①地下室の少女
薄暗い通路は埃っぽく、急な階段を壁に手をつきながら降りていると石積みの壁に触れた手のひらがひんやりと冷えた。久々に通るこの通路を、ヤクは服が汚れるのも構わずずんずんと進んでいく。そうしているうちに、ぽっかりと空いた穴が見えてきた。
(出口だ)
はやる気持ちを抑え、ヤクは疲れてきた脚を動かした。
ヤコの出立から一週間が経とうとしていた。シキも実家へと帰ってしまい、ハツとセナもハツの邸宅で過ごしている今、ヤクには数ヶ月前と__学園に通う前と同じ孤独が訪れていた。
そんな折、彼はこっそりと自分の部屋から抜け出した。出口は幼い頃見つけた小さな抜け穴で、おそらくは有事の時のために用意された脱出口と思われるが、補修されつつも建立数百年の歴史を誇るこの城においてその存在を知る者はいなくなっていた。
子ども特有の身長と活発さにより棚と壁の隙間にあるこの抜け穴に気づいて以来、ヤクはヤコや従者たちが自分の部屋を訪れない時を見計らってここに身体を滑り込ませていた。けれど、抜け穴は所詮通路でしかない。ヤクが飽きることなく何度もそこに足を運ぶのには別の理由があった。
「久しぶり!元気だった? 」
声をひそめながらも再会の喜びを抑えきれない調子でそう問いかけると、通気口の向こうからぱたぱたと足音がした。まもなく床すれすれにある通気口からにゅっと二つの目が覗いて、それがぱあっと輝く。
「おにいちゃん!」
今にも笑い出しそうな弾んだ声とともににっこりと笑った少女に、ヤクもまたとびっきりの笑顔で応えた。
少女は、緑色の右目と茶色の左目という左右で色の違う大きな瞳をきらきらと輝かせて、久しぶりの訪問者を見つめていた。茶色い前髪とポニーテールがさらりと揺れる。
「おかえり!がくえん、は、やめちゃったの? 」
「え⁉︎ ううん、今はお休みになったんだ。もう少ししたらまた行くよ」
「なーんだ、そっか……」
しょんぼりとする少女にヤクは慌てて声をかけた。
「でも、また帰ってきていろんなお話をするよ!そうだ、学園ではいろんなことがあってね……」
ヤクが語り出すと、少女は興味津々といった様子で身を乗り出し、再び目を輝かせた。
少女について、ヤクが知っていることは少ない。少女はヤクよりいくらか年下に見えるが、実際に何歳なのかはわからない。彼女は随分昔からこの通路の先__おそらく地下で暮らしていた。
少女は白い壁で囲まれた部屋にいるが、鍵のかかったドアは奇妙なことに中からも開けられず、窓もないため、話すには壁の下の方に取り付けられている通気口から顔を覗かせるしかなかった。彼女によれば日に三度、食事やその他必要なものを運んでくる人がいるらしいが、ヤクはまだ会ったことがなかった。というのも、その人が来る前に少女がヤクを帰すからだ。子供心にこの少女との関わりは周囲に知られてはならないと感じたヤクは、彼女と出会って八年、誰にもこのことを話さなかった。
ヤクについて、少女が知っていることも少ない。名前さえも知らず、ヤクのことを「おにいちゃん」と呼ぶ。これは決してヤクが自身のことを秘匿したわけではなく、少女にそう頼まれたのだ。お互いを知りすぎないようにしたい、と。だからヤクは詳しいことは何も話さず、聞かず、ただここを訪れては身の回りであったことを話して聞かせる、ということを繰り返していた。孤独な者同士、波長が合ったのかもしれない。何も知らなくても、二人は仲良しだった。
「そろそろ戻らないと」
話が落ち着くと、ヤクはそう言った。もうじき従者がヤクの部屋を訪れる時間だった。
「またね」
「またね、はやくきてね」
名残惜しく思いながらも通気口に手を伸ばす。一回り小さな手がそっと伸びてきて、二人はいつもの通りお別れのハイタッチをした。
「ちょっとまって、おにいちゃん」
少女に呼び止められて、身を起こしかけていたヤクは再び通気口を覗き込んだ。少女の瞳が真剣な様子でこちらを見つめている。
「おにいちゃんのおともだち、おともだちなの? 」
「え? 」
今しがた学園で出会ったと語って聞かせた友人たちの姿を思い浮かべてから、ヤクは少女の質問の意味を図りかねてきょとんとした。少女は、ヤクの瞳の先を覗こうとするかのようなどこか虚ろな目で、しかしはっきりと言った。
「おにいちゃんのおともだち、おにいちゃんをきずつけるね」
「傷? ……どういうこと? 僕、誰とも喧嘩してないよ」
ハツくんはちょっと怒ってるみたいだけど、とヤクは心の中で付け加えた。少女はこてんと首を傾げると、不意ににっこりした。
「だいじょうぶだよ。もうちょっとで、さがしてたものがみつかるよ。よかったね」
「探してたもの? 」
ヤクはまたもきょとんとして聞き返した。全く心当たりがない。
「ずっとずっと、それに、これからも、さがしてるよ。おともだちに、なれるといいね」
にっこり笑って手を振る少女に、曖昧に頷きながら手を振り返す。帰り道でもずっと考えてみたが、何も思い当たらなかった。首を捻っていたヤクだったが、部屋に戻るなり入ってきた思わぬ訪問者に全てが飛んでいってしまった。
「ハ、ハツくん⁉︎ 」
荒々しく扉を開けて部屋に入ってきたのはハツだった。
「おい、知ってること全部言えよ」
「えっなんのこと⁉︎ どうしたの⁉︎ 」
入ってくるなりヤクの両肩を掴み、物凄い剣幕で迫ってきたハツにヤクは目を白黒させた。しかし、次に彼の放った言葉にその目は大きく見開かれた。
「セナが攫われた。お前、何か知らねぇか? 」




