飯田が頭を抱えている横で、宮田が言う。
「綾瀬さんが『そっとしておいて』って言うんですもの。余計な詮索はしないほうがいいと思うわ」
「それはそうなんだけどさぁ……」
飯田は協力してあげたい気持ちがありながらも、それをするとかえって二人に悪影響を及ぼすのではないかと考え、行動することができなかった。
「みどり、もしかして鈴村君たちが別れ話をするって思ってない?」
「え、なんでわかったんですか?」
「顔に書いてあるわ」
「……私ってそんなにわかりやすいですか?」
琴原は少し悲しそうな顔をして宮田に言った。
宮田はそれを否定する。
「そうじゃないわよ。あれだけ仲の良かった二人が急にああなって、今は屋上で二人きりで話してるのよ。その内容は大体予想がつくわ」
「で、でも、本当に別れ話ならそれこそ一大事じゃ……」
「そうだぞ詩織。もし鈴村と綾瀬が別れたらそれこそ生徒会崩壊の危機だ」
「……飯田君がなんでそんな考えになるのかはさておいて」
「え、さておかれるの、俺」
飯田は少し泣いていた。
「別れ話になるのであれば、それは綾瀬さんと鈴村君の二人の問題よ。私が付け入る隙はどこにもないわ」
「そ、それはそうなんですけど……」
宮田はそう答える琴原の顔を見て言う。
「じゃあ、みどりがその別れ話の間に入って問題解決ができるの? 飯田君も、この問題に割り込んで平和に解決ができる自信があるのかしら?」
「平和に解決させるために協力はできると思うぞ」
飯田が答える。
「何度も言うわ。これは二人の問題よ。私たちが割って入ったところで、結論を出すのはあの二人なの。確かに、私たちの意見を聞いて考えを改める可能性もなくはないわ。でも、結局は二人の問題。私たちの意見に惑わされるくらいなら、それは『本当の恋愛』とは言えないわよ」
「……確かに、詩織の言う通りですね」
琴原は宮田の言葉に納得した。
「飯田君もわかってくれるかしら。私たちが相談に乗ったところで、二人のためにはならないのよ。気持ちはすごくわかるわ。でも、今はそれを抑えましょう」
「……それもそうだな。この話に俺らは介入しないことにしよう」
そう言って、飯田達は作業を再開した。
しかしながら、鈴村と綾瀬の抱える問題は琴原に直接関係するものである。
琴原はそれを知らない。
この残酷さが、後に起こる事件を引き起こす。
*
「屋上なんて入れたんだな。知らなかった」
「基本は鍵かかって入れないんだけどねー。職員室に行けば鍵貸してくれるんだよ」
綾瀬は手に持つ屋上の扉の鍵を見せながら鈴村に言う。
「……で、二人きりで話って何?」
鈴村は未だ暗い顔をして綾瀬に言う。
「今日今に至るまでずっと暗いのって、やっぱりお兄ちゃんとのあの会話のせい?」
「…………俺そんなに暗い感じしてたか?」
「そりゃもう真っ暗だよ。負のオーラまき散らしてたよ。『俺に一切話しかけてくんな』オーラが直接伝わってくるくらいだったよ」
「ごめん、別にそういうつもりじゃないんだ」
鈴村はそう言いながら綾瀬に謝罪をする。
「……でもまあ、綾瀬の言う通りかな。あの話を綾瀬のお兄さんからされてから、俺はどうすればいいかわからないんだ」
「やっぱり、みどり先輩のことに責任を感じてるんだね」
鈴村は小さく頷いた。
「琴原先輩にだけじゃない。綾瀬に対しても俺は責任を感じてる」
「……私にも?」
「そもそも、この話は俺の身勝手な行動で引き起こしたことだ。二人を悲しませたくない、苦しませたくないというわがままが発端で、後夜祭のあの日に結果的に琴原先輩を傷つけることになった」
「……そうだね」
「そして、綾瀬が琴原先輩に提案したあのことを俺が拒否しなかったことで、さらに琴原先輩が傷つくことになる。今の俺には後悔しかないんだよ」
「……そっか」
綾瀬は鈴村に背を向け、フェンスに向かって歩き出す。
「……鈴村君のその気持ちってさ。どこからくるものなの?」
「…………え?」
鈴村は綾瀬に聞き返した。
「鈴村君は後夜祭のとき、みどり先輩じゃなく私を選んでくれたんだよね。それはなんで?」
「…………それは、俺の中で綾瀬に対する気持ちのほうが強かったからだ」
「そんな気持ちがありながら、なんで今後悔してるの?」
鈴村は綾瀬の横に立ち、外を見ながら言う。
「俺さ、今までの人生、綾瀬一筋で生きてきたんだ」
「え、何急に」
少し驚く綾瀬を無視し、鈴村は続ける。
「小学生の時に綾瀬と会って、中学に入ってからもずっと綾瀬のことを思い続けて、高校に入学してもなお綾瀬のことを思い続けた。そして俺は、そのまま何もせず綾瀬と同じ大学を受験したんだよ」
「…………え? ちょ、何の話?」
綾瀬は突拍子もない話をされて、理解が追い付かないでいた。
「それで、俺は無事に大学に合格して、その年の夏休みに入るまでに綾瀬と付き合うことになった」
「ねえ待って鈴村君。何の話をしてるの?」
綾瀬は未だ戸惑っていたが、それに構わず鈴村は話を続けた。
「それで、付き合って初めてのデートで、俺は綾瀬にフられたんだよ」
「…………え?」
綾瀬は自分の中で時が止まる感覚がした。
鈴村の話始めた内容がまるで現実味を帯びておらず、理解が追い付いていなかったからである。
そして、さらにそこに覆いかぶさるように伝えられる、綾瀬にとっては初めて知る未来。
鈴村は綾瀬の顔を見て言う。
「……もう打ち明けてもいい頃合いだと思ってさ。俺の秘密を」
「鈴村君の、秘密?」
そう言って、鈴村は綾瀬を向かい合い、顔をしっかりと見て言った。
「俺、未来からタイムスリップしてきたんだ。大学一年の年から、この高校一年の年に」
「…………は?」
綾瀬は耳を疑った。
SFなどでよく聞く「タイムスリップ」。記憶や意識だけはそのままに、未来の時代から過去の時代まで時間を遡ること。
鈴村はそんな現実味のない言葉をさらっと口にした。
「やっぱり信じないよね。俺も信じられないんだよ。綾瀬にフられた大学一年のあの日、俺はショックで意識を失ったんだ。そして気づいたら、高校一年の夏休みが始まって間もない日にタイムスリップしてた」
「そ、それって、具体的にいつ?」
「俺が私服のまま生徒会室に行ったあの日だよ」
「……今年の夏休みが始まってから、三日目のあの日……?」
「ああ、そうだよ」
鈴村はそのタイムスリップをしたその日に『人生の選択肢』と出会い、『人生の選択肢』の選択肢に従って行動をした。
「俺はそれまで陰キャで根暗で、友達も咲良しかいないはぐれ者だったんだ。ただ、綾瀬への気持ちはずっと捨てきれなくて、頑張って同じ大学に入ることができ、無事に綾瀬と交際することができた」
「で、でもそれは今もできてるよね?」
「ああ、状況は今と変わらない。たぶん、今の綾瀬なら俺のことをフるなんてことはしないと思う」
「………………」
鈴村は綾瀬が黙り込んでしまっている様子を見て、さらに続ける。
「俺はタイムスリップしてからフられた原因がなんでかを考えたんだ。その結果が、『綾瀬との接点の少なさ』なんだ」
「私との、接点の少なさ?」
「綾瀬にフられたとき、『幼馴染と言ってもあまりわからないことが多い』って言われた。これは単に、俺が綾瀬に対する思いを抱いたままでいただけで、それ以外に何もしていなかったのが原因だ」
「……それで、接点を掴むためにあの日、一年A組の教室に来たの?」
「ああ、そうだよ。そこから生徒会に入る話が出たのは正直びっくりしたけど、綾瀬との接点がさらに作れるなら俺は悦んで入るつもりだった」
「……そうだったんだね」
綾瀬は、今目の前にいる鈴村が必要以上に自分に接点を持とうとしていたことに少し違和感はあった。
中学に入って以来、一緒に遊ぶことが少なくなったという事実があったからこそ、高校に入って最初の夏休みのあの日に、突然鈴村が現れたことに疑問を感じていた。
「もともとそういう恋愛なんてものをしたことがなかったから、俺は必死だったんだろうな。……そんなことをしていたら、俺に好意を持ってくれる人が現れた」
「……みどり先輩だね」
鈴村は頷きながら言う。
「俺は正直めちゃくちゃ嬉しかったんだ。こんな俺のことを好きになってくれる人がいるんだって。それでたぶん浮ついてたんだろうね。納涼祭二日目に綾瀬と琴原先輩の二人を選んだ時、俺はこれが最善策だと思ってその選択をした」
「それが、私たちを悲しませない、苦しませない選択だって信じてたから?」
「そうだよ。でも……、それは本当は違ったんだ。この選択は、俺の人生経験の少なさ、浅はかな判断力から生まれたことだ」
鈴村は悪びれる表情をしながら綾瀬に言う。
「今俺が抱いている『後悔』は、そんな浮ついた気持ちがあったからこそ間違った選択をしてしまったことに対する後悔。全ては、俺の責任にあるんだ。……ごめん」
そう言いながら、鈴村は綾瀬に深く頭を下げる。
「そっか、後悔ってそういう意味なんだ……」
綾瀬は再び外を見て言う。
「そのタイムスリップっていうのが未だに信じられないんだけど、鈴村君も苦労して今までの日々を過ごしてきたんだね。……私から離れたくない、ずっと一緒にいてほしいって思ってくれたから、そこまで必死になってくれたんでしょ?」
「……ああ、そうだよ。…………でも、そろそろこの気持ちにも白黒つけないといけない時が来たんだ。綾瀬のお兄さんの言う『甘え』が、さらに人を傷つけることになるから」
「………………だから、みどり先輩に気持ちを伝えるんだね」
「……ああ」
鈴村はそう言いながら、タイムスリップしてから今に至るまでに琴原とあった出来事を思い出していた。
納涼祭二日目の花火の時に告白をしてくれたときのこと。
熱海旅行で混浴をしたときのこと。
蒼碧祭で生徒会メンバー総出で作戦を実行したときのこと。
親睦会でお化け屋敷に入ったときのこと。
タイムスリップし、『人生の選択肢』で自分の人生を分岐させなければ、この経験はしてこなかったであろう。
「鈴村君は、みどり先輩がどんなことを考えていても、その現実を受け入れるんだね?」
「……もうここで迷ってる場合じゃないんだ。俺はこれ以上俺の身勝手なわがままで人を傷つけたくない。そのためにも、はっきり言うしかないんだよ」
「……そっか」
綾瀬はその鈴村の言葉を聞くと、屋上へ出るための扉のほうに向かって声をかけた。
「だ、そうですよ。みどり先輩」
「……え?」
綾瀬のその言葉に、一人でに屋上の扉が開く。
そこには、琴原みどりが立っていた。
「こ、琴原先輩!? なんでここに!?」
突然現れた琴原に鈴村は驚く。
「ま、まさか今の話、全部聞いてました?」
「え、えへへー。そのまさかです。全部聞いてました」
琴原は頭に手を当て、少し誤魔化すような笑顔を見せながら鈴村に言った。
「そうだったんですか……。鈴村君、タイムスリップしてきたんですね」
「……はい。今まで黙っててすみません」
「いやいや、そんなことで謝らないでください。むしろそんなことができる人が身近にいるなんてびっくりですよ」
琴原は自分の感情を表に出ないように必死に堪えながら鈴村と会話をした。
「ま、柳副会長の『未来予知』を散々見た後に聞くと、そんなことができる人がいても不思議じゃなくなりますけどね」
「それはまあ、確かにそうなんですけど」
タイムスリップは一見空想の世界にしか存在しないようなキーワードであったが、柳の『未来予知』があるおかげでそれは信じるに値するものになっていた。
「鈴村君。一つ気になることがあります」
「なんですか?」
琴原は指を一本立てて鈴村に問う。
「タイムスリップする前の鈴村君の人生の中に、厳密は高校生活の中に私はいましたか?」
「いた、というのは?」
「あー、人間として存在していたかというわけじゃなくて、生徒会メンバーとして知り合って、鈴村君のことが好きになって、凛ちゃんと一緒に付き合うことになった私がいたか、という質問です」
「……その質問で言うと、答えはノーです。タイムスリップする前の俺の高校生活の中に、琴原先輩は出てきてないです」
「なるほど……。ということはタイムスリップというものは、未来を変えることもできるし、過去を変えたことでさらにその身近な未来も変えることができるんですね。ふむふむ、これはいいネタができました」
「あのぉ、何の話をしてます?」
「あ、お気になさらず。私趣味で小説書いてるんですけど、そのネタ探しをしてるんですよ。それ、使わせてもらいますね」
「ま、まあそれはいいんですけど……」
鈴村は琴原のその一見普通そうな様子を見て違和感を覚えた。
「……琴原先輩、もしかして我慢してます?」
「え!? な、何がですか?」
「…………話全部聞いてたんですよね。今の琴原先輩、おかしいですよ。何かを誤魔化すような仕草をしてて、どこか我慢してるように見えます」
「き、気のせいじゃないですかね」
「気のせいじゃないです」
「…………っ」
琴原は鈴村の言葉に言い返すことができなかった。
鈴村はその琴原の悲しそうな表情を見ながらも、はっきりと琴原に向かって言った。
「琴原先輩。俺のことを好きでいてくれてありがとうございました。……でもやっぱり、俺は綾瀬を選びます。俺へのその気持ちは、きっぱり諦めてくれませんか?」
「………………」
琴原は黙り込んでしまった。
そして、そのまま俯き、しゃがみ込む。
鈴村の横で、綾瀬は少し泣きそうな顔をして琴原を見ていた。
「やっぱり、覚悟はしてきたんですけど、直接言われるのって辛いですね」
琴原は、自分のとても悲しい気持ちを誤魔化すように鈴村に笑顔を見せていた。
しかし、それとは裏腹に、琴原の目からは涙が零れていた。
「……すみません」
鈴村はその表情を見て心が苦しくなり、真面目な声で琴原に謝罪をする。
「謝らないでください。元よりこの気持ちは初めから適わなかった気持ちです。納涼祭の時は少し期待してましたが、後夜祭のあの日に少し諦めはついてました」
「そう、だったんですね……」
鈴村はその琴原の表情を直視することができなかった。
琴原はそんな中でも、鈴村に対し話を続ける。
「鈴村君。鈴村君はとても優しい人です。凛ちゃんへの気持ちを抱いておきながら、私を傷つけまいと努力をし、私のことも選んでくれた。本当に嬉しかったです」
「優しい、ですか」
「はい、鈴村君はとても優しいです。……だからこそ、今私はとても悲しいです。苦しいです。大きな声で泣き叫びたいくらいの気持ちでいます。たぶん、タイムスリップする前の鈴村君も、こんな気持ちだったんじゃないですか?」
「…………あっ」
ここで、鈴村は琴原の抱くその感情が鈴村がタイムスリップする前に抱いていた感情と近しいものであると感じた。
どう頑張っても自分の気持ちは相手に伝わらない。
どれだけ努力して気持ちを伝えたとしても、その気持ちの大きさは相手の中で成長することはない。
鈴村も琴原と同じことを考えていた。
鈴村はそれを理解した途端、涙が溢れ出ていた。
「でも、直接言われたことでこれで諦めがつきました。私はこの話を聞くまでは、本当は鈴村君を凛ちゃんからどうやって奪おうかって考えてたんですよ」
「なっ、みどり先輩そんなこと考えてたんですか!?」
琴原の突然の告白に綾瀬は驚いていた。
琴原は「ふふっ」と笑いながら言う。
「はい。後夜祭の後にもチャンスを色々貰っていたので、どこかしらで鈴村君にアタックしようかと考えてました。……でも、それがもう無意味であるとわかりました。なので、もうそんなことは考えないです。安心してください」
「……それで言うなら、私も、ごめんなさい」
「……? なんで凛ちゃんが謝るんですか?」
綾瀬は深々と琴原に頭を下げていた。
「鈴村君は私を選んでくれた。なのに、言ってしまえば『浮気』みたいなことを、私はみどり先輩に許可しちゃいました。これはみどり先輩のことを弄んでいたに変わりはないです。本当に、ごめんなさい」
綾瀬は頭を下げたまま琴原に言う。
「……正直なところ、なんでそんなこと言うんだろうって思ってました。しかも、年下からの慈悲です。私は悔しかったんです」
「……ごめんなさい」
「でもですね、凛ちゃん。私はそれも嬉しかったんですよ」
「…………え?」
綾瀬は頭を上げ、琴原に視線を向けた。
「私は好きな人ができてもその気持ちを言えないでいました。怖かったからです。でも、鈴村君や凛ちゃんと出会い、いろんなことを経験して自分自身の性格が変わっていくのも実感しました。普段の私なら、混浴なんて絶対にしませんよ」
琴原はそのまま続ける。
「鈴村君も凛ちゃんも、とても優しい人です。本当にありがとうございます。お二人の気持ちは十分に伝わりました。私は今日を持って、鈴村君のことを諦めるとここに宣言します。…………今まで、ありがとうございました」
そう言って、琴原は走り去ってしまった。
「ちょ、琴原先輩! 待って……!」
「鈴村君、ダメだよ」
「な、なんで止めるんだよ綾瀬!」
そのまま走り去って行ってしまった琴原を追いかけようとする鈴村だったが、綾瀬はそれを止めた。
「みどり先輩の気持ちを踏みにじるようなことはしちゃダメだよ。みどり先輩をこれ以上苦しめたいの?」
「……そんなわけ……」
「そう思ってるなら、尚の事行っちゃダメだよ。みどり先輩はちゃんと覚悟を決めて鈴村君の気持ちを受け止めたんだから。ここで余計なことしちゃったら、覚悟がブレちゃうでしょ」
「…………それもそうだな」
鈴村はそう言って、琴原を追いかけようとするのをやめた。
「……これで、お兄ちゃんの言っていたことは遂行できたね。鈴村君、後悔はない?」
「…………ああ。俺のこの選択に、後悔はない」
「そっか。ならいいんだけどさ」
綾瀬はそう言って、屋上から校内に戻ろうとする。
「さ、戻ろうよ。生徒会室に。まだ仕事残ってるしさ」
「…………そうだな」
鈴村はそう言って、綾瀬の後を追いかけた。
「………………それでよかったんだよ、鈴村徹君」
その姿を、鈴歩は後ろから見ながらぽつりと呟いた。
*
「お、おかえり、鈴村、綾瀬。遅かったな」
「すみません、飯田会長。残ってる仕事片付けますね」
「ああ、悪いな。頼んだわ」
鈴村はそう言って、残っていた生徒会の作業を片付け始めた。
「……そういえば、琴原先輩はどうしたんですか?」
「あー、琴原はな……」
「もう帰ったわよ」
宮田が鈴村に答える。
「……そうですか」
「みどり、すごく泣いてたわ。私も飯田君も、鈴村君たちを追いかけるのを止めたのだけどね。あの子全く言うこと聞かなくって」
「そうだったんですか……」
「女の子を泣かせた罰よ。みどりの仕事は鈴村君がやってから帰って頂戴」
「…………すみません、色々とご迷惑をおかけして」
「謝るならみどりに謝ってほしいものね」
「おいおい、そんな酷い言い方しなくてもいいだろ……」
鈴村に冷たい態度を取る宮田を飯田は宥めていた。
「それで言うなら、私もその罰を受けます」
「え、綾瀬まで? なんで?」
飯田は綾瀬の行動が理解できなかった。
宮田は呆れた顔をして飯田に言う。
「だから言ってるじゃない。これは二人の問題だって。……別れ話ではなかったみたいだけど、みどりが泣いてたことで大体察しはついたわ」
「別れ話って、何の話ですか?」
鈴村は宮田に問う。
「気にしないで。私たちの勘違いだっただけだから。早く仕事片付けないと、帰るの夜の九時になるわよ」
「…………すみません」
鈴村は宮田に謝りながら仕事を進めていた。
それから数時間が過ぎ、飯田、宮田はそれぞれが受け持つ仕事が終わり、生徒会室を後にした。
宮田は帰り際、鈴村に「あまり思いつめないことね。自分の選択した人生なんだから、しっかりと責任を持ちなさい」とだけ伝えていた。
鈴村はその言葉が胸に刺さりながらも、今の自分にピッタリな言葉だと認識し、「ありがとうございます」とだけ返して二人を見送った。
それから一時間。
ようやく鈴村と綾瀬は生徒会の仕事を終えた。
「じゃあ、帰るか、綾瀬」
「うん、帰ろ」
そう言って、鈴村たちは帰宅しようとした。
そこで、綾瀬に一本の電話が入る。
その相手は、綾瀬の兄、綾瀬信彦であった。
「もしもし? どうしたのお兄ちゃん。…………えっ!? 明日答えを聞きに来る!?」
「え?」
その綾瀬の言葉に、鈴村は思わず反応する。
「…………うん、……うん。わかった。じゃあ明日の放課後、鈴村君をうちに呼ぶね。……うん、じゃあね」
そう言って、綾瀬は電話を切った。
「……ということで、明日、お兄ちゃんが来るそうです」
「ああ、聞いてた」
「……大丈夫?」
「何が?」
「いや、その、一応みどり先輩とはさっき話をつけられたからよかったけどさ。その、お兄ちゃんと話すの、怖くないのかなって」
「怖い、ねぇ……」
鈴村は少し考えた。
一分考えて、鈴村は口を開く。
「……まあ、怖いかな。琴原先輩との話はついたけど、綾瀬のお兄さんがそれを聞いて素直に納得してくれるとは、あまり思ってない」
「……私も」
鈴村と綾瀬の抱く不安は同じであった。
しかし、鈴村はそれに臆することはなかった。
「でも大丈夫。俺も決心がついてる。ちゃんと綾瀬のお兄さんと話をしよう」
「……そっか」
綾瀬は鈴村の覚悟の決まったような表情を見て少し安心していた。
その翌日の放課後。
ついに、鈴村が綾瀬信彦に思いを伝えるときが来たのだった。




