第201話 たったひとつの冴えた方法
『八人目の魔人』の候補者は転生者である。
そのことを知った時点で、オレもリサもその『転生者』を自分たちと同じ『転生者』だと思い込んでいた。
言葉遊びのようだが、実際にそうだ。
オタク特有の誤謬とでもいうべきか。本来の意味での輪廻転生とは違い、転生と言えばここではない別の世界に転生するものだと、いわゆる異世界転生だと思い込んでいた。
だが、実際には転生と一口に言っても複数の種類がある。
フロイトの、いや、『ミコタアケコ』の場合は、間違いなく『逆行転生』と言われるものを経験している。
つまり、オレやリサとは違い、同じ世界の中で過去の時間軸に転生している。死という終わりを経由して別の世界で別の人間としてやり直すのではなく、同じ世界で同じ人間としてやり直している。
『時間遡行』とも『ループ』とも表現できる現象だが、今回の場合はやはり、『逆行転生』と表現すべきだろう。
ミコタアケコは『99事変』の最中に『終わり』を差し出した。そのしっぺ返しとして逆行転生を果たした、というのは十分に考えられることだ。
しかも、この『逆行転生』は一度きりのものではない。
「――そう。だから、嫌いなのよ、勘のいい奴は」
オレの推理が正解であることはミコタアケコの反応が物語っている。相変わらず忌々しげな顔でオレをにらんでいるが、その瞳には憎悪と嫌悪以外にどこか悔しさのようなものが宿っていた。
………何度も同じ世界を繰り返す『逆行転生』。
同一世界内での転生である以上、『並行世界の観測』という八人目の魔人の要件とは一致しないように思えるが、実は違う。
ミコタアケコが何度繰り返したかは分からないが、繰り返すたびに彼女の行動は変化し、原作は改変されたはずだ。
その変化した世界もまた、一種の『並行世界』。そう定義できる以上、ミコタアケコは要件を満たしている。
問題は、彼女がどれほど多くの世界を観測したのか。少なくとも今のこの世界とかつての現実しか知らないオレやリサとは比較にならないはずだ。
それこそ、周囲に立ち並ぶ墓石のごときサーバーの森よりもなおも多くの世界をミコタアケコは経験してきたのだろう。
その世界の中には、オレもいた。だから、彼女はオレを知っている。そう考えて間違いない。
「で、それがわかったからなに? どうせここで終わりなんだから」
一方、自身の異能、いや、『呪い』を分析されてなおミコタアケコに動揺はない。
おそらく、これも経験済みか。既知の出来事である以上、そこには何の感情も生じえない。
「彼女の転生回数は、およそ600回ほどだよ。異能の行使による細かい遡行を含めればもっと回数は増えるだろうが、観測できる時空連続体への干渉の痕跡はその程度だ。これを多いと捉えるか、少ないと認識するかは君らの自由だね」
当人に代わって『局長』が言った。いつも通り、何でもないことかのように。
600回にも及ぶやり直し。
局長が言葉にした以上、嘘はない。ミコタアケコは600回にも及ぶ死と再生の輪廻を繰り返している。
その中にはオレの手によるループも含まれているのだろう。ミコタアケコは受けたダメージを並行世界の自分に、つまり、いずれかのループの自分に押し付けていたのだから。
そうだ、彼女は600回も『人生』を繰り返している。
好きなゲームを何度もプレイしたり、思い入れのある漫画や小説を何度も読み返したりするのとも違う。本当は一度きりのはずの人生が延々とリピートされるのが、ミコタアケコに課された代償だ。
しかも、彼女はその全てを記憶しているはず。忘却もまた『終わり』の一つの形である以上、どこまでも救いがない。
「――だから、それがなに。これが何度目だろうが、アンタには関係ない。ただの時間の無駄。さっさと終わらせて」
そんな境遇にもかかわらず彼女は、一切の同情を拒否している。というより、そこに一切の意味を見出していない。
オレが何を思おうが、ミコタアケコにしてみればそんなものは経験済みの出来事に過ぎないのだろう。
…………オレなら、耐えられない。だが、耐えられないとしても終わることもできない。
それは一体、どれほどの地獄なのだろうか。オレには想像することもできない。
だが、分かることもある。
人間はなくしてしまったものにこそ執着する。600回もの摩耗を経てもそればかりは変わらない。
「なら、君の目的は――」
「――はっ」
そうしてミコタアケコは傷口を踏みつけるサディストのように口角を歪め、こう続けた。
「そう、わたしは、死にたいの。粉々に砕け散って、意識も肉体も、魂さえも消えて、消えて、消えて! 消え失せたいの!」
汲々とした、切実な声が辺りに響く。虚ろな瞳からは涙があふれ、口元から赤い血が零れていた。
オレのへの憎悪などとは比較にもならない強烈な欲求の発露。これほどまでに強い欲をオレは今まで目にしたことがなかった。
「そのためなら、なんだってするわ。誰でも何でも殺すし、必要なら愛してもあげる。アンタみたいなのだって、ね」
……これ以上の動機もない。きっと誰もが、ミコタアケコと同じものを望み、同じことをする。
世界を救うために己を差し出したかつての自我などとうの昔に擦り切れて、残ったものはただ楽になりたいという当たり前の欲求だけ。
そんな人間を一体だれが責められる?
誰が、罪はお前にあるなどと言えようものか。
なにより、ほかならぬオレが、彼女の敵であるはずのオレが、もう、そんな怒りは抱けずにいた。
「だからねえ、殺してよ。さっさと終わらせて? わたしはまた別の条件で走るだけだから。それもアンタには関係のない、別の世界の話なんだから、罪悪感もないでしょう?」
――いや、違う。
怒りはある。オレは間違いなく怒っている。居ても立っても居られないほどに激怒している。
だが、それはミコタアケコに対してじゃない。もっと別の、もっと大きなものに、オレのはらわたは煮えくり返っていた。
もう腹は決めてある。あとは確かめるべきことを確かめるだけのこと。ミコタアケコがオレをどう罵ろうが、それは変わらない。
オレという人間のどうしようもない本質と変質した彼女の人間性は、どこまでいっても交わることのない並行線なのだから。
「――局長。1つ質問が」
「あ? ああ、またそれ」
「なんだね。聞いてみたまえ」
ミコタアケコの反応を意識から締め出し、局長の言葉にのみ耳を傾ける。
彼が嘘をつくことはない。が、必ずしもこちらの求める答えを発してくれるというわけでもない。
「仮に、彼女が『八人目』になったとして、彼女の望みは叶いますか?」
オレの問いに局長は「ほう」とため息を吐き、ミコタアケコは退屈そうに頭を垂れた。
間違いなく、オレは全く同じ問いを別の世界でもしたのだろう。
ミコタアケコはその場に居合わせており、それを聞いていた。
その時のオレは、一体どんな立場だったのだろう。
ミコタアケコの味方? あるいは、敵? いや、ほかならぬオレ自身のこと。どちらであったとしても答えは同じだと確信できる。
「正直なところ、私にもそれはわからない。
八人目の誕生するその瞬間は、一種の『特異点』、あらゆる物理法則が崩壊する極点だ。逆に言えば、そこでならばあらゆることが起きうる。
であれば、存在の完全消滅なんてこともあるいは可能かもしれないね」
そこまで口にしたうえで、局長は「君が八人目の誕生を阻止しようとしたようにね」と付け加える。
たしかに、理論的にはそうだ。
八人目が誕生する瞬間においてはあらゆる法則が意味をなさなくなる。
その地点においてはどれほど強固な因果も覆せる可能性がある。
だから、オレはそこであれば絶対であるはずの眠り姫の『予言』も覆せると踏んだ。そのために情報を集め、準備をしてきた。
ミコタアケコもそれは同じだ。
彼女もその瞬間にすべてを賭けている。己の存在を消し去るために。
けれど、それだけではないはずだ。
『ミコタアケコ』がただ1人で消滅するのならば、人類種全体の存続を目的とする『局長』が干渉する道理がない。
なにかあるはずだ。特異点で、ミコタアケコが、『八人目』に、『観測者』になることで起こってしまう何かが。
「――逆に、彼女が『八人目』になるのならば、結果は明らかだ。『観測者』としての力を最大限活用できるのなら、彼女は『ミコタアケコ』が存在しうる可能性世界のすべてを観測しうる。
観測できたのなら、干渉も容易い。ろうそくの灯を消すのと同じさ。自分の存在しうる可能性をすべて消すことができれば、おそらくは彼女も消える。その過程でどれほど多くの可能世界を巻き添えにするかは、『観測者』ならぬ私には把握しようもないがね」
……『ミコタアケコ』の逆行転生は単に時間を遡行しているわけじゃないのか。
時間を遡行したうえでそのたびに新たな並行世界を生み出している……? だから、その可能性世界をすべて消し去ってしまえば、無限の輪廻は終わる……?
理論としては、理解できる。
仮にあの『紅い老人』との契約を破棄できたとしても、失った『終わり』は返ってこない。悪魔との契約はそういう悪辣なものだ。
だから、『転生』できる可能性を世界ごと殺しつくすことで存在を抹消する。
それを可能にするためには『八人目』になるしかなく、あらゆる並行世界を見渡す『観測者』にのみそれが可能だ。
つまりは、無数の、数えきれない世界を巻き込んでの無理心中。600を超すループの果てに彼女はその結論に達した。自らを消し去るには、それしか方法はない、と。
「だから、私は君を『八人目』に推す。君なら今の世界を残すことを望むだろうからね。それに、この場で君が頷いてくれるのなら、因果を早め、予言の時を早めることも可能だ。その結果、そこにいるミコタアケコは再びループするだろうが、そちらに関しては対策は可能だ。君が魔人として存在を確定させれば彼女が割り込む余地はなくなり、ループを完全に閉じる」
くわえて、とんでもないことを言いだす局長。
確かに彼ならば予言の時に連なる因果を早めることもできるだろうし、オレが『観測者』になれば『ミコタアケコ』の目的を阻むこともできるだろう。
選択肢は、二つに一つだ。
オレが魔人になりミコタアケコを無間地獄に封じるか、あるいはミコタアケコが魔人になり無数の世界と共に消え失せるか。
であれば、どちらを選ぶべきかは決まっている。異界探索者として、解体局の一員として、人間として、選択肢は一つしかない。世界を救うには、これしかない。
「――オレは」
だが、そう結論付けたうえで、オレはある疑問に耳を傾ける。
それはオタクたるものが忘れてはならない問い。公式がどう言おうが、どんな結末を提示されようが、その問いを抱くことはだれにも止められない。
――本当に?
――本当に、そうなのか?
――本当にこれが、たった一つの冴えた方法なのか?
分からない。具体的な方法も理論も、頭の中にはない。ただ魂の奥底で、誰かが「違う」と叫んでいる。
その切実な叫びをオレは、無視することができない。
「――わかりました」
「ほう。なにがわかったのかね?」
「八人目には、オレがなります」
決意をもって運命を選ぶ。
心が押しつぶされそうな恐怖も、みんなへの申し訳なさも消えてはくれないが、それでも、これでいいという確信があった。
オレは今、無数の世界、それもオレの愛するこの『BABEL』の世界と、ただ一人の、それもオレたちの敵である彼女の命を天秤にかけた。
そして、その軽重を理解したうえで――、
「――でも、貴方の言う通りにはしない。世界も、ミコタアケコも両方を救う。文句ありますか?」
『局長』を、七人の魔人の一角を正面から見据える。もう、恐れはない。
オレはオレだ。どうしようもなくオタクで、蘆屋道孝だ。
でも、誰よりもハッピーエンドを愛してる光のオタクだ。だから、誰かを犠牲にしてのビターエンドなんて、オレは絶対に認めない。その誰かが、オレの敵だったとしても、だ。
目指すは完全無欠のハッピーエンド。あのフロイトを、ミコタアケコも、救ってみせる。
それがオレの、オタクとしての譲れない矜持だ。




