人の為に灯を点して自らは……
今から仕事の仲間とお店にお邪魔します。
そのLINEに澪が気づいたのは、もう彼が店に来てからだった。
正確には、五組目でも六組目でもない、記憶に残らない集団の中に、班長さんの姿を見つけてから。
その夜、澪はハイスペの席についていた。
先日、公園で猫を受け止めた、モデルのような男前。
彼は連れの中年男性と一緒に来ていたが、席での振る舞いはやはりどこか静かで、周囲の空気から少しだけ離れているように見えた。
派手な場が苦手だと言った彼は、その言葉通り、必要以上に騒がなかった。
澪も、必要以上に笑わなくていい。
それが、少しだけ楽だった。
ハイスペがスマホを手に取り、通話のために席を外した。
「少し失礼します」
そう言って立ち上がる動作まで、やはり無駄がない。
澪はその背中を見送ってから、小さなポーチの中で震えていたスマホを取り出した。
画面に表示されたのは、班長さんからのLINEだった。
今から仕事の仲間とお店にお邪魔します。
時刻を見る。
少し前の通知だった。
澪は、慌てて返信を打つ。
今見ました。
返信遅くてすいません。
送信してから、店内を見回した。
班長さんは、別の席にいた。
彼の隣には、別の女性がついている。
当たり前のことだった。
ここは店で、彼は客で、自分はキャストの一人にすぎない。
誰がどの席につくかは、その時の流れで決まる。
それなのに、少しだけ胸がざわついた。
班長は、やはり居心地が悪そうだった。
けれど前と違い、完全に嫌々連れてこられたようには見えなかった。
彼は少し迷うように店内を見て、それから黒服のスタッフへこっそり声をかけた。
「すいません」
落ち着いた雰囲気のスタッフが、すぐに姿勢を正す。
「はい」
「あの、指名って……」
「はい。どの子をご指名ですか?」
その声は、澪の席までは届かない。
けれど、近くにいた同僚の一人には聞こえたらしい。
「班長! 指名すんですかー?」
ほろ酔いの同僚が、大きな声で言った。
周りが少し笑う。
班長さんは、慌てたように振り返った。
「あほ……違うわ。確認や」
「そんなこと言うてー。ほんまは班長……」
同僚はまだ何か喋っていた。
けれど班長さんには、もうほとんど聞こえていなかった。
彼は一度、店内を見渡した。
澪を探しているように見えた。
そして、見つけた。
澪は、ハイスペの席にいた。
二人の席には、周囲とは少し違う落ち着きがあった。
派手な笑い声もない。
無理に盛り上げる空気もない。
グラスの位置も、背筋の伸び方も、妙に絵になっていた。
班長さんは、遠くからそれを見て、小さく笑った。
「なんか、めちゃ絵になるな……」
誰にも聞こえないくらいの声だった。
その笑いは、自分に言い聞かせるような笑いだった。
そりゃそうやろ。
ああいう人の隣にいる方が、きっと自然だ。
彼はそう思った。
そして、手元のグラスを持ち上げた。
少しだけ酒を飲む。
同僚が話す。
班長さんは笑う。
また飲む。
飲みたいわけではない。
でも、その場にいるなら、飲むしかないような気がした。
その時、班長さんのスマホが震えた。
画面を見る。
後輩ちゃんからだった。
どこで二次会してますか?
班長さんは、短く返す。
新地や。
すぐに返事が来た。
合流します!
班長さんは眉を寄せる。
せんでええ。
またすぐ返ってくる。
終わったらラーメンおごってください。
こっちは今カラオケしてます。
続けて、写真が送られてきた。
多数の女性社員と、少数の男性社員が写っている。
みんな楽しそうだった。
後輩ちゃんは画面の端で、なぜかピースの角度が大きい。
班長さんは小さく息を吐いた。
わかった。ほな後で連絡するわ。
ちなみに全員はあかんぞ。
送信して、スマホを伏せた。
もう一度、澪の席を見る。
さっきの男は席を外していた。
澪は背筋をぴんと伸ばし、グラスの中をマドラーでさっと混ぜている。
その所作が、あまりにも美しかった。
夜の店の仕草なのに、どこか静かだった。
作られた笑顔の中にも、品がある。
班長さんは、思わずじっと見てしまった。
澪がグラスから視線を外した。
目が合いそうになった。
班長さんは、とっさに目を逸らした。
何をしているのか、自分でもわからなかった。
別に悪いことをしているわけではない。
ただ、見ていたことを知られるのが恥ずかしかった。
それからしばらくして、男は席へ戻っていた。
澪と何か話している。
二人は大きく笑うわけではない。
けれど、澪の表情は少しだけ柔らかかった。
班長さんは、それを見てもう一度グラスを持った。
少しだけ話したかった。
少しだけ、会いたかった。
だから来た。
でも、その気持ちは、今さら口にするにはあまりにも頼りなかった。
「ごめん。俺、先出るわ」
班長さんは、同僚の一人に声をかけた。
「え、班長もう帰るんですか?」
「ああ」
財布からお札を出し、さっと渡す。
「これで半分くらいあるかな」
同僚は驚いて手元を見る。
「班長、多いってこれは」
「ええから取っとけ。三件目行くやろ、どうせ」
「いや、でも」
「気にすんな」
別の後輩が、少し離れた席から声を上げた。
「班長、ありがとうございます!」
班長さんは、さっと右手を上げた。
それだけで席を離れる。
澪の席は見なかった。
見たら、また何か言い訳を探してしまいそうだった。
店を出ると、夜の空気が少し湿っていた。
梅雨入り前の新地の道は、雨が降る前のような匂いがする。
班長さんは、店の看板の明かりを背に、小さく呟いた。
「そりゃそうやろ」
お似合いの二人の姿が、頭に浮かぶ。
スマートな男。
静かに笑う澪。
絵になる席。
自分がその隣に座るところは、うまく想像できなかった。
少しだけ話したかっただけ。
少しだけ会いたかっただけ。
その気持ちを押し殺して、班長さんはスマホを取り出した。
後輩ちゃんへ連絡する。
出た。
ラーメン行くなら今から。
すぐに返事が来た。
行きます!
少数精鋭で向かいます!
「何が精鋭やねん」
班長さんは小さく笑った。
そして、数人の後輩にラーメンを奢りに行った。
スマホの画面は、そのままポケットの中へ戻された。
その少し前に届いていた、澪からのメッセージに気づかないまま。
未読メッセージがあります。




