第85話 王都の静寂 ― 見えない波紋
蒼月亭を離れ、王都へと向かった行商人ローク。
彼の役目は、物資を仕入れること。
そして――情報を持ち帰ること。
だが王都は、いつもと同じ姿をしていながら、
確かに“何か”が変わっていた。
目に見えない変化。
言葉にならない違和感。
それは、嵐の前の静けさに似ていた。
王都の城門をくぐった瞬間、ロークは足を止めた。
石畳の通り。
行き交う人々。
露店の呼び声。
どれも、いつもと同じだった。
「……」
ロークはゆっくりと周囲を見渡す。
子供が走り、商人が叫び、馬車が通り過ぎる。
日常の光景。
だが――。
(何か違うな……)
空気が重い。
目に見えない圧力のようなものが、街全体に漂っている。
人々は笑っている。
だが、その笑いはどこか浅い感じがする。
誰もが、無意識のうちに何かを警戒しているようだ。
まるで、見えない刃が街の上にぶら下がっているかのようだった。
ロークはゆっくりと歩き出した。
(まずは武器屋だな)
商売人としての本能が、最初に向かうべき場所を示していた。
武器屋の扉を開ける。
カラン――
鈴の音が響く。
「いらっしゃい」
店主が顔を上げた。
ロークを見ると、すぐに笑みを浮かべた。
「おや、あんたか」
「久しぶりだな」
ロークは店内を見渡した。
壁に並ぶ剣。
棚に並ぶ盾。
どれも整然としている。
だが――以前より数が減っている。
「最近どうだい?」
ロークが何気なく聞く。
店主は肩をすくめた。
「武器がよく売れるよ」
笑っている。
だが、その笑いはどこか疲れていた。
「うちとしては商売繁盛だよ」
「そうだな」
ロークは短く答えた。
「この前仕入れさせてもらった武器だけど、評判良かったよ」
店主の顔が明るくなる。
「だろ!」
誇らしげだった。
「貴族様から大量注文受けてるから用意するのが大変だよ」
ロークの目が細くなる。
「ほう……」
何気ない風を装って聞く。
「どこがそんなに注文してるんだい?」
店主は一瞬だけ言葉を止めた。
そして、声を潜める。
「……クローディア家だ」
ロークの指先が、わずかに止まった。
「ほう……」
表情は変えない。
だが、確信が強まる。
「何かあるんだろうな……」
店主は小さく息を吐いた。
「……さあな」
だが、その目は明らかに知っていた。
知らないふりをしているだけだった。
店の外から、鎧の擦れる音が聞こえる。
兵士が歩いている。
数が多い。
(警備が増えてるな……)
ロークは心の中で呟いた。
店主が話題を変える。
「そうだ。またジャンク品を買っていくのか?」
「ああ、もちろんだ」
ロークは頷いた。
「助かるよ」
店主は棚の奥を指差した。
「最近はまともな修理屋もいなくてな」
ロークの耳が反応する。
「まともな修理屋?」
「ああ」
店主は声を潜めた。
「閉まってる鍛冶屋はその後どうだい?」
ロークが聞く。
店主は首を振る。
「まだ復帰したって話は聞かないな」
重い沈黙。
「何でもそこにいた修理屋を探してるって噂だ」
ロークの瞳がわずかに揺れる。
「何で?」
「詳しくは知らない」
店主は周囲を確認してから言う。
「オヤジさんが復帰できないから修理屋に目をつけたんだろう」
ロークは静かに聞く。
「クローディア家が?」
「ああ」
店主は頷いた。
「あそこは王政に影響力があるし、権力を握ろうとしてるって噂だ……」
その言葉の後、二人はしばらく黙った。
外から兵士の足音が響く。
重い。
規則正しい。
まるで、戦場に向かう軍のようだった。
ロークはゆっくりと笑った。
「なるほどね……」
すべてが繋がり始めていた。
蒼月亭への襲撃。
修理屋を探しているという噂。
武器の大量注文。
そして――この不穏な空気。
店主が言う。
「また来るのか?」
「ああ」
ロークは頷いた。
「また来るよ」
ジャンク品をいくつか手に取る。
重さ。
芯。
質。
どれも問題ない。
(カイなら直せる)
確信していた。
店を出る。
扉の鈴が鳴る。
外に出ると、空気がさらに重く感じた。
兵士が歩く。
貴族の馬車が通る。
人々は道を開ける。
誰もが、逆らわない。
誰もが、見て見ぬふりをする。
(……始まってるな)
まだ誰も口にしない。
だが確実に、何かが動いている。
ロークは空を見上げた。
王都の空は、曇っていた。
まるで――未来を覆い隠すように。
「急ぐか……」
小さく呟き、ロークは歩き出した。
蒼月亭へ戻るために。
そして――この情報を持ち帰るために。
ロークは王都で“不穏な兆し”を確信しました。
クローディア家による武器の大量注文。
修理屋を探しているという噂。
そして街全体に漂う緊張。
まだ戦いは始まっていません。
ですが確実に、
見えない戦いの準備は進んでいます。
ロークが持ち帰るこの情報は、
蒼月亭の運命を左右するものになるでしょう。
嵐は――まだ、遠くにある。
しかし、その足音は確かに近づいています。




