第二章 第四十二話 北の荷車
人は、知らないものを見ると警戒します。
けれど本当に怖いのは、“知っているはずなのに説明できない違和感”でした。
夜。
蒼月亭の食堂。
北から来た男は、ようやく落ち着いた様子で椅子に座っていた。
目の前には、大皿の煮込みと焼きたてのパン。
空になった器が、すでに二つ積まれている。
「……生き返った」
男が小さく呟く。
ルナが少し笑った。
「食べすぎにゃ」
「三日はまともに食ってない」
「そりゃ食べるさ」
ミレーヌが追加のスープを置く。
男は礼を言って、それをゆっくり飲んだ。
その様子を、少し離れた席からリディア達が見ている。
「どう思う?」
ダリウスが低く聞く。
リディアは短く答えた。
「戦う人」
「商人じゃない」
「だろうな」
男の手には古い傷が多かった。
剣だこ。
しかも寒冷地特有の凍傷痕まである。
ただの旅人ではない。
その時だった。
「荷車、見てもいいですか?」
カイが男へ聞いた。
男は少しだけ警戒したが、やがて頷く。
「壊れてるぞ」
「修理屋なので」
カイは外へ向かった。
ロークもついていく。
蒼月亭前。
月明かりの中、荷車を確認する。
「……変わった作りだな」
ロークが呟く。
カイは車輪へ触れた。
木材が違う。
しかも鉄板の打ち方が独特だった。
「軽量化してる」
「なのに強度がある」
ロークが眉をひそめる。
「見たことあるか?」
「ありません」
カイは静かに答えた。
「でも、理屈はわかります」
「雪道前提です」
「雪?」
「接地圧を分散してます」
カイは補強位置を指差す。
「普通の街道じゃ意味がない構造です」
その時。
後ろから声。
「そこまでわかるのか」
北から来た男だった。
いつの間にか外へ出てきていた。
カイは少し照れたように笑う。
「修理ばかりしてるので」
男はしばらく荷車を見ていた。
そしてぽつりと呟く。
「南には、まだ技術屋がいたか」
ロークが目を細める。
「北じゃ珍しいのか?」
男は少し黙った。
「……減った」
それだけ言う。
空気が少し静かになる。
その時だった。
リディアが荷車の後部を見る。
「これ」
全員の視線が向く。
荷台の裏側。
小さな刻印。
だが削れていて、ほとんど読めない。
「印か?」
ダリウスが聞く。
男は一瞬だけ表情を止めた。
ほんのわずか。
だがリディアは見逃さなかった。
「……古い運送組合の印だ」
男は静かに答える。
「もう潰れた」
それ以上は言わない。
リディアも追及しなかった。
ただ。
“何かを隠した”
それだけはわかった。
その時、蒼月亭の中からルナの声。
「カイー! お客さんの剣折れたにゃー!」
「えっ!?」
カイが慌てて振り向く。
ロークが吹き出した。
「仕事だ、修理屋」
「すぐ行きます!」
走って戻っていくカイ。
その背中を、北から来た男が静かに見ていた。
「……妙な街だな」
小さく呟く。
ダリウスが鼻を鳴らした。
「最近は特にな」
男はもう一度、石畳の先を見る。
宿。
灯り。
笑い声。
そして、修理屋。
こんな辺境にあるはずのないものが、ここには揃っていた。
今回は“北側の技術”と“紅陽の技術”が少し接触する回でした。
まだ正体は見えませんが、少しずつ“向こう側”の輪郭が現れ始めています。




