第33話 寝た
「寝るなって、じゃあ夜は何してりゃいいんだよ」
あの三人の背中が見えなくなってから、やっと声が出た。
「起きてればいいでしょ」
「一晩中か」
「一晩中よ」
リゼは、もう村のほうへ歩き出していた。ヒゲチョロが俺の顔を見て鼻で笑い、リゼについていく。
なんでお前まで向こう側なんだよ。
ルト村は、森のひらけた場所にあった。
まだ日が残っているのに、どの家も戸を閉めている。畑には、掘りかけの芋がそのまま転がっていた。鍬が一本、畝に刺さったまま置き去りになっている。
人の声がしない。犬も鳴かない。
戸が一枚、細く開いた。のぞいた女は、頬がこけて、目ばかり大きかった。俺たちを見ると、何も言わずに戸を閉めた。
「……ひどいわね」
リゼがつぶやいた。
村の真ん中に、井戸があった。
その縁に、子どもが一人腰かけていた。足をぶらぶらさせて、干し芋をかじっている。十かそこらの男の子だ。金色の巻き毛で、頬がふっくらしている。
この村で頬がふっくらしているのは、そいつだけだった。
「君たちも依頼?」
男の子は、干し芋をくわえたまま言った。
「ドルフさんたち、帰っちゃったよねえ。カイ君、まだ生きてた?」
「……生きてたわ」
リゼが答えると、男の子は「そっか、よかったねえ」とうなずいた。
なんだ、このガキ。
「おい。ガキは家に入ってろ。夜は危ねえんだろ」
「僕、五十なんだけど」
「……は?」
男の子は、首から下げた札を指でつまんで見せた。
金色だった。冒険者組合の、金級の札だ。俺の銀級より一つ上。
「ティル。魔法使い。よろしくねえ」
「……五十?」
「五十」
「その顔でか」
「この顔で。呪いでね、年をとらないんだ」
ティルは、干し芋の残りを口に放りこんだ。
「解けたらいいなとは思ってるんだけど。でも、年とるのも嫌だよねえ。寿命ってどうなってるんだろうね」
軽い。呪いの話を、晩飯の献立みたいにしゃべる。
「僕も同じ依頼だよ」
「……金貨二十枚の?」
「そう。解決した組に払うって話だから、取り合いだねえ」
冗談じゃねえ。
「あ、僕はお金はいいんだ。何が起きてるのか知りたいだけ。呪いを解く参考になるかもしれないし」
いいやつだ。たぶん。
リゼが、井戸の縁に手をついた。
「ここで、何が起きてるの」
ティルの目つきが、少しだけ変わった。
「病じゃないよ。呪いでもない。それは、診たから分かる」
「じゃあ」
「たぶん、何かに吸われてる」
リゼが、自分の腕をさすった。
「何に」
「それが分かんないから、困ってるんだよねえ」
ティルは肩をすくめた。
「結界が張れたらいいんだけどね。僕、細かい魔力操作は苦手なんだよね。自分だけならできるんだけど、それを慎重に広げるのとか、イライラしちゃう。なんか爆発しそうになる」
「……爆発?」
「焼き払うのは得意なんだけど」
にこにこしている。
リゼが、ティルの丸い頬を見た。
「だから、あなただけ平気なのね」
「そういうこと。ずるいよねえ」
自分で言うな。
村長は、ひょろりと背の高い年寄りだった。
「よく、来てくださった」
頭を下げようとして、ふらついた。リゼが慌てて腕を支えた。
村長は、村の東の端の空き家を貸してくれた。住んでいた一家は、先月三人とも寝たきりになって、隣村の親戚が荷車で連れていったそうだ。
それから、鍋を一つ持たせてくれた。芋と豆の煮込みだった。
「こんなものしか、ありませんが」
鍋を差し出す手首は、カイと同じくらい細かった。
受け取れるかよ、と言いかけた。
腹が鳴った。
村長が、少しだけ笑った。この村に来て、初めて見た笑い顔だった。
「……おう。もらう」
鍋を受け取った。
「代わりに、なんとかする」
日が落ちた。
空き家の土間に、灯りを一つ置いた。ヒゲチョロは裏の柵につないだ。柵の内側の草は、もう根元まで食われていた。
煮込みは、うまかった。リゼとティルが一杯ずつで手を止めたので、残りは俺が片づけた。三杯だ。
ティルは、窓の枠に腰かけていた。昼間と同じように、足をぶらぶらさせている。
「眠くならねえのか」
「僕、夜は起きてる係なんだよねえ。昼に寝るの。日が出てるうちは、何も来ないみたいだから」
リゼは戸口の近くに座って、膝を抱えていた。目は、村のほうを見ている。
静かだった。
森のほうから、湿った風が入ってくる。土のにおいがする。
首の後ろが、むずむずした。
かいた。むずむずは、すぐに場所を変えた。肩、耳の裏、また首。
「……なんか、嫌な感じだ」
「かゆいの?」
「かゆいっつうか。嫌な感じなんだよ」
リゼが灯りを寄せて、俺の首をのぞきこんだ。
「……何もないわよ」
「あるんだよ」
ばりばりかいた。
ティルが、窓枠の上からちらりとこっちを見た。何も言わなかった。
夜は長かった。
灯りの油が、少しずつ減っていく。リゼは、ずっと村のほうを見ている。ティルは、ずっと足をぶらぶらさせている。
腹がいっぱいだった。
砂漠では一年、どこでも寝た。岩の上でも、砂の上でも、サンドワームの腹の中でも寝た。眠いと思った時には、もう寝ていた。
まぶたが重い。
「ノア」
「起きてる」
「目、閉じてたわよ」
「起きてる」
頬をつねられた。痛い。起きた。
しばらくして、またつねられた。
三回目は、つねられたのを覚えていない。
リゼの声が、遠くで聞こえた。
「ちょっと、ノア。……ノア!」
肩を揺すられている。
知るか。
「起きなさいってば!」
頬を叩かれた。たぶん。
「すごいねえ、この子」
ティルの声だった。窓枠から、とん、と降りる音がした。
「何してもよ。何しても起きないの。ねえ、どうしよう」
ティルは、返事をしなかった。
「……へえ」
さっきまでの、のんきな声じゃなかった。
どこかで、いびきが聞こえる。
俺のだ。
「寝るなって言われたでしょ! バカ!」




