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覇狼、地を貫く  作者: 神箭花飛麟
分裂の危機

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Ⅶ 終焉

時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。

1265年、冬。

タブリーズ。

フレグが、床に伏していた。

遼西が、天幕の外で待っていた。

冬の空は低く、灰色の雲が広がっていた。

西方の冬は、草原とは違う重さがあった。

アリフが出てきた。

「遼西様」

「どうだ」

「お医者様が、もう長くないと」

遼西は、目を閉じた。

フレグに仕えて、十四年が経った。

最初に出会った時、遼西は十六歳だった。

投石機の図面を持って、フレグの天幕に入った。

「お前は、天才だな」

フレグが言ったあの言葉を、今でも覚えている。

「入っていいか」

遼西が聞いた。

「はい。フレグ様も、お望みです」

天幕に入った。

フレグが、横になっていた。

顔が、痩せていた。

だが、目は、まだ力があった。

「遼西」

「はい」

フレグが、かすかに笑った。

「お前は、よくやってくれた」

「フレグ様こそ。この十四年、お世話になりました」

「俺の方こそだ。お前の回回砲があったから、バグダードは落ちた」

「だが、今日は別の話だ」

フレグが続けた。

「お前には、帰る場所がある」

「父上のもとへ、帰れ」

遼西は、答えられなかった。

「俺が死んだ後、息子のアバカが継ぐ」

「アバカは、優秀だ。お前がいなくても、大丈夫だ」

「...はい」

「帰れ」

フレグが言った。

「父上に、会いに行け」

「父上に、よろしく言っておけ」

「チンギス様を記録した男に、礼を言うと」

「はい」

遼西は、深く頭を下げた。

フレグの手が、遼西の肩に触れた。

「ありがとう」

「こちらこそです、フレグ様」

「お前が来てくれて、よかった」

「俺も、よかったです。ここで働けて、よかった」

その夜、フレグは静かに息を引き取った。

五十一年の生涯だった。

遼西は、天幕の外に出た。

西の夜空に、星が出ていた。

(フレグ様、ありがとうございました)


アバカが、新たな主となった。

「遼西、父上から聞いている。お前を、帰してやれと」

「行け。お前の働きは、十分すぎるほどだ」

「一つだけ、頼みがある」

アバカが続けた。

「お前の父上の記録を、いつか見せてくれ」

「チンギス様の時代からの記録を、読んでみたい」

「はい。必ず」

遼西は、タブリーズを出た。


帰路は、長かった。

ペルシャから中央アジアへ。

中央アジアから草原へ。

草原を、東へ東へ。

アリフが、ずっと同行してくれた。

「遼西様、どのくらいかかりますか」

「半年は、かかる。急いでも、どうにもならない」

「アリフ、お前も一緒に来るか」

「もちろんです。遼西様のそばで、働かせてください」

「...そうか。ありがとう」

旅の間、遼西は記録を取り続けた。

フレグの最期のこと。

アバカとの会話のこと。

西方で見てきた十四年間のこと。

砂漠を渡る隊商のこと。

草原に戻ったとき、懐かしい香りがした。

(帰ってきた)

(やっと、帰ってきた)

アリフが言った。

「遼西様、草原に入りましたね」

「ああ。これが、俺の生まれた場所のにおいだ」

遼西が深く息を吸った。

目が、潤んでいた。


中原。

遼海が、知らせを受けた。

「遼西様が、帰られました」

「そうか」

遼海が、筆を止めた。

(遼西が、帰ってきた)

(これで、俺を除く四人が揃った)

(俺も、いつか帰る)

(もう少しだけ、仕事がある)

遼海は、記録帳を開いた。

「1266年秋、遼西、西方より帰還。遼海を除く四人が帰還」

書き終えた。

(父上は、今頃何を書いているだろう)

(同じことを、書いているはずだ)


1266年、秋。

舜の家。

星歌が、庭に出ていた。

遼高と遼希が、隣にいた。

「七星から、あと十日ほどと連絡が来ていました」

遼高が言った。

「遠かったわね。タブリーズから、ここまで」

「半年以上かかりました。よく帰ってきてくれた」

その夕方。

草原の彼方から、馬が来た。

「来た」

遼高が立ち上がった。

「遼西!」

遼高が草原に向かって走った。

遼希も、続いた。

馬が止まった。

遼西が降りた。

「遼高兄さん、遼希」

「帰ってきたか」

遼高が、遼西を抱きしめた。

「帰ってきた」

「十四年ぶりだな、ゆっくり話すのは」

「そうですね」

遼西の目が、潤んだ。

「遼希も、大きくなったな」

「遼西兄さんも。背が伸びました」

三人は、しばらく向き合っていた。

星歌が、追いついてきた。

「遼西」

「母上」

「お帰り」

「ただいま、母上」

星歌が、遼西の手を取った。

「よかった。本当に、よかった」

「心配かけました」

「そうよ。でも、帰ってきた。それでいい」

「母上も、お元気で何よりです」

「もう、いい」

星歌が笑った。

舜が、ゆっくりと歩いてきた。

「父上」

「お帰り」

舜が言った。

「ただいま、父上」

「フレグ様は」

「昨年の冬、亡くなりました。最後まで、立派なお方でした」

「父上によろしくと、言っていました」

「チンギス様を記録した男に、礼を言うと」

舜は、しばらく黙った。

「そうか。フレグ様らしい言葉だ」

「ご苦労だった」

「いいえ。俺には、やることがありました」

「それでいい。帰ってきた。それだけで、十分だ」


家の中。

四人で、茶を飲んだ。

「遼西、向こうで何をしていたんだ」

遼高が聞いた。

「投石機の管理と、技術者の育成を。あとは、記録を」

「バグダード攻略でも、活躍したそうじゃないか」

「あの回回砲は、俺が改良したものです」

遼高が、驚いた顔をした。

「本当に天才だな」

「そうでもないです」

遼西が笑った。

「時間があったので、いろいろ試せました」

「遼海兄さんは」

「中原にいる。いつか、帰ってくる」

「そうなれば、五人が揃う」

遼西が頷いた。

「楽しみですね」


遼希が、縁側で空を見ていた。

「遼西兄さん、疲れましたか」

「少し、な」

「明日から、また一緒にいられますね」

「そうだな」

遼西が笑った。

「お前は、カラコルムで何を学んだ」

「民が苦しむのを、見た」

「そうか」

「記録するしか、できなかった」

「それでいい」

遼西が言った。

「記録することが、俺たちの仕事だ」

「はい」


舜の家。

夜。

舜が、記録を書いていた。

「1266年秋、遼西、西方より帰還。フレグ様の逝去を報告」

「これにて、遼海を除く四人が帰還」

書き終えた。

横に、遼西の記録帳があった。

分厚い帳面だった。

舜は、それを開いた。

ペルシャの記録。

バグダードの記録。

アッバース朝最後のカリフのこと。

フレグの戦いのこと。

西方の民の暮らしのこと。

舜は、ゆっくりと読んだ。

「これが、遼西の記録か」

星歌が隣に来た。

「どう?」

「よく書けている。視野が広い」

「西方の政治から、民の暮らしまで書いてある」

「遼西らしいわね。細かいところまで、ちゃんと見ている」

「そうだな」

舜は、記録を閉じた。

「俺の記録と、遼海と、遼高と、遼希と、遼西の記録」

「全部合わせれば、この時代の全てが残る」

星歌が頷いた。

「チンギス様の時代から、ずっと記録してきたのね」

「そうだ。これからも、続ける」

舜が、窓の外を見た。

草原の夜が、広がっていた。

秋の風が、静かに吹いていた。

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