表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/6

人の為に灯を点して自らは……

  今から仕事の仲間とお店にお邪魔します。


そのLINEに澪が気づいたのは、もう彼が店に来てからだった。


正確には、五組目でも六組目でもない、記憶に残らない集団の中に、班長さんの姿を見つけてから。


その夜、澪はハイスペの席についていた。


先日、公園で猫を受け止めた、モデルのような男前。


彼は連れの中年男性と一緒に来ていたが、席での振る舞いはやはりどこか静かで、周囲の空気から少しだけ離れているように見えた。


派手な場が苦手だと言った彼は、その言葉通り、必要以上に騒がなかった。


澪も、必要以上に笑わなくていい。


それが、少しだけ楽だった。


ハイスペがスマホを手に取り、通話のために席を外した。


「少し失礼します」


そう言って立ち上がる動作まで、やはり無駄がない。


澪はその背中を見送ってから、小さなポーチの中で震えていたスマホを取り出した。


画面に表示されたのは、班長さんからのLINEだった。


今から仕事の仲間とお店にお邪魔します。


時刻を見る。


少し前の通知だった。


澪は、慌てて返信を打つ。


今見ました。

返信遅くてすいません。


送信してから、店内を見回した。


班長さんは、別の席にいた。


彼の隣には、別の女性がついている。


当たり前のことだった。


ここは店で、彼は客で、自分はキャストの一人にすぎない。


誰がどの席につくかは、その時の流れで決まる。


それなのに、少しだけ胸がざわついた。





 班長は、やはり居心地が悪そうだった。


けれど前と違い、完全に嫌々連れてこられたようには見えなかった。


彼は少し迷うように店内を見て、それから黒服のスタッフへこっそり声をかけた。


「すいません」


落ち着いた雰囲気のスタッフが、すぐに姿勢を正す。


「はい」


「あの、指名って……」


「はい。どの子をご指名ですか?」


その声は、澪の席までは届かない。


けれど、近くにいた同僚の一人には聞こえたらしい。


「班長! 指名すんですかー?」


ほろ酔いの同僚が、大きな声で言った。


周りが少し笑う。


班長さんは、慌てたように振り返った。


「あほ……違うわ。確認や」


「そんなこと言うてー。ほんまは班長……」


同僚はまだ何か喋っていた。


けれど班長さんには、もうほとんど聞こえていなかった。


彼は一度、店内を見渡した。


澪を探しているように見えた。


そして、見つけた。


澪は、ハイスペの席にいた。


二人の席には、周囲とは少し違う落ち着きがあった。


派手な笑い声もない。


無理に盛り上げる空気もない。


グラスの位置も、背筋の伸び方も、妙に絵になっていた。


班長さんは、遠くからそれを見て、小さく笑った。


「なんか、めちゃ絵になるな……」


誰にも聞こえないくらいの声だった。


その笑いは、自分に言い聞かせるような笑いだった。


そりゃそうやろ。


ああいう人の隣にいる方が、きっと自然だ。


彼はそう思った。


そして、手元のグラスを持ち上げた。


少しだけ酒を飲む。


同僚が話す。


班長さんは笑う。


また飲む。


飲みたいわけではない。


でも、その場にいるなら、飲むしかないような気がした。


その時、班長さんのスマホが震えた。


画面を見る。


後輩ちゃんからだった。


どこで二次会してますか?


班長さんは、短く返す。


新地や。


すぐに返事が来た。


合流します!


班長さんは眉を寄せる。


せんでええ。


またすぐ返ってくる。


終わったらラーメンおごってください。

こっちは今カラオケしてます。


続けて、写真が送られてきた。


多数の女性社員と、少数の男性社員が写っている。


みんな楽しそうだった。


後輩ちゃんは画面の端で、なぜかピースの角度が大きい。


班長さんは小さく息を吐いた。


わかった。ほな後で連絡するわ。

ちなみに全員はあかんぞ。


送信して、スマホを伏せた。


もう一度、澪の席を見る。


さっきの男は席を外していた。


澪は背筋をぴんと伸ばし、グラスの中をマドラーでさっと混ぜている。


その所作が、あまりにも美しかった。


夜の店の仕草なのに、どこか静かだった。


作られた笑顔の中にも、品がある。


班長さんは、思わずじっと見てしまった。


澪がグラスから視線を外した。


目が合いそうになった。


班長さんは、とっさに目を逸らした。


何をしているのか、自分でもわからなかった。


別に悪いことをしているわけではない。


ただ、見ていたことを知られるのが恥ずかしかった。


それからしばらくして、男は席へ戻っていた。


澪と何か話している。


二人は大きく笑うわけではない。


けれど、澪の表情は少しだけ柔らかかった。


班長さんは、それを見てもう一度グラスを持った。


少しだけ話したかった。


少しだけ、会いたかった。


だから来た。


でも、その気持ちは、今さら口にするにはあまりにも頼りなかった。


「ごめん。俺、先出るわ」


班長さんは、同僚の一人に声をかけた。


「え、班長もう帰るんですか?」


「ああ」


財布からお札を出し、さっと渡す。


「これで半分くらいあるかな」


同僚は驚いて手元を見る。


「班長、多いってこれは」


「ええから取っとけ。三件目行くやろ、どうせ」


「いや、でも」


「気にすんな」


別の後輩が、少し離れた席から声を上げた。


「班長、ありがとうございます!」


班長さんは、さっと右手を上げた。


それだけで席を離れる。


澪の席は見なかった。


見たら、また何か言い訳を探してしまいそうだった。


店を出ると、夜の空気が少し湿っていた。


梅雨入り前の新地の道は、雨が降る前のような匂いがする。


班長さんは、店の看板の明かりを背に、小さく呟いた。


「そりゃそうやろ」


お似合いの二人の姿が、頭に浮かぶ。


スマートな男。


静かに笑う澪。


絵になる席。


自分がその隣に座るところは、うまく想像できなかった。


少しだけ話したかっただけ。


少しだけ会いたかっただけ。


その気持ちを押し殺して、班長さんはスマホを取り出した。


後輩ちゃんへ連絡する。


 出た。

 ラーメン行くなら今から。


すぐに返事が来た。


 行きます!

 少数精鋭で向かいます!


「何が精鋭やねん」


班長さんは小さく笑った。


そして、数人の後輩にラーメンを奢りに行った。


スマホの画面は、そのままポケットの中へ戻された。


その少し前に届いていた、澪からのメッセージに気づかないまま。


未読メッセージがあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ