⑨お前だよ
「ねぇヤコ」
勢いよく飛び出したヤコを追いかけて横並びになったヤクは、ふと彼女に話しかけた。
「なぁにヤク」
のんびりとヤコが返す。他四人は少し離れたところからついてきていた。
「なんで急に街へ行くなんて言ったの? ヤコは行こうと思えば行けるでしょ?」
「そうでもないのよ。最近物騒でしょ? なかなか外出なんてさせてもらえなくて……」
そう言って目を逸らしたヤコに、とうとうヤクは違和感を抑えきれなくなった。
「ヤコ……何かヘンだよ、僕がこっちに帰ってきてからずっと……。何かあったの?」
ヤコは少し驚いたように目を見開いてから、寂しげに笑った。
「やっぱりヤクはお見通しなのね。そんな人は、ヤク、きっとずっとあなただけよ」
「……どういうこと?」
ヤコはヤクの方に顔を向けて、じっと弟の顔を見つめた。自身のそれと同じ色の瞳に映る自分は、今どんな顔をしているのだろう。
「私ね、お嫁に行くの」
「……え?」
足が動くことを忘れて、ヤクは前につんのめった。けれど隣を走るヤコを目が追うから、中腰のままふらふらと進み続ける。
「お嫁に? なんで? そんなこと、一度も……」
「お父様には私からヤクに話したいってお願いしてたの」
「そう……なんだ……」
ヤクがこの国の唯一の王子であるのと同様、ヤコはこの国の唯一の王女だ。ずっと遠い話だと思っていた結婚という出来事が、子どもの頃夢見たそれとは大きく乖離しているのだとわかるくらいには二人は成長していた。
「……会いに行くよ。今と変わらずずっと……」
「無理よ。だって私が嫁ぐのはサンキレアスの皇帝よ」
「サンキレアス……」
サンキレアス帝国はメジアスト王国の隣に位置する広大な国である。だが隣というのはあくまで地図上の話であって、実際には海を挟んだその国は訪問はおろか手紙一枚届くのさえひと月を要するほどだった。
「だからここへ来たかったの。私たちの国の街で、私たちの国の食べ物を、私たちの国の人たちと一緒に……ヤクと一緒に食べたかったの」
「ヤコ……」
言葉と感情が一緒くたになって体の中を蠢く。それでも、ヤコがずっとそれを言わずにここまで来た理由を考えてヤクは全てを呑み込んだ。そして今朝と同じく笑ってみせる。
「一緒に食べよう? ヒルトさんを、僕たちの国の人を助けて、僕たちの国の食べ物を一緒に食べよう」
「……うん!」
弾けるようなその笑顔が鏡像ではないのだと、ずっとそばにあるものではないのだと、ヤクは初めて知った気がした。
ヒルトの恋人、ミアの職場のそばまで来て、一同は足を止めた。
「とりあえず来てみたけど……怪しい人はいないね」
ヤクはフードを少し持ち上げながらきょろきょろした。
「そりゃ、犯人が犯人ですって顔してたら自警団は要らないだろ」
「なら、逆を探せばいいんじゃないかしら?」
「逆って?」
セナの問いに、ヤコは人差し指をピンと立てた。
「乗っ取られた人を探すのよ! そういう人は本人が到底しないようなことをしてしまうんでしょ? なら、いつもと様子が違うって人を探せばいいのよ!」
「そんなの、知人でもない限り……」
言いかけてシキは口をつぐんだ。その一瞬の沈黙に、皆シキの考えていることがわかったらしい。意味ありげな静寂ののち、シキが再び口火を切った。
「一人、いるな。普段の様子からは考えられないような言動が見られる奴が。しかもそいつは常日頃から街へと繰り出しているから、犯人の策にかかってもおかしくない」
「それって……」
「セナだな!」
ヤクの言葉を遮ってそう叫んだのはハツだった。
「えっ」
「セナ、お前いま、乗っ取られてるだろ! 本当のセナならオレが謝ったらすぐに許すはずだっ!」
そう言ってハツは人差し指をセナに突きつけた。しーん、という音が聞こえるほどその場は静まり返る。その妙な空気を察して、ハツは怪訝そうな顔をした。
「なんだよ? 怪しいのってセナで決まりだろ?」
「お前だよ」
シキが冷たく言い放った。自分の考えの代弁者に、ハツ(とヒルト)を除いた三人は頷いて同意を示した。
「は……オ、オレ⁉︎ なんでだよ⁉︎」
「なんでも何も、最初から変だっただろ。キレ症治ってるし静かだし」
ヤクたちがうんうんと首を縦に振る。
「ちょ、ちょっと待てよ。ここまで来てもオレを許さないセナの方が明らかにおかしいだろ」
「お前のその思考回路がおかしいよ」
「セナくんだって、怒る時は怒ると思うよ……」
「私はセナをよく知らないけれど……今日のハツは、いつもと様子が違うわね」
ヤクとヤコも加勢する。味方がいないことを悟って、ハツは一歩後ずさった。
「……オレがその犯人って奴に乗っ取られていたとして、お前らどうする気だ」
「そりゃ、吐かせるしかないだろ」
シキがじり、と一歩踏み出した。
「何を」
「情報を」
ハツは突然駆け出した。しかし二歩目の足をつかないうちに、腕を引っ張られて後ろに倒れ込んだ。
「確保!」
ヤコがハツの両腕を掴んで拘束する。必死で身を捩るものの、ヤコの手はびくともしない。
「この馬鹿力っ!」
喚くハツをヤコが取り押さえると、シキがその目の前に立った。背の高い彼は自然とハツを見下ろすような格好になったが、その口元には楽しげな笑みが浮かんでいた。
「感覚もちゃんと乗っ取ってるみたいだな。痛覚も万全か?」
「お前、さっきまで夕方の魚市場の腐りかけた魚みてぇな目してたくせに……」
水を得た魚といった様子で生き生きとしたシキを、ハツは憎々しげに睨みつけた。




