第159話「小さな衝突」
歪みは、やがて形になる。
小さな衝突は――その始まりにすぎない。
その日の夕方。
蒼月亭はいつも通りの賑わいを見せていた。
「エール追加!」
「はいよ!」
「今日の煮込み、うまいな!」
笑い声と食器の音が混ざり合う。
だが――
「おい、これもかよ!」
一角で声が荒くなる。
テーブルを叩いたのは、数人組の冒険者だった。
「また効きが悪いぞ!」
小瓶を突き出す。
「それ、どこで買ったんだい?」
ミレーヌが近づく。
「さっき外でな」
「荷馬車のやつからだ」
「“紅陽と同じ品質”って言ってたぞ」
「……」
その言葉に、周囲の空気が変わる。
「ふざけんなって話だ!」
「こっちは命預けてんだぞ!」
「落ち着け」
レオンが一歩前に出る。
「ここで騒いでもどうにもならん」
「でもよ――」
「その話、本当なら放ってはおけねえな」
レンも視線を細める。
ロークがゆっくり近づく。
「どんなやつだった?」
「フード被った男だ」
「顔はよく見えなかった」
「荷馬車は?」
「一台だ。村の外れに止めてた」
「……なるほど」
ロークは小さく頷く。
「まだ近くにいる可能性は高いな」
その時。
「……今、追いますか?」
ルミアが静かに口を開いた。
全員の視線が向く。
「今なら、逃げきられる前に――」
そこまで言いかけて、
一瞬だけ言葉を止める。
「……場所を押さえられるかもしれません」
「……」
リディアがルミアを見る。
「……位置は?」
「村の外れなら、南側です」
「荷馬車の出入りがしやすい場所は限られていますから」
「……詳しいな」
レンが笑う。
「勘です」
ルミアは静かに返す。
「……にゃるほど」
ルナが小さく呟く。
カリナが一歩前に出る。
「……危険です」
「正体のわからない相手ですので」
「……それもそうだな」
レオンが頷く。
「だが、放置もできねえ」
ロークが決める。
「様子だけ見に行く」
「追うのはその後だ」
「レン、リディア」
「ああ」
「了解」
「俺も行く」
三人が動く。
「私も――」
ルミアが言いかける。
「……お前は残れ」
リディアが遮る。
「ここも手薄になる」
「……はい」
ルミアは素直に引いた。
そのやり取りを見ていたルナが、
小さく笑う。
「……にゃんか、惜しかったにゃ」
「……ああ」
リディアはそれ以上言わず、外へ出る。
扉が閉まる。
酒場の中に、少しだけ静けさが残る。
「……大丈夫かね」
ミレーヌが呟く。
「大丈夫ですよ」
ルミアが静かに言う。
「……」
その声は、妙に落ち着いていた。
カリナが横目で見る。
「……お嬢様」
「……ええ、わかっています」
小さな声。
誰にも聞こえない。
外ではすでに、夜の気配が濃くなり始めていた。
紅陽に流れ込んだ歪みは、
ついに“動き”を伴い始める。
それはまだ、小さな衝突にすぎない。
だが確実に――
何かが始まっていた。
小さな動きは、やがて波になる。
次は――追跡の先。




