②侯爵家の少年
数日前
「入りなさい」
重々しい装飾の施された扉をノックすると、同じく重々しい声が返ってきた。シキは小さく息を吸うと、ゆっくりと扉を開けて中に入った。
「座りなさい」
「……恐れ入ります、侯爵様」
恭しくそう答えて、シキは指し示された椅子に浅く腰掛けた。相手は向かいの椅子に腰掛けると、先ほどの格式ばった態度から一転、ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべてシキの方へ顔を向けた。
「報告は受けている。学園での成績はもちろん、例の爆破事件でも一役買ったようだな。学園長としても父親としても、なかなかに鼻が高い」
「身に余るお言葉です」
「で、そっちはどうなっている」
「……そっち、とは」
ジェージニアント侯爵はわずかに目を細めて声を落とした。
「王子殿下の方だ。この間王宮に行った際も共に行動したようだな。親睦を深めたんだろう? 」
「……ええ。しかしまだ、完全には」
「下手な謙遜はよせ、非効率だ。あの王子は単純で世間知らずだと聞く。ルームメイトでもあるお前には随分と信頼を寄せているようだとな」
「……信頼、は、されているとは思います」
「ならばやれ」
侯爵の声が一段と鋭くなった。シキははっとしてその目を見やると、ほぼ反射的にしかし、と口を開いた。
「まだ早いです。下手に行動を起こせば、全ての信頼を失う可能性も……」
「そうなる前に事を起こすまでだ。お前ならばできるだろう? 」
「しかし……」
なおも反論しようとするシキを遮って、侯爵は立ち上がった。それからシキの前まで歩み寄ると、少し屈んでその肩に手を置いた。
「何を躊躇っている。まさか情が湧いたわけではあるまいな? 」
「そんなことは……」
「時間がないのだ。理由はわかるな? 」
「……あと一年も経たないうちに、王子は成人を迎えその存在を公に知らしめることになる。その前に、消さねばなりません」
「そうだ。あの簒奪者め、まさか跡継ぎを秘匿していたとはな」
侯爵は忌々しそうにそう吐き捨てると、シキの耳元に口を寄せた。
「忘れるな。何のためにお前を我が家に迎え入れ、教育を受けさせてやったのか」
「……」
「お前の主人は私だということをな」
思わず膝の上で拳を握りしめると、手のひらに爪が食い込んだ。シキはただ黙って頷き、返事の代わりとした。
◯◯◯
「セナくんが攫われたって……どういうこと⁉︎」
「どうしたもこうしたもねぇよ、昨日出掛けてったきり帰って来なくて、さっき入ってきた情報では人攫いらしき様子を見たって奴がいて」
そこまで早口で捲し立てると、ハツはくるりと踵を返した。
「シキも攫われたみてぇだからなんか知ってるかもって思ったけど、お前何も知らねぇんだな。用は終わりだ」
「ちょ、ちょっと待って!」
思いもよらぬ名前にヤクは慌ててハツの腕を掴んだ。
「離せよ!」
「シキくんも攫われたってどういうこと⁉︎ セナくんだけじゃないの⁉︎」
ハツは思いっきり腕を振ってヤクの手を振り払うと、苛立った様子で声を荒げた。
「知るかよ!とにかくシキの従者からそういう目撃証言があったんだ、セナもなぜか一緒にいたらしいって」
「そんな……」
固まるヤクを置いて、ハツは今度こそ部屋を出て行こうとした。
「待ってハツくん、僕も行く!」
「……は?」
「シキくんたちを助けに行くんでしょ⁉︎ 僕も行く!」
「じょ、冗談じゃねぇ!」
ハツはカッとなって叫んだ。
「お前みたいな役立たず連れてってどうすんだよ、オレ一人で行く!あとオレが助けに行くのはセナだけだ、シキなんて知るかよ!」
「あっ」
そう吐き捨てるなりハツはぱっと駆け出して行ってしまった。ヤクも慌ててその後を追う。曲がり角の近い廊下ですぐにその姿は見えなくなってしまったが、慌ただしい靴音を頼りにヤクは走り出した。
(セナのやつ……くそ、こんなことなら何がなんでもついて行けばよかった)
ヤクの部屋は王宮から少し離れた建物の最上階に位置している。ひたすらに続く階段を降りながら、ハツは昨日のことを思い出して歯軋りした。
珍しくセナが一人で出かけると言うので始めは同行しようとしたのだが、かなり強い調子で断られたのでつい引いてしまった。以前喧嘩をしたのもあってハツは今までほどセナに対して強く出れなくなっていた。過去の経験則からしてそれは一時的なものではあろうが、その自覚がないハツは昨日の自分の迂闊さを責めるしかなかった。
(にしても、シキが一緒にいたのに攫われるとは……あいつはムカつく奴だが、鈍感でもないしその辺のやつにはやられそうもねぇけど……)
不意に視界が開けて外に出た。来た時に開け放していた扉をそのままに、ハツは自分の邸宅から乗ってきた馬の方へ駆け寄った。
「⁉︎ 」
「あ、ハツくん!やっぱりこの子、ハツくんの馬なんだね」
馬の頰を撫で、そばでにっこりと微笑んでいたのはヤクだった。
「お前っなんでオレより先に」
「近道があるんだよ、それよりハツくん、この子に乗って行くんでしょ? 僕も乗せて!」
「はっ冗談じゃ……」
「僕ならここから外へ行く近道も知ってる!すぐに城門に出られるよ!」
ヤクはここぞとばかりに食い下がった。ゲリラ対策なのか、王宮から城門までは入り組んだ迷路のようになっていて、直線距離で見れば少し遠いくらいの距離なのだが実際に進もうとすると外に出るまでにかなりの時間を要するのである。
「……マジだな? テキトーこいたらぶっ殺すぞ」
「神に誓って!」
ヤクが頷くやいなや、ハツはひらりと馬に飛び乗った。
「早くしろ、置いてくぞ」
「うん!」
ヤクもまた意外に慣れた様子で馬に乗ると、ハツの腰にしがみついた。
「舌噛んだら突き落とすからな、案内役!」
「任せてよ!まずそこ右!」
ハツが思いっきり手綱を引くと、馬は大きく跳び上がって飛ぶように駆け出した。




