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覇狼、地を貫く  作者: 神箭花飛麟
分裂の危機

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Ⅴ 孤立

時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。

1262年、秋。

カラコルム。

市場から、肉が消えた。

穀物は残っていたが、量が少なく、値段が高かった。

城内の人口は多い。

将軍の家族、兵士の家族、商人、牧民、記録者。

アリクブケを支持して集まった人々が、今、食料難に苦しんでいた。

遼希は、市場を歩いた。

「昨日より、また減った」

記録帳に書いた。

「1262年秋、カラコルム市場の穀物価格、先月比二割増。肉類は、ほぼ入手不可能」

老人が、店の前に座っていた。

春に話しかけた、あの老人だった。

「また来たな、兄ちゃん」

「はい」

「まだ、戦は終わらんのか」

老人が言った。

「...まだです」

「そうか」

老人が空を見た。

「俺は、もう長くないな」

「そんなことを言わないでください」

遼希が言った。

「嘘をつくな。お前は正直な顔をしている」

老人が笑った。

力のない、苦笑いだった。

遼希は答えられなかった。

老人の顔が、春より、ずっと痩せていた。

(俺には、何もできない)

(記録することしかできない)

遼希は歩き続けた。

別の路地で、子供が泣いていた。

母親が、子供をなだめていた。

「もうすぐ、ご飯が来るよ」

母親が言った。

その声が、かすかに震えていた。

遼希は、記録帳を開いた。

書き続けた。

書くことしか、できなかった。


アリクブケの天幕。

「チャガタイ・ウルスからの返答が来ました」

カラチャルが報告した。

アリクブケが受け取った。

「アルグが、支援を断ってきた」

「そうです」

「理由は」

「クビライ側と取引があるため、と」

アリクブケが手紙を閉じた。

「アルグは、クビライに寝返ったか」

「そのようです」

「...そうか」

アリクブケが静かに言った。

頼れる者が、また一人減った。

「南の牧民は」

「供出の限界が来ています」

「北の遊牧民は」

「同じくです」

「...分かった」

アリクブケが立ち上がった。

「今いる兵糧で、できる限り戦う。それしかない」

「はい」

カラチャルが頭を下げた。

遼高は、天幕の端で記録を取っていた。

「1262年秋、チャガタイ・ウルスのアルグ、支援を拒否。アリクブケ、孤立を深める」

書き終えた。

(この記録を書くたびに、アリクブケ様の状況が悪くなっていく)

(俺は、それを書き続けている)

ボロンが来た。

「遼高、顔色が悪いな」

「大丈夫です」

「嘘をつくな」

「...書くことが、正しいのか、と思っています」

「それがお前の仕事だ。割り切れ」

「...割り切ろうとしています」

遼高が正直に言った。

ボロンが頷いた。

「それでいい」

ボロンは、それ以上何も言わなかった。

それで、十分だった。


中原。

クビライの宮廷。

遼海が、耶律鋳と話していた。

「アルグがアリクブケへの支援を断った、という報告が来ました」

「そうか。後は、時間の問題だな」

耶律鋳が言った。

「はい。だが、早く終わらせたい」

遼海が答えた。

耶律鋳が遼海を見た。

「弟たちが、向こうにいるからか」

「はい」

「お前の父上も、同じことを考えているだろうな」

「そうだと思います」

「いつか、全員が帰ってくる。その日まで、俺たちは仕事をするだけだ」

遼海は頷いた。

記録帳を開いた。

「1262年秋、アルグ離反。アリクブケの孤立、決定的となる」

書き終えた。

バヤンが入ってきた。

「遼海殿、封鎖線の西区間に隙が出ました。補充の兵が必要です」

「分かりました。一星に任せましょう。あそこなら分かっています」

「お願いします」

バヤンが去った。

遼海は、また記録帳を開いた。

書くことで、遼高と遼希への思いを、どうにか抑えていた。


1263年、春。

草原に、三度目の春が来た。

アリクブケ軍の様子が、変わっていた。

将軍のトルゲが、密かにクビライ側に接触したという報告が来た。

「裏切り者か」

カラチャルが言った。

「断罪するか?」

アリクブケが答えた。

「待て」

しばらく考えた。

「トルゲだけではないはずだ。全員を断罪しても、誰も残らなくなる」

アリクブケが目を閉じた。

「放っておけ。今はまだ、戦える」

「しかし、殿下」

「放っておけ」

カラチャルが黙った。

遼高は記録に書いた。

「1263年春、将軍トルゲ、クビライ側と接触との報。アリクブケ、断罪せず」

書き終えた。

(アリクブケ様が、変わってきた)

(昔木土の頃の強さが、少しずつ失われていく)

(それでも、諦めていない)

遼高は、アリクブケの背中を見た。

三年前より、その背が少し小さく見えた。


カラコルム。

遼希が、城壁の上に立っていた。

春の風が、北から吹いてきた。

市場の老人が、先月死んだと聞いた。

食料が足りなかった。

(俺が、もっと早く穀物を確保できていれば)

(あの老人は、まだ生きていたかもしれない)

遼希は、城外を見た。

草原は広かった。

その向こうに、クビライの封鎖線がある。

その向こうに、遼海兄さんがいる。

「遼希様、アリクブケ様から呼び出しがあります」

「分かった」

遼希は、城壁を下りた。

(俺には、何ができる)

(記録を取ること以外に、何ができる)

(今は、それだけだ。それでも、続ける)


西方。

フレグの天幕。

「アルグがアリクブケへの支援を断ったそうです」

遼西が報告した。

フレグは、すでに知っていた。

「アリクブケは、もう長くない」

フレグが静かに言った。

「クビライが、帝国を一つにまとめる。その後の世界で、俺はここを守り続ける」

「フレグ様は、クビライと話し合いますか」

「する。俺はここを守るが、帝国の一部として認められなければ、周りから攻められる」

「クビライと折り合いをつける。それが、最善だ」

遼西は、その言葉を記録帳に書いた。

「フレグ・ウルス、クビライとの協調を模索」

(兄たちも、そうなればいい)

(遼高が、無事に帰れますように)


舜の家。

七星から報告が届いた。

「カラコルム、食料事情悪化が続く。将軍の一部に動揺あり。遼高・遼希、いずれも無事」

舜は記録を書いた。

「1262年秋から1263年春にかけて、アリクブケの孤立深まる」

「チャガタイ・ウルスの支援断絶。将軍の離反が始まる」

「遼高・遼希、カラコルムに在。遼海・遼西、それぞれの持ち場に在」

筆を置いた。

星歌が入ってきた。

「子供たちは」

「無事だ」

「よかった」

星歌が座った。

「この戦、いつ終わるの」

「もうすぐだと思う」

舜が答えた。

「決着がついたら、子供たちは帰ってくるの」

「帰ってくる。そう信じている」

「帰ってきた時、なんて言おうかしら」

「なんと言う?」

「お帰り、かな」

「それでいい。それだけで、十分だ」

星歌が、少し笑った。

草原の春の風が、窓を揺らした。

終わりが、近づいていた。

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