⑥優しい人?
チチチ……と鳥の鳴き声が聞こえて、ヤクはぼんやりと目を覚ました。朦朧とした意識の中で、草木がざわざわと揺れる音や木の匂い、それに誰かの話し声がぼそぼそと聞こえてくる。
(そうだ……昨日、森に来て……それで……)
徐々に昨夜のことを思い出しながらうとうとしていると、遠くで扉が閉まる音がした。はっと目が覚めて飛び起きる。周りを見れば、シキ、ハツ、セナが窮屈そうに眠っていた。普段一人で暮らしているらしいチガヤの家に客人用の寝室などあるはずもなく、ヤクたちは奥の倉庫に空けてもらったスペースで寝ていた。紅一点のヤコは別室である。三人を起こさないようにそーっと布団から抜け出して、ヤクは抜き足差し足で扉を開けた。その先はリビングとダイニングを兼ねたこの家で倉庫の次に広い部屋だったが、そこには誰もおらず、ただ差し込んだ朝日に照らされて戸棚に置かれた瓶がきらきらと光っていた。
「おや? おはよう、ヤク君。早いな」
「チガヤさん! おはよう!」
倉庫に繋がる扉とは別の、廊下に面した方の扉が開いてチガヤが顔を覗かせた。
「よく眠れたかい?」
「うん! とっても気持ちよかったよ!」
そこでヤクはきょろきょろと辺りを見回した。
「どうかした?」
「さっき話し声が聞こえたんだけど……誰か来てたの?」
チガヤは微かに目を見開いた。
「誰も来てないけど……寝ぼけてたんじゃないのかい?」
「そんなことは……あるかも……」
朝方の記憶は夢現でいつも曖昧だ。
「そもそもこんな森の奥に人なんて滅多に来ない。君たちみたいないたずらっ子はたまに森の入り口で見かけるけどね」
冗談めかしてそう言うチガヤにヤクは肩をすくめてみせた。
「色々お世話になりました! ありがとう!」
「どういたしまして。気をつけて帰るんだよ」
森の入り口で、チガヤが微笑みながら手を振る。ヤクがにこにこと手を振りかえす横で、ヤコが思い切ったように口を開いた。
「チガヤさん。もしかして、昔__」
「ん?」
ヤコはふっと足元に目を落としてから、顔を上げて笑った。
「いえ、ありがとう。朝食までいただいちゃって」
「こちらこそ。たまには大人数で食事というのも悪くないな」
(ヤコ……)
彼女が何を聞こうとしたのかなんとなくわかって、ヤクは複雑な面持ちでその横顔を見つめた。
「チガヤさん、またね!」
「うん、またね」
セナに続いて、シキやハツも軽く一礼をして歩き出した。ヤクたちも慌てて追いかける。チガヤは姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「あーーーっ!」
帰り道。突然ヤクが大声を出したので四人はびっくりして肩を震わせた。
「な、なんだよヤク」
「結局……何も見つかんなかった……」
この森に来た目的を思い出して、ヤクは頭を抱えた。成り行きに任せて森を出てしまったが、ヤコを襲った者の手がかりもキサラソウも手に入らなかったのだ。
「そうだわ! せめてあの危険な人たちのことはチガヤさんに教えておかないと……行ってくる!」
慌てて走り出そうとしたヤコをシキが引き止めた。
「いや、その必要はない」
「え?」
「帰るフリもこのくらいで十分だろう。戻るぞ」
そう言うなりシキはスタスタと森の方へ歩き始めた。
「おい、ボヤボヤしてると置いてくぞ」
呆気に取られる三人を尻目に、ハツもまた森へと方向転換する。
「ど、どういうこと?」
「あのチガヤって奴、怪しいぜ」
単刀直入なハツの答えにヤクは言葉に詰まった。
「怪しい……? 優しいじゃなくて?」
セナも首を傾げる。シキは険しい表情でこちらを振り返った。
「お前はぐっすり寝ていたから気づかなかったかもしれないが……チガヤは朝、何者かと会っていた」
「えっ、じゃああれ、夢じゃなかったんだ……」
てっきり自分が一番早起きできたと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。おかげで朝の疑問が晴れはしたのだが。
「あれ? でもチガヤさんは、誰も来てないって……」
「お前に言えないような相手だったんだ。なんてったってその相手は……」
「ジェイストの構成員だったからな」
シキの言葉をハツが引き継いだ。ジェイスト、という言葉にさっと緊張が走る。
「そんなまさか……」
「ヤク、お前だって芸術祭の爆発事件の時会った奴だぜ? よく喋るフードのウザい奴がいただろ。相変わらず顔は見えなかったが、声も体格も歩き方もあの時の男で間違いない」
ハツがきっぱりと断言した。戦闘能力に優れているだけあって、ハツは人一倍相手の身体的特徴に鋭い。その彼が言うのだから十中八九そうなのだろう。
「じゃあヤコちゃんを襲った人って、そのジェイストの人なの?」
「可能性は高い。チガヤは奴らとグルなんだろう。何が目的かは知らんが、森の管理者が味方なら立ち入りは自由にできるはずだ」
もしかしたら昨夜チガヤの家に向かう途中で感じた視線も奴らのものだったのかもしれない、とシキは付け加えた。
「でも、チガヤさん優しい人だったよ。見ず知らずの僕たちを泊めてくれてご飯もくれて……」
「僕の虫刺されの手当てもしてくれたし」
ヤクとセナの言葉にシキは呆れたような顔をした。
「そんなの、俺たちを監視するために決まってるだろ。はじめは俺たちをすぐにでも森から追い出そうとしたけど、帰すのが不自然な状況になったから家に置いて見張ってたんだろう」
「そんな風には見えなかったけどなぁ……」
セナは納得いかない様子で首を傾げていた。ヤクは、ヤコがさっきからずっと黙ったままなのが気になった。
「ヤコ? 大丈夫?」
「え? ……ええ」
ヤコははっと顔を上げると、曖昧に頷いた。と、先頭を歩くシキに追いついて並んで歩き出す。
「真相を確かめましょう。もし悪いことが行なわれようとしているのなら、私たちが止めなくちゃいけないわ」
そう言いきってみせた声音はどこか沈んでいて、ヤクは一抹の不安を覚えながらその後ろ姿を追いかけた。




