第14話 飯田の忘れられない記憶
綾瀬凛の「鈴村徹の浮気疑惑による緊急裁判」が行われたあの日、緑ヶ丘学園高等部生徒会長の飯田勝翔は綾瀬と鈴村に好意を持つ琴原みどりの気持ちを汲み取り、三人でデートをするように提案した。
そしてこのデートで飯田は鈴村に、綾瀬と琴原のギクシャクした関係を解消させ、お互いが鈴村に対しフェアにアタックできるようにしろ、という命令を下した。
鈴村は突然の飯田の提案に戸惑ったが、しっかりと自分の気持ちを整理したいと考え飯田の提案を飲むことになった。
鈴村の出した答えに綾瀬、琴原は大層喜んだが、飯田のパートナーであり生徒会副会長の宮田詩織は鈴村の決断する様子を見て怪訝な顔を見せた。
その顔を見て察した飯田は、宮田を海へ誘うことにした。
これは、そんな飯田と宮田が過ごした、ある夏のお話である。
*
「着いたわね、熱海」
「おー、着いたなー。やっぱ電車とはいえ疲れるなぁ」
旅行先の熱海へ到着し、電車を降りて早々に飯田は愚痴を言う。
「まあ、少し長旅だったものね。仕方ないわ。お疲れ様」
「おう、ありがとな、詩織」
宮田に帽子を被せてもらった飯田は合わせて礼を言った。
「そういや鈴村たちも今日こっちに来てるんだっけ?」
「確かそうだったわね。日程は私たちと同じだったはずよ。確か泊まる旅館も同じだったじゃないかしら」
そう言って、宮田はスマホを取り出して調べ始めた。
「あいつらはあいつらで予約したんだろうが、俺はやっぱりあいつらの様子が気になるからな。敢えて同じところを選んだんだ」
「……それじゃデートの意味ないじゃない」
「え? 何か言ったか?」
「いえ、何も言ってないわ。そこにゴキブリがいるって言っただけよ」
「……なんでそれ俺見て言うんだよ」
宮田は本当にゴキブリを見るような目で飯田を見ていた。
宮田はこのデートにしっかりと目的を持ち合わせていた。
それは、『飯田を今まで以上に自分に惚れさせ、プロポーズしてもらう』、というものである。
元より飯田と宮田はカップルであるが、結婚の約束まではしていない。高校生の恋愛である。そこまで深く考えている高校生カップルはそう多くない。
しかし、宮田は飯田のことを本気で好きであった。それこそ、結婚を考えているほどに。
だからこそ、宮田はこのデートで飯田にプロポーズしてもらおうと決めていたのであった。決して自分からはしようとは考えていないのである。
宮田はその目的を果たすために、様々な用意をしていた。
手始めに、と宮田は飯田に話しかける。
「それより、私の今日の服装、どうかしら。似合ってる?」
宮田はそう言いながら、くるりと一回転して飯田にコーデを見せた。
「おう、似合ってるぞ。スレンダーな詩織によく似合ってる。さすがは俺の彼女だ」
「ふふっ、ありがと」
宮田は顔がニヤつきそうになっていた。しかしそれを悟られないよう、宮田は飯田を褒めた。
「飯田君も今日は気合入ってるわね。いつもみたいなダサい服じゃなくてよかったわ」
褒められていなかった。
「だ、ダサいってお前なぁ……。確かにいつも着てる服はダサいかもしれないが、俺が服選ぶの面倒なの知ってるだろ? 出かけるたびにいちいち服なんて選んでられないんだよ」
「だからといって、同じような服を何度も着たりするのは違うと思うわね。……それに飯田君、やっぱ服のセンスないからダサいのしか着ないじゃない」
「……お前はどういう気持ちでそれを言ってるんだ……」
少し眉がヒクつく飯田だった。
「でも、今日はこのデートにピッタリの服装をしているわ。一体誰に選んでもらったのかしら」
「……俺が今日のために選んだんだよ。悪いか」
「ふふっ、わかってて言ったのよ。いじわるしてしまったわね。悪かったわ」
宮田は発狂しそうになったがそれを抑え、嬉しそうな顔をして笑った。
「さて、熱海に着いたことですし。ちょっと鈴村君たちのことも気になるけど、私たちは私たちで楽しみましょうか」
「そうだな。俺にとっては高校生活最後の夏休みだ。夏の思い出はまだ作れるだろうが、詩織と二人きりでの夏の思い出を作るのは難しそうだし、後悔の無い旅行にしようぜ」
そう言って、飯田は歯を見せて笑った。
「そう、……ね。飯田君にとって最後の夏休みだもの。存分に楽しみましょ」
宮田はそう言いながら、飯田の手を引いて歩を進めた。
*
「……予想してはいたが……。やっぱり人多いな」
「そりゃそうよ。こんな天気のいい日、海水浴にはもってこいの日だわ。観光客も多いでしょうし、この人混みは納得のいく規模ね」
「俺は予想を少し上回ってびっくりしてるよ」
浜辺にたどり着くと、辺り一面に熱海の海を楽しむ海水浴客がいた。家族連れ、友達同士、恋人同士、様々な人が浜辺に集結していた。
天気はとてもよく、直射日光がとても眩しかったが、青空に浮かぶ大きな入道雲が本格的な夏を実感させた。
「さて、私たちも海を堪能しましょうか」
「するのはいいんだけど、詩織、お前その服で海に入るのか?」
「あら、何かおかしいかしら?」
「それ普段着だろ? 水着とかに着替えなくていいのかよ」
「飯田君は昨今の水着事情を何も知らないようね。いいわ、本当の私を見せてあげる」
そう言うと、宮田は羽織っていた薄手の上着を脱ぎ、履いていたショートパンツを脱いだ。
「……え、それが水着なのか?」
「ええ、そうよ。このTシャツの下にちゃんとビキニも着ているわ。日焼け対策でこのTシャツは着たままでいるけど、水着は飯田君の大好きなビキニよ」
そう言いながら、宮田はまだ脱いでいないTシャツの裾を捲って見せた。
「お、おう、そうか。普通の服で海に入るもんだと勘違いしてたよ」
飯田は珍しく目が泳いでいた。その様子を見て、宮田はとても楽しそうにしていた。
(ふふふっ、今日のために気合を入れて黒のビキニを手に入れたのよ。今回の旅行は二人きりの旅行。しっかりと飯田君の意識を私に向けて、誰も飯田君に近寄れないようにしないといけないわ)
宮田は琴原以上に独占欲が強かった。
ただでさえ様々な女性が集う熱海である。宮田は飯田がそこら中にいる女性に目移りすることを恐れていた。
その気持ちはこの旅行だけではなく、学園で生活している間も、プライベートも同様であった。
(……こういうの、周りから見たらやはり重い女って思われるのかしら)
ふと宮田はある昔の出来事を思い出していたが、人それぞれ好きな人に対する思いの強さは違うことをわかっているため、「これが自分の愛の強さ」だと信じて疑わなかった。
(いいの、あんなことがあったけど、それはもう昔の話。私は変わったの。やり方は少し変えたけど、私は私なりに飯田君のことを思って行動しているつもりよ。だから、私は大丈夫)
徐々に宮田が経験した行動が宮田の頭に蘇ってきていたが、今は飯田とのデートを楽しむことだけに集中した。
「ん? どうした詩織。ちょっと具合悪そうだぞ? 大丈夫か?」
「え? ええ、大丈夫……よ!?」
そう言うと飯田は、自分の額を宮田の額にくっつけた。
突然の飯田の行動に、宮田は戸惑いを隠せなかった。
(え!? 何!? 急にどうしたの飯田君! そ、そんな急にくっつかれると……! そ、それに、顔が近い……!)
二人の唇は触れ合う寸前にあった。
「……うーん、熱はないな。大丈夫そうだ。こんだけ暑いんだ、熱中症には気をつけろよ」
そう言って、飯田は宮田によく冷えたスポーツドリンクを手渡した。
心臓の鼓動が鳴りやまない宮田は、目を少し逸らして言った。
「……飯田君のバカっ」
「え、何か言ったか?」
「いいえ、何も言ってないわ。スポーツドリンクありがとう。私は大丈夫よ」
宮田は平然を装っていたが、内心それどころではなかった。
(ダメ、ダメよ私……。ちゃんとクールな私を演じないと。そう、冷静に、冷静に……)
しかし、恋する乙女はこれに屈した。
(……ダメー!!!! やっぱり飯田君好き! 大好き! 愛してる!)
言葉にはしていないが、宮田は飯田にたくさんの愛を伝えていた。
「それにしても、こういう景色を見ると初めて会った時のことを思い出すな」
飯田は浜辺に座りながら言う。
「……ええ、そうね。あの頃が懐かしいわ」
「確か俺が緑ヶ丘学園高等部に進学する前の年だっけか。ここで詩織と会ったのは」
「私はあの時のことをしっかり覚えているわ。……今とは性格が真逆で、ありえないほどのクズ男だったけど」
「そ、そこまでストレートに言わなくてもいいだろ」
飯田は苦笑いした。
「……でも、あれからもう三年経つのね。飯田君も変わったわ」
「……お前もな、詩織。やっぱりあの出来事が原因か?」
「ちょ、今ここでそういう話するのは失礼だと思わないのかしら?」
「悪い悪い、嫌なこと思い出させちまったな。すまん」
飯田はそう言って頭を下げた。
「全く……」
宮田はそう言うと、そのまま海岸へと歩き出した。
「ほら、遊ぶわよ飯田君。せっかくの海なんだし、ちゃんと海を満喫しないと」
「そうだな。……あ、おい、前見ろ詩織! 危ない!」
「……え?」
宮田は後ろ向きで歩いていたため、前が見えていなかった。そこに通行人が通りかかり、そのままいけばぶつかるところであった。
すんでのところで、飯田が宮田の体を掴んで避けさせ、通行人との衝突を防いだ。
「……ふぅ。大丈夫か? 詩織」
宮田は、飯田に抱きかかえられるような状態になっていた。
それこそ、もう少しいけばお姫様抱っこになるような体勢である。
宮田は顔を赤くしながら言った。
「だ、大丈夫よ。悪いわね、私が前を見てなかったせいで……。助かったわ」
「気にするな、恋人としてやるべきことをやっただけだ。詩織にケガがなくてよかった」
その言葉に、宮田は顔を隠した。
(キャー!!!! 飯田君かっこいい!!! だ、ダメ! 本当にかっこいい!! この人が彼氏で良かった! 恋人で良かったと今本気で思っているわ! 何このドキドキ!)
宮田は心の中で叫んでいた。完全に心は恋する乙女である。クールな性格な宮田であったが、それを押しのけるがごとくこの感情が表に出そうになっていた。
(はぁ……、はぁ……、お、落ち着きなさい詩織。これ以上飯田君にドキドキしてはダメよ。勢い余って結婚式場を予約しそうになるところだわ。冷静に、冷静に……)
胸に手を当て、深呼吸をする宮田。徐々に、徐々に落ち着きを取り戻していった。
(……これじゃ私ばっかり飯田君に惚れ直すだけじゃない……! 何をしているの詩織……!)
本来であれば飯田にもっと自分のことを意識してほしいと考えていた宮田であったが、やることなすこと全てが宮田の飯田を思う気持ちをさらに大きくしていた。
「……あれ? おい詩織、あれ見てみろよ」
「な、何よ……。あ……」
飯田が指さす方向には、なんと鈴村、綾瀬、琴原の三人がいた。
「そりゃあいつらもここにいるか。当然だわな。……いやぁしかし、鈴村もモテる男だなぁ。あんな美女二人連れて海にデートなんて」
その言葉に、宮田は嫉妬心を覚えた。
「……飯田君、今誰と一緒にここに来ているかわかって言っているのかしら」
「あ、ああ、もちろんわかってるよ。詩織、何か勘違いしてないか?」
「いいえ、何も」
少し不機嫌になる宮田であった。
しかし、宮田も飯田の言う言葉には一理あると考えていた。
鈴村はこの夏に緑ヶ丘学園高等部生徒会に入って間もない生徒である。綾瀬との接点はあったにせよ、琴原とも関係を持つことになるとは予想もしていなかった。
それこそ、綾瀬の緊急裁判の時に琴原が抱いていた気持ちに気づいた宮田は少し驚いていたが、それが結果的に三人でのデートになるなど、宮田の予想の範囲外であった。
「鈴村君、綾瀬さんとみどりとここに来られて嬉しいでしょうね」
「だろうな。最初に鈴村に会ったときは『なんだこの根暗オタク……』と思っていたが、あの公開告白のときは驚かされたもんだ」
「私もよ。それが結果的に三人デートに発展していくんだもの。人生、何が起こるかわからないものね」
「だな。俺らも似たようなもんだし」
「そ、それは、……確かにそうかもしれないけど」
宮田は否定をしなかった。
「……俺があの時詩織を助けなかったら、今ごろ俺らはどういう生活をしてたんだろうな」
ふと、飯田がそんなことを言う。
「予想もつかないわね。……そうね、そもそも私たちは学年が違うから接点も少ないし、飯田君が私情で私を生徒会に招かない限りは普通の高校生として過ごしていたと思うわ」
「じゃあ、あれが俺らの人生の分岐点だったってわけだな」
「……そうかもしれないわね」
宮田は少し照れくさくなっていた。
飯田はその顔を見て少しニヤりとしていた。
「たまには昔話もいいもんだ」
「……それならムードっていうものを考えてほしいわね。こんな暑い夏空の下で話すような内容じゃないもの」
「それもそうだ。……あいつらとは今日関わらないほうがいいだろうし、俺らは俺らで楽しみますかね」
「ええ、そうしましょう」
*
「ここが今日泊まる旅館かぁ」
「いいところじゃない。飯田君が選んでくれたんでしょう?」
「ああ。お手頃価格、それでいて部屋は広い! 海からもそこまで遠くないし、二人で来るにはピッタリな旅館だと思ったんだ」
「私はもっと豪華な旅館を期待していたわ」
「……俺にも金さえあったら詩織をもっと喜ばせられるようなところ選んでたわ」
宮田の言葉に飯田の心にはトゲが刺さった。
「まあでも、一緒に泊まる相手のことを考えて宿泊する旅館を選ぶのはいいことよ。以前友人に聞いた話では、デートの宿泊先なんてものは泊まれればなんでもいいと相手の男が考えていたらしく、それはそれはちっぽけでムードのかけらもない宿泊先に泊められたらしいわ。とても壁の薄い旅館で、隣の部屋の音が丸聞こえだったそうよ」
「……随分と詳しく話したんだな、その詩織の友達」
「え? ええ、そうなのよ。かなり根に持っていたらしいわ。それと比べれば、飯田君が選んでくれたこの旅館は立派よ」
「喜んでくれてよかった。さて、じゃあ行くか」
「ええ」
そう言って、二人は旅館に入った。
「……本当にこれが広いの……?」
「うーん……。俺の予想じゃもっと広いと思ってたんだけどなぁ。鈴村たちも同じ旅館なら三人だと狭すぎるな」
案内された部屋は、確かに二人で宿泊する分には少し広めの部屋であったが、鈴村ら三人が同じ部屋で宿泊するとなると狭すぎる広さであった。
「あ、でも鈴村のことだ。こういうところで変に気を使って男女別々の部屋を予約するんだと思うぜ」
「……それじゃこの旅行の意味がないじゃない」
少し残念がる宮田であった。
「えーっと風呂は……、ああ、部屋ごとに浴槽はないんだっけ。旅館内にある銭湯に行かないといけないらしいわ」
「そ、そうなのね。汗も流してきたいし、先にお風呂入ってきましょうか」
「そうだな、疲れも取りたいし、まずは風呂だ」
宮田は「ほんとは一緒にお風呂、入りたかったな……」と呟いていたが、飯田の耳には届いていなかった。
そんな銭湯に向かう飯田と宮田の前に、ある人物が現れる。
「……あれ? 飯田? お前飯田じゃね?」
「…………もしかして、橘か?」
二人の目の前に現れたのは、飯田と中学の同級生で宮田の元彼氏の橘光であった。
「マジ? 中学以来じゃん! おっひさー!」
橘はそう言いながら飯田にハイタッチしようと手を出すが、飯田はそれを拒んだ。
「……お前、なんでこんなとこにいんだよ」
「俺がどこにいたって自由だろ。なーに言ってんだよ、い・い・だ・くん?」
橘はそう言って、飯田の肩をリズムよく叩いた。
「……およ? およよ? よく見たら詩織ちゃんもいるじゃん! あ、もしかしてお前らあれから付き合ってんの?」
「……久しぶりね、橘君。元気そうで何よりよ」
「おお! 詩織ちゃんから挨拶してくれるなんてびっくり! 俺天に昇っちまいそうだよ」
そう言って、橘は祈りを捧げるように両手を額に置いて拝んだ。
「……行くぞ詩織。こいつといても時間の無駄だ」
「え、ええ」
飯田はそう言って、宮田の手を引っ張って銭湯へ向かおうとした。
そのすれ違いざま、橘は飯田に言う。
「あっれー? なんで俺から逃げるの? 俺またなんか悪いことした?」
「……お前がまた悪いことをしそうだから、それから詩織を遠ざけようとしてるだけだ。関わらないでくれ」
「ちぇー。そこまで警戒しなくても大丈夫なのに。俺だってあれからだいぶ成長したんだよ? ……詩織ちゃんならわかってくれるよね?」
「………………」
橘の言葉に、宮田は黙り込んでしまった。
「……おい、もう詩織に話しかけるんじゃねえ。嫌なこと思い出させるな」
「嫌なこと? ……あー、あのことね。あの時はごめんね詩織ちゃん! 悪いと思ってる! ほら! この通り!」
そう言って、橘は深々と頭を下げた。
しかし、それは建前である。
「飯田君……」
「ど、どうした詩織、大丈夫か?」
宮田は体が震えていた。
飯田はそれが本能的な反応だと察し、これ以上橘とこの空間にいさせるのは危険だと判断した。
「……詩織、泊まる旅館変えるぞ。ここにいると、詩織の体がもたない」
宮田はその飯田の言葉に、小さく頷いた。
(……やはりトラウマはそう簡単には抜けないか。……いや、あの時余計なこと言ってトラウマを思い出させちまった俺のせいだ。とにかく、詩織を安全なところに連れて行かないと……)
そう考えて無言で立ち去ろうとする飯田達に、橘は追い打ちをかける。
「……詩織ちゃん、やっぱり中学の時のあのこと、トラウマになってる?」
「…………っ!」
「おい、橘!!!」
思わず飯田は声を荒げ、橘の襟元を掴む。
「おっと、喧嘩はやめてくれよ。俺だって成長したって言っただろ? そういうのはしないことにしてるんだよ」
「……お前の言うことは信用ならねえ。あんなことがあったんだ。尚更だろ」
「やっぱり信じてもらえないよねぇ。ま、いっか」
橘はさらに続ける。
「ねえ詩織ちゃん。俺のところに戻ってこない?」
「…………え?」
宮田はとても驚いた顔をしていた。
飯田はその言葉にさらに憤る。
「お前、人をからかうのもいい加減にしろよ」
「からかってないよ。俺は詩織ちゃんに戻ってきてほしい、そう言ってるだけ」
「自分が昔やったこと覚えてないのか?」
「昔? ああ、こんなことだっけ?」
そう言いながら、橘は飯田の顔を勢いよく殴った。
とても鈍い音と共に、飯田は床に倒れこむ。
「飯田君! 大丈夫!? 飯田君!」
「あ、ああ、大丈夫だ。しばらく暴力ってものを受けてなかったから、新鮮味があっていいわ」
「うっわー、何そのポジティブシンキング。きっしょ」
そう言って、再び橘は飯田を殴った。
「やめてちょうだい、橘君。あなたがしていることは、ただの喧嘩じゃないわ。感情の押し付けよ。成長したとよく自分で言えたものね。あの頃から全く変わってないじゃない」
少し震えながら、宮田は橘に向かって言った。
「おー、言うようになったねぇ詩織ちゃん。こいつと付き合ってからだいぶ変わった気でいるの、かな!」
橘はそのままの勢いで宮田に殴りかかろうとした。
バキッ、という鈍い音が旅館の廊下に鳴り響く。
あまりの恐怖に目を瞑ってしまっていた宮田だが、目を開けるとそこには橘からの一撃を真正面から食らった飯田が立っていた。
「い、飯田君!? 本当に大丈夫なの!? 今の相当痛かったはずよ!?」
「だ、大丈夫だって。これくらいへっちゃらだ。これでへばってたら、詩織をこの場で守れねえ」
「はっはー! なんだこいつやっぱ面白いわ! さすが俺から詩織ちゃんを奪っただけあるわ」
笑いながら橘は言った。
「行きましょう飯田君! もうすでに別の旅館の予約は取ったわ! この騒動を聞いて女将さんもすぐ来るでしょうし、後から事情を話せば大丈夫よ!」
「ダメだ!!」
飯田は倒れそうになりながらもその場で叫んだ。
飯田は既に橘から相当なダメージを受けていた。頭がふらふらし、今にも倒れそうになっていた。
「詩織は俺が守る。俺はあの時にそう決めたんだ。こんな奴から、こんな世の中から、絶対に守るって……!」
「飯田君……」
「偽善者面しやがって、この……!」
と言って飯田に殴りかかろうとしたところで、廊下の奥のほうから警備員がやってくる。
「こら! お前ら何やってるんだ!」
「うげ、やっぱり来ちゃった。あんだけでかい音と声出してたらそりゃ気づかれるか」
「ほら飯田君! 今のうちに行くわよ!」
「……橘、お前だけは絶対に許さない。お前だけは……!」
「憂さ晴らしはしたかったんだけど、あまり大事にしたくないから今日はこの辺でいいかな。また会えることを楽しみにしているよ、飯田勝翔」
そう言い残して、橘は警備員から逃げるように去っていった。
「くそっ、なんでこのタイミングであいつなんかに遭遇するんだ……」
「……私にもそれはわからないわ。橘君の実家は二つ隣の町だし、ここに来たのは観光じゃないかしら。……あまり言いたくはないけど、運がなかったわね」
「悪い、詩織。嫌な思い出を思い出させた挙句、その本人に出合わせちまうなんて……」
「いいのよ。飯田君はちゃんと身を挺して私を守ってくれたわ。……そんなボロボロになっちゃって」
「昔の俺だったらあんなのへっちゃらだったんだけどな……。こりゃ体鍛えなおさないとダメだわ」
「とりあえず、泊まる旅館を変えましょう。さっきも言ったけど、もう別の旅館は取ってあるから。ここの女将さんには、後で電話で説明しましょう」
「…………ああ。……ごめんな、詩織」
「……いいってば」
飯田は宮田の肩を借りながらその旅館を後にした。
*
「とりあえずここなら一安心よ。飯田君は横になって休んでて。私は救護室に行って救急箱をもらってくるわ」
「ああ、悪いな」
宮田が新しく予約した旅館に移動した二人。
部屋にたどり着くと同時に、宮田はすぐさま飯田をベッドの上に寝かせ、傷だらけの顔を持っていた救急セットで応急処置した。
この旅館に来るときに乗ったタクシーの運転手は飯田の顔を見てとても驚いていたが、宮田の表情を見て何かを察したのか、すぐさま宮田の言われた旅館へと案内してくれた。
「……まさかあいつがこの熱海に現れるなんてなぁ」
飯田は目を腕で隠しながら言った。
中学の時の記憶が徐々に蘇ってくる。
「……俺も昔はあんなだったっけか」
飯田はそう言いながら当時のことを思い出していた。
*
飯田は今でこそ成績優秀で人望も厚い、緑ヶ丘学園を代表する男子生徒である。
しかし、中学時代の飯田は違った。
とても性格が悪く、短期であったため、気にくわないことがあればすぐ暴力で解決するような人間であった。
そんな飯田は、中学時代に橘と友人の関係でいた。この性格、行動から橘に気に入られていたのである。
橘は表向きこそコミュニケーション能力が高く人気者な男に見えるが、裏向きはそうではない。自分の気にくわないことがあると誰彼構わず暴力を振るい、暴力で全てをねじ伏せてきた。中学当時、橘は飯田と肩を並べるほど有名な不良であった。
そんな飯田に、人生を変える転機が訪れる。
中学三年の夏、飯田は熱海に来ていた。親戚で集まるという本人からするととてもどうでもいいものに参加させられていたためである。
親戚の人間が楽しそうに話しているのを横目に、飯田は一人海を見ていた。
「どうしたの? 一人?」
「え?」
そう話しかけてきたのは、当時中学二年の宮田であった。
飯田は当時有名な不良であったため、力の強い人、としてある程度の女子生徒にモテていた。そういったこともあってか、女子に話しかけられているのは慣れていた。
しかし、宮田に対しては違った。
「……綺麗だ」
「え? 何が?」
思わず思っていたことを口に出してしまう飯田。
「う、海だよ、海!」
飯田は焦って咄嗟に嘘をついた。
「あー、海ね。海はいいよね、綺麗だし。大きいし。私、海大好きなの」
「そうか。俺も海は好きだ。陰で隠れて人を殴れるからな」
「……もしかしてあなたって悪い人?」
そう言って、宮田は少し飯田から身を遠ざけた。
「あ、すまん。怖がらせるつもりはなかったんだ。ただその、俺結構短気な性格で、気にくわないことがあるとすぐに殴り掛かっちまうんだよ。それで喧嘩に発展して、俺体が人より強いからそういった喧嘩にはよく勝つんだ。だから地元では結構崇められてて」
「ふーん。不良集団のボス、って感じかな」
「そうとも言えるな」
飯田はそう言いながらシャドーボクシングをして見せた。
「でもそっか、あなたも『気にくわないことがあると殴り掛かるタイプ』なんだね」
「あ、そこ引っかかる?」
「私の彼氏もね、同じタイプなの。気にくわないことがあるとすぐに殴り掛かって、全部暴力で解決してる。橘って言うんだけどね」
「……橘? 橘って、橘光か?」
「え、橘君を知ってるの?」
「知ってるも何も、俺と同級生だ。同じクラスだし」
「嘘、ほんと? っていうことは、私とも同じ学校ってことだね。……あ、同級生ってことはあなたのほうが一つ年上だね」
宮田は偶然もあるものなんだな、と思いながら言った。
「橘とは、付き合ってるんだな。そういえば前に話したときに彼女できたって喜んでたわ」
「橘君に一方的に告白されたの。それで、断り切れなくて、付き合うことになったの」
「……一方的に、ねぇ」
飯田は橘の「いや俺モテるからさ! たまには一人くらい告白OKしてもいいかなって!」と言っていたことを思い出した。
(……その相手がこの子だったのか)
飯田は橘が嘘をついていることに気づいた。
「……これは私の個人的に思うことだから聞き逃してくれていいんだけどさ。ちょっとあなたに会って思ったことがあるの」
「……なんだよ」
「あなたは確かに、橘君と似たようなものを感じる。だけど、私は橘君からは『悪』しか感じないの。でも、あなたからは『善』を感じる。それも『悪』と『善』が入り混じってない。完全な『善』を感じるの」
「……なんだよそれ、占いか何かか?」
「女の直感だよ」
宮田はそう言って笑顔を見せた。
「おーい詩織ぃー。どこ行ったー?」
「やばっ! 橘君だ! じゃあね! ……えーっと」
「ああ、名前ね。俺は飯田。飯田勝翔だ」
「飯田先輩ね。私は宮田詩織。同じ学校だからまた会うかもね。それじゃ、またね!」
そう言って、宮田は飯田の傍から離れた。
「どーこ行ってたんだよ詩織。心配したぞ?」
「ご、ごめんなさい。ちょっと道に迷って……」
飯田には橘と宮田の会話が少し聞こえていた。
「まあこんだけ人がいれば迷うよねぇ」
宮田は「はははっ」とわかりやすい愛想笑いをした。
しかし、橘を騙すことはできなかった。
「……で、さっきまで話してたあの男は誰だよ」
「……え?」
そう言って、橘は飯田のほうを見た。
(……やべっ)
飯田は咄嗟に岩陰に隠れた。
「お、男? 誰かいた?」
橘は少し岩陰を睨みつけたが、表情を変えて言った、
「ごめん、気のせいだったかも。幽霊だったのかもね」
「はは、夏だからってそういう話はしないでよー」
宮田はその場を取り繕うように橘に言った。
(……宮田、心の底から楽しそうにしていないな。しかも、俺の知ってるあの橘なら、このことで何かやばいことをするに違いない……)
そう直感的に考えた飯田は、両親が談笑している場所へ歩み寄った。
「悪い、母さん。ちょっと用事ができた。すぐ戻る」
「え!? 急にどうしたのよ勝翔! ……皆の集まりがあるまでには戻ってきてねー!」
飯田は母にそう言って、橘の後を追いかけることにした。
「くそっ、あいつらどこ行ったんだ……」
すっかり日も暮れてしまい、辺りが暗く周りが良く見えない状態の中、飯田は橘と宮田のことを追いかけていた。
しかし、人が多いせいもあってか、二人を途中で見失ってしまった。
(あいつのことだ、たぶん良からぬことを企んでるに違いない……。……それこそ、宮田の身に危険が及んでいるかも)
飯田は宮田のことを案じていた。
(……って、なんで会って間もない女子のこと考えてるんだ俺は)
飯田は無意識のうちに宮田のことが心配になっていた。
その理由は飯田にもわからない。しかし、直観的に「守ってあげないとまずい」と感じていたのは確かであった。
「随分遠いところまで来ちまった……。どこだよここ……」
気づくと飯田は、親戚の集まり場所からも海岸からも遠く離れた建物に来てしまっていた。
「これじゃ帰るのも一苦労だぞ……。携帯はあるからいいけど……」
飯田は建物の中を探し回ったが、暗さもあってか全く橘たちを見つけることができないでいた。
「しょうがない、今日は諦めるか……。明るくなったらまた探せばいい」
そう言って、飯田はその場を後にした。
……その時だった。
「んで? 結局昼間の男は誰だったわけ?」
建物の奥のほうから声がした。
「……この声、橘の声だ……!」
すぐさま飯田は声のするほうへ走った。
飯田が声の聞こえた場所にたどり着くと、そこには橘と、手と足を縄で縛られた宮田の姿があった。
「宮田……!」
あまりにもひどい状況に驚きを隠せない飯田。しかし気づかれたらまずいと思ったのか、飯田は物陰に隠れて様子を見ていた。
「だ、だから、あの人は何でもないって何度も言ってるでしょ! これ外してよ!」
「いーやダメだ。お前は俺に嘘をついた。あの男はお前の知り合いだ。……いや、俺の知り合いでもあるか」
「何を言ってるの……。早く外してよ! 大声出して助けを求めるわよ!」
「やってみれば? ここは人がほとんど来ない廃墟だから、助けを求めたところで誰も来ないよ。ちゃんと白状すれば、その縄は解いてやるよ」
(やっぱり、予想通りだ。あいつは気にくわないことがあると手段を択ばず相手に暴行する……。嫌な予感はしていたが、まさか女子相手にまでしていたとは……)
あまりにも衝撃的な光景に、飯田は目を疑った。
「俺というものがいながら堂々と浮気かぁ。夏のせいかな? 熱さがここまで伝わってくるよ」
皮肉を言いながら橘はポケットから刃物を取り出す。
「さ、とっととあいつが何者なのか話せ。正直に話せばその縄は切ってやる。嘘をつくなら……、このナイフで傷を少しつけてやろうかな」
「ひっ……! や、やめて!」
「じゃあ早く話せよ!!!!」
大声で怒鳴りつける橘。
宮田は小声で呟いた。
「お願い……! 誰か助けて……!」
その声に、飯田は考えるよりも前に動いていた。
「そいつから離れろ、橘ぁ!」
そう言って、飯田は橘の頬を思い切り殴った。
そのままの勢いで壁に激突する橘。
「痛った……。……あれぇ? 誰かと思えば飯田じゃん。なんでここにいんの?」
「そんなのお前には関係ないだろ。宮田、大丈夫か? 今解いてやる」
「い、飯田君!? どうしてここに……!?」
「昼間お前が橘と合流したときから少しお前の様子がおかしかった。そして、橘は確実に俺があの場所にいたことを知っていた。……恐らく、俺とお前が話していたのをずっと見てたんだろう」
「そ、そんな……」
「あいつは手段を選ばない。しっかり俺とお前が会話しているところを見た後、お前を探していたと装ってあの場に来たんだ。たぶんだが、俺とお前が話していた様子を動画で撮っていたと思う」
「なんでそれがわかるの?」
「言っただろ、同級生だって。俺はあいつになぜか知らないが気に入られてるんだ。それは性格が似てるからか、やり方が似てるからか、真相はわからん。だけど、そのおかげであいつとはよく話をしていた。だからこそあいつがしそうなことくらいはわかる」
「そうなんだ……。……でもよくここがわかったね」
「橘とお前があの場から離れからずっと探してたんだよ。嫌な予感がしてたからな」
「……何それ……、魔法使い?」
宮田は「ふふっ」と笑った。
「おいおい、飯田くんよぉ。俺を差し置いて彼女と仲良く会話なんていい度胸してるじゃん」
「お前こそ、女子相手に何やってんだ!」
「俺はただ詩織に聞いてただけだよ。昼間何してたのかって。でも正直に答えてくれないんだよね、頑なにさ。だから力づくで答えさせようとしただけだよ」
「お前なぁ、やっていいことと悪いことがあることくらいわかるだろ!」
「飯田、お前はわかってくれると思ってたよ」
「……は?」
橘は持っていた刃物を捨て、拳を握って構えた。
「俺とお前は似たもの同士だと思ってた。でも違ったみたいだ。……お前は俺の敵だ」
「何言って……」
「俺も刃物で人を傷つけることはしたくない。犯罪者予備軍みたいなものだからね。だからここは拳で語り合おうじゃないか」
「……どっちにしたって傷つけることに変わりはないだろ」
「はっ、何を言ってるんだか。お前も今まで暴力で全てを解決してきただろ? その暴力は何のためにぶつけた暴力だ? 強さの証明か? 誰かを守るためか? 俺の暴力は『強さの証明』そのものだ。強さはすべての評価基準。強ければなんでも許される。何をしても暴力で解決できる。俺はそうやって今まで生きてきたんだよ」
「……お前を捻じ曲げてるのはその性格ってわけだな」
「お前はどうだよ、飯田。お前は何のために暴力を振るうんだ?」
「俺は……」
飯田はその瞬間、宮田の顔を見た。
初めて会ったとき、ふと声に漏らした「綺麗だ」という言葉。
これは紛れもなく、海にではなく宮田に対して放った言葉であった。
飯田はこれまで心の底から人を好きになるという経験をしたことがなかった。飯田が経験した『恋愛』とは遊びで生まれたものばかり。本物ではない。
しかし、宮田に対して生まれた思いは『偽物』ではなかった。
飯田にとって、初めて心から『守りたい』と思った相手。それが宮田であった。
飯田は拳を握り、橘に向かって構える。
「俺は……、俺の暴力は確かにお前の言う通り、力の証明をするためだったのかもしれない。でも、今は違う」
「何が違うんだよ」
「今から俺が振るう暴力は、大切な人を守るための暴力だ」
それと同時に、飯田は先ほどと反対の頬に殴り掛かった。
「そうかよ。……やっぱりお前とは馬が合わないらしい。ここで白黒つけようぜ!」
そう言いながら、橘もクロスするように飯田の頬を殴った。
お互いに直撃。とても鈍い音が、建物内に響いた。
「だ、大丈夫!? 飯田君!」
思わず声に出る宮田。
数秒固まった末、先に倒れたのは橘だった。
「くそっ、こんな奴に、……こんな奴に……!」
橘は再び立ち上がろうとしたが、あまりにも強い一撃を受けたのか思うように立ち上がることができなかった。
「……やめろ橘。お前が動けないよう、ちょっと殴る位置を変えた。数分は立ち上がれないぞ」
「お前、この土壇場でそんなこと考えてたのか……」
「そうでもしないと、お前何度でも立ち上がってくるだろ。お前がタフなのは俺もよく知ってるぞ」
「……ちくしょうが」
橘は諦めたのか、そのまま力を抜いて倒れたままになった。
「……警察は呼んだ。呼んだ本人がいないとダメだそうだから、宮田は先に帰っててくれ」
「か、帰っててって、飯田君大丈夫なの? 酷いケガだよ?」
「俺は大丈夫だ。……宮田は傷つけられてなくてよかった。傷つかなくて、よかった」
「い、飯田君……」
その言葉に宮田は涙を浮かべる。
「ごめん、ごめんね飯田君……! やっぱりあなたは『善』だった。私の思い違いじゃなかったよ」
「……あぁ、そうだな。俺をそう言ってくれたのは、宮田が初めてかもしれない」
飯田は笑って見せた。
「ありがとう、私を守ってくれて。私のことを思って行動してくれたのは、あなたが初めてだよ」
「そうか。お互い初めて同士だな」
「……あの、あのね? 一つお願いを聞いてほしいな」
「なんだよ、改まって」
「今日のお礼をどこかでさせてほしいの。飯田君はいつ帰るの?」
「帰るのは明日だ。明日の昼頃はもう電車だろうな」
「……じゃあ、明日の朝、今日会ったあの場所で待ってるから。絶対来てね!」
「え? おい! なんでだよ!」
「いいから! じゃあ、私先に帰ってるね!」
そう言って、宮田は建物から出て行き、飯田の母たちがいる場所へ帰っていった。
「……おい飯田。お前俺に勝ったつもりでいるのかよ」
橘は立てないながら、飯田に話しかけた。
「つもりも何も、俺はお前に勝っただろ。何言ってんだ」
「……くそが、俺はまだ負けてない……! まだ……、動ける……!」
「お、おいやめろ、無理に動くなって」
「いやだ……俺はお前に負けない……! 俺は、お前と対等になりたいんだ……!」
その言葉に、飯田は反論した。
「お前が俺と対等に……だと? 笑わせんじゃねえよ。どこが対等だ。お前さっき言ったよな。『何のために暴力を振るうか』って。お前は『力の証明』と言った。だが俺は違う。俺は『大切な人を守るため』にお前を殴った。これのどこが対等だ」
「………………」
「宮田の言う通りだ。お前は『悪』、俺は『善』。どこにも対等なところなんてない。それでもまだお前は、俺とまだ対等であると言い切れるのか?」
「…………それは……」
そう言いかけたとき、ちょうどパトカーのサイレンが鳴った。
「お、来たな。……こんなところで警察沙汰にはなりたくなかったんだけどなぁ」
そう言って、飯田は警察からの事情聴取を受けた。
その翌日。
飯田は母に手当してもらった頬を触り「いてっ」と言いながら約束の場所へ向かっていた。
昨日、初めて宮田と会ったあの浜辺。
飯田は、その場所にたどり着いた。
「あ、来てくれた」
そこにはすでに、宮田が来ていた。
「わ、悪い、遅くなった」
「んーん、大丈夫。私もちゃんと時間伝えてなかったから、やっちゃったなと思ったよ。午後にはもういないんだもんね。ってことは、今ごろは帰る準備をしてる頃でしょ」
「ああ。母さんには用事があるって言って全部丸投げしてきた」
「ははっ、飯田君らしいな」
二人に、少しの間が生まれる。
波の音が良く聞こえる朝であった。
「あのね飯田君。それで、お礼なんだけど……」
「ああ、その話なんだけどな。お礼は大丈夫だ」
「えっ、でも……」
宮田が言おうとしたが、飯田は手を前に出してそれを止めた。
「お礼はいらない。俺はお前を助けないといけないと思ったから助けた、ただそれだけだ。それに見返りはいらない」
「でも、それだと私の気持ちが……」
「その気持ちを受け取っておくだけにしておくよ。色々あったけど、宮田が無事でよかった」
飯田は笑顔で言った。
「……やっぱり飯田君には笑顔が似合うな」
「え?」
「あのね、やっぱりお願い、聞いてほしい」
「だからなぁ……」
「飯田君、さっき『気持ちを受け取っておく』って言ったよね」
「え? ああ、言ったな。感謝の気持ちだろ? 受け取っておくよ……」
「じゃなくて!」
宮田は、飯田の言葉を遮った。
「私の気持ちは、それだけじゃないよ」
そう言うと、宮田は飯田の手を握って言った。
「私と、結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」
「……へ?」
飯田は耳を疑った。
(け、結婚……? お付き合い? へ? なんで?)
飯田の頭は混乱していた。
「これが私の気持ち。私のお願い。……聞いてくれる、よね?」
飯田は宮田の言うことに対し、答えた。
「いや、ごめん。無理だ」
「えぇっ!?」
思いがけない回答であった。
「お、女の子が勇気出して男の子に告白してるんだよ!? それをそうもあっさりと断られると、さすがに傷つくよ!?」
「いや、断るのにもちゃんと理由がある」
「理由?」
そう言うと、飯田は砂浜に座って言った。
「俺とお前は昨日出会ったばかりだ。同じ学校であっても、お互いのことは何も知らない。だからその、付き合うにしても、お互いのことをもっと知ったうえで付き合いたいんだよ」
「……何それ、変なの」
宮田は「ふふっ」と笑いながら言った。
「まあそれも一理あるね。……じゃあ飯田君に質問です」
「なんだよ」
「飯田君の好きな女の子のタイプはなんですか?」
飯田はその回答に少し迷った。なぜなら、その好きな女の子のタイプドンピシャの相手が目の前にいるからである。
それを今ここで言ったら、先ほどの宮田の告白をこの場でOKすることになる。
それを悟られないように、飯田はここで嘘をついた。
「く、クールビューティで、感情をあまり表に出さない、人かな?」
「く、クールビューティ……!?」
宮田は「わ、私とは真反対……」と言いながら崩れ去っていた。
「そっか、ははは、私は、タイプじゃないと……、ははは」
宮田はショックを受けていた。
「あ、いや! でも! ちゃんと気持ちを伝えてくれる人は、いい人かもなぁーとは思うぞ! うん、思う!」
「……何それ、慰めになってないよ」
飯田は困った顔をした。
「まあでも、私にもチャンスはあるよね。私、頑張るから」
「え、チャンスってどういう……」
「じゃあ、私行くね! 気を付けて帰ってね!」
「え、ちょっと待って……」
そう言って、宮田はその場から去った。
「なんなんだ、まったく……」
飯田はそう言いながら、母に怒られながら帰路に着いたのだった。
*
「……そういやそんなこともありましたねぇ」
ふと、宮田との馴れ初めを思い出した飯田。
その思い出はとても鮮明に覚えていた。
「それから俺を振り向かせようと、あいつなりの『クールビューティ』を演じたわけだ。最初はあの話し方にびっくりしたけど、それほど俺のことを思ってくれてたんだな」
結果、飯田は宮田のその努力に完敗し、交際を始めることとなった。
以降、今に至るまで良好な関係を築いている。
「お待たせ飯田君。救急箱、持ってきたわ」
「ああ、ありがとな。そこに置いておいてくれ。後は自分でやるから」
宮田は「そ、そう……」と言いながら救急箱を傍にある机に置いた。
「詩織」
「? 何かしら」
飯田は宮田をベッドに座らせて近くに寄った。
「あの時、俺はお前を助けて良かったと思ってる。だから、今回は俺を助けてくれてありがとう」
「……まさか、昔のこと思い出してたの? ……まあ橘君が現れたんだもの。無理はないわね」
そう言って、宮田は飯田の頭をぽんぽんと叩いた。
「あいつの顔はもう二度と見たくないわ……。この旅行が平和で終わるといいんだけどな」
「でもすぐに帰るわけにはいかないわよ? 明日は花火があるんだし。せっかくなんだから見に行かないと」
「だな。あいつに見つからないことを祈って、花火見て笑顔で帰ろう」
「ええ、そうね」
飯田と宮田は、手を重ね合った。




