㉒ 喜び
ヤクはリュウムに向き直った。暗い光を宿す黒と金の目が氷のような冷たさをもってヤクを見下ろしている。
「ヤク! どけ、そいつは本当にお前を殺すつもりだぞ!」
シキが叫ぶ。ヤクはきっぱりと言った。
「どかないよ」
その瞬間、リュウムの剣が空を切った。ヤクは咄嗟に身を捻ってその剣を避けると、鉄杖を刺すようにして投げつけた。だが、それは相手の想定内だったらしい。軽々とその反撃を避ける。ヤクの首元目掛けて刃がギラリと光った。
「ヤク!」
「!」
ヤクは鉄杖を投げてすぐ腰布に手をやって、そこに隠すようにして忍ばせてあったハツの短剣を取り出した。取り出した勢いのまま振り払われた短剣と首を撥ね飛ばさんばかりのリュウムの剣とがぶつかり合って甲高い音を立てた。攻撃は防いだものの、その衝撃に耐えかねてヤクはよろめいた。
(くっ)
その時、頰を冷たい空気が掠めて何かが割れる音がした。リュウムが一歩身を引く。その隙にヤクは彼から距離をとり、ソファに縛られていた男の拘束を切った。
「ヤク! こっちだ!」
シキが駆け寄ってくる。そのまま差し出された手を掴むと、ぐいっと引っ張られて倒れ込みそうになった。
「ったくこの考えなしが! 俺が助けなかったらお前あそこで血溜まりになってたんだからな!」
そう言われて振り返ると、先ほどまでリュウムがヤクと対峙していた場所に透明な破片が散らばっていた。どうやら向こうもうまく交わしたようだが、ひとまずこれで彼らの間合いからは外れたらしく、ヤクはほっと胸を撫で下ろした。
「……ありがとう、シキくん」
シキは黙って目を逸らすと、ヤクの斜め後ろあたりに手を伸ばした。
「ぐっ」
見ると、逃げようとした男の足元が氷漬けになって固まっていた。ヤクの視線に気付いて、シキはふっと微笑んだ。
「殺しはしない。逃げないようああして捕まえておくだけだ」
「シキくん……!」
(まあいい。今すぐでなくとも、こいつの目の届かないところで始末すればいいだけだ)
シキはそう結論付けて、ジェイストを見やった。今や完全に臨戦体勢となった両者は身じろぎせずに睨み合う形となった。
「主様。今度こそ僕が……」
イオが一歩進み出て、ヤクをじっと見上げた。剥き出しになったままの青白い右腕を見て、ヤクはなんとも言えない気持ちになった。
「ねぇ、君はそれでいいの?」
「……?」
攻撃体勢に入らないヤクを、イオは怪訝そうに見つめた。
「こんなふうに人を傷つけて、それで君はいいの? こんなふうに君を戦わせるなんて……」
ヤクはしゃがんで目線を合わせた。奴隷制度を説明する教師の言葉が蘇る。
(自分の意志に反して主人の命令に従わなくちゃいけないなんて……。確かにシキくんの言う通り、あの人は許されないことをしたんだ)
先ほどあの薄暗い部屋で目にした奴隷の子どもたちの姿が浮かぶ。目の前の少年がそんな目に遭わされ、そして今も同様の生活を強いられていると考えただけで言葉にならない激しい思いが胸を駆け巡った。
「君はもっと自由に生きていいんだ。無理して戦わなくたって、いいんだよ!」
そう言ってヤクはイオをじっと見つめた。白というより透明に近いその瞳はどこを見ているのかわからない。イオは同じようにじっとヤクを見ていたが、不意に身を屈めたかと思うと一気にヤクとの距離を縮めた。
「!」
「戦っているのは僕の意志です」
「危ない!」
シキがヤクを後ろに引っ張る。すんでのところで交わした少年の剣の軌跡を、ヤクは呆然と見つめた。イオが軽やかに着地して、切先を突きつけたままヤクの前に立ち塞がる。そしていつになくはっきりとした声で言い切った。
「僕を救ってくださったのは主様です。貴方じゃない」
「……君は」
しかしヤクが言いかけるより先にシキが背後で殺気立ったのがわかった。
「イオ! やめておけ」
主___リュウムの言葉にイオは大人しく引き下がった。
「もうじき騎士団も来るだろう。争っている暇はない。面倒なことになる前にあいつらを連れて立ち去った方がいい」
(あいつら?)
ヤクは心の中で首を傾げた。
「けどリーダー、それじゃああの男は……」
「二の次だ。もとよりあの男は主眼ではなかっただろ。アレの場所を吐かないのならこちらで探し出すしかない。見当はついているしな」
「ちぇ〜っ! 男爵なんてなかなかの上物なのになァ、ザンネン」
大げさにため息をつくアスサをミグロが呆れ顔で見やった。
「……?」
視線を感じてシキが目を向けると、イオがじっとこちらを見ていた。
(………)
「ってことでまたね、お二人さん」
「な、お前ら……」
あっさり身を引いたジェイストに拍子抜けしたのか、シキは驚いたような呆れたような声を出した。しかしどんな経緯にしろ、ジェイストという脅威が消えたのはありがたかった。
「……シキくん」
「うん?」
「無事で、よかった!」
そう言うなりヤクはシキに抱きついた。バランスを崩しかけて慌てて踏み留まる。
「お前っいきなりなんだよ、危ないだろ……」
そこで改めてヤクの姿を見下ろして、シキは息が詰まった。黄金色に輝く金髪は埃や砂にまみれ、毛先や服の端々が血で固まっている。振り解こうとして掴んだ手を見れば、赤く膨らんでところどころ水膨れができていた。
(そうだ、こいつはこういうやつだ。俺が攫われたと聞けば、助けにくる。自分の身を顧みず、助けにくるんだ。絶対……)
胸の中に昏い喜びが湧き上がった。シキは引き剥がそうとヤクの腕を掴んでいた手をそっと離した。
「ヤク」
「ん?」
「……心配かけたな」
「うん。でも、いいよ」
伝わってくる温もりはただの温度ではなくヤクそのものだった。彼がここにいるということ、ここまで来たということそれ自体が、何にも勝る価値を持っているように思えてならなかった。
(ヤク……こいつは俺を、大事にしてるんだ)
しかし、温かな再会はすぐさま打ち破られた。




