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一翼のハイマヴィス  作者: かる
誘拐事件
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㉓ 黒い剣士

 心臓を貫いた氷の感覚。

 シキが第一に感じたのはそんな印象だった。

 自身で作り出す氷の剣とは異なる、ただ純粋な殺意のみで形作られた冷酷な刃。その切先が向けられている先が自分ではなく目の前に立つ温かな頭だと気付いた瞬間、シキはヤクを抱き込むようにして無理やり屈ませそのまま右へ避けた。

「わっシキくん⁉︎」

 カツッと何か固いものが床に突き刺さった音がした。ヤクがシキの腕の隙間からなんとか顔を出して見てみると、細長い針のようなものが刺さった衝撃で小刻みに振動していた。

(まさか、ジェイストの人たちが戻ってきたの⁉︎)

 さあっと背中が冷えると同時に、戦うしかないという覚悟も再び沸き起こった。しかし、

「動くな!」

 ヤクが身構えようとするとシキに強く押さえつけられてしまった。腕がぎゅっと締めてきて息が詰まる。

「う、く、苦しいよ……」

 けれどシキは力を緩めることはなく、どこか上の方を見つめて息を殺していた。

「なぜ、お前がここに……」

 シキが上擦った声でそう呟いたのと、重い振動が響いたのとが同時だった。

「!」

 もぞもぞと振り返って視界の端に捉えたものに、ヤクは目を見張った。そこにいたのは一人の大柄な男だった。黒いインナーに同じく黒いマントをはためかせ、濃い銀の髪が後ろに靡いている。その右手には重そうな剣が鈍く光っていた。どうやら先ほどの振動は、この男がどこからか飛び降りてきた時のものだったらしい。

 昼とはいえ窓のない部屋はどこか薄暗く、男はその薄がりの最も濃いところから生み出された影のように見えた。しかし銀色に光るその瞳は何の色も映さないかのように静かで冷たく、それゆえにその行動を決定付ける唯一の感情が否が応でも見て取れた。

 殺意。

 そこに個人的な感情はない。ただ無機質な外付けの殺意が、揺るぎのない脅威となって二人の前に今立ちはだかっていることをヤクは理解した。

(ジェイストの人じゃ、ない……? 誘拐した人の仲間……?)

 けれど青ざめたシキの表情が気になった。いつも冷静に打開策を示してみせる彼が、まだ言葉も交わさぬうちからこんなにも怯えたような態度を取るのは異常だった。まるで既に相手に敵わないと知っているかのように。

「……ヤク、俺から離れるな。いいな?」

「……うん」

 ただならぬ雰囲気にヤクはただ頷くことしかできなかった。シキが身を起こし、ヤクを庇うように自分の後ろへ回す。

 今にも糸が切れてしまいそうな張り詰めた空気が辺りを満たした。シキがごくりと唾を飲む音が聞こえた。と、何の前触れもなく、男がいきなり踏み込んで間合いを詰めてきた。

「っ!」

 シキが特能で氷を放ち、短剣を取り出して応戦する。しかし相手は重そうな鉄剣を軽々と振ってその攻撃を弾いた。

(くそッ特能を使おうにもこいつ相手ではその隙が命取りだ!)

 威力の高い特能を使うにはそれなりのハイマを出力せねばならず、それにはある程度の時間を要する。かといって隙を作らない程度の特能では、この男相手に目眩しにもならない。

(こいつを寄越すとは……どういうつもりだ? 監視人が死んだのがもう伝わった?)

 攫われた時から、シキには護衛もとい監視人が付いていた。それがジェイストと誘拐犯の抗争に巻き込まれるよう誘導しジェイストに彼を殺させたまでは順調だったが、やっと手に入れた自由時間がどうもうまくいかない。

(この男の狙いはヤクだ。こいつさえ逃がせれば……)

 しかし下手にヤクだけを逃しても、シキの攻撃をいなされそちらを追われたらその方が危険になる。

(……まずい、俺はこいつに勝てない。このままヤクを守りきることは……)

 その時、戸口の方で足音が聞こえた。男が目だけをそちらにやる。次の瞬間、そのそばに赤い熱気が押し寄せた。男が剣を横にして防御する。あたりに残っていたらしいシキの特能による氷がジュワッと音を立てた。

「おいッてめぇがセナを攫った誘拐犯か⁉︎」

「ハツくん!」

 ハツは男と距離を詰めながら左手の剣を握り直した。思わぬ参戦にシキはほっとしたのものの、違和感に気付いて眉を顰めた。

(いつもより動きが……利き腕を怪我したのか? まだ多少はやれるようだが、ここで戦わせるよりは……)

 シキはちらりとヤクを見た。

「ヤク! お前はハツと逃げろ!」

「え?」

「どこでもいい、どっかに逃げ込め!」

(ジェージニアントの俺が攫われたとなれば必ず騎士団が助けに来る……トキジヤだろうが近衛だろうが、アルテーズ公が来ればこいつだって退くはずだ! それまで持ち堪えれば……)

 ヤクが困惑した声を上げた。

「でもそれじゃシキくんが危ないよ!」

「こいつはお前を狙ってる! だから俺は大丈夫だ!」

「でも」

「ハツ! 早くそいつ連れてけ!」

 ハツは無言で頷くと、ヤクの腕を掴んで走り出した。男が身を翻し、そちらに向かおうとする。

「させるか!」

 シキは氷でその視界を塞ぎつつ、素早く前に潜り込んで剣を交えた。しかしやはり簡単に弾かれてしまう。

「シキくん頭!」

 突然ヤクが叫んだ。咄嗟に身を屈めたシキの頭上を通って、短剣が男の顔の方へと飛んだ。男が躱そうと少し身を引いた隙を突いてシキは短剣とともに男に体当たりをした。

(ちっやはり装甲が……)

 短剣は金属に当たって固い音を立てただけだったが、それでもヤクたちが逃げ出す時間を稼ぐには十分だった。バランスを崩して一歩後ろに足をついた男が再び体勢を整えた時には、ヤクとハツの姿は見えなくなっていた。

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