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鈴村くんは間違えない  作者: シア
第2章 『蒼碧祭』

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20/21

第20話 私じゃダメ?

「お、お邪魔しまーす……」


 夏休みが明け、始業式を終えた日の夕方。


 鈴村徹すずむらとおるは中学の同級生である木下咲良きのしたさくらの実家に来ていた。


「どうぞどうぞ、上がってってー! 久しぶりだね、徹がうちに来るの!」


「あ、ああ、中学以来だな」


 そう言いながら、鈴村はいそいそと木下の家に上がった。


「そうそう、昔はしょっちゅうお互いの家でゲームして遊んだり、一緒に漫画読んだりしたよね。今日はそんなあの頃を思い出してもらうために来てもらいました!」


「……その割には随分と用意周到だな」


 よくよく家の中を見渡すと、家の中の至る所が完璧に掃除され、余計な物も一つとして落ちておらず、さらに、『TO O RU』の刺繍が入ったスリッパまで用意されていた。


 まるで、誰か大事な人が来ることがわかっており、そのために念入りに準備されているように見えた。


「そ、そんなことないよ、うんうん、気のせい。さ、ほら、私の部屋に行こっ」


「お、おう……」


 鈴村は木下に背中を押されながら階段を上る。


「あら、徹君じゃない! 久しぶりねー!」


「あ、咲良のお母さん。お邪魔してます」


「ゆっくりしてってねー! あ、ごはん用意してあるからねー! 用事が済んだら下りてきてね!」


「えっ!? いや、俺は家で飯食うんでお構いなく!」


「遠慮しなくていいのよ! じゃあ咲良! あとは頑張ってね!」


 そう言って、木下の母はウィンクをした。


「……お前、まさかはかったな」


「な、何の事かなー」


 木下は棒読みで答えた。


 そう、これは木下咲良による、家族ぐるみの『鈴村徹ゲット大作戦』であった。


 木下の母は木下が中学時代、片思いしていた鈴村に中学卒業の二日前に失恋したことを知っている。そして、今でも鈴村に対する思いが消えてないことも知っていた。


 夏休みが終わる数日前、どの学校に進学したかわからなかった木下は、偶然家に帰る鈴村を発見。制服から、鈴村が通う学校が緑ヶ丘学園だと断定した。


 そして木下は夏休み明け、青海おうみ学園の学園長を引き連れて緑ヶ丘学園と青海学園の合同文化祭「蒼碧祭そうへきさい」の開催を提案。この真の目的は、再び鈴村と接触をし、木下に意識をさせることで鈴村を勝ち取ろうという作戦であった。


 さらに、鈴村が緑ヶ丘学園に通っていることを知った木下は、知ったその日にそのことを木下の母に打ち明ける。


 木下の母は木下を心底応援していたため、合同文化祭の提案をした帰りに家に寄ってもらうように木下に要求。木下はその要求を快く引き受け、見事鈴村を家に寄らせることに成功。


 これにより、家族ぐるみの『鈴村徹ゲット大作戦』が開始されるのであった。


(お母さんありがとう! 私、頑張るね!)


(応援してるよ、咲良!)


 アイコンタクトを取りながら木下親子はそんな会話をしていた。


「あ、あの、咲良のお母さん! 俺のことは気にしなくていいんで! ほんとにすぐ帰るんで!」


 鈴村は木下の部屋に入る前に木下の母に向かって叫ぶ。


「あら、いいのよ! せっかく久しぶりに来てくれたんだし、今日はご馳走するわ! ……あ、そうだわ。徹君の好きなかつ丼にしましょうか。ちょっとお母さん買い物行ってくるから、咲良、留守番よろしくねー!」


「はーい!」


「え、だからいいって……」


「ほらほら、遠慮しなーい。はい、私の部屋で待っててね。お茶持ってくるから!」


「え、ちょ、だからぁ!」


 こうして、半ば強引に鈴村は木下の部屋に入れられた。


 木下はそのまま一階へ降り、買い物へ出かける木下の母に話しかけた。


「助かったよお母さん、ありがとう! 家に連れてくるまでは良かったけど、その先あんま考えてなくて……」


「いいのよ、咲良。それよりも、徹君と久しぶりに会えてよかったじゃない。どうだった? 今の徹君は」


 木下は両手を頬に当てて、顔を赤らめながら言った。


「やっぱり徹かっこいいよ。なんかこう、この短い間だけど一気に男らしくなったっていうかさ! あの頃と変わってないところもあるけど、成長した部分もあるように見えたかな」


「そりゃ育ち盛りですもの。体格とかいろいろと男らしくなってても不思議じゃないわ。今夜のことは任せなさい。私は、咲良と徹君に何かあっても何も聞いてないことにするからね!」


「あ、あのねお母さん、改めてそういうこと言われると、へ、変に意識しちゃって恥ずかしいっていうか……」


 木下はよからぬ想像をし、頭が悶々としていた。


「ほら、そういうところだよ咲良! あんたのそういうところが、あの結末を招いたんじゃないの? あんた自分で言ってたじゃないの。『自分は変わるんだ』って。それを今日証明してみせなさい!」


 そう言って、木下の母は木下の背中を力強く叩いた。


「い、一応聞くけどね、お母さん。その……、そういうことして、大丈夫なの?」


「LINEで聞いた時はびっくりしたけど、徹君彼女さんいるんでしょ? しかも二人も! モテモテよねぇ。でも! 咲良も負けてちゃダメ! まずは自分を押して、推してもらうのよ! だからそういうことしても大丈夫!」


「お母さんがいいなら、いいけど……」


 木下はもじもじしながら言った。


「あ、でもちゃんとゴムはつけてね」


「それくらいわかってるよ!」


 木下は叫んだ。


「ごめんごめん。じゃ、私買い物行ってくるから。久しぶりの二人きりの時間、楽しんでね」


「……うん、ありがとう」


 そう言って、木下の母は家を出た。


「……よし、行きますか」


 パチンッ、と自分の頬と叩き、木下は自室へ戻った。




                  *




「も、戻りましたぁ」


 木下は少し照れながら自室へ戻った。


「おう、おかえり。咲良のお母さんと随分長いこと話してたけど、何話してたんだ?」


「え!? いや、なんでもない、なんでもない。気にしないで!」


「? まあ、咲良がそう言うならいいけど」


 木下は先ほど話していた会話が聞かれていなかったようで一安心した。


 と同時に、木下の母に言われたことが脳裏を過った。


(……お母さん、簡単に大丈夫って言ってたけど、肝心の私が全く大丈夫じゃないんだよ……! 私だってそういうことしたいけど恥ずかしいの!)


 未だ悶々とする木下であった。


 そんなことがあったとは露知らず、鈴村は木下の部屋にあったゲームで遊んでいた。


「咲良、お前まだこのゲーム持ってたんだな」


「ああ、これねー。昔よくこれで遊んでたよね。徹めちゃくちゃうまかったから、私のキャラの残機減る一方で足引っ張ってたよね」


「久しぶりにやろうよ。お前もあれから成長しただろ?」


 その言葉に、木下はピクッと反応した。


(……そうだ、私も成長したところを徹に見せないと。ゲームでも、恋愛面でも!)


 そうして、木下と鈴村のゲーム対決が始まった。


 その数十分後。


「ダメ……、徹うますぎ……、全然勝てない……」


「へっへーん。やっぱり咲良は俺には及ばないな。俺に一本も取れないとは」


 結果、木下の惨敗であった。


 自分が変わったと自負する木下であるが、しかし自分の趣味であるゲームを怠ったことはなかった。それこそ、一番好きなゲームは日々特訓をするように遊んでいた。


 だがしかし、結果は木下の惨敗に終わる。木下はここで鈴村のゲームの才能を改めて認識した。


「これでも私、青海学園の受験勉強とかしながらこのゲームもしっかりやって、徹に差をつけようと頑張ってたんだけどなぁ……。徹はまたさらに上に行っちゃったんだね……」


「俺をナメちゃダメだぞ咲良。頂点に上ったからと言って、それで満足する奴がどこにいる。俺はそのさらに先を目指しただけさ」


 鈴村は鼻を高くしながら言った。


「よし、徹。次はあのレースゲームやろう。ちょっと待ってて、探すから」


 その言葉が刺さったのか、木下はゲームが入っている棚を漁り始めた。


 しかし、そのゲームが入っている棚は床にほど近い場所にあるため、木下の体勢は四つん這いに近い体勢になっていた。


 ふと、鈴村の視線に入ったもの。それは先ほど汗で透けて見えていた木下の下着であった。


「…………黒」


「え? あ、ちょっ! み、見たでしょ!」


 鈴村のその言葉に、木下は慌ててスカートと手で下着を隠す。


「み、見せたの間違いだろ! そんな体勢になるほうが悪い! 不可抗力だ!」


「私はゲーム探してただけだもん! 徹のエッチ!」


「ご、ごめんって」


 鈴村は木下に謝罪した。


 木下はその謝罪をしっかりと聞いていたが、鈴村が顔を赤らめながら謝罪をしていることに気づいた。


(あれ……!? やっぱりそういう反応するんだ……! 彼女いるのに!)


 木下にとってその反応は少し驚くものであった。


(……これはチャンスでは……?)


 そうして木下は、木下の母の言葉の『押して推してもらう』を思い出し、鈴村に言った。




「と、徹になら、もっと見せてあげても、……いいよ?」




「えっ!?」


 その大胆な発言に鈴村は思わず驚いてしまう。


「じょ、冗談はやめろよ咲良! そういうのはちゃんとした関係の人にするべきだぞ!」


 木下はその鈴村の言葉に過剰に反応した。


「……ちゃんとした関係……? ってことは、綾瀬さんや琴原先輩とはもうそういうことした、ってことでいいのかな?」


「えっ? い、いや、そういうことでは……」


 鈴村のこの発言は嘘である。鈴村は既に綾瀬、琴原の二人と熱海旅行で風呂を共にしている。既にお互いに裸を見ている関係になっているのである。


 だが、そのことはあまりにも恥ずかしくて言えない鈴村であった。


 しかしながら、この反応を見た木下は考えた。


(二人と付き合ってながら、お互いにそういうことをしたことがない……? もしかして手をつないだり、キスもしたことない……ってこと!?)


 そんなことはなかった。鈴村はしっかり綾瀬、琴原とキスをしている。


 木下は勘違いをしていた。


(ということは、私が今しちゃえば、徹の初めてを奪えるってことじゃん……!)


 木下のその思いは既についえていた。しかし、その事実を知らない木下はさらに行動に出た。


「まだ綾瀬さんや琴原先輩としたことがないなら、ちゃんとした関係がどうのって話は気にしなくていいよね。ほら、徹が見たかったら、見てもいいんだよ?」


 そう言いながら、木下はスカートをたくし上げた。


「や、やめろ咲良! それ以上は、見える!」


「だから、見ていいんだってば!」


 木下はそう言って、鈴村の手を掴んで引き寄せた。


「おわっ、ちょ、咲良!?」




 勢いよく引き寄せてしまったため、鈴村は木下に覆いかぶさるような体勢になってしまった。




 しばらく続く無言の時間。二人はお互いの顔を見つめ合った。


 その顔はとても赤く、恥ずかしさを感じるものであった。


(近い……、顔が近い! と、とにかくここを早く退かないと……!)


 鈴村は急いでその場から動こうとするが、木下は鈴村の体を掴んでそれを止めた。


「さ、咲良……?」


 木下は顔を真っ赤にし、鈴村から目をそらしながら言った。




「ほ、ほんとに徹は、綾瀬さんと琴原先輩のことが好きなの? ……私じゃ、ダメ?」




 そう言いながら、木下は鈴村の手を自分の左胸に置かせた。


「ちょ、咲良!? 何やってんだ!?」


 鈴村の手には柔らかい感触が伝わってきていた。それと同時に、とても強く打つ心臓の鼓動が感じられた。


「私がドキドキしてるの、わかる? 今ね、めっちゃドキドキしてるんだよ。恥ずかしいし、嬉しいからかな。心臓の鼓動がさ、治まりきらないの」


「さ、咲良……」


「徹にお願い。このドキドキを、治してほしいの。徹にしかできないことだよ」


 そう言って、木下は目を瞑った。


 鈴村の頭の中は混乱していた。綾瀬、琴原の顔が頭に浮かぶ中、目の前で起きている現実が受け入れられないでいた。


(俺はどうすればいいんだ……? 咲良は、この状況からして恐らく本気なんだろうけど……、これを受け入れたら、俺は元に戻れない気がする……!)


 そんな思いが葛藤する中、一瞬女性の声が聞こえた。




「自分が選びたい未来に進めばいいんだよ」




 鈴歩の声だった。


「…………徹?」


 恐る恐る木下は目を開く。そこには、涙を流す鈴村の顔があった。


「え、どうしたの!? 何か私悪いことした!?」


「あ、いや、ごめん……。あれ、なんで俺泣いてるんだろう……」


「と、とりあえず、私退くね……」


 そう言って、木下は鈴村の下から移動した。


「……徹、その、ごめんね、急にあんなことして」


「いや、いいんだ」


 鈴村は未だに涙を流していた。しかし、その涙を流した理由が鈴村本人もわからないでいた。


(なんだこの涙……。悲しいことなんかないのに、なんでこんなに涙が溢れてくるんだ……?)


 その様子に、木下はとても心配そうな顔をして見せた。


(……ああ、そうか。わかった)


 その瞬間、鈴村は涙を流した理由を理解した。




(俺は咲良に好かれている。あの時、一瞬でも咲良の行動を許してしまおうとした自分がいた。でも、それは綾瀬を裏切る行為だってことを、わかってなかったんだ)




 そして、自分が抱いている思いにも区別がつき始めた。


(……そっか、こういうときでさえ、俺はやっぱり綾瀬を選んでるんだな。琴原先輩のことが二の次に出てくるってことは、やっぱりそういうことなんだ)


 鈴村は鈴歩が言ったことを今になって理解した。


 鈴村が綾瀬、琴原に対してどう思っているのか。本当に二人を対等に見ているのか。鈴歩はそれを鈴村に考えてほしかった。


 そして、鈴村はその答えを導き出した。


「そういうことだよ、徹君。やっとわかったようだね」


「…………ああ」


 耳元で鈴歩の囁く声が聞こえた。


 その声に、鈴村は小さく返事をした。


「……ねえ、徹」


「なんだよ」


「やっぱり、綾瀬さんと琴原先輩の事、好きなの?」


「……好きだよ。二人とも」


「……そっか」


 鈴村は嘘をついた。


 これは、鈴村なりの気遣いである。


「やっぱり、私の出る幕はないのかなぁ」


 木下は天井を見上げながら言った。


 鈴村はそれを見て、少し恥ずかしそうに言った。




「でも、さっきのは正直、ドキドキした。自分がどうすればいいか、わからなかった」




「え、それって……」


「き、気が動転して、変な気を起こしそうになったってことだよ。……言わせんな」


 鈴村は顔を赤くして言った。


 木下はその言葉に、顔が明るくなった。


「よし! じゃあ今すぐ続きしよう! すぐしよう! 大丈夫! 私は準備OKだから! お母さんも許可してるから!」


 そう言いながら木下は鈴村をベッドに引きずろうとした。


「え!? いや、だからってそれとこれとは話が違うんだけど!?」


「いいからいいから! ほら、早く!」


 と、鈴村がベッドに運ばれ、木下が鈴村を押し倒した瞬間、木下の部屋の扉が開いた。


「咲良! 徹君! ごはんできた、わ、よ?」


『あ』


 まさしく、その瞬間を、木下の母は目撃してしまった。


 木下の母はそのまま無言で扉を閉めた。


「ちょ、お母さん!? 無言でドア閉めないで! せめて何か言ってよ!」


「ご、ごめんなさい咲良。いくら大丈夫とは言ったけど、その、目の前で見せられるとね……」


「さ、咲良のお母さん、誤解しないでください! そういうんじゃないんで!」


「ふ、二人とも、ご飯できてるから、すること済ませたら下りてきてねー」


 そう言って、木下の母は何も見なかった様子で一階へ下りていった。


「……終わった」


 鈴村は、暗い顔をしながら言った。




                  *




「おいしかったー、お母さんご馳走様ー」


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「よかったわー、徹君に喜んでもらえて。あ、食器はそのままでいいからね。私が片付けるから」


 そんなことがありながらも、鈴村は木下親子と共に夕食の時間を過ごした。先ほど見られたことがあった後に夕食に案内されたため、木下の母に合わせる顔もないと思っていた鈴村であったが、そんなことはなかったかのように普通に振舞われ、少し戸惑う鈴村であった。


「しかし徹君もよく食べるようになったわねー。やっぱり育ち盛りだからかしら」


「ははは、昔は小食だったんですけどね。ここのところ飯はそれなりの量食うようになりました」


「それはいいことだわ。もっと大きくなって、咲良を幸せにしてあげてね」


「あの、お母さん、言ってる意味わかってます?」


 木下の母は、「うふふ、わかってるわよ」と言いながら食器を片付けた。


「……ごめんね、徹。今日のお母さん、なんか変だよね」


「うーん……、確かに前に会った時と比べると全然違うような気がしなくもないけど……」


 木下はなぜ木下の母がこんな状態になっているのかを知ってはいたが、それを鈴村には伝えなかった。


「まあ、後で私からキツく言っておくから。……それより、今日はこの後どうする? まだゲームする?」


「あー、それなんだけどさ。本当はまだ咲良とゲームしてたいんだけど、明日も朝から生徒会の活動があって早く帰らないといけないんだ」


「あら、徹君が生徒会に入ったって本当なのね」


 その話に、木下の母が食いついた。


「はい、夏休みに飯田いいだ生徒会長と、理事長の推薦で入ることになりました」


「立派なものねぇ。あの徹君が生徒会だなんて。緑ヶ丘学園理事長の推薦もだなんて、すごいじゃない」


「まあ、あれは話の流れでそうなったというか……」


 木下はその話をとても詳しく聞きたかったが、あえてここでは聞かないでおいた。


「でも朝早いとは言っても、うちから徹君の家ってそこまで遠くないわよね? むしろこっちのほうが学校に近いし、泊まっていってもいいのよ?」


「え」


 そう言って、木下の母は木下にウィンクをした。


(……お母さん、もういいから、私恥ずかしくなってきた)


 かく言う木下は先ほどの出来事のおかげでさっきまでの威勢がなくなっており、恥ずかしさが増していた。


「す、すみません、泊まるのはちょっと……」


 鈴村は鈴村で、琴原の家に急に泊まったことを思い出し、木下の母の提案を承諾することができなかった。


(あらあら、咲良もそうだけど、徹君まで意識しちゃって……。若いっていいわねぇ)


 そんな中、少し的外れな考えをする木下の母であった。


「お心遣いありがとうございます。でも、すみません。今日は帰ります。かつ丼美味しかったです」


「いいのよ! またいつでも来てね!」


「はい。それじゃ、失礼します」


 鈴村はそう言って、礼をしてからその場を後にした。


「…………で? 徹君とはどこまでいったの?」


「……どこまでもいってないよ……。……ちょっとだけ胸は触らせたけど」


「え!? そこまでやって何もなし!? ベッドにまで押し倒してたのに!?」


 思わず驚く木下の母であった。


「違う、違うんだよお母さん。私も覚悟してたの」


「……どういうこと?」


 木下は、少し泣きながら言った。




「徹ね、私の誘いを一瞬受け入れようとしたんだ。でもね、突然泣き出して、やめちゃったの」




「……え、泣いたの? なんで?」


「わかんないよそんなの。わかってたら、私がなんで今泣いてるかも、わからなくなる」


「……そう」


 木下は続けた。


「たぶんだけど、徹もいろんなことを考えてるんだと思う。綾瀬さんに対する思い。琴原先輩に対する思い。そんな中、私は私の勝手な行動で、徹に振り向いてほしいと行動した。それが結果的に、徹を傷つけることになったんだと思うんだ」


「咲良……」


「でも、徹のことは諦めない。これからもアタックしたい。……なのにね、お母さん。大事な時に勇気が出ないのって、なんでなんだろうね」


 その言葉に、木下の母は木下を見ながら言った。




「それは、その人のことをしっかり考えているからこそできることなんじゃないかなって、お母さんは思うよ。咲良は咲良のやりたいようにやればいい。でも、傷つけちゃったら話は終わっちゃうでしょ? そこの塩梅あんばいがわかってこその恋愛ってものよ」




「お母さん……」


 木下は泣き続ける。


「私、あのまま徹にキスすればよかったのかな。そうすれば、徹は私のことをもっと見てくれるようになったかな。今だって、まだ家にいてくれたかな。泊まってくれたかな」


「……あのね咲良。人の気持ちはそう簡単には変わらないよ。表向きの気持ちはそうであっても、根本的なところは相手の気持ちを動かそうとしない限りは変わらない。大木たいぼくを自分の力だけで動かそうとしてるようなものよ」


「じゃあ、やっぱり無理なのかな」


「でもね、人の努力は必ず報われるの。その大木はいつの間にか無くなっていて、壁もなくなっていて、自分とその人を遮るものが何もない状態にだってできる。咲良は、そこにもっていける努力をすればいいと思うよ。私は応援してるから」


 その言葉に、木下はさらに泣いてしまった。


 夏の終わりを感じる、少し弱く涼しい風が吹いた。


「さ、風邪引くから今日はもう寝ましょ」


「……うん」


 そう言って、木下は家に戻った。




                  *




「うーん、やっぱり気になるなぁ、『鈴歩』って人」


 鈴村と木下の一件が起きていた同時刻。


 綾瀬凛あやせりんは自室の椅子に座りながら呟いた。


 綾瀬は、鈴村が時折口にする「鈴歩」という女性のことが気になっていた。


「あの日見たあれは、本当に鈴歩さんだったのかなぁ。疲れてたし、幻覚にしか思えなかったけど……。でも、話し声は聞こえてたんだよねぇ」


 熱海旅行の日の夜、寝ぼけながらも綾瀬が見た光景は、鈴村が誰か知らない女性と話している光景だった。


「それに、『人生の選択肢』っていうのもすごく気になる。だって名前がすごいもん。本? DVD? 何かのゲームの作品名なのかな」


 綾瀬は『人生の選択肢』も名前を聞いてはいるが、それが何かは知らないでいた。


「まさか、この期に及んで本当に浮気してるんじゃ……」


 綾瀬は嫌な予感がしていた。


「でも、なんで鈴歩さん、鈴村君のお母さんみたいな姿だったんだろう。あの日、あの時に鈴村君のお母さんはいなかったはずなのに。やっぱり幻覚としか思えないんだよねぇ……」


 考えれば考えるほど疑問が生まれる綾瀬であった。


「直接聞く……? でもまたはぐらかされるのがオチだし……」


 綾瀬は「うーん……」と顎に手を置いて考えた。


 ふと、綾瀬の頭に一つのキーワードが思い浮かぶ。


「……あ、そっか。『選択肢』か。そういえば、夏休みのあの日に会ってから、鈴村君ちょくちょく本を開く動作をしてたような気がする。そして、その内容……を見てたのかな、それに対していちいち驚く反応を見せていた気がするんだよね」


 綾瀬は、一つの結論に辿り着いてしまった。




「もしかして、『人生の選択肢』って、鈴村君の未来の分岐点を示した本なんじゃない……?」




 綾瀬は鈴村が『人生の選択肢』に選択肢を提示されていたであろう時のことを思い出していた。


 ある日は何かが眩しいと言い出し、ある日は本を見て驚くような顔を見せ、そして、自分が鈴村に体を預けていたあの日でさえ、鈴村は本を確認するような行動をしていた。


「……私をそっちのけで別のことしてたのはちょっと怒りたいけど、でも、なんでそんなことをしたのかはすごく気になる。それこそ、『人生の選択肢』っていうのが本当にあって、鈴村君の人生を左右することが記載されていたのであれば、あの瞬間に何かしら分岐点があったと考えて間違いはないと思う」


 この考えに、綾瀬は確証がなかった。しかし、綾瀬の抱く疑問を解決する理由としては、この考えは合点がいっていた。




「やっぱり、鈴村君に直接聞こう。『人生の選択肢』について、そして……、『鈴歩さん』について」




 そう言って綾瀬は、そのまま眠りについた。

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