第二章 第六十一話 蒼月亭の鍋
温かい料理というものは、不思議と人を集めます。
特に旅の夜では、その力は想像以上でした。
野営地の夜。
あちこちで焚き火が灯り始めていた。
硬パンを齧る者。
干し肉を炙る者。
簡単なスープを作る者。
そんな中。
ミレーヌ達の焚き火からだけ、少し違う匂いが漂っていた。
鍋だ。
川魚。
野草。
香草。
さらに、ルナが持ち帰った小型魔物の肉も少し入っている。
グツグツと煮える音。
香りが風に乗って広がっていく。
「……いい匂いだな」
近くの商人がぽつりと呟く。
別の男もちらちらこちらを見ていた。
「香草使ってるぞ」
「旅の飯じゃねぇな、あれ」
ルナは得意げだった。
「おいしいにゃ」
「まだ出来てないよ」
ミレーヌが苦笑する。
その時。
一人の商人が申し訳なさそうに近づいてきた。
「……悪いんだが」
「ん?」
「少し分けてくれないか?」
後ろでは別の商人達も完全に気にしている。
「金払うからよ」
ミレーヌは吹き出した。
「旅先で商売する気はないよ」
そう言いながら、鍋を軽く混ぜる。
「ほら、器出しな」
その瞬間。
周囲の空気が一気に和んだ。
「助かる!」
「ありがてぇ!」
次々と器が集まってくる。
ルナが笑った。
「大人気にゃ」
「お前も配るの手伝いな」
「はーいにゃ」
カイも器を受け取りながら手伝っていた。
「すみません、熱いので気をつけてください」
完全に宿屋だった。
やがて。
最初に食べた商人が固まる。
「……うま」
別の男も目を見開く。
「なんだこれ」
「魚なのに臭みねぇ」
「肉柔らかっ」
次々と声が上がる。
完全に好評だった。
ミレーヌは少し笑う。
「旅先の飯なんて、温かけりゃ十分さ」
「いや十分超えてる」
即答だった。
その時。
年配の商人がミレーヌをじっと見た。
「……あれ?」
少し考え込む。
そして突然、目を丸くした。
「もしかして……蒼月亭の女将か?」
周囲がざわつく。
「紅陽の?」
「橋向こうの宿の!?」
「マジか!?」
ミレーヌは肩をすくめた。
「そんな大層なもんじゃないよ」
「いや有名だぞ」
商人が即答する。
「飯うまいって評判だ」
「あと荷車」
別の商人がカイを見る。
「揺れ少ないやつ」
「荷崩れしねぇって話だぞ」
「橋向こうで見た!」
カイが少し困った顔をする。
「まだ試作なんですが……」
「十分すげぇよ」
「山賊避けにもなるんだろ?」
「矢防いだって聞いたぞ」
噂が広がっていた。
しかも思った以上に。
リディアはその様子を静かに見ていた。
紅陽。
蒼月亭。
荷車。
少しずつ外へ名前が広がり始めている。
その時。
商人の一人が荷車から酒瓶を取り出した。
「こっちは酒あるぞ」
「交換しねぇか?」
ミレーヌが笑う。
「もう普通に商売だねぇ」
野営地に笑い声が広がった。
夜は、まだ長かった。
今回は“蒼月亭の鍋”回でした。
紅陽の名前は、少しずつ物流路の商人達にも広がり始めています。




