第765話 接敵
微妙に空気が変わった。
表情も物腰も柔和なまま、最前と変わらぬ様子で傍らに立つイヴだが、それでも違う。棘のような険がそこに顔を覗かせている。
「ふふ、あり得ませんよ」
ただし、それは一瞬のこと。
あっという間に凪いでしまった。
「治療のため、製薬のため訪れた私がそんなこと」
「その目的で訪れたのは今朝の話です。昨夜は違いますよね」
「先程申しましたように、そのようなこと覚えはありません」
「まだ白を切るつもりですか?」
「いいえ、真実を伝えているまでです」
「……」
だめだ、崩すことができない。
さっき見せた隙もほんの僅かで数秒にも満たないもの。
既に跡形なく塞がっている。
「あなたこそ、なぜです?」
「なぜ、とは?」
「どのような理由で、どんな根拠を持って、この不躾な話を進めようと?」
俺の中には鑑定という理由と根拠が存在する。
ただ、それは個人的なものにすぎないし、絶対というわけでもない。
当然、明示できるものでもない。
なら……。
「非礼だとは思われないのですか?」
「……」
「それとも、これが冒険者の流儀だと?」
いいや、非礼だってことは十分理解してるさ。
難癖に近いこんな言動、伯爵家の客人に対してすべきじゃないことも分かってる。
それでも。
「質問を許されましたから」
「……ああ、確かにそうでしたね」
だから、率直に聞いただけ。
その内容に難があろうとも、とにかく、こっちとしてはイヴを名乗るあなたを放置なんてできないんだよ。
「イヴ様、コーキ様、お待たせいたしました」
と、ここでササリーシャ嬢の声。
「準備が整いましたので、どうぞこちらへ」
時間切れか。
「続きはあとにしましょう」
「サヴィラ湖の古道はここまででしょうか?」
「はい」
湖畔でのティータイムを終え、散策を再開してすぐのこと。
周囲の眺めが明らかに変わってきた。
「この先は新道になります」
と同時に、微かな気配が?
「古道ほどではありませんが、新道にも趣はございますので、引き続き楽しんでいただければと」
左前方50メートル。
オルドウ伯家の騎士でもなければ、湖畔の館の家人でもない。
微弱ながらも明確に異質な気配が4つ、いや5つか。
おそらくは、気配消去に精通した手練れたち。
そいつらが潜んでる。
「……」
これまでの俺だったら、きっと気づけなかっただろう。
が、今は違う。
離島での江良、庭園の超絶女性、そしてこの錬金術師イヴ。
たて続けに極希薄な気配を経験したんだからな。
で、そのイヴは?
「もちろん、新道の眺めも楽しませていただきます」
既に察知しているはずなのに、素振りは皆無。
相変わらずの平穏状態、憎たらしくなるほどに柔和な表情を顔面に貼りつけている。
「では、イヴ様、コーキ様、新道にまいりましょうか」
どう動くつもりだ?
「イヴ様、コーキ様、南をご覧ください。先ほどの小聖堂が映えていますので」
「これはまた、素晴らしいですね」
「はい、この新道からはとても美しく見えるんです」
陽光に輝く湖面に映える小聖堂。
確かに、見事な眺めだ。
ただ、今はそんなことより前方が気になってしまう。
潜む5人との距離は約40メートル。
まだ動きを見せないあいつらの狙いは俺か、それともイヴなのか?
「……」
いや、違うな。
もちろん、その可能性がないとは言いきれないが、標的はおそらく。
「いかがですか、コーキ様?」
「……とても素敵な眺めだと思います」
オルドウ伯家の令嬢ササリーシャだろう。
「ふふ、よかったです」
やつらが姿を隠している現状、鑑定は使えない。
感知で凡そを特定するにも、微弱すぎるこの気配では無理だ。
ただ、この感覚は……間諜?
諜報を生業とする者特有のきな臭さを僅かに感じる。
ということは、またもシャリヌ家の者?
なら、昨夜と同レベルの間者だとしたら。
「……」
今も素知らぬ顔のイヴが動かなかったとしても、俺と護衛の騎士がいれば対応できる。ただし、ササリーシャ嬢を護りながら間者全員を捕らえるとなると……。
「次は新道の花園を案内しますね」
どう動くべきか考えをめぐらす俺を尻目に歩き始めるササリーシャ嬢。
侍女に騎士、さらには無警戒そのままのイヴも続く。
もちろん、俺も。
「イヴ様、コーキ様、花園はもうすぐです」
5人が潜んでいる地点が近づいてきた。
「そこの左なのですが……おふたりにお願いがありまして」
「何でしょう?」
あと10メートル。
「満開の花を存分に味わうため一度両目を閉じていただきたいのです。その、差し障りは?」
「支障などまったくありません」
「コーキ様は?」
少し目を閉じる程度なら。
「……問題ないです」
「では、左に曲がる直前にお願いしますね。そのあとは手を引いて花園前まで案内いたしますので、合図するまでは目を開いちゃ駄目ですよ」
「「承知しました」」
言葉を交わしながらも歩は進み。
残り5メートル。
イヴの様子は依然として変化なし。
だが、こっちは準備万端。
さあ、どこからでもいいぞ。
かかってこい。
ん?
イヴが半歩前に出た。
「ササリーシャ様、小虫が」
「えっ?」
右手を軽く左右に振るうその動きは自然なもの。
なのに……薄く空気が歪んでる?
何だ?
何をしたんだ?
「ありがとうございます、イヴ様」
「いえ」
っと、それより今は。
2メートル。
1メートル。
ここだ!
「……」
っ?
襲ってこない?
2メートル、3メートルと通り過ぎていく。
これは、背後から仕掛けるつもりなのか?
「それでは、イヴ様、コーキ様、御目を閉じてください」





