第764話 大魔導師
ササリーシャ嬢が今口にしたその名は。
「エヴドキヤーナ……様ですか?」
忘れもしない。
異界に消えたギリオンやエリシティア王女を追いテポレン山に駆けつける道中、俺とシャリエルンを襲ってきたあの魔導師の名前だ。
「はい、聖人エヴドキヤーナ様を祀っております」
「……」
あのエヴドキヤーナを?
いや、あり得ない。
あいつはまだ生きてる。
今もレザンジュに仕える魔導師、のはず。
なら、別人?
「そのエヴドキヤーナ様はレザンジュの宮廷魔導師とは別のお方なんですよね?」
「もちろんです。こちらの小聖堂は初代エヴドキヤーナ様のためのものですから」
初代?
ということは、あのエヴドキヤーナの呼称は?
「その御名は継承される名跡なのでしょうか?」
「はい、大魔導師たる資質を持つ弟子に受け継がれるとのことです」
なるほど。
襲名制だったんだな。
「冒険者コーキ殿は遠国出身なのでしょうか?」
っ!
この散策中ササリーシャ嬢と話すばかりだったイヴが言葉を投げてきた。
「……ええ、まあ」
「地名を伺っても?」
まさか、疑ってる?
それとも、俺の無知が気になるだけ?
「僻地ですので、イヴ様は御存じないと思いますが」
「僻地ですか、興味深いですね」
柔らかな空気ながら、形容しがたい圧力で回答を促してくる。
やはり、ただ者じゃない。
って、当然だな。
「私も知りたいです」
ササリーシャ嬢も?
これじゃ、有耶無耶には流せないぞ。
とはいえ実名を告げるのは露見に……いや、これくらいは問題ないか。
「……ニホンという場所になります」
ニッポンでもよかったんだが、ニホンの方がこちらの世界の耳には馴染みやすいはず。
「ニホン?」
「なるほど、寡聞の身には遠きものだったようです」
ん?
何だ?
知らないと言ってるつもりか?
なんてことはどうでもいいな。
それより、深く追及される前に話を変えないと。
「その初代エヴドキヤーナ様とササリーシャ様の伯爵家はご縁が深いと?」
「はい、我がオルドウ伯家が今なお健在なのは初代エヴドキヤーナ様のおかげなのです。ただ、今代のエヴドキヤーナ様とは特段繋がりもなく……残念に思っております」
「今代はレザンジュ王国に仕える宮廷魔導師ですから、キュベリッツの伯爵家と疎遠になるのは詮方なきことと思いますよ」
「それは、そうなのですが……面識もないというのはやっぱり寂しいですね」
会ったこともないのか?
「イヴ様とコーキ様はどうなのでしょう? 今代様とお顔を合わされたことは?」
こっちは会ったどころじゃない。
「イブ様は天賢万象の大錬金術師様ですし、コーキ様も高名な冒険者様ですから?」
「……何度かは」
イヴは今代エヴドキヤーナと面識がある。
まあ、おかしいことじゃないよな。
ともに大魔導師、大錬金術師という名声を得ているのだから。
「コーキ様は?」
「……お姿を目にしたことはありますね」
ここで戦闘経験があるなんて口に出せるわけもない。
「そうなのですね。でしたら、ぜひお聞かせください。今代様がどのような方なのか?」
「お嬢様」
「今はそのようなお話より」
興味津々といった表情で身を乗り出してくるササリーシャ嬢を止めたのは傍に控える侍女2人。
「あっ」
顔を赤らめ俯いたのは一瞬のこと。
「申し訳ございません。イヴ様、コーキ様、小聖堂の方案内いたします」
そう言って湖上の小聖堂へと続く石橋に右足を掛けるササリーシャ嬢。
恥じらいの色はもう完全に消えている。
さすが伯爵家令嬢だ。
「では、イヴ様とコーキ様はこちらでしばしお待ちください」
美しい湖の畔でお茶と軽食を、ということで準備に向かう侍女と騎士、それにササリーシャ嬢。もちろん令嬢である彼女がそんなことをする必要なんてないのだが、接待準備はぜひ自らの手でという彼女の思いを誰も止めることができず、結局俺はイヴと2人で古道脇に残されることに。
「……」
「……」
何とも気まずい空気だ。
が、これは絶好の機会と考えるべきなのか?
それとも。
「私の顔に何かついてます?」
「……」
ササリーシャ嬢たちとの距離は30メートル程度。
ただし、青々と茂る木々が視線を遮っている。
つまり、互いにその姿をはっきりとは視認できない状況。
「冒険者コーキ殿?」
「いえ……失礼があったのならお詫びします」
「そういうことではないのですが?」
イヴの気配は相変わらず穏やかなもの。
柔和を絵に描いたような点景を俺の前に作り出している。
「……興味がありまして」
「私に、でしょうか?」
「はい」
ただ、これを平穏な空間と思えるほど俺も初心じゃない。
異世界に渡ってこれまで、幾多のとんでもない経験を積んできたんだからな。
「それは、錬金術に興味があるということで?」
「いいえ、あなた自身にですね」
「……」
「……」
互いの視線がぶつかり合う。
それでも、イヴの眼は優しげまま。
穏やかさを失っていない。
「聞きたいことがおありでしたら、どうぞ。お答えしますよ」
そうか。
「では遠慮なく」
真正面からいかせてもらうぞ。
「あなたの狙いは何なのです?」
「狙いとは?」
「館に忍び込んだ狙いですよ」
「忍び込む? そのような無作法、覚えはありませんが?」
だよな。
素直に認めるわけないよな。
「昨夜のことです。まさか忘れてはいないでしょ」
「……」
「あなたの身分なら人目を避ける必要などない。オルドウ伯家に対する過度な遠慮も不要のはず。なのに、どうして? それもわざわざ深夜に?」
まだだ。
まだ動揺の断片すら見えてこない。
「オルドウ伯爵に害をなすつもりですか?」
「……」
「それとも、ササリーシャ嬢に?」
うん?
「私が? ササリーシャ様に害をなす、と?」
若干空気が変わった?





