第202話 『運命』
世界を救い、同時に『ミコタアケコ』を救う。
そんなことが実際に可能なのか。できたとして、それがどれほどに困難なのか。そんなことは二の次にして、望みにも等しい決断をオレはした。
あの『99事変』の再現空間で、フロイトとミコタアケコの関係性、そして、彼女の誕生の経緯を知った時から、心の奥底ではそう考えていた。
それに、叔父上の記憶を戻せるのは記憶を消したミコタアケコだけだ。彼女だけはあらゆることを忘却できない以上、叔父上から奪った記憶も彼女の中にある。
冷静な判断とは口が裂けても言えない。
論理的だとも思えないし、正しいなんてことは絶対にありえない。むしろ、身勝手で、オレ以外の70億人の人類にしてみれば悪そのものともいえる行いだ。
でも、オレはそうしたい。しなければという義務感ではなく、そうしたいからそうする。
見ていられないから全部救う、というのは世界を敵に回す動機としてはそう悪いものじゃない。
オレの愛する原作主人公『土御門輪』なら同じ決断を下す。敵であったとしても叔父上の苦悩を、巫女田朱子の献身と結末を目にして、それを見過ごすなんてことは絶対にありえない。
オレも、そうしたい。自分が主人公ではなくただの蘆屋道孝だなんてことはよくわかっている。わかったうえで、オレは、その生き方にならいたい。こればかりはどうにも曲げようがなかった。
「――そうか。君の選択だ。尊重しよう」
そんなオレの宣言に、局長はただそう言ったきりだった。
上司どころか、『七人の魔人』の一角である自分の意向に、オレが反したことに対して怒っても失望してもいない。少なくともオレは解体局の一員としては、ありえない選択をしたにも関わらずに、だ。
その代わりに、局長の顔に浮かんでいるのは安堵にも、郷愁にも近しい何か。
一体なぜ局長がそんな顔をしているのか知りたいと思ういつつも、オレはもう一人の当事者へと視線を向けた。
「くだらない。こんなこと、無駄なのに……」
彼女は、ミコタアケコは変わらずうなだれている。表情はうかがい知れないが、この展開もまた彼女の既知であることは確か。オレはどこかの世界で今と同じ選択をして、きっとしくじったのだろう。
わかっていたことだ。
局長によればミコタアケコの『逆行転生』は観測できるだけで600回を超えている。そのうちのいくつの世界にオレがいたのかは分からないが、それだけあれば、そして、ミコタアケコの状態を知ればそのオレも今のオレと同じことを決断していただろうから。
そのうえでダメだった。なにがあったにせよ、ミコタアケコは無限に続く『逆行転生』から解放されてはいないから、しくじったのは間違いない。
でも、だから、なんだ。
このオレならばできるなんていえるほど自信があるわけじゃない。でも、それはやらない理由にはならない。
これは他でもないオレが、オレのためにやることだ。
ミコタアケコを見捨てられないというのがオレの我欲である以上、相手の事情なんて知ったことじゃない。それに、善意なんてものは基本的には一方的で、迷惑なものだ。
「局長。彼女をどうするつもりですか?」
「どうもしないさ。というか、できない。彼女はあくまで八人目の候補のままだ。彼女の持つ権利を取り上げて、君に譲渡するのも、君の同意ありき。その同意がないのでは、七公会議での誓約の隙間を突くことはできない。かといって――」
そこで局長はため息を吐き、右の手の指を『パチン』と鳴らした。
すると、ミコタアケコを拘束していた影が実体化を解き、ただの影になる。つまり、ミコタアケコは解放され、ゆっくりと床へと降ろされた。
意外なことに、自由の身だ。術や異能を封じる手立てもされていない。
「こうして捕らえ続けることもできない。妨害だと見なされれば、ペナルティを受けかねないし、それは困る。抱えている案件が多くてね」
困ったものだ、と笑う局長。
彼の言う案件とは間違いなく『世界の滅び』のことだ。原作通りではあるが、今オレたちが直面している『八人目の魔人』以外にも世界の危機はまだまだ存在しているらしい。
……なんというか、果てのない話だ。
でも、だからこそ、湧く勇気もある。オレたちの前にある困難もまた、数ある一つでしかないのなら、乗り越える方法も必ずある。
「そう気負わなくともいいよ。失敗するにせよしないにせよ、何かに挑むのは生きている者の特権なんだからね」
「はっ!」
局長の言葉を鼻で笑うミコタアケコ。立ち上がった彼女は、憎むような、あるいは憐れむような瞳でオレを見ている。
もとより、彼女の協力は期待していない。向こうがこっちに期待していない以上、こればかりはどうしようもない。
それに、数多の並行世界で彼女が救われていないのには何か理由があるはず。その理由がもしオレの考えている『もの』に由来しているのなら、彼女を通じてそれが露見する可能性もある。
ミコタアケコ救出に関する作戦はこちらだけで立案するしかないが、それに関しては問題ない。
問題は、どうやってみんなの助けを借りるか。これに関しては正直、局長や他の魔人たちを相手取るよりも頭が痛い。
「まあ、いつも通り、アンタは無駄な努力をしてれば? どっちにせよ、アンタは失敗するし、そうでなくてもアタシはアンタを殺す」
「それは、どの世界でもオレが君の邪魔をするからか? それとも、君を助けようとするからか?」
「……答える必要はない」
そう言い捨てて、ミコタアケコは姿を消す。
最初に『星の間』に現れた時と同じ空間に穴をあけての転移。おそらく、ほかの異能同様彼女自身の『呪い』を利用して『別の場所にいる自分』の可能性世界を観測、その観測を『真』とし、今の自分と重ね合わせることで空間をつなげているのだろう。
……便利ではある。もっとも、オレがまねようとすればかなりの工夫がいるが。
「よかったのかね? 行かせてしまって」
「…………局長に留められないのならオレにも無理です」
「そうではなく。聞きたいことが山ほどあったのではないかね? 彼女自身についてとか、彼女が見てきたものについてとかね」
「…………助けた後にでも聞きますよ」
局長に言われて、『しまった』と頭を抱える。
確かに、そうだ。『ミコタアケコ』は途方もない数の平行世界を目にし、体験した。
それはつまり、オレよりもはるかに多くの物語を彼女は知っているということ。それも、この『BABEL』の世界で起こった数えきれないほどの世界を、だ。
不謹慎、かつ、無神経なうえに最低ではあるが、めちゃくちゃ聞いてみたい。オレの知らないこの世界の物語、そして、オレの知らない、オレとみんなの物語を……!
「私が言うのもなんだが、君もなかなかに人でなしだ。だからこそ、私は君を推薦したのだが」
褒められている気はしない。だが、納得はいく。
八人目の候補者はオレとフロイト、そしてリサの3人。局長の立場からすればフロイトは論外だとしても、オレかリサで選択の余地はあった。
そのうえで局長はオレを推した。
理由は局長の述べた通り、オレがエゴイスティックな人でなしだからだ。
リサは優しく、善人だ。オレよりも彼女の方が賢いし、正しい。
だからこそ、オレの方がこういうのは向いてる。人でなしだからこそできることもある。
「さて、伝えるべきことは伝えた。あとは君の選択が何をもたらすのか、見守るばかりだ」
局長が息を吐く。「その前に君たちをきちんと帰してあげなくてはね」と呟いた。
周囲では皆が意識を取り戻しつつある。それだけではなく、『ミコタアケコ』がこの空間から退去したことによってオレの知る『巫女田朱子』先生もこの場に姿を現した。
……おそらく、分体のようなものだ。
幾度も世界を繰り返したミコタアケコがオレやほかの原作知識を持つ誰かに疑いを持たせないために生み出した偽装用の『分体』がオレたちの世話になっていた巫女田朱子の正体だ。
彼女自身にその自覚はなく、また、それ以上の役割も力も持たされていない。情報の共有も多少はされているかもしれないが、この巫女田先生がどうなってもミコタアケコの魂に影響はない。
ミコタアケコ本人が15歳の時の肉体をしているのがその証拠だ。フロイトとして暗躍するために分体を作り、本体は通常の時間が切り離している。そうすることで、例え巫女田朱子本人を知る人間でも容易には両者をイコールで結べないようにしている。
周到な偽装だ。この世界で暗躍するためにフロイトは徹底している、ようにも思える。
でも、どうしてだろうか。これらの偽装には何か別の意図がある気がしてならない。しかも、これは魔人になりかけているがゆえの直感ではなく、オタクとしての本能に由来していた。
……答えは出せる。だが、確信は薄い。
それに今は、目の前にいる人に聞いておきたいことがあった。
「あと一つだけ、聞いてもいいですか?」
「なんだね」
「貴方は、これでよかったんですか?」
オレの問いに、局長は一瞬驚いた後――、
「――ははははは! そうか、それが気になるのか!」
らしくもなく噴き出した。
……いや、まあ、オレとしても無駄な問いであることは分かっている。
だってもう決めてしまったことだし、局長がどう思おうが、なにをしようが、オレの意志は変わらない。
それでも、これでよかったのかと過去形で聞いたのは、オレが個人的に局長のことを知りたいと思ったからでしかない。
自分でもどうかと思うほどには無遠慮だ。でも、本編では断片的な描写しかなかった局長についてできるだけのことを知りたいと思うのは、オタクのサガだ。
「いや、失敬。君はその方がいい。どうせ困難を背負うならできるだけ前向きに背負うほうが見てる方も楽しいからね」
「…………そりゃどうも」
からかうような局長に、オレは後ろ頭をかく。人の人生をエンタメ化して消費するという点では、人にとやかく言う資格はオレにはない。
「これでよかったかと言えば、よくはないさ。私には今の世界を保全するという方向性がある。でも、まあ、そうだね。そのために取りこぼしたものを誰かが拾ってくれるなら、それを応援するくらいの自由はまだあるよ」
そうして、魔人となり果てたかつての術師は、口元に笑みを浮かべた。
ひどくぎこちなくて、ゴム製の皮は罅割れていたが、そこにはこれまでに見た局長のどんな表情よりも人間らしい温かみがあった。




