第743話 あと少し
僅か1、2秒の間。
もう一度やり直し、4時間前に戻るんだと気が緩んだ瞬間。
ドスッ!
背中に感じたこの震動。
決して忘れることができないこの感覚。
「っ!」
やられた!?
が、しかし。
絶妙な襲撃タイミングに驚きはあっても動揺は薄い。
今は体も動く。
振り向けば犯人の顔を捉えられる。
待望の好機到来だ。
いくぞ!
と上体を捻ろうとしたその瞬間。
消えた。
ロビーが消えてしまった。
「……」
目に入ってくるのは仄暗い空間。
薄闇に白く浮かぶ天井。
「寝室、か」
遡行が発動したんだ。
「……」
刺殺犯を目の前にして、いや背後に置いて、今回も4時間前に。
「くっ!」
刺されたと自覚したあの瞬間、間違いなく振り向くことができた。
十分に動けるだけの余力があった。
なのに!
あと少しだったのに!
遡行を僅かだけでも遅らせていれば!
「……」
「……」
「……」
今さらだな。
俺はもう4時間前の世界にいる。
ここで後悔したって何も得られない。
だったら、切り替えて4度目に備えるべきだろ。
まずは、そう。
さっきの考察から始めよう。
あの時、あの場で犯行可能だったのは?
ロビーにいた者は前々回と変わりなし。
幸奈、里村、古野白さんを除外すると、残るは美藤さん、三隅さんなどの宿舎スタッフだけ。ただし、直前の検査で刃物の不所持は分かっている。
となると、この中に犯人はいない?
外部犯?
2度目同様、ロビーに進入し気配と殺気を消して俺に近づいて。
そして背後から刃物で……。
いや、待てよ。
本当にそうなのか?
あの瞬間、背中に強い震動を受けたのは間違いない。
けど、あれは刃物だったのか?
俺は刺されたのか?
「……」
胸を貫く銀刃をこの目で見た2度目と違い、前回は刃を見た記憶がない。
背に衝撃を受け、すぐに振り返ろうという思いで溢れてしまったから、胸前を意識してなかったんだ
とはいえ、もちろん状況的には俺が刺された可能性は高いと思う。
ただ、確証が持てないとなると……。
仕方ない。
とりあえずは保留しておいて、次の考察へ進もう。
「だから、武上と里村の朝食はこっちだ。これを食べてくれ」
「はあ?」
4回目の朝食。
やはり鑑定では無害と判定される。
それでも今回は駄目だ。
前回と同じものを口にしちゃいけない。
「おまえ、何言ってんだ?」
「これを食べてくれと何度も言ってる」
「んなこたぁ分ってんだよ」
だろうな。
「オレが聞いてんのは理由だ理由」
「武上くんの言う通りだよ。どうしてこれを食べちゃいけないのか、有馬くんが用意したその非常食、保存食? それを食べなきゃならないのか話してもらわないと」
「……」
「有馬くん、あなたが言うのだから確かな理由があるんでしょ。でも、さすがにこれは私も解せないわ」
「功己?」
それぞれの顔に異なる表情を浮かべた4人が俺に迫ってくる。
「……」
これまでと同じように始まった宿での朝食。
言うまでもないことながら、同じメンバー、同じテーブル、同じ風景が俺の目に映っている。
ただし、空気がまったく違う。
「どういうことか説明しろや!」
特に武上はこの通り。頭に血が上った状態。
「「有馬くん?」」
古野白さん、里村は比較的冷静ではあるものの、それでも懐疑的な眼差しは隠せていない。
「……」
心配そうにこっちを見上げているのは幸奈。
「話してもらえるかしら」
そんな皆の気持ちはよく分かる。
正直、許されるなら全てを話してしまいたいくらいだ。
けど、ここは。
「あとで必ず説明します。ですので、今は何も聞かず俺の用意するものだけを食べてくれませんか」
「んなもん、納得できるわけねえだろ!」
「ボクも納得できないな」
「これ平気なの?」
「ああ」
目の前には邪狼狗。
2回目同様、剣で屠った邪狼狗が倒れ伏している。
「でも、ここまで派手にやっちゃうと」
「……」
背後には崖下へと続く土階段。
さらには死屍累々とばかり窪地に溢れかえる異形。
明らかに普通じゃない光景が広がっている。
ただ、この状況は2度目3度目と比べても大差はない。
「その、バレないかな?」
露見についてはもちろん気掛かりではある。
とはいえ、この程度なら確定には至らないはず。
「大丈夫だろう、が……イレース!」
一応、 階段を少し崩しておこう。
「さあ、みんなのもとに急ぐぞ」
「あっ、うん」
4度目となる今日。
ここまではかなり苦心した。
朝食の場から変わってしまった流れの中で、なるべく前回、前々回に近づけるよう動いてきたのだから、苦労するのも当然といえば当然なのだが……。
ただまあ、その甲斐あって、ある程度は流れを戻せたと思う。
そして今。
「どうやって上ったんだ?」
武上から聞き覚えのある言葉が出てくる。
「っつうか、上れるんなら先に言えよ。ったく、縄なんて必要ねえじゃねえか」
「急ぐ必要も心配する必要もなかったわね」
古野白さんからも。
「で、どうやったのかしら?」
「ボクも知りたいな」
ここで右耳の後ろを掻き始める里村も同じ。
「魔法でも使ったのか、それとも超能力か?」
両手を組んで指を鳴らす武上。
これはもう、流れが完全に戻ってる。
「有馬くん? どうなの?」
「どうなんだ?」
となると、問題はこの後。
咳はどうなる?
「おい、おい、まじで魔法でも使ったんじゃねえだろうなぁ?」
「……たまたま上りやすい場所があったから」
武上も里村も今回は俺の用意したものしか食べていない。
なら、症状は出ないはず。
出ないでくれ。
「もちろん普通なら無理だけど、功己なら上れるから」
「緩やかな崖があったってか?」
「有馬くん、そういうことなの?」
「……ええ、何とか上ることができました」
「……とりあえず、色々と様子を見に戻りましょ」
「だな」
そろそろだぞ。
武上、里村どうなんだ?
「……」
「有馬くん?」
「……」
「おい、おい、戻りたくねえってか?」
「……」
「まさか、魔法の痕跡でもあんじゃねえよな?」
咳が始まらない。
それに、こんな言葉聞き覚えがない。
ということは、つまり……。





