6. 運が、なかったな
夜の賭場は、1年前と何も変わっていなかった。
煙と酒の匂い。怒鳴り声と、笑い声。卓に積まれた硬貨が、じゃらじゃらと持ち主を変えていく。
ここで、俺は全部なくした。
「ノアさん、顔色が……」
隣のマレが、袖を引いた。
「平気だ。お前こそ、来なくてよかったんだぞ」
「道具のことなら、私のほうが分かります」
マレは、岩場から持ってきた図録をぎゅっと抱えていた。
奥の卓に、細い目の男が座っていた。
ナハトは俺を見るなり立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「おかえりなさい、ノアさん。お元気そうで何よりです」
「リゼを返せ。作業棟の鍵もだ」
「おや、いきなり」
ナハトは、困ったように笑った。
「力ずくで取りに来ますか? それも結構。ただ、その時は作業棟の首輪を、全部締めることになりますが」
懐から出したのは、黒い板だった。荷馬車の見張りが持っていたものより、ひと回り大きい。表に、小さな石がびっしりと埋め込まれている。
「見張りに持たせていた安物とは違います。作業棟の首輪、全部とつながっていましてね」
マレが、俺の後ろで息を呑んだ。
「〈首輪の親板〉……」
拳を、握り直した。
殴るのは簡単だ。でも、あの板を使われたら終わりだ。
「そこで、どうでしょう」
ナハトは卓の上に、サイコロを1つ置いた。
「1年前の続きをしませんか。私が振って、あなたが出目を当てる。当たれば借金は帳消し、リゼさんも鍵もお返しします。外れたら、あなたも作業棟へ」
周りの客が、面白がって寄ってきた。
分かってる。これは罠だ。1年前と同じだ。
でも。
「乗った」
「ノアさん!」
「ただし、もう一つ足せ」
指を立てる。
「金貨100枚」
ナハトの目が、一瞬だけ丸くなった。それから、楽しそうに細くなる。
「欲張りですねえ。いいでしょう。負ければ借金にしますからね」
マレが、額を押さえていた。
ナハトは親板を懐にしまい、両手でサイコロを転がし始めた。
懐に手を入れるのと、俺が卓を越えるのと、どっちが速い?
分からない。作業棟の連中の命がかかった賭けは、できない。
ナハトが、サイコロを器に入れて伏せる。からからと、乾いた音。
6分の1。普通なら、まず当たらない。
「さあ、どうぞ」
何となく、6だと思った。
「6」
器が上がる。
6だった。
周りがどよめいた。ナハトの眉が、ぴくりと動く。
だが、すぐに笑顔に戻った。
「お見事。では、もう2回いかがです。全部当てたら、さらに金貨100枚。ただし一度でも外れたら……そうですね、金はいりません。何を出します?」
金貨100枚。
欲が、顔を出した。
「……馬」
「ヒゲチョロさんを!?」
「あいつなら、売られても自分で逃げて帰ってくる」
ナハトは少し考えて、楽しそうに目を細めた。
「馬、ですか。まあ、いいでしょう」
言ってから、しまったと思った。
1年前も、こうやって欲に釣られて乗ったんだ。
でも、口はもう勝手に動いていた。
「乗った」
「ノアさん!!」
2回目。ナハトは、さっきと違うサイコロを手の中で転がしてから、器に入れた。
今度も、6な気がする。
「6」
6だった。
客が騒ぎ出した。ナハトの笑顔が、少しだけ固くなる。
その時、隣でマレが小さく声を上げた。
「〈豪運〉……」
俺の顔を見ている。
「今、スキルが動いてます。それに、その親指の銀の指輪」
前に、魔力切れで読めなかったやつだ。
「〈幸運の指輪〉。幸運を、倍にする指輪です」
マレは、はっとした顔になった。
「遊び人はもともと運が高くて、そこに〈豪運〉があって、さらに2倍……だから、サボテンタから成長の指輪が……」
「なんだ、それ」
「ノアさんは1年間、ずっと当たりを引き続けてたんです!」
知らなかった。
俺、ついてたのか。
そういえば、1年前のこの卓では、まだこの指輪を持っていなかった。
ナハトが、3つ目のサイコロを出した。
手の中で転がす指が、さっきより丁寧だった。
マレが、そのサイコロを見て目を見開いた。
「〈鉛入りのサイコロ〉……!」
小さな声だったが、近くの客には聞こえた。ざわめきの色が変わる。
ナハトは、聞こえないふりをして器を伏せた。
からから。
鉛入りなら、出る目は決まってる。どうせ1だ。
それでも。
「6」
器が上がった。
サイコロは、まだ回っていた。
鉛の重みで、1の面を上にしようとする。止まりかけて、ぴしっと音がした。
サイコロが、割れた。
中から、鈍い色の鉛の粒が、ころりと転がり出る。
割れた欠片の片方が、くるりと回って、止まった。
上を向いていたのは、6の面だった。
賭場が、静まり返った。
誰かが、鉛の粒を指さした。
「おい、あれ……」
「いかさまじゃねえか!」
「ナハトの卓だぞ。今までの勝負も……」
客たちの声が、どんどん大きくなっていく。
ナハトの細い目が、初めて大きく開いていた。
割れたサイコロを拾い上げて、ナハトの前に置いた。
「運が、なかったな」
ナハトの顔から、笑みが消えた。
代わりに、ゆっくりと右手を上げる。
賭場の奥の扉が開き、用心棒たちがぞろぞろと出てきた。10人、いや、もっといる。
「賭けは、賭けです」
ナハトの声は、もう丁寧ではなかった。
「ですが、生きて帰れたら、な」
左手が、懐の親板に伸びていた。
マレが、俺の背中に隠れた。
首を回すと、ぽきっと鳴った。
正直、サイコロよりこっちのほうが、ずっと得意だ。




