第771話 軽挙
離島での騒ぎが完全に決着したわけではない中での今回の渡界。
目的は湖畔の館の様子を確認することだけ。時間制限解除後には即座に異世界間移動を使うつもりだった。なのに、この状況は……。
もちろん、シャリヌ家が何かを仕掛けてくる可能性は充分に予測できたことだが、王家まで出てくるとは正直考えていなかった。完全に想定外だ。
あちらでもこちらでも起きるのは不測の事態ばかり。
突如離島に現れた異形の群れ、邪狼狗や江良たち異能者の蛮行。
湖畔の館での襲撃。王命を持って迫るシャリヌ家。
謎の超絶者、天賢万象の大錬金術師イヴ。
異世界日本のことを知る彼女によって確定した露見。
はあぁ。
数え上げるだけで溜息が出てしまう。頭が痛くなってくる。
とはいえ、これらは紛れもない現実。
現在進行中の問題なのだから……。
とりあえず、少し整理しておくか。
まず離島については、ここで深く考えても意味はないだろう。
帰還後の状況によって動きが変わってくるのだから、現時点では保留でいい。
対シャリヌ家はオルドウ伯次第。こっちは臨機応変に対応できるよう心しておくしかないか。
イヴについては……。
こいつがもっとも厄介だ。
超絶の身に膨大な知識を蓄えているであろう彼女が俺のことをどう考えているのか? 今後どう動いてくるのか? オルドウ伯家に対しては?
分からない。
これまでの彼女の言動もその頭の中も、そしてこれからも、すべて俺の理解を越えている。ただ、彼女がササリーシャ嬢に好意を抱いていることだけは確かだ。なら、この馬車行が不幸なものになる可能性は低い。そこばかりは幸いだったな。
となると、やはり問題は露見。
イヴが知っている俺についての事実。
この先彼女がそれを口にし、聞いた者が少しでも信用したら。
その時点で……。
駄目だ。
想像するだけで、目眩がしてしまう。
けど、危機がすぐそこに迫っている現状を放置なんてできない。
そう、最悪最凶の可能性を直視せざるを得ない。
そんな悲惨な未来を回避するために、異世界生活を今後も続けるために。
まずすべきことはイヴの口外阻止。
中断してしまった彼女との対話を再開し約束を取り付けるか、他の手段を講じるか。いずれにせよ、難題であることに違いはないだろう。
などと考えている中で聞こえてきた不穏な怒号。
濃厚に漂う危うい空気。
それを肯定するような感知の感触。
「エイナ、これはどういうこと?」
「シャリヌ家の者が到着したのだと思いますが、それ以外は……申し訳ございません」
「っ、あなたたちは?」
「我々にも……」
想定を大きく上回る状況の変化に困惑するササリーシャ嬢。
返答に窮する侍女や護衛騎士。
「強硬手段に出たようですね」
一方でイヴの様子はいつも通り、静穏そのもの。
眉ひとつ動いていない。
「イヴ様、それは?」
「強制連行かと」
「シャリヌごときが、オルドウ領主であるお父様を?」
「「「「「……」」」」」
これはもう、さらなる厄介事が起こるとしか思えない。
ほんと、頭が痛いことだ。
しかし……。
王命をもってとはいえ、オルドウの領主である伯爵を強制的に連行する?
普通なら考えられないことだな。
が、強化した耳と感知がそれに近い現実を伝えてくる。
ということは、つまり、伯爵に重大な過失が存在するということ。
なら、昨夜からのシャリヌ家の動きもそれが原因?
「ササリーシャ様、馬車にお乗りください」
「……」
「すぐに出発いたしましょう」
「……ですが」
イヴに対しては従順な態度を崩すことのなかったササリーシャ嬢が躊躇っている。
「状況が状況ですので、急いだ方が良いです」
「……申し訳ございません」
「ササリーシャ様?」
「オルドウにはイヴ様とコーキ様だけで」
やはり、そうなるか。
「私は父のもとに向かいます」
「「「「「ササリーシャ様」」」」」
正門へと足を向ける彼女を止めたのは侍女と騎士たち。
「道を空けなさい」
「「「「「……」」」」」
「私の言葉が聞こえないの!」
「「「「「……」」」」」
「そう、答えるつもりはないのね。だったら」
「いけません」
「これは閣下の命令なのです」
「「「お嬢様!」」」
「あなたたち……」
皆の脇を通り過ぎようとするササリーシャ嬢、さらにその前に立ち塞がる家人たち。ともに退く素振りすら見せない膠着状態がじりじりと続いていく。
「分かりました。では、少しだけ様子を見に行きましょう」
この緊張を消し去ったのは筆頭侍女エイナの一言。
「ですが、様子を見た後はオルドウに向かっていただきます」
「それは……」
「よろしいですね、お嬢様?」
「……分かったわ」
視線を逸らしながら頷くササリーシャ嬢。
どう見ても納得しているようには思えない。
大丈夫なのか?
「イヴ様、コーキ様はお先に出発を」
「いえ、私もお供させてください」
相変わらず即答のイヴ。
一方、俺は。
「……ご一緒します」
ここまできたんだ。
今さら下りるという手はないよな。
逼迫した状況下での中途半端な行動が最善でないことは家人たちも分かっている。それでも、軽挙から妄動へと走り出しそうなササリーシャ嬢を止めるにはこれしかない。そう考えての様子見だったのだろう。
が……。
「やむを得ぬな、伯爵を拘束しろ」
「「「「「「「「はっ!」」」」」」」」
「狂ったか、シャリヌ!?」
「ふっ、狂ってなどおらぬよ」
様子見という妥協案こそが軽挙だったのかもしれない。
「こちらは陛下の命に従っているばかり」
「……」
「すべてはおまえ自身の責任なのだからな」
20数人が伯爵を囲みながら近づいてくる。
その周囲には100以上のシャリヌの手勢。
対するオルドウ伯の騎士は10人のみ。他の家人を入れても20弱。
まさに多勢に無勢。
「「「閣下、後ろへ」」」
「「「屋敷へお戻りを」」」
「っ!」
既に包囲されているこの状況の打開だけでも容易じゃない。
だというのに。
「お父様!!」
侍女の手を振り払って駆け出す令嬢がひとり。
「ササリーシャ!?」
「ほう、これは、これは」
とんでもないことになってしまった。





