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覇狼、地を貫く  作者: 神箭花飛麟
分裂の危機

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Ⅰ 封鎖

時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。

1260年、秋。

カラコルム。

補給が、止まり始めていた。

中原から北へ向かう街道は、クビライの兵が固めていた。

隊商は足止めされ、穀物を積んだ荷車は引き返させられた。

城内の市場から、少しずつ品物が消えていった。

遼希は、その変化を毎日記録していた。

先週は干し肉があった。今週はない。

先週は小麦袋が三列並んでいた。今週は一列だ。

目に見える形で、物資が減っていく。

市場の端で、老人が閉めた店の前に座っていた。

「兄ちゃん、モンゴル語できるか」

遼希が足を止めた。

「少しなら」

「そうか」

老人が空の棚を見た。

「食料がなくなってきたな。もう商売にならん」

「はい。そうです」

「ハンの喧嘩に、俺たちが巻き込まれとる。おかしな話だ」

老人が笑った。

力のない、苦笑いだった。

「答えにくいことを聞いたな。すまんな」

「いいえ」

遼希が答えた。

「あなたは、間違ったことを言っていない」

老人は何も言わなかった。

遼希は歩き続けた。

胸の中が、重くなっていた。

(クビライ様の策は正しい)

(だが、苦しむのはこの人たちだ)

(将軍たちが争い、民が飢える)

(いつの時代も、戦とはそういうものか)

父上の記録にも、何度も出てきた言葉だった。

だが、実際に目の当たりにすることと、記録で読むことは、別のことだった。


その夕方、カラチャルに呼ばれた。

「遼希、お前に頼みがある」

「はい」

「南の牧民に、穀物の供出を求めに行ってほしい」

カラチャルが続けた。

「お前は漢文が読み書きできる。南の牧民の中には、漢人商人と取引している者がいる」

「文書を作って、正式に交渉してほしい」

「護衛は五人つける。ただし、目立つな。クビライの斥候に見つかれば、捕まる」

遼希は少しの間考えた。

「承知しました」

頭を下げた。

(断れる立場ではない)

(それに、じっとしているより、動いていた方がいい)

(何かしていなければ、自分が何のためにここにいるか分からなくなる)


翌朝、出発の前に遼高が来た。

「気をつけろ」

「はい」

「街道はクビライの兵が見張っている。昼間は動くな」

遼高が地図を広げた。

「ここの谷を抜けると、見張りが薄い区間がある。夜明け前に通れ」

「日没後はどうですか」

「月が出る。目立つかもしれん。判断しながら動け」

「分かりました」

遼希は地図を頭に入れた。

「遼高兄さんは、どうするんですか」

「俺は、ここにいる」

遼高が答えた。

「戦えと言われれば戦う。それだけだ」

「無理しないでください」

「お前こそな」

遼高が、遼希の肩を一度強く叩いた。

「父上への文は、書いたか」

「昨夜、書きました」

「そうか。俺はまだ書けていない」

「なぜですか」

「何を書けばいいか、分からなくてな」

遼希は少し考えた。

「そのまま書けばいいんじゃないですか。分からない、と」

遼高が、苦く笑った。

「そうするか」

遼希が馬に乗った。

「行ってきます」

「ああ」

遼高が、その背中が見えなくなるまで見ていた。

声には出さなかった。


中原。

遼海が、封鎖状況を地図で確認していた。

各所からの報告が、毎日届く。

北への穀物輸送、全て停止。

迂回路を試みた隊商は、三十件以上を追い返した。

バヤンが横から覗いた。

「順調ですな。このまま続けば、冬までにカラコルムは動かざるを得なくなる」

「そうだな」

遼海が答えた。

「アリクブケ様は北の遊牧民から供出を受けているが、量が足りない」

「草原だけでは、あの人数は養えない」

「はい。クビライ様の読み通りです」

遼海は地図を閉じた。

机に肘をついた。

(封鎖線の向こうに、遼希と遼高がいる)

(今頃、食料が減り始めているはずだ)

(俺が道を塞いでいるから、弟たちが飢えていく)

(兄として、それでいいのか)

(だが、早く終わらせることが弟たちのためだと、俺は信じている)

(信じているから、続けられる)

バヤンが気づいた。

「遼海殿、顔色が優れませんな」

「何でもない。西の街道を確認しに行く」

馬に乗った。

北からの風が、顔に当たった。

秋が、深まっていた。


クビライの夜の謁見。

「遼海」

クビライが呼んだ。

「カラコルムの動きはどうだ」

「備蓄が、底をつき始めています」

遼海が答えた。

「アリクブケ様は北の遊牧民から供出を受けていますが、冬を越せる量ではない」

「アリクブケは、動くか」

「はい。冬が来る前に、必ず動きます」

「その時が、決戦か」

「はい」

クビライが、しばらく沈黙した。

「遼海、お前の弟たちが向こうにいると聞いた。それでも続けられるか」

遼海は一瞬、止まった。

「続けます。帝国が二つのままでは、誰も幸せになりません」

「早く決着をつけることが、弟たちのためにもなると信じています」

クビライが、静かに頷いた。

「よく言った。信じた道を、行け」

「はい」

遼海は天幕を出た。

夜風が、顔に当たった。

(本当に、そう信じているか)

(信じている)

(信じていなければ、続けられない)

遼海は、記録帳を開いた。

「1260年秋、クビライ、封鎖を継続。決戦は冬前」と書いた。

それだけ書いて、閉じた。


西方。

遼西が、書類を整理していた。

アリフが入ってきた。

「遼西様、東からの知らせです。カラコルムが、食料難に陥っているそうです」

遼西は手を止めた。

「遼希と遼高兄さんが、そこにいる」

「はい」

「フレグ様には、伝えたか」

「まだです」

「伝えなくていい」

遼西が静かに言った。

「フレグ様は、どちらにもつかないと決めておられる」

「その判断を、俺が変えさせようとしてはいけない」

アリフが頷いて、出ていった。

遼西は天幕の外に出た。

西の夜空に、星が広がっていた。

(遼希、遼高兄さん)

(こちらから何もできない)

(この距離が、恨めしい)

だが、どうすることもできなかった。

遼西は星を見ていた。

しばらくして、天幕に戻った。

仕事が残っていた。

アリフへの指示書を書き始めた。

手を動かすことで、どうにか気持ちを保っていた。


舜の家。

遼高からの文が届いた。

短い文だった。

「分からないことだらけですが、生きています。父上と母上はお元気ですか」

舜は、ゆっくりと折り返した。

「遼希からは、まだ来ないわ」

星歌が言った。

「七星から報告があった」

舜が答えた。

「遼希が使者として南へ向かったらしい」

「無事だ」

星歌が、息をついた。

「よかった」

しばらく、二人は黙っていた。

「遼高に、返事を書かなくていいの」

「書く。元気だ、とだけ」

「それだけ?」

「元気でいてくれれば、それでいい」

星歌が、夫の横顔を見た。

「舜、心配じゃないの」

「心配だ」

舜が続けた。

「だが、あの子たちは自分の場所を見つけた。それは、誇っていいことだ」

「...そうね」

星歌が、窓の外を見た。

「寒くなってきたわね。カラコルムは、もっと寒いでしょうね」

「着るものは足りているかしら」

「それは分からない」

舜が正直に言った。

「分からないことは、たくさんある」

「でも、子供たちは生きている。それを、信じるしかない」

星歌は黙った。

しばらくして、立ち上がった。

「茶を入れてくる」

「ありがとう」

舜は記録を書いた。

「1260年秋、クビライの封鎖、カラコルムを圧迫。アリクブケ、食料難深刻化。遼希、牧民への使者として出立。遼高、カラコルムに在留。遼海、封鎖を主導。遼西、西方で中立を継続」

書き終えた。

秋の草原に、風が吹いた。

冬は、もうすぐだった。

四人の息子たちは、それぞれの場所で生きていた。

舜は、それだけを確かめるように書き続けた。

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