16 異世界
「なるのほどの。リンタローは異世界からの稀人だったか」
ワイバーンの山火事の翌日、改めて自己紹介というか、これまでの経緯を婆ちゃんに話した。
夕べ、ギガントスの背に揺られて、山の中腹にあるこの魔女の住みかに着いたのはすっかり暗くなってからだった。ワイバーンの住みかは、この山を越えたところにある、あの目立っていた赤茶けた山の山頂近くで、この辺りには滅多に来ないそうだ。ただ、湖からはかなり遠くて、この距離を歩かせるつもりだったのかと恨めしく見つめる僕を無視して、「話しは明日じゃ~」と言って、赤い尖んがり屋根がなんともメルヘンな山小屋風の家に入っていった。
もっとも、僕もヘトヘトで話しが出来る状態ではなかったので、反論はしなかったのだが。
外にあった井戸で簡単に身体を洗い、招いて貰った室内でパンとワイバーンの肉を焼いた夕食をもらった。イスとテーブル。そして食器。久しぶりの人間らしい食事に涙が出てきた。
もっと感動したのはベットだ。泣きながら布団にほお擦りする僕を、婆ちゃんは呆れたように見ていたが、「ゆっくり休むがいい」と、思いの他優しい口調で言って部屋を出て行った。
夢も見ずにグッスリ眠って、起きたのは日がかなり高くなってからだった。
パンとスープというまともな朝食を、感動の涙に溺れながら食った後、紅茶のような飲み物を飲みながら話しを始めたのだ。
「わしの名はアルクス。アルタトゥーム・アルクス。職業は魔女。恋人募集中。歳はナイショじゃよ」
僕の自己紹介に対する答えがコレだった。
残念魔女全開だったが、僕の話しを聞くうちにだんだん表情が変わってきた。聞き終えて長い間の後、疲れたようにつぶやいたのだ。
「僕のように異世界から人が来るってのは、よくあることなのか?」
「あるわけ無かろう。そうポンポン違う時限から人でも物でも何かが来てみぃ、この世界が吹き飛ぶわ」
「吹き飛ぶ!?」
アルクスが真剣な口調で説明してくれた。異世界とはつまり違う時限だということだ。時間軸も質量も全く異質な世界なのだ。それが、同時間に存在すれば反発しあって双方が消し飛ぶのだそうだ。下手をすれば他の時限にも影響して、全ての時限、時間軸から生命が消えて、全てが1つの虚無になってしまうとか。
「な、なんでそれで僕がここにいるんだよっ!?」
「人間共が安易に古代の魔方陣を使ったんじゃろうな。それがここ数十年の魔素異常の影響を受けて異常発動したんじゃろう。生贄を使うという邪道も原因の一つかもしれん。まったく。同族を、しかも子を贄にするなんぞ、人にしか出来んわ」
アルクスは嫌悪感もあらわに吐き捨てた。同じ人間の僕は思わず俯いてしまった。
「そ、それじゃ、元の世界に戻る方法は…」
思った以上に絶望的な状況だった。けれど、聞いておきたかったのだ。僕の質問に顔を上げたアルクスは、虹色の瞳に一瞬だけ痛ましげな感情を乗せた。
「無い」
断言された。
そうか。帰れないのか。涙は出なかった。まだ実感がないのかもしれない。
「そもそも、既におぬしは元の世界の時限では生きていけぬ身体になっておるんだぞ」
追い討ちをかけるようにアルクスは語りだした。驚いて見つめる僕に今回の転移の異常性を話してくれた。
転移する際、この時限に適応できるよう魂の書き換えが行われたのだそうだ。そうでなければ転移した瞬間にこの世界は消えていたはずなのだと。僕がこの世界の言語を話せ理解出来るのもそれが理由らしい。おそらく、どの種族、どの言語でも理解出来るはずだとも。
それを聞いて、思わず力無く笑ってしまった。望んでいたチート能力だ、と。
本来、起こるはずの無い事態が偶発的に重なった結果、世界は無事に存在し、僕もここにいる。けれど、魂がこの時限の者になった僕が万が一にも奇跡的に元の世界に戻ってしまったら。向こうの世界が消し飛ぶ。
本当にもう笑うしかない。
「リンタロー。おぬしの選択肢は2つだけじゃ。死ぬか。生きるか」
アルクスは慰めの言葉一つ言わずに厳かに僕に告げた。
「絶望して死を選ぶなら表の木で勝手に首でもくくれ。だが、生を選ぶのなら、わしが手を貸そう」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ほれ。ここら辺刈り取れておらんぞ」
「ニャ~」
翌日、僕はギガントスの仔の毛刈りをやっていた。
昨日、絶望的な話しを聞かされ、そのままベットの中で膝を抱えて丸くなっていた。二度と戻れない世界を、両親や姉、友人達を思い、この世界でやって行けるのかと考えると、未来がまったく見えて来なかった。
そんな落ち込みから僕を引き上げたのは、あたりまえの生理現象、尿意だった。朝食でスープ飲んで、その後紅茶も飲んだのだ。そしてそのまま篭って夕方だ。そりゃトイレにも行きたくなるよ。
耐え切れなくなった僕はベットから飛び出し、トイレに駆け込んだ。トイレから出て来てホッと息を吐いたとたん、今度は腹が鳴ったのだ。1日ベットに篭っていて何もしていないのに、こんな事態なのに、それでもしっかり腹は減るし、トイレにも行きたくなるのだ。
呆然と腹に手をやって佇む僕に、アルクスが夕食が出来てると声をかけて来た。セバスに手を引かれながら入った食堂には、ギガントスの肉を焼いたものとスープ、そして僕の好物の松茸が湯気を立てていた。
悲しさと情けなさと悔しさと。肉の美味さと好物を用意してくれた感謝と。色々な感情の混ざった複雑な涙を流し、しゃくり上げながら全部食い尽くした。
外にいるビーネや花ちゃん達が窓からこちらを覗き込み、心配している感情が伝わってきて、更に泣いた。
「異世界の人の子は、よう泣くのう」
アルクスの呆れた声は無視しておいた。そんなわけないだろう。僕は既に成人しているんだぞ。泣いたのなんて、小学生の低学年の時以来だよ。
盛大に泣いて、腹一杯食べて、再びベットへ潜り、今度は何も考えずに眠った。
そして今朝、アルクスに叩き起こされたのだった。
「働かざるもの食うべからずじゃ。食った分は働け」
眠い目を擦りながら起きた僕は、大泣きしてパンパンに腫れた顔を冷たい水で洗い、昨日と同じくスープとパンの朝食を手早くとった。そして、アルクスの指示の元、掃除やら薪割をやらされたのだった。
何も考えずにただ無心で掃除をした。薪割は手をマメだらけにしただけで、殆ど終わっていないが。
昼になって渡されたサンドイッチを切株に座って食う。意識が遠いところにあるようで、言われるがまま、機械的に身体を動かしているだけだった。なんだか気が抜けて、何も考えたくなかったのだ。
昼食を食い終わってボンヤリしていると、あのギガントスの仔が庭に居て、花ちゃん達と遊んでいるのに気付いた。大人達は森へ食事に行っているようだった。
「お前達、まだいたのか。良かった。ここまで送ってもらった礼を、ちゃんと言いたかったんだよ」
撫でると、相変わらず毛は柔らかく、もふもふは健在だった。だがよく見ると、背中の一部に火傷を負っている。身体のあちこちに傷もあった。結構深そうな傷なのに、2日間そのまま放置していたのか!?
慌ててアルクスを呼んで、手当をしたいと訴えた結果、まずはこの毛を刈り取るように言われたのだ。
セバスや花ちゃんにも手伝ってもらって、扱い慣れないナイフで少しづつ毛を切り落としていく。像よりデカイのだから、かなりの重労働だ。
「ふ~。これで全部切れたかな。お前、ずいぶんチンチクリンになっちゃったな~」
毛を刈るだけで数時間かかってしまった。汗を拭ってギガントスの仔を眺める。毛刈り後の羊の映像をテレビで見たことがあるが、あんな感じで一回り二回り縮んだようで、どこかマヌケな姿だ。僕の下手くそな毛刈りでデコボコしてるのはご愛嬌だ。
僕が笑うと、ギガントスの仔はスネたような目をして背を向けてしまった。
「ごめんごめん。もう笑わないよ。さあ、手当しよう」
まずは綺麗な水で傷口を洗い流す。背中の火傷と身体の両サイドにあるえぐれたよな傷は特に丁寧に。
「婆ちゃん、薬とかないのか?」
「傷薬か?それなら、ホレ、そこに薬草が歩いとる」
アルクスが指を際した先には、小さな黄色の菊のような花を咲かせた花ちゃんがいた。またしても衝撃の事情だ。
「花ちゃん、薬草だったの!?」
「おぬし、それも知らなかったのか?」
聞けばアルラウネの葉には全て薬効成分があるのだという。というか、強い薬効成分のある植物が、植物系魔物の眷属となって魔物化したものがアルラウネなんだそうだ。
黄色の菊は傷薬。青いヒマワリは魔力回復。と、花によって効能は違うのだが、元のただの植物だった時よりは効能は数段上で、人間に乱獲された歴史もあるのだとか。
葉は取ったそばから伸びて元に戻るので、遠慮なく使わせてもらった。そういえば、いつも同じ高さ同じ位置に葉があったよな。今更気付いたよ。花も毎日新しいものになっていると聞いたのは、この時だった。主である魔物が滅びない限り、水と土と光りがあればアルラウネは元の植物の姿のまま生き続けるのだそうだ。
大きな身体を薬草だらけにして、なんとか手当を終えた。火傷にはレギオビーネの蜂蜜を塗っておいた。地球にいた頃母親が、火傷には蜂蜜がいいと言っていたのを思いだしたのだ。母親の情報はかなり不確実なのだが、アルクスが太鼓判を押したので、治療に使ったのだ。
だいぶ後に知ることになるのだが、滅多に花を付けないドライアドや、アルラウネの花の蜜はそれだけで不老長寿の妙薬と信じられているんだそうだ。実際、若返りと寿命を延ばす効果があるそうで、人間の間では『幻の霊薬』と呼ばれているそうだ。時の権力者がこぞって追い求め、スプーン一杯の蜜を手に入れるために、多くの冒険者がその命を散らしたとか。僕が持っているのは、その霊薬をレギオビーネが集めて効能を濃縮した蜂蜜だ。これを欲する人々の間で戦争が起こっても不思議ではないほどの価値があるらしい。けれど、この時の僕には単なる蜂蜜だった。そもそも遺跡にいた時から毎日貰って食っていたんだから。
気付けば辺りは茜色に染まっており、大人達が森から帰って来ていた。僕の作業が終わるのを待っていたらしく、一頭づつ近寄ってきて、薬草だらけの仔の身体を鼻で優しく撫でていった。
「婆ちゃん。コイツに名前付けても大丈夫かな?」
リーラやラピスに名を付けた時、形態が変わってしまったことをアルクスに説明した。
「珍しい現象じゃの。ふむ。おぬしの力は魔物の持っている魔力そのものに作用するのかもしれんな。ギガントスは動物じゃ。魔力は持っとらんから大丈夫じゃろ」
「そうなのか?じゃあ。どんなのがいいかな。ギガントスだから……。ギガ……ギガ……。」
なんとなく、期待してるような目をむける仔と花ちゃん達の視線がプレッシャーだが、乏しいネーミングセンスを絞った。
「やっぱりこれしかないよな。テラ。お前の名前はテラだ!僕の世界じゃギガより大きい単位なんだぞ。名前に負けないデカイ男になれよ!」
「こやつは雌じゃ」
「……そうなの!? つ、つまり立派なギガントスになれって意味だよ」
僕とアルクスの不毛な会話を余所に、本人は気にいったようだ。うれしげに身体を揺らし鼻を振って、大人達のところへ向かった。
テラの治療に半日使ってしまった。暗くなりはじめた周囲を見回した。薪割は明日やるからとアルクスに頼み込み、小屋に戻った。
屋内に入る寸前、アルクスが何か言いたそうに僕を見つめたが、結局何も言わなかった。
ワニ肉のステーキの夕食を食べてから、その日は早々に休んだ。
おそらく僕は、深刻な状況からテラの治療という行動で現実逃避していたのかもしれない。
翌朝、小屋の前にテラが倒れているのを見るまでは。




