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第二章 第二十七話 蒼月亭 川辺宿

宿屋は、建物だけでは完成しません。

人が笑い、食事の匂いがして、初めて“宿”になります。

川辺の村に滞在して三日目。


宿は、かなり形になっていた。


入口扉は新しく直され。


床板も張り替えられ。


厨房には火が入り始めている。


「思ったより早かったですね」


リナが驚いたように言う。


「大掛かりな建て直しじゃないからね」


カイは木材を削りながら答えた。


「元の骨組みがしっかりしてました」


「お父さんが昔かなり手入れしてたから」


リナが少し嬉しそうに笑う。


その横では、ミレーヌが食堂スペースを確認していた。


「机、あと一つ減らそうか」


「少し余裕欲しいねぇ」


「荷運び動線できるし」


エマが慌ててメモを書く。


「は、はい!」


「あと厨房」


ミレーヌは指をさす。


「料理置きっぱなし駄目」


「熱いうちに出す」


「蒼月亭はそこうるさいよ」


「はい!」


完全に修行である。


その時。


「……いい匂い」


入口から声。


橋を渡ってきた荷運び達が、中を覗いていた。


まだ開店前。


だが煮込みの仕込みは始まっている。


ミレーヌはちらっと外を見る。


「試しに出すかねぇ」


「えっ?」


リナが驚く。


「どうせ匂いで集まる」


ミレーヌは当然のように言った。


「宿屋は、人止める場所なんだよ」


そのまま鍋を開ける。


湯気。


肉と野菜の匂い。


外の荷運び達の顔が変わった。


「……うまそう」


「蒼月亭の匂いだ」


誰かが呟く。


噂は本当に広がっているらしい。


その頃。


リディアは再び森側へ出ていた。


今日は少しだけ範囲を広げている。


昨日見つけた轍。


その先。


森を避けるような裏道。


そして。


「……」


リディアは足を止めた。


地面。


灰。


焚き火跡。


かなり新しい。


しかも、一箇所ではない。


複数。


「野営地……?」


周囲を見る。


木の削れ。


荷運び跡。


重い箱を引きずったような痕。


普通の商隊ではない。


しかも。


「静かすぎる」


魔物の気配がほとんどない。


薬の臭いも濃い。


かなり大量に使っている。


リディアはしゃがみ込み、灰を触る。


まだ少し温かい。


「最近までいた」


だが、その時だった。


風に混じって、遠くから声が聞こえた。


男達。


複数。


リディアは即座に木陰へ身を隠す。


気配を消す。


しばらくして。


黒布をかけた荷車が見えた。


護衛付き。


数は五。


会話は聞き取れない。


だが、普通の商人ではない。


動きが妙に統率されている。


荷車はそのまま森奥側へ消えていった。


リディアは追わない。


ただ静かに、その紋章だけを見る。


荷車の隅。


薄く削れかけた刻印。


古い貴族紋。


以前見たものと似ていた。


「……繋がってる」


小さく呟く。


その頃。


川辺の村では、最後の仕上げが始まっていた。


カイが木板を固定している。


入口上。


新しい看板。


そこへ、ミレーヌが近付いた。


「文字、どうする?」


カイは少しだけ考える。


リナは緊張した顔で見ていた。


そして。


カイはゆっくり筆を入れる。


――蒼月亭 川辺宿


静かに文字が刻まれる。


リナが小さく息を呑んだ。


ミレーヌは、その看板をしばらく見上げる。


やがて、小さく笑った。


「……ほんとに始まるんだねぇ」


夕暮れ。


川辺の小さな宿に、初めて灯りがともった。

今回は“蒼月亭 川辺宿”誕生回でした。

少しずつ、紅陽の外へ“蒼月亭の灯り”が広がり始めています。

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