⑤水たまりの上で 3
「……そんなことがあったんだ」
「それ以来、セナはオレと暮らすようになった。反対されるかと思ったが、案外大人たちは受け入れていた。今思えば、治癒の特能なんて稀少なうえに戦場で大助かりだからな、手元に置いておく方が良かったんだろ。平民のあいつに貴族の位を与えることだって、すぐに承諾してた」
「それで、ハツくんはまた戦えるように?」
ハツは少しむっとしたように言った。
「勘違いすんなよ。今となってはオレは、怪我も痛みもこれっぽっちも怖くない。あれはガキだったがゆえの一時的な恐怖心だ。だがまあ、それでも、あいつが来たから乗り越えられたのは事実だ」
ハツは手綱を握っていた右手を広げて、その手のひらに目を落とした。遠い昔に治してもらった傷のよすがを、今改めて見つめるかのように。
「あいつがいなければ、オレは痛みを感じないまま戦い続けていたかもしれない。それはそれで強くなっただろうし、もしかしたら今よりももっと、強くなれていたかもしれない。でも、それじゃ意味ねぇから」
「意味?」
「痛みって、変わんないんだよ。どんだけ強くなっても、どんだけ歳取っても、どんだけ人喰ってもな。だから、戦って痛みを感じた時だけオレは人になるんだ。オレを化け物扱いした奴らを、ほんとは同じ人間で、お前らが弱いだけの僻みだって、そうせせら笑ってやれるんだよ」
「それが、ハツくんの戦う、意味……」
ヤクが呟いた言葉に、ハツは頷いた。
「まあ今はそれだけじゃないけどな。なあお前、オレにとってセナがなんなのかって言ったな? 答えてやる。オレにとって、あいつは宝物だよ。オレの、オレのための、宝物だ」
「宝物……」
「……ヤク、この際だからお前にもう一つ言っておく」
「なに? ハツくん」
「騎士にとって、“命を懸ける”ってのは文字通りの意味だ。オレたちアルトニヤは生まれた時から誰かを守るために自分の人生を捧げるよう決められているけどな……自分の命を懸ける相手が他人に勝手に決められて生まれてくるって、意味わかんねーよ」
「……」
「それに、もしもオレがお前を命懸けで守って死んだら、誰がセナを守るんだ? オレがいなければあいつはただの平民だ。お前が王子だろうが国の宝だろうが、オレにとっての宝物がなくなったら意味ねぇんだよ。だから、オレはお前を守る気はない。護衛役はシキにでも頼めばいい」
「……ハツくん」
ヤクはなんとも言えずにただハツを見つめた。出会った時から彼が自分に向ける敵意のような鋭い態度は、ヤク本人に対してだけではなく、定められた使命への反抗でもあったのだろう。それが腑に落ちて、妙に悲しくて、ヤクはハツの胴に回していた腕を少し緩めた。
王国の剣、トキジヤ騎士団は王命により出撃する。その総督を務めるキーラは、作法通りの礼儀を弁えつつも堂々とした足取りで謁見の間へと足を踏み入れた。玉座に座る国王に一礼をして、顔を上げる。
「ジェージニアント侯爵の子息が攫われたことは聞いているな?」
「はい」
「トキジヤの兵力と機動力を活かし、一刻も早く犯人を捕らえるように」
国王の言葉に、キーラは疑念を抱いた。
「陛下、お言葉ですが誘拐事件のような国内のアクシデントは近衛騎士団の管轄のはず。あまりにトキジヤに任務を回されますと、近衛騎士団の士気が下がります」
「お前の言い分は尤もだな。だが事情がある。今回の事件、どうやら凡庸な黒幕ではなさそうだ」
「……ジェイストですか」
「ああ。まだ確かではないが、ジェージニアントの子息は最近奴らと接触したばかりだ。奴らの戦力は未知数……近衛騎士団では万が一のことに対応できまい。加えて、ジェイストの他にも……」
「……?」
「とにかく、敵の戦力が特定できない以上はより優れた者たちを差し向けておきたい。今回は人質がいるのだからな」
「御意。トキジヤを引き連れ、すぐに救出に向かいます」
「ああ、頼りにしているぞ」
国王が満足げに口元を綻ばせて頷く。キーラは端然と一礼をすると、足早に出て行った。
トキジヤ騎士団はこの国で最も強い部隊である。しかしそれだけではない。彼らは、国王に最も“近い”部隊だった。ゆえに機密性の高い事柄との関係が疑われる事案の場合、その任務はトキジヤ騎士団に割り当てられるのである。
「……あいつ、余計なことをしていなければ良いのだが」
ぼそりと呟かれた国王の言葉は、広い謁見の間で空虚に広がった。




