第788話 不屈
ただでさえ濃密だったイヴの魔力がその濃度をさらに増していく。
この遠距離で感知を通さなくてもはっきりと感じ取れるほどの圧力だ。
「コーキ様!?」
ササリーシャ嬢も違和感を覚えたのだろう。
不安そうな顔でこっちを見上げてくる。
「イヴ様の術です。心配ありません」
「そう、ですよね」
不安げなのはもちろんササリーシャ嬢だけじゃない。
「っ!?」
「これは!?」
「何だ??」
いまだ隔離壁の中に閉じ込められたままの王家騎士やシャリヌの者たちも騒ぎ始めている。ただ、赤鬼の後方に立つ低フードは泰然としたもの。圧を感じているはずなのに身動ぎもしない。
そして赤鬼も。
「はは、おっかねえなぁ」
言葉とは正反対の様子。
戦闘狂ここにありといったところ。
「けど、だからこそ面白い」
「……」
「で、次は何を撃ってくるんだ?」
「……セット」
今日初めてイヴの口からこの一言が。
ただし、術名はない。
現出するは無色の膜。
湖畔の館で俺の自由を奪ったあの薄膜だ。
「ほう」
これまでの術式以上に透明なそれを凝視する赤鬼。
不気味に広がるあの薄膜を俺同様はっきりと知覚できている。
なのに、逃げようともしない。
それどころか自ら突っ込んだ。
いくらなんでも、そいつは無謀じゃないのか。
ブンッ!
剣を一振りしたところで、完全に捕らわれてしまった。
今やもう剣身含めすべてが薄膜の中。
「……」
剣撃が止む。
地に片膝がつく。
左手も地面に。
「っ!」
完全なる静止状態。
やはり無茶な突撃だったんだ。
「くっ、ぐぐ!」
ここからどうする?
対処できるのか?
俺がイヴの薄膜を克服するまでに使った時間は3分弱。
短時間で脱することができたのは、この種の攻撃に慣れていたからこそ。
そうでなかったら10分はかかっていたと思う。
なら、赤鬼は?
「……」
全身を薄膜に囚われながらも、片手片膝立ちで耐えている。
大した精神力だな。
ただ、イヴがこのまま放置するわけもなく。
「がっ!?」
容赦ない追撃が赤鬼に襲い掛かる。
無色の鎖だ。
ドサッ!
手足を縛られ、ついにその巨体が地に落ちてしまった。
「ぐが、がっ!」
それでも諦めていない。
拘束から逃れようと、自由のきかぬ体でもがいている。
「がが、が!!」
イヴは……動かない。
ここで静観?
「ドゥベリンガー様!」
後方に待機していた低フードが赤鬼のもとへ走り寄ろうとしている。
なるほど、こいつの様子見だと。
「ぐっ……来んな!」
「ですが」
「来んじゃねえ!!」
まだそんな声が出せるのか、赤鬼?
「オレは平気だ、うぐっ、だから、ぐっ、どいてろ!」
「……任せていいんですね?」
「当然!」
「……分かりました」
赤鬼の言い分を受け、素直に引き下がる低フード。
「それでい、うぐっ!」
どう見ても絶体絶命なこの状況で身を退くとは驚きの信頼関係だが、さすがにどうなんだと思ってしまう。
「……」
依然様子見を続けるイヴは準備万端。
いつでも動ける体勢だからな。
「ぐっ、ぐが!」
しかし、あいつ。
20年前云々と口にしながら、イヴの薄膜も知らないのか?
それでいて自信満々に再戦を挑むとは、 無謀どころじゃないだろ。
もちろん相応の因縁はあるんだろうが、赤鬼にしても低フードにしてもこの対応は……。
おっ、イヴが動き出した。
前に出ていく。
遠距離からでなく近づいて決着をつける気か?
「がが、がっ!」
地に伏しもがく赤鬼まであと5歩。
「がががが!!」
3歩。
「がが、がががぁ!!!」
キィィィン!
なっ?
赤鬼を拘束していた無色鎖が弾け飛んだ!
「ああああ!」
さらには、立ち上がっている。
薄膜も打ち破ったのか?
「はあ、はあ」
特にこれといった技を出したようには見えない。
それでも、鎖を断ち切り拘束から抜け出してしまった。
ということは、魔力と腕力で強引に?
「はあ、はあ、はあ」
やはり評判通りの恐ろしい使い手だ。
ただし、今は立ってるだけで精いっぱい。
息も絶え絶えといった様子。
「はあ、はあ……愉快な」
なのに、目は死んでない。
戦意に溢れている。
「愉快なことしてくれんじゃねえか、バアさん」
その体でまだイヴに挑むと?
「けどなあ、あんなもんじゃオレは倒せねえぞ」
「……」
若干後方に立ち上がった赤鬼とイヴの間は4歩。
体調は最悪ながらも大柄な剣士には最適の距離。
「はあ、はあ、ふう、ふっ、はっ、はっ」
間合いそのままに刻むように素早く呼吸を続け。
長剣を両手に持ち直し下段に構えを移す。
「……」
対するイヴ、魔法の使い手にとっては好ましい間合いじゃない。
が、後退することなく仕掛けもしない。
悠然と立っている。
「はっ、はっ、はっ……どうした?」
ここまできて、また様子見?
赤鬼に回復の時間を与えてしまうのに?
「次撃ってこいよ」
まさか魔力が切れたのか?
「……」
いや、そんなわけない。
イヴの魔力は充分だ。
ってことは。
「バアさん!」
「……」
「なめんじゃねえ!」
戦意にのる激情。
その気勢とは裏腹に、呼吸が整っていく。
もう回復しつつある。
「なめんじゃねえぞ!!」
「……」
「ちっ!」
舌打ちひとつ。
「後悔させてやるよ」
次いで出る悪態。
すると予想外のことが?
凪いだ?
激流とも思える気勢が一瞬で凪いでしまった。
「……」
これまで繰り出した剣撃が幻だったのかのように、静謐な下段の構えに移行している。
「……」
無言、無音、不動の赤鬼。
対峙するイヴも静止状態。
「……」
「……」
わずか数秒の間に、おそろしく研ぎ澄まされた緊張空間が。





