Ⅴ 新命
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
1219年、冬。
アウラガ。
星歌の陣痛が始まった。
「うっ...!」
星歌が苦しそうに呻いた。
遼海が、心配そうに見ている。
「母上...」
「大丈夫よ、遼海」
星歌が笑顔を作った。
「すぐに、弟か妹ができるからね」
産婆が来た。
「お嬢さん、力んで」
「はい...!」
星歌が必死に力む。
遼海は、外で待たされた。
ボオルチュの妻が、遼海の側にいた。
「遼海、母上は大丈夫よ」
「...うん」
遼海が頷いた。
だが、不安そうだった。
数刻後。
産声が聞こえた。
「おぎゃあ!おぎゃあ!」
「生まれたぞ!」
産婆が出てきた。
「男の子です」
「本当ですか!」
遼海が目を輝かせた。
「母上は?」
「無事ですよ」
遼海は、ゲルに駆け込んだ。
星歌が、疲れた顔で横たわっていた。
だが、笑顔だった。
その腕に、小さな赤ん坊が抱かれている。
「遼海、見て」
星歌が言った。
「弟よ」
遼海は、赤ん坊を見た。
小さい。
だが、確かに生きている。
「...弟」
遼海が呟いた。
「名前は?」
「父上が帰ってきたら、つけてもらうわ」
星歌が微笑んだ。
「でも、もう決まってるの」
「遼西よ」
「遼西...」
遼海が復唱した。
「いい名前だね」
遼海は、遼西の小さな手を握った。
「俺が、守るから」
遼海が遼西に言った。
「兄さんが、ちゃんと守るから」
同じ頃。
サマルカンド。
モンゴル軍が、街を包囲していた。
チンギスとトルイとムカリ。
十万の大軍だった。
「見事な街だな」
チンギスが呟いた。
サマルカンドは、シルクロードの真珠と呼ばれていた。
美しい建物。
高い城壁。
「だが、落とす」
チンギスが宣言した。
守将は、ヌージャンという男だった。
五十代の歴戦の将軍だ。
「モンゴル軍が来た」
ヌージャンが兵たちに言った。
「だが、我らはサマルカンドを守る」
「この街は、ホラズムの誇りだ」
兵たちが、城壁に立つ。
五万の兵がいた。
ヌージャンの副将、ファルーフが聞いた。
「将軍、陛下は?」
「...分からん」
ヌージャンが答えた。
「グルガンジから、何の連絡もない」
「まさか...」
「おそらく、陛下は逃げた」
ヌージャンが静かに言った。
「我らは、見捨てられた」
「...!」
兵たちが動揺した。
「だが」
ヌージャンが声を張った。
「我らは戦う」
「陛下のためではない」
「この街のために」
「家族のために」
「おおおお!」
兵たちが雄叫びを上げた。
モンゴル軍の攻撃が始まった。
投石機が、石を放つ。
城壁に、次々と当たる。
「くっ...」
ヌージャンが歯噛みした。
「持ちこたえろ!」
ホラズム兵が、必死に守る。
トルイが、前線で指揮を執っていた。
「梯子を立てろ!」
モンゴル兵が、梯子を立てる。
だが。
ホラズム兵が、熱した油を落とした。
「ぎゃあああ!」
モンゴル兵が悲鳴を上げる。
「退け!一旦退け!」
トルイが命じた。
ムカリが来た。
「トルイ様、苦戦していますね」
「ああ」
トルイが頷いた。
「ブハラより、守りが固い」
「では、時間をかけましょう」
「...そうだな」
トルイが考えた。
「包囲を続ける」
「食料が尽きるまで、待つ」
数週間後。
街の中で、食料が不足し始めた。
「もう、パンがない...」
市民が呻いている。
「水も、足りない...」
ヌージャンは、決断を迫られていた。
「将軍」
ファルーフが言った。
「このままでは、市民が餓死します」
「...分かっている」
ヌージャンが答えた。
「だが、どうする」
その時。
市民の代表、イスカンダルが来た。
「将軍、降伏してください」
「...」
「これ以上、戦っても無駄です」
イスカンダルが続けた。
「市民を、救ってください」
ヌージャンは、黙った。
そして。
「...分かった」
ヌージャンが頭を下げた。
「降伏する」
翌日。
城門が開いた。
ヌージャンが、白旗を掲げて出てきた。
チンギスが、馬に乗って現れた。
「ヌージャン」
「...チンギス・ハン」
「お前は、よく戦った」
チンギスが言った。
「敬意を表する」
「...」
「降伏を受け入れる」
チンギスが続けた。
「だが、条件がある」
「何でしょうか」
「兵器職人を、全員差し出せ」
「...!」
ヌージャンが驚いた。
「彼らを、モンゴルで働かせる」
「投石機や攻城兵器を作らせるのだ」
「...承知しました」
ヌージャンが頭を下げた。
サマルカンドの兵器職人、数百人がモンゴル軍に引き渡された。
彼らは、モンゴルの兵器製造を担うことになる。
モンゴル軍が、サマルカンドに入った。
トルイが、街を見て回った。
「美しい街だな」
トルイが呟いた。
「父上、この街を破壊しますか?」
「いや」
チンギスが首を振った。
「この街は、残す」
「価値がある」
「ここを、拠点にする」
遼舜は、記録を取っていた。
「1219年冬、サマルカンド陥落」
「兵器職人、モンゴルに移送」
遼舜は、思った。
(チンギスは、賢い)
(破壊するだけではない)
(利用できるものは、利用する)
グルガンジ。
ムハンマドが、報告を受けていた。
「サマルカンドが、陥落した?」
「はい」
宰相が震えながら答えた。
「ヌージャン将軍は、降伏したそうです」
「...」
ムハンマドは、立っていられなかった。
椅子に座り込んだ。
「もう...終わりだ」
「ムハンマド!」
テルケン・ハトゥンが叫んだ。
「しっかりしなさい!」
「母上...」
「まだ、グルガンジがある」
「ここで、最後まで戦いなさい」
だが。
ムハンマドは、震えていた。
「俺には...無理だ」
「モンゴルは、強すぎる」
「ムハンマド...」
テルケン・ハトゥンは、溜息をついた。
(この子は...)
イナルチュクの側近だった男、ラシードが進言した。
「陛下、逃げましょう」
「...!」
テルケン・ハトゥンが怒った。
「何を言う!」
「ですが、テルケン様」
ラシードが続けた。
「このままでは、陛下が捕らえられます」
「逃げて、再起を図るべきです」
ムハンマドが顔を上げた。
「...そうだ」
「逃げよう」
「ムハンマド!」
テルケン・ハトゥンが叫んだ。
だが。
ムハンマドは、もう決めていた。
「俺は、カスピ海の方へ逃げる」
「そこで、再起を図る」
「...」
テルケン・ハトゥンは、何も言えなかった。
オトラル。
包囲は、数ヶ月が過ぎていた。
チャガタイとオゴデイの軍が、攻め続けている。
だが。
イナルチュクは、まだ降伏しなかった。
「総督!」
兵の一人、ファリドが叫んだ。
「もう、食料がありません!」
「我慢しろ」
イナルチュクが答えた。
「あと少しだ」
「ですが...」
「あと少しで、援軍が来る」
イナルチュクが言った。
だが。
もう、誰も信じていなかった。
(援軍など、来ない)
(陛下は、逃げた)
兵たちは、絶望していた。
チャガタイの陣営。
「兄上」
オゴデイが言った。
「そろそろ、落ちるでしょう」
「ああ」
チャガタイが頷いた。
「だが、油断するな」
「イナルチュクは、まだ降伏していない」
「はい」
二人は、攻撃を続けた。
1220年、春。
アウラガ。
遼舜が、戻ってきた。
「父上!」
遼海が駆け寄ってきた。
「遼海!」
遼舜が遼海を抱き上げた。
「大きくなったな」
「うん」
遼海が笑った。
「父上、見て」
遼海が遼舜の手を引いた。
ゲルの中。
星歌が、赤ん坊を抱いていた。
「舜...」
「星歌...!」
遼舜が駆け寄った。
「これは...」
「次男よ」
星歌が微笑んだ。
「遼西」
「遼西...」
遼舜が赤ん坊を見た。
小さい。
だが、確かに生きている。
「俺たちの...二人目の子供」
遼舜の目から、涙が溢れた。
「よく頑張ったな」
「うん」
星歌も泣いていた。
遼海が、遼西の手を握った。
「父上、俺が兄さんだよ」
「ああ」
遼舜が頷いた。
「お前が、遼西を守るんだ」
「うん」
遼海が真剣な顔で頷いた。
四人は、抱き合った。
家族の時間だった。
その夜。
遼舜は、記録を書いていた。
「1219年冬、サマルカンド陥落」
「1220年春、次男・遼西誕生」
遼舜は、筆を置いた。
(戦が続く中で)
(新しい命が生まれた)
(これが、人生か)
遼舜は、空を見上げた。
星が、無数に輝いていた。
(遼海、遼西)
(お前たちが大きくなる頃)
(世界は、どうなっているんだろう)
モンゴルの陣営。
チンギスが、将軍たちに言った。
「サマルカンドを手に入れた」
「次は、グルガンジだ」
「ホラズムの首都を落とせば、この国は終わる」
将軍たちが、頷いた。
「全軍、グルガンジへ」
「はっ!」
草原の風が、西へ吹いていた。
ホラズムの終わりが、近づいていた。
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