㉑またね
「じゃあ、元気でね! チガヤさん!」
「次にオレたちが来る頃にはもう少し道整備しとけよ。どっかのバカが崖から落ちそうになったらしいからな」
「考えておきます」
チガヤが苦笑する。そんなやり取りを見守りながら、ヤコは胸が締めつけられていくような心地がした。
「チガヤさん。色々ありがとう。あなたのこと、忘れないわ」
「王女殿下、お手を貸してはいただけませんか」
「?」
言われるがままにヤコが両手を出すと、チガヤはそこに数本の植物を置いた。
「これって……」
「キサラソウです。特殊な保存液に漬けておきましたから、このままお持ちいただいても枯れたりはしませんよ」
「……どうして」
「ヤク様に聞いたのです。王女殿下がキサラソウを探してこの森に入られたと。本当は今朝お渡ししようと思っていたのですが、色々と慌ただしくて渡しそびれてしまい……」
そういえば、とヤコはヤクの話を思い出した。今朝、チガヤの家でヤクが目覚めた時、チガヤは戸口の方から食堂へとやって来たようだったと。
(キサラソウを摘んできてくれていたのね……アスサに会う前に)
「ありがとう……チガヤさん。大切にするわ」
「キサラソウがさらに必要になりましたらいつでもお申し付けください。あなたと、あなたの大切な人がいつまでも健康でいられるよう祈っております」
「ええ……。あなたも、元気でね」
喜びと同じだけ、離れがたい気持ちが湧き上がってくる。なぜ出会ったばかりのイペリエスを巻き込んでまでこの森に来たかったのか、ようやくわかった気がした。
ヤコはくるりとチガヤに背を向けると、ゆっくりと歩き出した。一歩、一歩と今が思い出になっていく。すると、背後から小さな声が聞こえた。
「もう、お帰り。すっかり日が暮れてしまう前に」
ヤコははっと後ろを振り返った。チガヤはあの時と同じ、夕焼けに照らされた優しげな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。湖面のように穏やかに微笑んだ口元が言葉を象る。
「またね、ヤコ」
◯◯◯
「調子はどうだ?」
「元気だよ! もうお腹ペコペコで〜」
ベッドの上でヤクはお腹を押さえてみせた。シキがホッとしたような呆れたような笑みを浮かべる。
あれから一週間ほど経って、ヤクもこうして話せるくらいに回復した。シキが血塗れのヤクを抱えて戻った時には王宮中が大混乱に陥ったが、その後宮廷医師たちの速やかな対処によってヤクは回復の一途を辿った。ヤクの存在を知る者は限られているためにその人数は決して多くはなかったが、その代わりに百人力の精鋭たちが揃っていたのはさすがは王子と言うべきか。かくいうシキはハイマの使い過ぎで少々体調を崩したのだが、時間の許す限りヤクの付き添いを続けていた。
「王子殿下、お食事をお運びいたしました」
「待ってましたっ! ありがとう!」
従者がワゴンに食事を乗せて運んできた。怪我人一人で食べるには随分と多いその量にシキはびっくりしたが、ヤクはわくわくと目を輝かせている。空腹の間はいくらでも食べられるような気がしてしまうのだからまあ仕方ない。
ベッドのそばのテーブルに皿が並ぶなりがっつき始めたヤクに、シキはぶつぶつと文句を垂れた。
「あんまり慌てて掻き込むんじゃない。喉に詰まらせたらどうするんだ」
「ふぁいふぉうふふぁほ!」
「大丈夫じゃないから言っているんだ。大体、お前食べ過ぎだぞ? 最近ちょっと太ってきたんじゃないか?」
「へ」
ヤクはごくんと咀嚼していたものを飲み込んだ。
「そ、そうかな」
「そうだ。運ぶ身にもなってみろ。重いったらありゃしない、おかげで両腕が筋肉痛だ」
従者が出て行ったためにシキはいよいよ言いたい放題になった。ヤクはしゅんとして食べる手を止めた。
「それは、ごめん……。確かに食べ過ぎは良くないよね。気をつけるよ」
俯いてしまったヤクを見て、シキは無性に腹が立った。
(違う、俺が言いたかったのはそんなことじゃなくて……)
「シキくん?」
ヤクはびっくりして声をあげた。シキはヤクの膝の辺りに手を置くと、そのまましゃがみ込んで顔を埋めた。
「嘘だよ。好きなだけ食べればいい。いくらでも運んでやるから……だから」
置かれた手が小刻みに震えていることに、ヤクはようやく気がついた。
「俺が呼んだら、すぐに目を開けて返事をしろ。もう二度と……無視しないでくれ」
「シキくん……」
ヤクはそっとフォークを置くと、シキの頭に手を伸ばした。なんとか届いた指の先で、ぽんぽんと撫でるように叩いてやる。
「心配かけてごめんね。助けてくれてありがとう、シキくん」




