⑭治癒
ふっと、セナが笑った。
「そうだよ。はーくんは僕の治癒の特能を買って僕に居場所を与えた……けれど、こんな力じゃ……この程度じゃ、いつか戦場に出たとき、はーくんの隣には立てないから……」
「セナ……」
「そうなったら、君は僕を棄てるでしょ?」
「……は」
ハツが息を呑んだのがわかった。
「君は弱いものが嫌いだもの、僕が役に立たなくなったら棄てるでしょ? そしたら僕は、もうどこにも居場所なんてないんだ。唯一の居場所だったあのおいしゃさまも、君が殺したんだから……!」
セナはハツの腕を掴むと、ぐいっと引き寄せて力を込めた。
「ぐっ」
立っていられないというように膝から崩れ落ちたハツは、肩を上下させながら床に手をついてセナを見上げた。その瞳はやはり怒りに燃えていたが、しかし先ほど男を睨みつけていたような鋭さはなかった。
「セナ、お前、ずっとそんなこと思ってたのか……?」
セナは冷ややかにハツを見下ろした。
「そうだよ。気付かなかったでしょ? はーくんは全然、僕のこと見ないもの。連れてきて、宝物みたいに大事にして守ってくれたけど、それだけ。僕がどう思ってたかなんて、考えたこともないでしょ? 君にとって僕は、より良いモノが現れるまでの道具にすぎないんだから」
「お前……っ」
投げやりな言い方が怒りに火をつけたのか、ハツはカッとなってセナの胸ぐらを掴んだ。勢いよく引っ張られて、セナが倒れ込むように膝をつく。
「さっきから言わせておけば好き勝手言いやがって……! ならさっさと言えばいいだろ! オレのせいにしてんじゃねーよ!」
セナは虚ろな目のまま薄く笑った。
「……ほら。君は怒ってばかりで僕の言うことなんて何も聞いてない」
「なんだと……」
しかし反論の言葉は続かなかった。唐突に奇妙な音がして手首に生温かいものが伝った。何回も、何回も、咳き込む音が響くたびに咽せ返るようなにおいが鼻につく。
「……は」
「セナくん⁉︎」
セナは身体を折り曲げて悲鳴のような咳をあげた。その度に口からどばどばと血がこぼれ落ちる。合間に苦しそうに息を吸うと、喉の奥でヒュ、と音がした。
「セナ……? お前、なに……」
「そろそろ限界みたいだな。思ったより早かったね」
「……どういうことだ」
男はこの状況を楽しむかのように目を細めて両手を広げた。
「言っただろう? セナのハイマは人体にとって極めて有害なものになったと。それはもちろん、セナ自身の肉体だって例外じゃない」
「何⁉︎」
「君に残された道は二つだ。一つはこのままセナのハイマを受け続け共倒れする道。もう一つは今すぐにセナを殺し、君だけが生き残る道だ」
「てめぇッ」
「なんてことを!」
ハツとヤクの非難の声など聞こえぬかのように微笑んだまま、男はヤクを振り返って人差し指を口元に当てた。
「ですから、ここからは彼の選択を見守りましょう。どんな選択をしても、責めてはいけませんよ」
三日月のように細められた目には狂気的な歓喜の色が浮かんでいた。ヤクはゾッとして思わず身を引いた。
(なんなの? この人は、何がしたいの? )
なおも肩を震わせて血を吐き続けるセナを支えながら、ハツが叫んだ。
「ふざけんな! んなこと信じられるか! 早くセナを治せ! 今すぐ!」
「一度変質したハイマを戻すことはできない。受け入れることだね」
「テメェ、いい加減に……」
ハツは床に落ちた剣を拾おうとしたが、足元でまたもセナが咳き込むと動きを止めた。
「その人の言ってること、ほんとだよ」
ずっと黙っていた少女が不意に口を挟んだ。
「……何?」
「そのコのハイマ、もう戻らない。そのコの身体に合ったハイマは、もう作れないよ。ぜんぶ、変わっちゃったから」
「……お前、まで、そんなこと言うのか」
少女の不思議な力をつい先ほど目にしたばかりのハツは、それだけに少女の言葉の重みに押し黙った。男がほぉ、と少女を見やる。
「君、もしかして……『眠り姫』か。あなた方が目覚めさせたんです?」
男に目線を向けられて、ヤクは黙って頷いた。
「へぇ。まさに王子様、ですね」
意味ありげににやりと笑った男の言葉も気にはなったが、それどころではなかった。ヤクは男を押し除けるようにしてセナに駆け寄ると、背中に手を当ててそっとさすった。
「セナくん……しっかりして、セナくん……!」
しかしセナは苦しげな息の合間に血を吐き出すばかりで、答えることすら叶わなかった。まみれた血の間から覗く手は蒼白で、ヤクはその顔を見ることができなかった。
「……どけ、ヤク」
背中に当てていた手を払われて、ヤクは顔を上げた。見れば、ハツが落ち着いた様子でセナの前にしゃがみ込んでいた。そのまま目線を合わせるように顔を覗き込み、血でぐしょぐしょになったセナの髪をそっと耳にかけてやる。
「……はーくん?」
「セナ。オレに治癒の特能を使え。お前のハイマを全部使って……」
「え……?」
セナが目を見開いた。怯えたように揺れるその瞳を元気付けるかのように、ハツは笑った。
「オレがお前のハイマを全部引き受ける。そしたらお前は、苦しまずに済むだろ?」
「……それは」
「でも、ハイマがなくなったらセナくんは死んじゃうよ!」
ヤクは必死で叫んだが、ハツは動じることなく淡々と続けた。
「だろうな。でもいいんだ。ハイマがあってもなくても死ぬんなら、そっちの方がいい」
「はーくん、なにを」
「セナ、オレはな……あの医者もどきを殺した時からずっと、お前に痛い思いをしてほしくなかった。だって、誰もお前の傷を治せないから……」
「……はーくん」
とめどなく溢れる血を拭うことさえ諦めた今、周りにはいつかと同じ血溜まりが広がっていた。そこにぽたり、ぽたりと新たな滴が落ちていく。
「…………」
ヤクは何も言えず、ただ二人を見守っていた。ハツがセナの手をとり、促す。
「セナ。オレを、治してくれ」
すると突然、男が声を上げて笑った。
「ははは! ああ、やっぱりそっくりだ! 何もかも! 命を賭して友を助けるところも、友の想いに気が付かないところも……!」
ハツは忌々しそうにそちらを見た。何がおかしいのか、男は笑いを堪えるのが辛いといった様子で片手で顔を覆い、身をのけぞらせた。
「まっすぐで強引で、愚直で……! ああそれさえなければ、すぐにでも俺の親友になれたのに……」
指の隙間から覗いた瞳が熱っぽく揺れて、じっとハツを見据えた。
「でもね、君が死んじゃ意味ないだろ? さあ早く、そいつを殺して死んだ奴のことなんか忘れて……今度こそ俺と親友になろう、ワールイズ君……!」
「……何?」
突然呼びかけられた名前にハツはぴくりと反応した。しかしすぐにセナに目を戻した。特能を使い始めたのだろう、ハツが小さく呻いて顔を歪めた。セナが怯えたように声を上げる。
「な、なんで……今、特能、使ってないのに……ハイマが、勝手に……」
暴走してる、と少女が呟いたのを、近くにいたヤクだけが聞き取ることができた。
「……くく、はは、は……。そうだな、もう一度、君を殺すのも悪くない」
あまりにも異様な男の様子に恐怖を覚えたのか、少女が後ずさる。ヤクは胸の奥がすぅっと冷えていくのを感じながら、泣きそうな顔で二人を見ていた。
(僕はどうすればいい? 何もできない、嫌だ、死んじゃダメ、教えて、助けて兄上様! ヤコ! シキくん……!)
途切れ途切れの声を震わせて、セナがハツの服の裾を弱々しく掴んだ。
「もう、やめて。はーくん死んじゃうよ……」
「……それがなんだ? どうせお前が、死ぬんだ」
「……?」
「セナ、お前……バカだな……。オレにとって宝物って、お前だけなんだぜ? ……だって、オレの怪我を最初に治してくれたのはお前だっただろ……」
ハツはそう言って、抱きしめるようにセナの肩に顔を埋めた。血でぐちゃぐちゃになったセナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。




