第47話 ホラじゃなかった
真っ暗だった。
波の音が、急にくぐもった。さっきまで頭の上で鳴いていた鷹の声が、ぷつりと切れた。
……生きてるよな、俺。
かち、と音がして、小さな火がともった。
ガントが、船のランプに火を入れていた。手が、震えていた。
灯りが広がった瞬間、目の前がきらきらと光った。
岩じゃない。壁にも、天井にも、水際にも、とがった石がびっしり生えている。
ランプの火を映して、青く光っていた。
「……水晶」
マレの声が、洞窟に響いた。
ガントが、ランプを高く掲げた。
「ホラじゃ、ねえだろ」
かすれた声だった。
「なあ。ホラじゃ、ねえだろ」
誰に言ったのかは、分からなかった。
船は、洞窟の中の細い水路をゆっくり流れていった。
振り返ると、入ってきたところに外の光がうっすら透けている。岩の幻は、内側から見るとただの薄い影だった。
鷹は、入ってこなかった。
「追ってきませんね」
マレが、入口を見上げて言った。
「……前の時も、そうだった。ここに入った途端、来なくなった」
ガントが、船を岩棚に寄せた。
岩棚に降りると、足元まで水晶がごろごろしていた。
ほとんどが青だ。拳くらいのから、人の背丈くらいのまで。
その間に、ときどき膝くらいの高さの黄色が混じっている。
マレが、黄色い一本の前にしゃがみこんで、指を当てた。
「〈黄水晶〉です」
声が、上ずっていた。
「こんなに大きくて、濁りがなくて……これ一本で、金貨百枚は……」
「百」
口から、勝手に出た。
黄色いのは、見渡すだけで十本以上ある。
十本で千枚。
数えるのをやめて、根元をつかんだ。
ぐっとひねる。
ぱきん、と澄んだ音がして、俺の腕ほどの黄水晶が岩から外れた。
「……は?」
ガントの声だった。
「十年前、俺は金槌で一晩叩いて、それっぽっちしか割れなかったんだぞ」
爺さんは、懐の青い石と、俺の手の黄水晶を見比べていた。
金色の指輪にしまう。
次。次。その次。
ぱきん、ぱきん、と音が響くたびに、指輪の中が重くなっていく気がした。重さなんか、感じねえのに。
「ちょっと」
リゼが、腕を組んでいた。
「全部持ってく気?」
「置いてく理由があるか」
「……ないけど、ほどほどにしときなさい」
リゼは、ため息をついた。
奥の方で、マレが声を上げた。
「ノアさん! こっちです!」
洞窟の奥、天井が低くなったあたり。
岩の隙間に、紫色の水晶が三本だけ、ひっそり生えていた。
ランプを近づけると、紫の奥で、小さな光がゆっくり揺れているように見えた。
「〈紫水晶〉……」
マレが、両手を胸の前で握りしめた。
「魔力の濃い場所で、何百年もかけて、少しずつ育つんです。こんなふうに生えてるのを見たのは、図録の絵だけで……」
早口だった。息が続かなくなって、マレは口を閉じた。
「三本か」
手を伸ばしたところで、マレが俺の袖をつかんだ。
「あの……一本だけに、しませんか」
「なんでだよ」
「全部取ったら、ここで次に育つものが、なくなるかもしれません」
マレは、紫の奥の光を見ていた。
……何百年、だったか。
舌打ちして、いちばん小さい一本を折った。
それでも、マレの手首くらいの太さがあった。
岩棚に戻ると、ガントが一本の黄水晶の前に座りこんでいた。
触りもせずに、ただ見ている。
指輪から、さっき折った中の一本を、爺さんの前に置いた。
「船代だ」
ガントは、目の前の黄水晶を見下ろした。
それから両手で抱えこんで、背中を丸めた。
肩が、小さく震えていた。
「……あいつらにも、見せてやりたかったなあ」
誰も、何も言わなかった。
洞窟のいちばん奥は、平らな壁になっていた。
壁一面に、絵が彫られている。大きな鳥と、星と、人の列。
その真ん中に、石の扉があった。取っ手も鍵穴もない。表面に、丸い石がいくつも埋めこまれている。
マレが、扉の前に立った。
丸い石を一つずつ、指でなぞっていく。押すと、石は溝に沿って少しずつ滑った。
「……星です」
マレが、つぶやいた。
「この石の並び、星の並びなんです。でも、今の空とは少しずつずれてて」
マレは〈星読みの盤〉を膝に乗せて、輪を回し始めた。
「石板と同じ頃の空に合わせれば……」
輪を回す。石を滑らせる。また輪を回す。
俺には、何をしてるのかさっぱり分からなかった。リゼも、黙って見ていた。
最後の石が、かちりと溝にはまった。
扉の奥で、低い音が鳴った。
……それきり、何も起きなかった。
「あれ?」
マレが、盤と扉を見比べた。
「合ってる、はずなんですけど……」
扉に手をついてみた。
少しだけ、動いた気がした。
ぐっと押す。
ごり、ごり、と石がこすれて、扉が奥へ開いていった。
隙間から、外の風が吹きこんできた。
「……重かっただけかよ」
「普通の人なら、十人がかりだと思うわよ」
リゼが、あきれた声で言った。
扉の先は、上り坂の石段だった。
ガントは、船を見ていると言って残った。黄水晶を、まだ抱えたままだった。
石段を上りきると、まぶしい光が目を刺した。
島の上だった。
草の生えた平らな岩場の真ん中に、石造りの建物が一つ建っている。崩れてもいないし、苔もついていない。
ばさり、と上から風が叩きつけてきた。
見上げる間もなく、目の前に大きな影が降りてきた。
鷹だ。
さっきの連中より、ふた回りはでかい。羽の先が、白くなっている。
金色の目が、俺たちを一人ずつ見た。
リゼが、マレの前に出た。
俺は、拳を握った。
鷹が、くちばしを開いた。
「入るのは構わん」
低い、人の声だった。
「封印に手を触れたら、生きて帰れないと思え」




