第二章 第七十五話 初号車
形のないアイデアも、作り始めれば少しずつ現実になります。
そして現実になった瞬間、人は初めてその可能性を実感するのでした。
数日後。
蒼月亭裏庭は、完全に工房と化していた。
木材を削る音。
鉄を叩く音。
職人達の怒鳴り声。
以前の静かな裏庭は、もうどこにもない。
「こっち押さえろ!」
「車軸ずれるぞ!」
「固定具持ってこい!」
忙しさは日に日に増していた。
その中心では、カイが真剣な顔で荷車を見上げている。
そして――
「……できた」
小さく呟いた。
周囲が少し静かになる。
そこには、今までとは明らかに違う荷車があった。
荷台は広い。
車輪は太く、安定性重視。
側面には取り外し式の防御板。
さらに荷台内部には固定棚まで組み込まれている。
「おぉ……」
「なんかもう別物だな」
商人達も思わず声を漏らす。
以前の荷車は、“改良型”。
だがこれは違う。
最初から長距離輸送を前提として設計された、“紅陽専用荷車”だった。
「初号車ですね」
カイが静かに言う。
「初号?」
レオンが聞き返す。
「改良前提なので」
つまり、まだ完成ではない。
その言葉に職人達が笑う。
「欲深ぇなぁ」
「ここまで作ってまだ改良するのか」
「当然です」
即答だった。
その横で、ルナが既に荷台へ寝転がっていた。
「広いにゃー」
「お前ほんと早いな」
リディアが呆れる。
「寝心地確認にゃ」
「またそれか」
だが実際、以前よりかなり広い。
長距離移動でも人が休める設計になっていた。
「怪我人輸送にも使えそうですね」
ルミアが荷台を見ながら言う。
「揺れ少なそうですし」
「それも考えてます」
カイは頷く。
するとミレーヌが、防御板を軽く叩いた。
「これ、本当に外れるのかい?」
「はい」
カイは固定具を外す。
すると側面板がそのまま取り外された。
「おぉ……」
周囲から声が漏れる。
さらに。
カイはそれを地面へ立てた。
「この状態で簡易盾になります」
「なるほどな……」
レオンが腕を組む。
「野営時の防壁にも使えるか」
「馬を囲う事もできます」
「矢除けになるねぇ」
ミレーヌも感心していた。
その時。
「……押せるか?」
リディアが突然言う。
「え?」
「人だけで」
その場が少し静かになる。
カイは少し考え――
「試します」
即答だった。
数人で荷車へ手をかける。
「せーの!」
ゆっくりと。
だが確かに、荷車は動いた。
「おぉ!」
「動くじゃねぇか!」
商人達がざわつく。
普通の大型荷車なら難しい。
だが、この荷車は軽量化も意識して作られていた。
「最悪、馬が使えなくても動かせます」
カイが静かに言う。
その言葉に、リディアは小さく頷いた。
「……いい」
短い一言。
だがかなり評価していた。
「本当に戦場向きになってきたな……」
レオンが苦笑する。
「輸送用なんですけど」
「半分嘘だろそれ」
実際、多用途すぎた。
輸送。
野営。
防壁。
盾。
怪我人運搬。
護衛。
かなり色々出来る。
その頃には、蒼月亭前にまで人が集まり始めていた。
「例の新型か?」
「でかいな……」
「商隊向きだな」
噂はもう紅陽全体へ広がっている。
その中で。
ロークだけは少し離れた場所から荷車を見ていた。
「……これ」
酒を片手に、小さく呟く。
「流れ変わるぞ」
それは商人としての直感だった。
橋。
川辺宿。
大街道。
そして荷車。
今まで点だったものが、少しずつ線になり始めている。
紅陽はもう、“辺境の小さな集落”ではなくなり始めていた。
今回は“紅陽式荷車 初号車”完成回でした。
輸送だけでなく、防壁・野営・護衛用途まで視野に入った多用途荷車になり始めています。




