⑧奴隷の価値
メジアスト王国において、奴隷は右腕の上部に焼印を刻まれる。その焼刻印に所有者のハイマを流し込むことで、奴隷は主人の命令に背けなくなるのだ。
(この子は奴隷だったんだ……主様、ということはあの人がこの子の所有者……? )
そうなるとまずいことになる。所有者にとって奴隷というのは使い捨ての道具のようなもので、邪魔になったり使い物にならなくなったりすればすぐに棄ててしまう。授業での説明を思い出して、ヤクの身体に再び緊張が走った。
ヤクの精神的な揺らぎを感じ取ったのか、リュウムがまたも攻撃の気配を見せた。
(まずい!)
「何やってんだバカ!」
ハツの怒号とともに、リュウムの方へ炎が舞った。熱気と煙で視界が霞む。
「行くぞ! 早く!」
背後から腕を引っ張られて、ヤクはそのまま転がるように走り出した。後ろを振り返ることすらなく、ただがむしゃらに走って、走って、走り続ける。
小道の先に、古びた屋敷が見えた。
(助かった! あそこに逃げ込もう! )
そう思った時だった。
前を走っていたハツの身体がぐらりと傾いたかと思うと、ドサッと鈍い音がした。
「⁉︎ ハツくん⁉︎」
慌てて駆け寄ると、ハツは苦しそうに呻き声を上げた。見れば、あちこちから血が流れあたりの土が赤く染まっている。
「ハツくん! 大丈夫⁉︎ しっかり!」
「お、お前、うるせぇ……」
力なくそう言ってぐったりと横たわるハツを、ヤクは涙目で見つめた。
(ど、どうしたら……)
「シッ……誰か、いる……」
ハツにそう言われて耳を澄ますと、屋敷の方から人の声が聞こえた。戸口の方へと近づいて、わずかに空いた隙間から恐る恐る中を覗いてみる。
(あの二人は……! )
後ろ姿ではあったが、何度も見たそれを見間違えるはずがない。そこにいたのは先ほど去って行ったアスサとミグロだった。
さらに近づいて耳を澄ますと、途切れ途切れにその会話が聞こえてきた。
「……で? どこ行……彼は」
「……遠くには……奴隷……連れ……」
(奴隷⁉︎)
一瞬聞こえてきたその言葉に耳を疑う。しかし、二人は話しながらさらに奥へと言ってしまい、会話はそれ以上聞こえなくなってしまった。
(奴隷って、まさか……シキくんとセナくんが誘拐されたのって……)
混乱する頭を抑えて、ヤクはひとまず戸口から離れた。
(とにかく、ここに入るのはダメだ、でも……)
周りを見回しても、他に隠れられるようなものはない。
(ぐずぐずしてたらさっきの二人が追いかけてくるかもしれない。こうなったら……)
「っ」
「ごめん、ちょっと我慢して……」
ヤクはハツの肩に手を回すと、なんとか立ち上がって歩き出した。歩き始めるとハツが自力で足をついてくれたので、いくらか楽になった。そのまま屋敷の裏側へ周る。すると、蔵のような、屋敷からは独立して建てられた建物が見えた。
「お邪魔しまーす……」
小声でそう言って扉を開けると、埃っぽいにおいが鼻をついた。けほけほとむせながらも中に入り、扉を閉める。外は昼だというのに蔵の中は暗く、高い天井のそばにある窓から入るわずかな陽光だけが室内を薄ぼんやりと照らしていた。石畳らしい床を踏み締めるようにして歩くたびに、足元でジャリ、と音がした。
「……階段」
ハツが耳元でぼそりと呟いた。
「えっ」
言われて目を凝らすと、少し離れたところに四角い穴が空いているのが見えた。近づいて見てみるとその床の部分だけスライド式の板のようになっていて、それがずれているようだった。穴の奥に何やら段上のものが見える。
「よく見えたね……」
感心したように呟いて、ヤクは床板を横に押して穴を広げた。すると、下へと続く階段が露わになる。
「これって……地下室があるってこと?」
「……」
返事はない。ただ、苦しそうな呼吸が聞こえるだけだった。
(いつあの人たちが戻ってくるかわからない。終わったら合流と言っていたし、手分けして僕たちを探すかも……? )
今見つかれば勝ち目はない。それならば、少しでも見つかりづらいところに隠れたほうが良いだろう。
「ハツくん、もうちょっとだから。大丈夫だよ」
励ましながら、一歩一歩慎重に階段を降り始める。ほとんど光の届かない階段は手探りで進む他なく、ヤクはバランスを崩さないように足に力を込めながら、ゆっくりと進んでいった。
「…………」
ハツは薄目を開けてその先を見た。アルトニヤの血を引く彼は常人より視力が良い。階段の幅が狭まっているのを見てとってヤクに伝えようとしたが、声が出ない。ここまで傷を負ったのは何年振り、いや、初めてだろうか。わからない。いつもすぐに、セナが治してくれていたのだから。
____お前みたいな役立たず連れてってどうすんだよ、オレ一人で行く!
ここに来る前に、ヤクに言い放った言葉が蘇ってくる。
(クソ、役立たずどころが足手まといじゃねぇか……オレ一人なら……特能を存分に使えてりゃ、あんな奴には……)
そう思いかけて、しかしリュウムの安定した剣捌きとイオの俊敏かつ絶え間のない攻撃が合わさることを考えると、その思考はそれ以上進まなくなってしまった。
「わわっ、と、あぶなかった……」
案の定、急に幅の狭まる所でヤクがバランスを崩しかける。しかし、慎重に進んでいた甲斐あってかなんとか踏み留まった。
「…………」
(役立たずで足手まとい。特能も使えない、無能で空っぽの王子……)
体勢を立て直そうとしたのか、ヤクはハツの腕を背負い直してその肩を支えた。
(……それでも)
「ん? ハツくん、何か言った?」
「…………」
それでも、今、一人じゃなくてよかった。
「やった! ハツくん、階段終わったよ!」
はしゃぐようなヤクの声が耳元で響いて、ハツは顔を顰めながらもふっと口元を緩めた。




