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姉の事情

十二月六日は姉の日です。

 なぜ、柊はエアコンがある部屋を使わないのだろうか。せっかくあるのだから、使えばいいのに。

 それは沙依がこの家に来て、一番最初に思ったことだった。

 だから沙依は、使わないのならとエアコンのある部屋を占拠したのだ。

 エアコンのない部屋で夏を過ごせば頭がおかしくなって死ぬ……沙依の座右の銘である。とにかく、エアコンのない夏など考えられない。それは最早人権侵害だ。

 なので沙依は、柊が夏場に沙依の部屋に来るのを許していた。

 夏なのだから、エアコンが欲しくなるのは当たり前だ。

 そんなわけで日常化した二人の昼間。沙依は、先週買ってきたノートパソコンの設定を行っていた。店頭で一番高かったモデルである。

 本当は買ってすぐにいじりたかったのだが、盆前の仕事が少し忙しかったので、ズルズルとここまで伸びてしまった。仕事でヘトヘトになってからパソコンの設定を行うなど、沙依にはできない。

「……よし」

 画面の指示に従っていたら、思ったよりもあっさりと設定が終わった。詰まったら柊に任せればいいとサポートの類は大方切ったのだが、自分一人でできるとは。

 ここで沙依は調子に乗り、とりあえずネットサーフィンでもすることにした。会社でやると上司に睨まれるのだが、家でなら好きなだけできる。

 『e』 のマーク。これだ。クリックし、インターネットを――。

「……あれ?」

 おかしい。

 よくわからないページが出て、検索も何もできない。

(ホームページ? の設定? みたいなやつかなあ……)

 ファイル(F) だとか、編集(E) みたいなことが書いてあるものをいろいろいじってみるが、よくわからなかった。

 もしかすると、インターネットを使うのにも設定が必要なのかもしれない。

 わからないので、柊にやらせよう。

「ねえ、柊」

 柊の服を掴んでちょいちょいと引っ張る。

「ん?」

 柊が振り返ると、沙依はパソコンの画面を指し示した。

「インターネットってさ、どうやって使うの?」

 すると、柊は 『こいつ本当に社会人か……?』 とでも言いたそうな顔をする。生意気な対応に少しだけムッとしたが、口に出していないので許してやることにした。

 柊は嫌そうな表情を隠しもせず、投げやりな感じで話す。

「接続設定とか、いろいろ面倒なのが必要なんだよ」

 それは大体予想がついていた。知りたい――というか投げたいのは、細かいことだ。

「へー。で、どうすんの?」

 雑に返事をすると、柊は少し黙ってから、理想の言葉を口にした。

「……わかった。やっとくから貸せ」



 インターネットが使えるようになるまで、えらく時間がかかってしまった。

 作業時間の大半は探しものだったようなので、悪いのは柊だろう。使うものはわかりやすいところにしまっておくべきだ。

 その後いろいろ説明されたが、理解できたのは半分ぐらい。まあ、いいだろう。また詰まったら柊に頼るのだから。

 ふうと一息ついていると、柊の腹の虫が鳴る。

 休日の昼食は、柊の担当だ。

 だが、今日はいろいろ任せてしまった。まあ、昼食ぐらいなら作ってやってもいいだろう。

「今日の昼飯はあたしが作ってやるよ」

 すると柊は、UFOでも見たかのような顔をした。失礼なやつだ。やはりやめようか――とも思ったが、口に出していないので許してやることにした。

「ああ、頼む」

 それに、素直に頼めたので、合格だ。



 エアコンが壊れた。

 直るのは、一週間後。

「そんな落ち込むなよ。たまにはこんなこともあるさ」

 柊はそう言うが、それどころではなかった。

 エアコンが止まってからこの数十分で、沙依はもう限界に達しかけている。料理をしている時は大丈夫だったのだが、こうして何もしていない時に暑いと嫌になる。エアコンがないという喪失感も相まって……まずい。頭がおかしくなって死ぬ。

 だらしなく口を開け、眼鏡はずれ、意識は薄れ……それはもう悲惨だ。きっと、普段の自分が見たら頬を叩いていただろう。

(やばい……死ぬ……)

 理性は決壊寸前。ピアノ線よりも細い最後の一本が、かろうじて意識を繋ぎ止める。

 やはりエアコンのない生活は人権侵害である。こんな生活をしようとしていた柊は、筋金入りのマゾヒストだろう。

 死にそうな暑さに必死に耐えていると、マゾヒスト柊がこんな提案をしてきた。

「……俺の部屋の扇風機、使わせてやるよ」

 扇風機……エアコンほどではないが、まあ、ないよりは遥かにマシだろう。

 何より、今はこの地獄から一刻も早く抜け出したい。

「……」

 火事場の馬鹿力で、沙依は立ち上がる。視界が歪む。そうだ、眼鏡がズレていたんだった。直すと視界はクリア――ではないが少しマシになる。陽炎の幻覚が見える……。

 一刻も早く、扇風機の元へ!



 扇風機を机のすぐ近くまで持って行き、ベストな位置を探る。

 机の上には持ち込んだノートパソコン。この部屋の持ち主の持ち物である雑誌は、脇に寄せてあった。

 扇風機で涼んで余裕を取り戻した沙依は、余裕が続くうちに必要なものを柊の部屋へと持ち込んだ。これから一週間ほどここで過ごすのだから、当然だろう。

 柊も、特に文句を言う素振りは見せない。尤も、一応柊にも多少は風が当たる位置に扇風機を置いたので、文句を言われても黙殺するのだが。

 扇風機は意外と暑さを緩和し、熱でおかしくなりかけていた沙依の頭をクールダウンさせる。

 これなら一週間ぐらいは耐えられるだろう……などと安堵すると共に、冷えた頭はこれから先のことを自然と考えてしまう。

 それは主に、夜――睡眠についてだ。

 沙依の部屋には扇風機がない。エアコンがない以上、扇風機のない部屋で寝るのは不可能だ。永遠の眠りに就いてしまう。

 扇風機を持ち去るのは流石に気が引ける。となると、どこで寝ることになるか……それはもう、明確だった。



「あたし今日ここで寝るから」

 布団を敷く柊にそう伝えると、彼は 「は?」 と、まるで理解できていないような声を出した。

 だが、沙依は動じることなく、淡々と言う。

「ほら、あたしの部屋のエアコン壊れたから、扇風機使わせてくれるって言ったじゃん」

「確かに言ったけど、それはこういう意味じゃ――」

 恐らく、柊は軽い気持ちで、何も考えずに言ったのだろう。だが、発言の責任は取る必要がある。それが、大人だ。

「じゃ、あたし先にお風呂入ってくるから」

 文句は受け付けない。

 柊が何か言う前に、沙依はそそくさと風呂場へと向かった。が、途中で寝間着を忘れたことに気づいて引き返した。

 寝間着を確保し、今度こそ風呂場へ向かう。

 ささっと身体を洗い、湯船へ。

 夏の暑さは苦手だが、湯船の熱さは心地よかった。

 昔からの癖で、入浴中は、ついついこの先のことを考えてしまう。

 さて。

 結局、一緒に寝ることとなった。

 まあ、別にナニをしようというわけでもなく、そしてそれは柊も同様だと思うので、問題はない。倫理的にも、感情的にも。

 問題では、ないのだ。



「じゃ、消すぞ」

「豆球はつけといてよ」

「ああ」

 柊に背を向け、沙依は布団に寝転がる。

 シングルサイズの布団なので、案の定距離は近かった。

 扇風機が、規則的に首を振る。沙依の側に置かれているので、風はダイレクトに当たった。

 その風は沙依を抜けた後、すぐ後ろの柊に当たる。

 不意に、懐かしさを覚えた。

「……久しぶり、だね」

 昔を思い出し、いつもより高めの声が出た。柊は無言だが、沙依は続ける。

「こうやって一緒に寝るの、何年ぶりだろ」

 一緒に寝ていたのは、――尤も、その時はダブルサイズだったのでもっと離れていたのだが――小学校までだ。沙依が中学生になって自分の部屋を持ってからは、一緒に寝ていない。

 いや、しかし……それ以降にも、何度かあった気がする。

「こないだ酒飲んだ時ぶりだな」

 沙依の疑問に、柊は素っ気なく答えた。

 酒を飲んで酔ったまま一緒に寝た時……あれは、あまり思い出したくない出来事だ。ヤったヤっていないはともかく、寝起きで言ってしまったことが……果てしなく恥ずかしい。

「そうじゃなくて、さ……」

 恥ずかしさを隠すように拗ねたような声を出すと、今度は真面目に考えてくれたようだ。

「そうだな……姉ちゃんが越してきた最初の日、まだ布団が届かないからって俺の布団で寝た気がするぞ」

 言われてみれば、確かにそんなこともあった。

「あったなあ、そんなこと」

 沙依は苦笑する。会話はそこで途切れ、部屋には沈黙が降った。扇風機だけが、音を立てて羽を回す。

 なんとなく、イタズラしてやりたい気分になった。

 何がいいか――少し考えてから、もぞもぞと向きを変え、柊に顔を向ける。

 薄目でこちらを見た柊は、ビクッとしてもぞもぞと移動した。布団の大きさ的に、片腕ははみ出していそうだ。

 柊のそんな反応を見ていると、更にイタズラしたくなる。

「あんたの寝顔、可愛くて結構好きだよ」

 そう言って、沙依はまぶたを下した。嘘は言っていない。それなりにハンサムな弟の寝顔は、それなりに可愛いものだ。

 よし、今日はもう寝よう。

 向きを変えずに、沙依はそのまま眠りに落ちる。

 暑いのは苦手だが、隣に居る弟の温もりは……悪くなかった。



 翌日。

 目を覚まして身体を起こすと、まず最初に布団から落ちた柊の姿が目に入った。

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