第21話 綾瀬は知りたい
「えー、では、これから緑ヶ丘学園と青海学園の合同文化祭『蒼碧祭』についての会議を始めます」
二学期が始まって二週間が経過し、蒼碧祭の内容は幾度かの会議を経て順調に準備が進んでいた。
緑ヶ丘学園高等部の生徒会室にて、飯田勝翔、宮田詩織、琴原みどり、綾瀬凛、鈴村徹と、青海学園高等部生徒会書記の木下咲良と学園長、水嶋宗一郎は会議をしていた。
「あれ、木下さん、今日は生徒会長さんたちいらっしゃらないんですね」
綾瀬は青海学園の生徒会長、副会長が同席するものと思っていたが、今日が不在なことに疑問を抱いた。
「あー、すみません。そのことなんですけど、もうすでに何度か蒼碧祭の会議したじゃないですか。うちの生徒会メンバーも学園長も、徹が最初に提案した三日間のスケジュールをだいぶ気に入ったみたいなんですよね」
「あ、そうなんですね」
水嶋は木下に続けて話した。
「あとはどのクラスが合同で何をやるか、二日目のスタンプラリーの場所はどうするか、三日目の出し物はどうするかを決めるだけになったわけだが、それもこの二週間の間に行われた会議でほぼ決定。特に新たに決めることもないだろうし、準備に取り掛かったほうが良いと考え、私が来なくていいと言ったんだ」
「……それなら私たちもいらなかったんじゃ」
綾瀬はぽつりと呟いた。
「もちろん、今日の会議はただの認識合わせだ。間を空けて認識齟齬が生まれたら元も子もないのでね。代表者だけ出席してくれればいい」
綾瀬の言葉に水嶋は答えた。
「では、今回の会議は俺と詩織だけが出席することにします。本当はうちの理事長も同席してほしかったのですが、今日に限って別の外せない用事があり来れないとのことで……」
「ああ、それなら問題ないよ、飯田生徒会長。そのことなら忠一からも聞いている。今日は特に外せない用事らしいから、そちらを優先させたんだ」
「お心遣い、感謝します」
そう言って、飯田と宮田は同時に頭を下げた。
「じゃあ、そういうことだから、綾瀬、琴原、鈴村は蒼碧祭の準備してきていいぞ」
「ほ、本当にいいんですか?」
「いいのよ。理事長がいない以上、ここに同席するのは会長と副会長、つまり飯田君と私で十分だわ。三人とも忙しいんだし、時間があるときに準備を手伝ったほうがいいわよ」
飯田と宮田はそう言いながら鈴村たちを見送ろうとする。
「飯田会長たちがそういうのなら、お言葉に甘えて今日は失礼しますね。ほら、鈴村君、みどり先輩、行きましょう」
「は、はい。飯田会長、後はよろしくお願いします」
「おう、琴原は宮田の代わりになれるよう頑張って準備しろよ」
「わかりました」
「あとは……、本当は鈴村にもいてほしかったんだが……」
「え、それなら残りますけど……」
鈴村は飯田の言葉にその場に残ろうとしたが、飯田はそれを拒んだ。
「蒼碧祭の発案者は鈴村だ。だけど、自分のクラスのことも大事にしたほうがいい。今日はクラスの手伝いに行ってやれ」
「ありがとうございます、飯田会長。それじゃ、行ってきます」
鈴村はそう言って、飯田と宮田にお礼をしながら生徒会室を後にした。
「さて、では改めて認識合わせに入りましょうか」
飯田がそう言って会議を始めようとする中、木下はこの場から立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。
(……その理屈が通るなら、私もここにいなくてよくない……?)
冷静に考えれば、緑ヶ丘学園側は生徒会長と副会長が同席。対して青海学園側は、学園長と生徒会書記が同席している。
立場上、学園長が同席しているのであれば木下がいる意味はないのでは、と考えていた。
(私だって自分のクラスの出し物の手伝いしたいし……。何より、綾瀬さんと琴原先輩が徹と一緒に解放されてしまったのが一番危ない……!)
木下の気にすることはクラスの出し物の手伝いに行きたいことではなく、鈴村が綾瀬、琴原と共にこの空間から解放されてしまったことのほうが大きかった。
「おや、どうした木下君。何か考え事かね」
「えっ!? いや、なんでもないです!」
「そうか。では会議に集中してくれ」
「はい……」
水嶋に注意されてしまった木下だが、やはり木下は鈴村たちのことが気になって仕方なかった。
(琴原先輩は学年が違うから心配することはないだろうけど……、問題は綾瀬さん……! いくら私のクラスと合同で出し物をすることになったと言っても、やっぱり二人の時間を作るのはダメな気がする!)
この瞬間だけは、自分の学園長の判断にとても背きたい木下であった。
しかし、どこか真面目な木下はそれができないでいた。
(……早く終わらないかなぁ……)
飯田、水嶋が会議をする中、木下は上の空であった。
そんな様子を宮田はしっかりと見ていた。
「……あの、一つよろしいでしょうか」
「ん? どうした詩織、何か提案でもあるのか?」
宮田は突然、手を挙げて発言をした。
「水嶋学園長。木下さんもここに同席する必要があるのでしょうか」
「それはどういう意味かね? 宮田副会長」
宮田は水嶋に対し、反抗的にも見える態度を取った。
「この場は、蒼碧祭開催に際して認識齟齬がないように設けられたと、先ほど水嶋学園長は仰られました」
「ああ、確かに言ったな」
「そして、『代表者がいればいい』とも仰いましたよね?」
「……ふむ。既に青海学園を代表する学園長の私がいるから、木下君は同席する理由がないと」
「はい、仰る通りです。こちら側は理事長が不在のため私と飯田君が出席していますが、そちら側は青海学園学園長が出席されている。この時点で代表者が集められていることになるので、木下さんも自分のクラスの手伝いに向かわれたほうが良いかと思われます」
「……宮田副会長」
宮田は木下の考えを察したのか、水嶋に直談判をし始めた。
水嶋は少し考えたが、「確かに……」と言って答えた。
「確かに宮田副会長の言う通りだ。既に私が代表者としてこの場にいる以上、木下君がここにいる理由もない。木下君、君も青海学園に戻って、出し物の手伝いをして良いぞ」
「い、いいんですか?」
「もちろんだとも。無理を言って同席させて申し訳ない」
「い、いえ、そんなことは! すみません、ありがとうございます!」
木下はそう言いながら深く礼をした。
木下はその流れで宮田と視線を合わせて、無言ながらも感謝の礼をした。
宮田はそれに対し笑顔で応えた。
「では、私は失礼します」
「うむ。では飯田会長、宮田副会長。改めて会議を進めようか」
『はい、お願いします』
蒼碧祭の会議が進む中、木下も生徒会室を後にした。
*
(うーん、あの重苦しい場所から抜け出せたのはいいんだけど……。鈴歩さんのこと、どうやって聞こうかなぁ)
生徒会室から解放された綾瀬、鈴村は自分のクラスの蒼碧祭での出し物の準備の手伝いをしていた。
「にしても、うちのクラスと咲良のクラスが合同で出し物やることになったのはいいけど、『メイド・執事喫茶』なんてベタだよな」
鈴村は少し不満げに言った。
「何言ってるの鈴村君。そういうベタなものでも人気はあるんだよ。それに、『完全に方向性が被っている出し物は禁止』っていう謎ルールのおかげで、こういう喫茶店の出し物は争奪戦だったんだから。鈴村君も知ってるでしょ?」
「ああ……。あの日は地獄のような会議だったな……」
「あの四日前の『どのクラスが何の出し物をするか』をそれぞれのクラスのクラス委員長たちで会議した日。皆揃いも揃って『喫茶店』って言うからキリがなかったよね」
「だな……。結局いろんな喫茶店の案が出た結果、理事長が痺れを切らして『メイド・執事喫茶』と『コスプレ喫茶』しか許可しないって言いだして、さらに争奪戦になったよな」
「なりましたねぇ……。うちのクラスは見事その争奪戦を勝ち取ることができたわけだけど、あのルール撤廃してくれないかなぁ……」
綾瀬はとても嫌な顔をしながら言った。
「そもそも、『メイド・執事喫茶』も『コスプレ喫茶』もほぼ被ってるようなもんじゃんね」
綾瀬は頬を膨らませる。
「まあまあ……。理事長もあれでちゃんと全員の意見を考えて選んだんでしょ。むしろそこまでしないとあの場の収拾はつかないって思ったんだよ」
「結局、私たちのクラスは『メイド・執事喫茶』を出す権利を獲得して、『コスプレ喫茶』は……、みどり先輩のクラスになったんだよね」
「争奪戦に負けたクラスは不満を理事長に言いまくってたけどな。まあ、それに負けないくらいのことをそれぞれのクラスで考えるだろうし、とりあえず大丈夫でしょ」
「ほんとに大丈夫かなぁ……。逆恨みとかされない?」
「どんだけ人気なんだよ喫茶店……」
でもまあ、文化祭の定番と言えばそうだよな、と思う鈴村であった。
「ま、最後の出し物に関する会議で結局理事長が『やっぱ少しくらい被ってもいいわ』とか言い出したから、全員の怒りが頂点に達して取っ組み合いになりそうだったのは面白かったわ」
「鈴村君、それは勝ち組側にいるからそう思えるだけで、勝ち取れなかったほうからすれば怒り爆発しても当然のことだからね?」
呆れながら綾瀬は言った。
「まあ、結果的にそれぞれのクラスがやりたいことできるようになったわけだし、いいんじゃないか?」
「それならそれで先に言ってほしかったけどね……」
綾瀬は実の父を蔑むような目で言った。
「それにしてもメイドと執事、ねぇ。それをやることになって皆報告した時は喜んでくれたけど、実際やる側になるって考えると恥ずかしくないんだろうか」
「どういうこと?」
綾瀬は鈴村の発言に素朴な疑問を抱いた。
「いや、曲がりなりにもやるのはメイドと執事だよ? 今まで自分が演じたことのない、それこそキャラが百八十度変わるようなことをするんだよ? それを平気でできるのかなって」
「はぁ……、これだから陰キャは……」
「な、なんだよその言い方」
綾瀬は頭を抱えながら鈴村に言う。
「普段できないようなことを自由にできるのが文化祭。誰だって羽目外したいでしょ。普通だったら絶対にできないことができるチャンスなんだし、皆そんなこと考えてないと思うよ?」
「……あぁ、そうね。確かに陰キャの考えだわ、俺」
タイムスリップしながらも、そこの考えは未だに成長しない鈴村であった。
「皆その普段やれないものをやれる日を今か今かと心待ちにしてるんだよ。そんな人たちの思いを踏みにじるようなことは、生徒会の役員なら尚の事言っちゃダメだと私は思うな」
「……ごめん」
「あ、謝らせたいわけじゃなくてね! ただまあ、文化祭は皆が羽を伸ばして自由に交流できる場だから、そういうのなんてまず気にはしないんだよ。そういう経験をして、新しい交流が生まれて、一つの思い出を作っていく。それでいいんじゃない?」
「……綾瀬の言う通りだ。人生一度きりしかない。チャンスがあるならしっかり楽しまないとな」
鈴村のその言葉に、綾瀬は笑顔になった。
「そう! その意気だよ鈴村君! やっと陰キャから卒業できるね!」
「……あと少し気になってたけど、彼女に陰キャって言われるの結構キツいからやめてほしい」
「あ、それはごめん」
素で謝る綾瀬であった。
と、そんな綾瀬であったが、やはり綾瀬は「鈴歩」のことがどうしても気になっていた。
(うっかり鈴村君と世間話みたいなことしちゃったけど、もしかして、今って鈴歩さんのことを聞く絶好のチャンスなんじゃ……?)
綾瀬は作業をしながら考えていた。
(でも、やっぱり前みたいにはぐらかされるだろうしなぁ……。どうしよう……)
綾瀬は鈴村が鈴歩について教えてくれる方法を必死で考えた。
(……あ、そうだ。回りくどく鈴歩さんを連想させることを話題にして、そこから自然と鈴歩さんのことを聞き出せばいいんじゃないかな……)
考えに考えた綾瀬の作戦は、「鈴歩に関する質問をしていき、やがてその答えに辿り着かせよう」というものであった。
俗にいう『尋問』である。
(よし、それじゃ早速鈴歩さんを連想させることを……。……連想させることって、……なんだっけ?)
綾瀬にとって抱いている鈴歩のイメージは、あくまで鈴村の母にそっくりな女性というイメージしかない。しかし、それに関して質問をして、そこで終わってしまっては綾瀬の作戦が台無しになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。
綾瀬は一つ目の質問を鈴村に投げかけた。
「す、鈴村君ってさ、お母さんいるよね」
「何言ってんだよ、当たり前だろ。お前もミドリモールで見たんだろ?」
「そ、そうだよね! いるよね!」
「何が聞きたいんだよお前……」
少し困惑する鈴村であった。
「鈴村君のお母さんってさ、姉妹とかいる?」
「姉妹? ……あー、そういや母さんには妹がいるって聞いたことあるなぁ。俺も何度かは会ったことあるんだけど、もう何年も会ってないから今どこに住んでるかもわからないわ」
「そ、そうなんだ。鈴村君のお母さんには、妹さんがいるんだね」
鈴村にとっては何ら普通の質問であったが、綾瀬にとってはヒントを得る大きな質問になった。
(鈴村君のお母さんには妹がいる! ということは、それが鈴歩さんの可能性が高いかもしれない!)
綾瀬は次の質問を投げかける。
「じゃ、じゃあさ、鈴村君のお母さんの妹さんってどんな人だったか覚えてる?」
「どんな人だったか? さっきも言ったけど、何年も会ってないから直近の印象は伝えられないぞ?」
「それでもいいの! 小さい時の記憶でもいいから、妹さんのことを教えて!」
「な、なんでそんな食い気味なんだよ、綾瀬」
思いがけない綾瀬の食いつきっぷりに、思わず手が止まる鈴村であった。
「うーん、そうだなぁ……。小さい頃の記憶に頼ることになるけど、容姿は母さんとそっくりで、双子のように見られておかしくないかなぁ」
「な、なるほど……?」
綾瀬の中の鈴歩のイメージが、だんだんと鈴村の母の妹のイメージと合致していった。
鈴村は続ける。
「年齢はそんなに離れてなくて、双子のようにそっくりで、……あ、でもここだけ違うところがある」
「ど、どこ?」
「性格」
「せ、性格?」
「そう。うちの母さん、家族のことになるとめちゃくちゃ張り切る性格があってさ。ほら、この前のミドリモールの時も、姉ちゃんの内定祝いを買うのにめちゃくちゃ張り切ってたって話したでしょ」
「あ、あー、確かにしてたね」
「それに引き換え母さんの妹はなんというか、うーん、生真面目な性格、っていうのかな。琴原先輩から引っ込み思案を抜き取って、真面目さだけを突っ込んだ感じ」
「……あー、そうなのね」
綾瀬の中の鈴歩のイメージはこれまでの会話の中で、鈴村の母にそっくりな性格の鈴村の母の妹となっていた。しかし、その鈴村の母と性格が真逆という情報は、そのイメージを丸ごと覆す情報となってしまった。
これにより、綾瀬の抱いていた鈴歩のイメージが完全に崩れ去った。
(ということは、鈴歩さんは鈴村君の身内の人ではない、ってことになるね……。完全に私の中の鈴歩さんのイメージがなくなっちゃった……。どうするかな……)
「ところで、なんでうちの家庭事情をそんな食い気味で聞き始めたんだよ」
「えっ!? えーっと、な、なんでかなー」
「……? 綾瀬、頭大丈夫か? 保健室行くか?」
「……大丈夫です」
余計なお世話をされてしまった綾瀬であった。
片や鈴村は、この綾瀬の行動に戸惑っていた。
(……なんでこのタイミングで俺の身内のことを聞き出そうとしてるんだ? しかも母さんの関すること……? なんで?)
そこで鈴村は、一つの結論に辿り着いた。
(……もしかして、綾瀬はいずれ俺たち家族と顔合わせをするから、どんな人か予め知っておきたかった、ってことか!?)
鈴村は勘違いをした。
(であれば、俺も綾瀬の身内のことを……、って、綾瀬のお父さんは理事長だし、綾瀬のお母さんには小さい頃しょっちゅう遊んでもらってたし、別に今確認することでもないじゃん)
と、鈴村はそこまで考えて冷静になった。
「……あ。そうだ」
鈴村はふと思い出した。
「? 何、鈴村君」
「そういえば、母さんと同じ性格で、しかも容姿もそっくりな人が一人いたわ」
「えっ!? 誰!?」
「だからなんで食い気味なんだよ……」
事あるたびに顔を近づかせる綾瀬の行動に、鈴村は少し照れていた。
「前に実家に置いてあったアルバムを見たんだけど、めちゃくちゃ母さんにそっくりな人の写真があったんだ。その写ってる人のことを母さんに聞いたら、性格まで母さんそっくりだったって言ってた」
「で!? それって誰!?」
「……なんでそんなに食いついてくるのか分からないけど、答えるからとりあえず離れてくれないか。……近いし、皆見てる」
「あ、ごめん」
その様子を見ていた周りのクラスメイトはニヤニヤしていた。
「その人なんだけどさ」
「う、うん」
鈴村は言った。
「その人、俺の婆ちゃんなんだよね」
「……鈴村君の、お婆ちゃん?」
「そう。でも、俺がまだ五歳くらいの時に亡くなっちゃったんだ。それまでいっぱい遊んでくれてたから、葬式の日にめちゃくちゃ泣いたのを覚えてる」
「……そうなんだ」
鈴村は悲しい顔をした。
「まだ幼い記憶だったから忘れてたんだと思うけど、思えば確かに母さんみたいにめっちゃ元気いっぱいで活発で、家族思いの人だったな」
「……そのお婆ちゃんの名前、覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ。……確か……。あれ、何だっけ」
「…………えぇ……、それだけ溜めて出た答えが、それ?」
綾瀬は拍子抜けした。
「ごめん、名前は覚えてるんだけど、本当に合ってるか不安になった」
「何それ、変なの」
綾瀬は鈴村の言葉に笑った。
「ねえ、もしかしてだけどさ」
綾瀬は鈴村に聞く。
「そのお婆ちゃんの名前、『鈴歩』さんじゃない?」
綾瀬は、鈴村が時折口にしている「鈴歩」という女性が、鈴村の祖母ではないかという仮説を立てた。
もし、幻覚として鈴村の前に現れ、鈴村に選択肢を与えているのであれば、祖母ならそれができてもおかしくはない。少し非現実的な話ではあるが、祖母の助言を聞いていると捉えても不思議ではなかった。
「いや、それは違うかな。そんな名前じゃなかった」
「え? あ……、そうなんだ」
しかし、鈴村はその問いを否定した。
「婆ちゃんの名前はそんな名前じゃなかったはずだよ。帰ったら母さんに聞いてみるわ」
「う、うん。わかったら私にも教えてね」
「……なんでそんなに気になるの?」
「い、いいでしょ別に! さ、さあ! 作業再開!」
「なんかお前、いつになく変だぞ? やっぱ保健室行くか?」
「いいから手を動かす!」
「痛い! なんで殴るんだよ!」
綾瀬は鈴村をグーで殴った。
(そっか、鈴村君のお婆ちゃんでもなければ、鈴村君のお母さんの妹さんでもない。……じゃあ本当に、『鈴歩』って誰なんだろう)
綾瀬の疑問は残る一方であった。
(そのうちわかるのかなぁ)
そう考えながら、綾瀬は作業を進めた。
*
「凛ちゃん、鈴村君と二人で作業なんてずるいです……」
一方琴原は、生徒会室での会議から席を外すように言われ教室に戻ったはいいものの、その状況に少し悩んでいた。
「確かに、蒼碧祭の準備は重要ですが……。鈴村君と離れ離れになってしまうのであれば、いっそあの場で会議してたほうがよかったんじゃないですかね」
琴原は不満げに言った。
「こ、こうしてるうちにも、鈴村君と凛ちゃんが二人きりで作業してたらどうしましょう……!」
そして琴原は、いらぬ心配をしていた。
「で、でも? 今回の蒼碧祭は二つの学園が合同で行うものですし? この準備期間だってお互いの生徒が交流してますし? そんな白昼堂々イチャイチャするわけ? ないと思いますけどね?」
なぜか琴原は根拠のない自信のある考えをしていた。
「あ、いたいた! おーい、みどりぃー!」
「あ、杏里ちゃん!」
ぶつぶつと呟きながら作業をする琴原の前に、長谷川杏里が姿を現す。
「いやー、まさか緑ヶ丘学園とうちの青海学園で合同文化祭やるなんてねー! その知らせを聞いた時はびっくりしたよ。しかもうちのクラスと合同でやるのがまさかのみどりと同じクラス! まさに運命だね!」
「ふふっ、私も杏里ちゃんと一緒に文化祭できて嬉しいです」
長谷川は中学の一件で琴原と和解したが、その後の進路希望調査により琴原は緑ヶ丘学園へ、長谷川は青海学園へ進学することがお互いに判明したため、進学してからは休みの日くらいしかまともに一緒の時間を過ごせるタイミングがなかった。
だからこそ、この蒼碧祭は二人にとってはとても嬉しい試みであった。
「進学する学校が違ったから一時は焦ったけど、なんだかんだ会えてるから問題なしでしょ。それでいてこの蒼碧祭! うちの生徒会もいいこと考えるなぁ」
「でもまさか、その出し物が『コスプレ喫茶』とは……」
「どうしたのみどり。まさか、今になって恥ずかしくなった?」
「い、いや、そんなことはないです!」
琴原は顔を赤くして言った。
「……あー、わかった。自分がコスプレしてる姿を鈴村に見られるの想像して恥ずかしくなってるんでしょ」
「ち、違います! そんなんじゃありません!」
「その反応は肯定してるようにしか思えないなぁ」
長谷川はニヤニヤしながら琴原をからかった。
「しかしまあ、このクラスは美女に恵まれてるよねー。みどりもそうだけど、宮田副会長も同じクラスなんでしょ? クールビューティーなあの人がどんなコスプレをするのか、私わくわくが止まらないわ」
「……あの、杏里ちゃん。変な想像だけはしないであげてね? たぶん詩織にめっちゃ怒られると思うから」
長谷川は好奇心で頭がいっぱいだったが、琴原はその好奇心で宮田に痛い目に遭う様子が容易に想像できていた。
「……で? 結局のところどうするの?」
「え? どうするって、何がですか?」
長谷川はその琴原の回答に呆れていた。
「いい、みどり。どんな形であれ、自分の好きな人に意外な一面を見せるっていうのはとても大きいアピールになるんだよ。ギャップ萌えってやつだよ」
「ぎゃ、ぎゃっぷもえ……」
「聞きなれてないのがバレバレだよ……。……で、そのギャップ萌えを利用して鈴村の心を掴むんだよ」
「ぎゃ、ギャップ萌えを利用して、鈴村君の心を掴む……!」
「そう! ずばり! 鈴村はなんのコスプレが好きなのさ!」
「鈴村君が好きなコスプレ……?」
琴原はその長谷川の質問に少し間を空けて答えた。
「……わかんないですね」
「いやわからないんかい!」
長谷川はビシィッと琴原にツッコミを入れた。
「なんかこう、鈴村の好きなものとかないの? 好きな服装とかさ!」
「うーん、そういえばそういう好み聞いたことないですね……」
「……みどり、今までいくらでもチャンスはあったのに、なんでそういうのは聞かないんだよ……」
しかし、その問いに琴原は答えられないでいた。
(……だって、コスプレも何も、私もうすでに鈴村君に裸見られてるもん……! なんなら鈴村君の裸も見てるもん……!)
コスプレよりはるか先の話であった。
今の琴原に、コスプレでどうこうするという考えは持ち合わせていなかった。
(……いや、待ってください。もし、もしですよ。もし鈴村君が未だに私と凛ちゃんに優劣をつけているのであれば、これはコスプレを利用してアピールするチャンスなのでは……!?)
結果、琴原は意図せず長谷川の求めていた答えに辿り着いた。
「……私、鈴村君にもっと意識してもらうために頑張ります! 杏里ちゃん、協力してくれますか?」
「もちろん! みどりのためだ、なんだってするさ!」
二人はそう言って、手を強く握りしめた。
こうして琴原の、『鈴村をコスプレで悩殺しよう作戦』が決行された。
「じゃあ早速、鈴村が好きな衣装を聞いてこよう!」
「え!? 今から!?」
「当たり前でしょ! 善は急げ! もう期間も短いんだし、早めに聞かないと間に合わなくなるよ!」
「え、ちょっと待ってください杏里ちゃん!」
そう言って、長谷川は教室を飛び出した。琴原は慌てて長谷川を追いかけようとしたが、教室を出た瞬間に男子生徒とぶつかってしまった。
「いったた……。ご、ごめんなさい! 急いでたもので……!」
「い、いや、大丈夫ですよ。そちらこそ大丈夫ですか……って、琴原先輩?」
「あれ、……、鈴村君……?」
そこには、綾瀬と共に校舎を歩いていた鈴村がいた。
「……ナーイスタイミーング♪」
長谷川はその様子を見てニヤリと笑った。




