第206話 最愛の天敵
魔力の循環速度が際限なく上がっていく。
脳の性能という上限が外れたことで、今オレの魔力運用の効率は過去最高を大きく更新している。
具体的に言えば、今まではハイエンドのゲーミングPC相当だったのがスパコン並みの性能に引き上げられている。
できることそのものはそこまで変わりはないのだが、今までは下準備抜きでは行使できなかった術も無意識下で行使可能なほどの違いがある。
すべてはあの『99事変』の再現空間の経験のせいだ。
オレに力を貸した『七人の魔人』の一角『英雄』、その残滓による脳機能の馴らしはこれほどの力をもたらした。
だが、それだけの性能をもってしても――、
「――つくづく、天敵だな!」
そう吠えて自分を鼓舞する。戦いが始まって1分ほど、戦況は同ひいき目に見てもこちらの劣勢だった。
戦場となっている円形体育館はすでに無残な有様だ。
床には無数のクレーターが生じ、結界を貫通した斬撃が外壁までを切り裂いている。施設管理の担当者がこれを目にしたらその場で卒倒してしまうだろう。
これらはすべてアオイの攻撃によるもの。彼女の一撃一撃、一挙手一投足はすでに怪物のそれだ。
それでも『城壁童子』の瞬間召喚でここまではどうにかしていたが――、
「はっ――!」
全身が霞むほどの速度でアオイが刀を振るう。
大上段の袈裟懸け。神速に達した一振りは概念すらも容易く断ち切る。
つまりは、防御不能。並の術師どころか、最上級の術師でさえこの一撃の前には死を覚悟するだろう。
なので、どうにかしてかわす。オレの身体を一閃するはずだった刃は不可思議にもわずかに逸れて再び床を裂いた。
「くっ!?」
さすがのアオイにもわずかな隙が生じる。こればかりは見逃せない。
「『独眼真龍』!」
反撃として見舞うのは式神『独眼真龍』の超高圧水流。極限まで圧縮された水流はレーザー光線にも匹敵する威力がある。
この前までのオレなら式神の『合身』には最速でも十秒程度の時間が必要だったが、今なら一秒未満、くわえて式神そのものの顕現ではなくその権能だけを引き出すなら一瞬だ。
おかげで完璧なタイミングでカウンターできたが、相手はアオイだ。この程度では倒せない。
「ふん!」
実際、アオイは超高圧水流をいともたやすく両断した。圧としては山を押し付けられているのと同じはずなんだが……流石としか言いようがない。
アオイは強い。オレの想定よりも二段も三段も上の段階に至っている。魔人の候補でないというだけで肉体の純度、技の練度、精神の深度もオレなんかよりはるかに先を行っている気がする。
そのくせ、人格は山縣アオイのまま欠片も棄損されていない。これはオレがオタクとして、男として、彼女を愛しているからこそ断言できることだ。
一体、何をどうすれば人間のままこんなに強くなれるんだ? 原作のエンディング時点のアオイも最強クラスだったけど、それとはまた別方向で魔改造されてるぞ。
「――ふっ。さすがは我が夫。ですが、解せませんね。さっきのは当たったと感じましたが」
刀から水滴を払い、息を吐くアオイ。
まだ1分程度の攻防だが、彼女の運動量にはすさまじいものがある。それでも呼吸に一切乱れがないのは、もはや、憧れさえ覚える。
「オレの得意技が小細工だってのは君も承知の上だろう?」
「ええ。でも、今のは初めて見ました。まあ、次は斬りますが」
背筋が泡立つような獰猛な笑み。普通だったら恐怖におののくのだろうが、あいにくとオレはオタクだ。むしろ、気を付けるべきはアオイの立ち姿に見惚れないようにする方だろう。
それに、次は斬るという宣言もブラフや脅しではなく事実とみて間違いない。
当然だが、オレがアオイの攻撃をかわせたのにはカラクリがある。
単純に言えば、あの斬撃がオレの身体を切り裂かないという確率論的には存在するわずかな可能性を強調して、ほかの可能性をすべて捨てた。つまり、残るのは攻撃が当たるか、当たらないかという2分の1のみ。そんな賭けの結果、攻撃がそれたのだ。
それが『八門金鎖・掎角』の効果。あらゆる事柄を『はい/いいえ』に収斂させるインチキだ。
六占式盤を通じた確率操作である『八門金鎖陣』。それを強化した『八門金鎖・連環』。そして、その上をいくのが今回お披露目した『八門金鎖・掎角』となる。
といっても、完全な上位互換かと言われればそうでもない。『掎角』は可能性を極限まで単純化する術。干渉できるのはそこまでで、残る2分の1の選択権はオレにもない。
だから、さっきの一撃をかわせたのはコイントスに勝ったからでしかない。いわゆる偶然だ。
まあ、加えてオレ自身の幸運も高めているから実際の回避率は80パーセントくらいはあるわけだが、それでも5分の1は攻撃が当たるんだ。いつまでも攻撃はかわせない。
なので、もう攻撃は受けない。実証実験済みのこいつの出番だ。
「『溢れろ、揺籃・泥濘・底知らず』」
「っさせません――!」
アオイとの距離は20メートルほど。一瞬で詰められてしまう間合いだが、オレの方がわずかに速い。
砕け散る緑色の『雫』。
顕現するのは、生ける沼地。躍動する生命の混沌は周辺空間にあるあらゆる水分子を支配し、重さを加える。
マリアナ海溝の水圧にも等しい重みがアオイを包む。突進の速度が見る見ると減速し、ついには刀の間合いの外で停止した。
「……なるほど。これが例の」
これ以上オレに近づくのは困難と判断したのか、アオイはおもむろに刀を降ろす。
あくまで重さが付加されているのは空間そのものなので、生体機能に影響はない。だから、押しつぶされたり、呼吸ができなくなったりなんてことは起こらない。
もっとも、『底知らず』の影響下にも関わらずアオイは普通に動けている。
規格外もいいところだ。怪獣でも指一本動かせないほどの拘束なんだが……、
といっても、さすがのアオイも『底知らず』に囚われた状態で全力戦闘は不可能だ。
そして、アオイがどれだけ規格外でも彼女は剣士。主な攻撃手段は刀による斬撃だし、それを飛ばすことも可能だが、その程度の攻撃がオレに通じないことは彼女も分かっている。
アオイに打つ手はない。逆にこっちはどんな手でも打てる。
通常の決闘であれば文句なくオレの勝ちだ。だが、今回の決着の条件は相手に「まいった」と言わせること。こうして制圧されてもアオイは簡単にはまいったなんて口にはしないだろう。
……さて、どうしたものか。
まず思いつくのはアオイが決闘前に言っていた『オレが話していない』ことだが……、
…………思い当たる節がない、と言えばウソになる。でも、それを、この場で、話すのはあまりにも――、
「――残念です」
アオイの声が円形体育館に響いた。
言葉とは裏腹に声には何の感情も乗っていない。何を考えている?
「何が残念なんだ? 降参するのか?」
ありえないのは承知の上だが、そう尋ねる。
オレともあろうものが、アオイの考えが読めない。だから、どうにかして彼女を知りたかった。
「まさか。残念なのは、貴方が私を侮ったことです。足を止めた程度で、この山縣アオイが止まると思うたか!」
そう叫んだ時だった。
アオイの右手にある太刀『影打ち・童子切り』がまばゆい光を放つ。次の瞬間、彼女の手に握られているのは刀ではなかった。
弓だ。身の丈ほどもある銀色の和弓。すぐに太刀が弓へと変形したのだと気付くが、そのロマンに感心している暇はなかった。
弓の弦に、アオイの指が掛かる。そのまま彼女が弦を引くと、魔力の矢が形成された。
おそらく行われるのは超高密度の魔力を矢の形で射出するだけの単純な攻撃。だが、魔力の圧縮率が尋常じゃない。というか、これ、『底知らず』を構成する魔力まで吸い上げてるぞ……!
「――『秘技・雷上動』」
そうして、一矢が放たれる。
鈍く輝く鏃は空間を砕きながらオレへと迫る。
回避は不可能。この矢には必中の呪いが付与されている。なにより、これほどの速度にオレの身体能力では対応できない。
――上等だ。回避できないなら、受け止めてみせる。これもまた愛の形だ――!




