④水たまりの上で 2
「最初、オレはセナを恨んだ」
「恨む? どうして?」
「あいつと会って以来、オレは戦えなくなった。痛みを知って……怪我をするのが怖くなったんだ」
「……」
「それからオレはこっそり家を抜け出して、あいつのとこまで行くようになった。訓練が嫌になったのと、怪我を治してもらいたくて……。だけどある時、もうこないでって言われたんだ」
「えっ」
「手土産が嫌だったらしい」
「手土産?」
「怖い奴を倒したお礼に治したって言うから、あいつが怖がりそうな奴を倒して持って行っていたんだ」
「……それは、ちょっと」
脅したりしてタダで治そうとしてもらうよりはマシだが、怪我するのが嫌と言いつつ道すがらに人を襲う幼いハツも、今なおその行動の妥当性を信じているかのように平然と話す目の前のハツも、さすがは彼としか言いようがなかった。しかし絶句するヤクを、そんなハツが気に留めるはずもない。
『こないでって、なんでだよ。こいつが気に入らないのか? もっとこわいやつだって、オレ、たおせるぜ? 』
『そういうことじゃない!そんなこと、しなくていいよ。いつもいつもひとにけがさせて、つれてくる、きみのほうがずっとこわいよ……!』
泣くのを我慢するみたいにハツを睨みつけていた少年は、涙声でそう言った。しかしハツは彼の言うことが分からず、カッとなって言い返した。
『はあ⁉︎ なんだよそれ⁉︎ オレはお前のせいでよわくなったのに!』
『……え? 』
『お前が痛いとかいうから、オレは前みたいにたたかえなくなったんだ!前はもっと、すごくつよかったのに!ぜんぜん、痛くなかったのに!お前のせいだ、お前の……!』
なんだか目頭が熱くなってきて、泣き顔に驚きを浮かべる目の前の少年の顔が歪んだ。目元に何かが触れた感触がして瞬きすれば、少年の小さな手がハツの涙を拭っていた。傷だらけのその指先はざらざらしていて、けれど温かかった。少年が何か言おうと口を開く。その時だった。
『おい!何油売ってんだ、さっさと戻れ!』
けたたましい怒号が頭上で鳴った。顔を上げれば、赤ら顔の大柄な男がこちらを見下ろしている。
『ご、ごめんなさい、おいしゃさま』
おいしゃさま、と呼ばれた男は乱暴に少年の手を掴むと、腕を引きちぎる勢いで歩き出した。顔を顰めながらも少年は黙ってついていく。
『おい、なんだよお前!そいつはいまオレとはなしてたんだ!』
ハツの言葉に、男はわずかに振り返って再び怒鳴りつけた。
『なんだあお前? お前みてぇな小僧とかかずり合ってる暇ねぇんだよ!』
『っ』
少年がぎゅっと目を瞑った。どうやら男が怒鳴った拍子に、手を掴む力が強まったらしい。身をすくめる少年を見て、ハツは不意に閃いた。
『そうか、わかったぜ!お前、こいつがこわいヤツなんだな⁉︎ だからオレがつれてくるヤツらきにいらなかったんだな!』
『え……? 』
きょとんとする少年にはお構いなしに、ハツは興奮したように目をぎらりと輝かせて男を見据えた。
『こいつたおすから、オレを治せよ!』
そう言うや否や少年の目の前に血飛沫が舞った。一瞬弧を描いて空中に停滞したそれは、すぐに赤黒い塊となってべちゃべちゃと地面に落ちた。手首が急に軽くなって見てみれば、先ほどまでその先にあった毛むくじゃらの丸太のような腕は鮮烈な赤に塗れた肉塊となっていた。
『……あ』
少年が怯えたように後ずさる。その肩を叩かれて、彼はびくっと身体を震わせた。
『ほら、こわいヤツたおしたぜ。治してくれるだろ? 』
『……たたかうの、できなくなったんじゃ』
『そりゃ、いたくなるのヤだからな。でも、いまはここにお前がいる。こいつをたおせばおまえが治してくれる。そうおもうと、こわくなくなるんだ。いままでのヤツらだって、そうやってたおしてきたんだ』
『……』
少年は答える代わりに、ハツの手をそっと握った。ここに来る前に尻もちでもついたのだろうか、手のひら全体に広がっていた擦り傷が、徐々に消えていく。
『はい、これでだいじょうぶ』
『お前は? 』
『え? 』
『お前は治さないのか? 』
『……ぼくは』
ハツは少年の手を目の高さまで掲げて、細かく傷ついたその指と掴まれてついた赤い痣、そしてまだ涙の残った瞳を見つめた。
『お前だって、痛いんだろ? 』
『……う』
うわああんっ
堰を切ったように泣き出した少年を前に、ハツはびっくりして固まった。しばらくオロオロしていたものの、やがてとめどなく溢れてくる大粒の涙をおぼつかない手つきで拭い始めた。
『いたかった……すごく、いたくて……こわかった、よぅっ』
少年は座り込んで、鼻を啜りながら泣きじゃくった。ハツはただ、先ほど少年がしてくれたように目元を拭い続けることしかできなかった。けれどもう一つ、少年がしてくれたことを思い出す。
『……? 』
ハツに両手を包み込むようにして握られて、少年は涙をいっぱいに溜めた目で不思議そうにハツを見上げた。ハツは力を入れすぎないようにしてその手をぎゅっとすると、目を合わせて笑ってみせた。
『だいじょうぶだぜ!お前がこわいヤツも、お前を痛い目にあわせるヤツも、オレがみんなたおしてやる。これからはお前が痛くなる前に、オレがたおしてやる。だから、オレんちに来いよ』
少年は目をぱちくりとさせてしゃくり上げた。
『……きみの、いえ? 』
『そうだ。そうすりゃお前はもうこわいヤツにあわないし痛くもならない。オレのこともすぐに治せる。いいことずくめだ!』
『……いいこと、ずくめ』
少年は泣き止んで、ハツの言葉を繰り返した。それから倒れている男の元に近づいてしゃがみ込んだ。
『……ぼくね、おいしゃさまにひろわれた子なんだ。おかあさんもおとうさんもいなくなっちゃって、そしたら、おいしゃさまが来て、ぼくをここにつれてきたんだ。ここに来るひとたちを治しなさい、そしたらごはんをあげるって。だからぼく、いわれたとおりにやってたのに、おいしゃさまはいつもおこって、ぼくにいたいことするから、すごくこわかったの』
少年は身を乗り出して、大きく目の見開かれた男の顔を覗き込んだ。
『ぼくは、ぼくを治すことはできないんだ。だからずっと痛かったんだよ。おいしゃさま。ぼくが痛かったぶん、こんどはきみが痛くなればいい』
ハツはただ黙って、少年のそばにしゃがみ込んだ。少年がこちらを向く。視線のかち合った瞳が、楽しげに細められた。
『ありがとう、おいしゃさまをたおしてくれて……ねぇ、きみ、なんてなまえ? 』
『ハツ』
『ハツくん、うーん、はーくん!ありがとう!』
『おいお前、なんだよそれ!オレはハツだ!』
『だっていいにくいんだもん。それと、ぼくはセナだよ!はーくん』
『だからハツだって!』
思わず一歩にじり寄れば、セナはぱっと立ち上がってきゃらきゃら笑いながら走り出した。まてよ!と叫びながらハツも追いかける。
『ねぇはーくん!』
弾んだ声でセナがハツの方を振り返った。ぱあっと、雨上がりの空のような笑顔が顔いっぱいに広がっている。
『ケガをしても、ぼくがすぐに治してあげるからね!痛いっておもうより前に、治してあげる!だからいっぱい、こわいひとをたおしてよ!』
『ふん、そんなのよゆーだぜ!』
血溜まりに映っていた小さな赤い人影は、重なり合う笑い声とともにだんだんと遠のいていった。




